参 翠燕、流李を責める
もったいなくも畏くも、皇帝陛下は右手を挙げて、二人に「やぁやぁ」と気軽に声を掛けると、四阿の中に入り込んでどんと腰を下ろした。
そして持っていた鉄瓶を円卓の上に置くと、次に懐から棗の入れ物を取り出し急須の中に入れる。
「そのせこさは、どこから出るの伯声殿」
皇帝の一連の動きを斜めに見ていた翠燕が、そう声を掛ける。流李はその呼びかけに首を捻った。
「“伯声”っていうのは皇帝の字よ。今はあんまり呼ばれてないみたいだけど。たくさんいる奥さんの内、誰か一人ぐらいはそう呼んでくれるの?」
冷やかすように翠燕がそう問いかけると、皇帝――獅音はわっはっはと大口を開けて笑うと、それ以上は何も言わなかった。そして流李にも座るように促す。
「そんなに堅くなること無いわよ流李。ここは後宮。皇帝とはいえ女の上で腰振ってるところよ。今更、伯声殿が偉そうに振る舞ったって無駄無駄」
「翠燕! ……翠燕。お願いだから、もう少し言葉を選んでくれ。全く育ちがいいのか悪いのか」
ほとんど祈りの言葉を捧げるように、流李は翠燕に訴える。
獅音はそんな二人を見て、もう一度高らかに笑うと、その視線を流李へと向けた。
「父君にお悔やみを申し上げられる立場ではないが、これも乱世の倣い。今は俺のお茶を飲んでくれぬか」
「へ、陛下は私のことを……」
「もちろん聞いているわよ。湯太保がその有能さを発揮して、とっくに伯声殿にご注進しているにちがいないわ」
「ま、そういう次第だ」
獅音は鉄瓶に残ったお湯で、玉で出来た茶碗を三脚暖め、お湯をその場に捨てる。
次に慣れた手つきで急須をゆっくりと揺すると、順繰りに茶碗に注いでゆく。
「自慢になるが、皇帝しか飲めないような超一級の茶葉だ。海西州の特産でな」
その後を翠燕が引き継いだ。
「海西州は茶葉の名産地。その茶がもたらす富は優に一国を支えるとも言われているわ。特に北方の人たちは薬としても茶葉を必要としているの。つまり、この江隷、そして海西州を抑えることは天華を……」
そこまで言いかけて、翠燕が不意に黙り込む。
「翠燕?」
「ごめんなさい。せっかくのお茶が冷めてしまうわね。いただきましょう流李」
そう言って流李に笑みを見せる翠燕。あまりにもわかりやすい話のそらしようだったが、流李は特に追求しなかった。何より皇帝――獅音がそれ以上何も言わない。
そこで三人は一斉に茶碗に手を伸ばし、口元へ運び茶を口に含む。
流李はまずその甘さに圧倒された。そして鼻へと抜けてくるあまりにもふくよかなその香り。さらに襲いかかってくる味わい深さに思わず我を忘れそうになる流李だったが、最後に全体を引き締める渋味が流李を地上へと引き戻す。
その瞬間に、流李はほっと息をついた。
あまりの旨さに鳥肌が立つ。気付けばそんな流李を獅音と翠燕がにやにやと笑いながら見つめていた。
「いや、それほどに喜んでいただければ、振る舞った甲斐があるというものだ」
「どう? 流李。その味もまた文化の極みよ」
「うん……ああ、そうだな」
と言いながらも流李はじっと茶碗の中の茶を見つめ続けている。
「にしても伯声殿、今日のは随分とおいしいわね。茶葉は前のと同じ城辺棚の一番摘みみたいだし、あ、わかった水を変えたのね」
「……どうやっても、俺の腕が良くなったという結論には辿り着かないつもりだな」
苦々しげな言葉を笑顔と共に吐き出しながら、獅音は再び懐に手を入れた。
「何? もう仕事の話?」
「そう言うな。これでも皇帝をやっておるからな。何かと忙しいんだ」
と言いながら懐から取り出したのは巻物だった。そのまま床机の上に広げる。巻物の中には箇条書きで何事かが記されていた。何かの目録のようにも見える。
