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剡旗伝  作者: 司弐紘
第二回 遺言屋の新しい仕事
12/33

伍 翠燕と流李、同道となる

「ところで彷月公主」

「“公主”はやめてと言ってるのに。私から褒め言葉を聞きたいばっかりに黙っていたくせに、今になって何の用?」


「上客相手に何という言い種だ。実はな、公主が俺を大いに讃えている間に、もう一度この目録に目を通してみたんだが、笈賛きゅうさんが公主に渡した物がどれなのか今ひとつ見当がつかん。どれだ?」


 といいながら獅音は、目録を翠燕に示す。


「さすがは伯声はくせい殿。よくわかったわね。見当がつかないのは、そこに書いてないからよ」

「何だと? それではお前が自分で持ち歩くつもりか?」

翠燕すいえん?」


 獅音しおん流李りゅうりの両方から声が上がる。


「それでは笈賛の持っていた物が、お主がずっと探していた物なのか?」


 流李よりは事情に詳しいらしい獅音がさらに踏み込んだ。


「ああ、それは違うんだけど……あれはちょっとねぇ……」


 珍しく歯切れの悪い翠燕に、獅音は元より流李までもが驚きを隠せない。


 何しろ元は父が持っていた物なのだ。それをあらゆる書画骨董を知り尽くしたとも思える翠燕が、手元に残したいと言っている。


 それほどに貴重な物だったのだろうか?


「それならば、売る売らないは別として一度俺に見せてくれんか。公主がこだわるほどの物ともなると、是非一度見てみたい。そう言えば流李殿はどんな物かご存じか?」


 と、皇帝陛下に問われて嘘を付くわけにもいかない。

 そこで、自分の記憶と昨日の翠燕の話を混ぜ合わせて説明する。


 すると獅音の表情が変わった。今までの砕けた雰囲気はなりを潜め、何処までもまっすぐな瞳が流李を見つめていた。


「な、何か……?」

「いや、じつにわかりやすかった――翠燕」


 今度はそのまっすぐな瞳を、翠燕へと向ける。


「よくわかった。その『臨江林旗図』はお前が持つと良い。見せるには及ばぬ」


 そこまで言うと、獅音は再び相好を崩した。


「さて、つい公主の言葉が心地よくて長居してしまったが俺は忙しいのだった。価格の交渉に入ろうか。今回はこれぐらいでどうじゃ?」


 と言って獅音が差し出した為替には、見たこともないような金額が書き込まれている。

 しかもやたらに細かい。


「……ここから下は面倒だから切り捨てでいいわ。その代わりいつもの情報をお願い」


 果たして、その切り捨て金額だけでも一財産と言うにふさわしい金額だ。

 しかしまけて貰ったはずの獅音は悲しげな表情で、


「翠燕。悪いことは言わんから、この辺でやめにしないか。お前が求めている物なら俺に任せておけ。必ず見つけ出してお前の元に届けさせるから」


 それを聞いた翠燕は、大胆にも皇帝に対して見下したような笑みを浮かべた。


「私が何を探しているのか見当もつかないのに?」

「それはお前が教えてくれればいいことだろう」


 流李は二人の会話について行けず、ただその口元だけを見つめていた。そのために気付くことが出来た。ほんの一瞬事だったが、翠燕が悔しそうに唇を噛んだ事を。


「伯声殿。これは私がしなくちゃいけないことなの。何度も説明したでしょ」

「言わせて貰うが、それは皇帝たる俺がしなければならない事でもあるんだぞ」


「でも、伯声殿にはそれをするための情報がない。だから私の勝ち。観念していつもの情報を私に教えなさい」


 一天万乗いってんばんじょうの皇帝相手に命令。流李は他人事ながら血の気が引く思いだ――待てよ、本当に他人事だと刑吏けいり達が受け取ってくれるだろうか?