「いつもながら、見事な手際だ翠燕。先人の文化が戦禍に曝されずに無事に残ったのは喜ばしいな」
「じゃあ、気持ちよく代金を払ってよ。いつも通り犀林堂の為替で」
「ちょ、ちょっと待て、翠燕」
茶の効力によって、桃源郷に誘われていた翠燕が不意に地平に戻ってきた。
玉で出来た貴重な茶碗を、どんと乱暴に円卓に叩き付ける。
「お前は自分に預けられたものを、その……手放す原因となった相手に売っているのか!?」
「その通りよ」
詰問とも思えるきつい口調だったが、翠燕は躊躇うことなくあっさりと肯定した。
「私は戦場に行って、遺言を届けるという対価を提供して、納得して貰った上で品物を譲り受けてるの。その後どうしようが私の勝手でしょ!」
「そんな道理があるか! 敗軍の将達がお前に大事な宝を託したのは、お前が遺言を届けてくれるというだけでなく、泰の国に宝物を渡すことを潔しとしない、そんな気持ちだってあったはずだ。お前はそれを無視しているんだぞ!」
「お説ごもっとも。だけどね、私はそんなしみったれな気持ちは無視することに決めてるの」
「決めてるって……」
流李の髪がざわざわと逆立った。そして再び、床机をだんと叩く。
「全部、お前の都合じゃないか。これから死してゆく将達がどんな思いで……父上もきっと……」
拳を握りしめて、肩を震わせる流李。だが翠燕は冷ややかな眼差しのまま、
「ねぇ昨日、あの徳利見たでしょ?」
と尋ねる。
「あ、ああ」
「その時説明したわよね。あの色は三代に渡る執念の産物だって」
「それがどうした?」
「その作り手達の想いは無視するの?」
そう言われて、流李は気付いてしまった。昨晩「文化とは遺言のようなもの」と言った翠燕。そして、それは自分もおぼろげながらに感じたことではなかったか。
「…………」
「作り手達は、戦の中で壊されたり燃やされたりするのを望んでいるわけじゃないのよ。たまたま持ち主なった、それだけでそんな品物を自由に出来ると勘違いされたのではたまらないわ」
「し、しかしだな、何も滅ぼした相手に渡すことはないだろう」
「ふぅ……」
翠燕はため息をついて、何かを諦めたように首を振った。
「世の中を知らなすぎるわ流李。あなた本当に槍の腕しか磨いてこなかったの? それで周りに敵がいなくなったから、男は馬鹿で、女は偉いって事になったの? あなたそんなこと昨日言ってたわよね」
「う、ああ……それは……そうだが」
ほとんど翠燕の言葉そのままに考えていた流李。そのために動揺して、上手く言葉が紡ぎ出せない。
「馬鹿はあなたよ、流李。あなたはそうやって男を貶めて、自分が偉くなったように錯覚して、それ以上の努力を怠った。私に言わせれば、あなたみたいなのがいるから、女の地位がどんどん低くなるのよ」
「な、何を……!!」
あまりの言葉に、流李の顔が朱に染まる。
呂氏一族の娘として、生まれたときから敬意を払われてきた流李に、これほどの言葉を浴びせかけた者はかつて一人もいなかった。
だが、そんな流李に翠燕はさらに追い打ちを掛けた。
「槍使いは確かになかなかの腕よ。でも、それだけ。伯声殿、突然だけど槍使いがなかなかな武人がいるとして、仕官させてくれと訪ねてきたとするわね。雇う?」
二人のやりとりを面白そうに眺めていた、獅音はいきなり話を振られて、間を持たせるように口ひげを二三度しごくと、逆にこう聞き返した。
「それは、この双園にやって来て、という話か?」
「そうね」
「ならば、そんな役に立たない者は雇わん」
「な……!」
皇帝の言葉に、驚き目を見張る流李。武芸に秀でた者を役に立たないとは理解できない。