 そんな風に流李が、かなり現実味の高い心配をしているのを知ってか知らずか、獅音はしばらくの間、黙り込む。そしてため息と共に口を開いた。


「……今はさんの掃討戦に入っている。国都はすでに陥としているから、今は枝城の高景こうけい城に残党が立てこもっている。公主にはうってつけの状況だな」


「高景城? 確か北西の天華のほとんど端にある城よね。水は井戸があったはずだけど、あそこ食料はそんなに持たないはずね」


 すらすらと城の内情を述べ立てる翠燕に、流李は改めて舌を巻く。獅音はやれやれとばかりに首を振り、


「だから無理に攻めずに、向こうの降伏を待つように指示してある」

「ああ……また隼王に任せてるの?」

「任せはしたが、自分で出るまでもないと思ったのか、さらに任せたらしい」

「誰?」

牙偉門がいもん

「げ」


 その短くも下品な翠燕の言葉を合図にして、皇帝陛下との会見は終わった。







 そうして二人が泉源せんげん宮を辞したときには、すでに陽は傾き始めていた。


 獅音との会見時間が長かったと言うよりは、会見場所にたどり着くまでの行程が長すぎたのだ。


 翠燕は宮殿を出ると、次にやるべき事はすでに決まっているのか逡巡することなく南に向かって歩き出した。


 次にやるべき事――

 きっと高景城に行くのであろうということは流李にも見当がついた。


「私も行くぞ!」


 流李は思わず叫んでいた。


「どこに?」


 先を歩いていた翠燕が振り返りもせずに、聞き返す。


「高景城だ。翠燕もそこに行くのだろう?」


 今度はすぐに声が返ってこなかった。まっすぐ前を向いてひたすらに歩いている。無視されているわけでない事は、その歩調がわずかに乱れていることでわかる。


「……あなた、まだ諦めてないわけ?」


 やがて、やっぱり前を向いたままで翠燕が口を開く。


「ここで諦めていては、それこそ女の名折れだ。おまえのやり方に釈然としないところがあるのも事実だし、納得いくまでおまえについて行くことにした」

「馬で行くんだけど」


「昨日、お前が売り払った馬代、どう考えても浪安ろうあんから双園ここまでの船賃には過ぎた金額だ。返してくれ」

「あ~~」

「私の馬は村で一番の名馬だった。それより少し劣るぐらいの現物支給でもいいぞ」


 流李がそう言ったところで、翠燕は初めて振り返った。

 その表情は流李が初めて見るもので、多分それは困り果てている表情なのだろう。


 眉は十分に歪められているし、瞼もきつく閉じられている。ただ、口元だけが笑みを浮かべているようにも見えなくはない。


「……交渉ごとは上達したんじゃない?」

「お前の後ろであれだけ見せつけられればな。それに当初は火事場泥棒のたぐいかとも思っていたが、どうやら翠燕という娘は一角の人物ではあるらしい」

「そ、そう」


「善悪どちらとも言い難い部分はあるが」

「……そう」


「ならばそれ相応の礼儀を払って、改めて父の遺品を返して貰うのが筋と考えた」


 そして、流李はどうだと言わんばかりに胸を大きく反らす。そんな流李の様子を翠燕は呆れたようにしばらく眺めていたが、やがて不意と視線をそらすと、


「……確かに。足手まといになるほど()()()()わけでもなし、どうもどん詰まりの城らしいから荷物持ちはいないよりはいた方がいいのも道理ね」


 と聞こえるような声で、頭の中の打算を口にする。


 そんな翠燕の様子を見て、思わず流李は笑い出しそうになった。

 その姿はどこからどう見ても、照れ隠し以外の何ものでもなかったからだ。


「――わかった。あなたが付いてくることを止めたりはしないわ。馬も用意してあげる。考えてみれば、実際に私の仕事を見せた方が、あなたも私が正当に『林旗図』を手に入れたということが理解できるでしょうし」


 往生際悪く、翠燕はまだ照れ隠しの続きをしている。


 もしかすると、私はこの不可思議な娘の初めての友人になったのではないのだろうか?


 流李はそんな釈然としない感情を抱えながら、とうとう大声を立てて笑い出してしまった。

 そして、その笑い声にいつの間にか翠燕の笑い声が重なっていた。



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