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俺とみんなと桃源郷…?

どうぞ。


「……はぁぁ。極楽だぁぁ」


「ああ。全くだ」


洗い場から最も近い湯船に二人で浸かり、すっかり貸切になった空間で心の内が小さくこぼれる。

湯治。

初めは風呂に入るだけで傷が癒える、なんて嘘だと思っていたがそんな事はない。これだけ身体中に温かさが染み入ってくるのなら、きっと外傷以外の傷だって治せるだろう。


「確かに、こんなにいいものなら自信を持って勧められるかー」


「だなァ。気持ちいいなんてもんじゃないな、これは」


お互いに天井を見上げて首まで浸かる。

そのまま眠ってしまいそうになる心地を辛うじて留め、ぼんやりと目を開く。


『…めろ、やめ…』


不意に、何かが聞こえた。


「なぁオイ。今の」


「聞こえた」


湯船に二つの波紋が広がる。

今の声、聞き違いでなければツキミだ。


「部屋は二つで、隣り合ってンだよな?」


コドウの言葉に強く頷く。

隣同士ーーそれはつまり、隣接しているということ。という事は、この大きく隔てる壁さえ乗り越えることができれば、桃源郷があるわけだ。

なら…。


「やろう」


答えは考えるまでもなかった。


「いいねェ。そうこなくっちゃな」


互いに頷き合い、波音を立てず慎重に壁へと向かう。

近づくにつれて湯気が晴れていき、手を伸ばせば届く位置までくれば、細部まで確認できるほどハッキリと見えるようになった。


「…とはいえ、流石に天井まで届いてるか」


「みたいだなァ。壁の材質も石だし、ちょっと穴を開けて…なんてのもできなさそうだ」


壁に手を当てて質感を感じながら、ひんやりとした感覚に肩を僅かに震わせる。

………特に穴も開いてないか。


『…ミ様!?なに………あっ…」


微かに諦めを覚えた時、再び壁の向こうから声が聞こえた。

今度はフタだ。

しかも、なんだかヘンな声じゃ無かったか……?


「よし、大槌を持ってくる。ここをぶち壊す」


「まてまてルフト。それは覗きじゃない、侵入だ。

第一どこにあるんだ、そんなの」


「クソッ!確かにどこにもない!!」


「露骨過ぎるだろ」


「当たり前だ!!男の夢だぞ!?」


「えぇ…?そこまでか?」


ダン、と床を踏み、怒りにも似た落胆を覚える。

あぁ、そうだ。確かにここに大槌はないから壁を壊す事は不可能。天井と壁もピッタリくっついてる。穴を開ける道具もない。

それでも必死になって辺りを探し回る。

上がダメなら下は?

天井とくっついてるなら、横の壁との間に隙間はないか?

小指の先でもいい、入りそうな穴は?

探し回るが、しかしどこにも見当たらない。

何度見ても見つからない。

……最早、諦めるしかないのか。

ーーだが。


『………した?」


『………純情なん……。……きり、ルフト……」


『あっ、ちょっ………』


己の手の届かぬ地より吹く、華やかな風が、俺に脚を止めるなと語りかけてくる。

決して、志半ばて諦めてはならないと、叱責してくれる。

……そうだ。俺はこんな些細なことで諦めるような人間じゃないだろ。


「コドウ。外に行こう。露天風呂だ」


「…あいよ」


半ば飽き気味の返事を返すコドウと外に向かった。

目指すは露天風呂。天井を蒼き空とする外ならば、壁を登り続ければいずれ向こう側は見えるだろう。






冷んやり、と乾いた風が火照った身体を通り過ぎていく。

気持ちいいそれを目一杯に浴びられるようになのか、露天風呂の周辺にはいくつかの寝床が用意されている。

また、少し奥には横になったまま身体を温められる[寝湯]と書かれている設備が見える。

これらを心ゆくまで楽しみ、身も心も満たされて上がるのが本来の用途のはずだが。


「クソォ……。なんでねずみ返しになってるんだよぉ…!」


予想通り天井は存在しなかった。

しかし、代わりに[ねずみ返し]と呼ばれる、文字通りねずみの侵入を拒むための障害物があった。


「さ、ルフト。ここまでされたんだ、諦めよう。多分、神様が『覗くな』って言ってるんだよ」


「…いいや、まだだ。まだ諦めない!」


肩に置かれたコドウの手を払いのけ、木製の壁へと進む。

見た感じ登れなくはなさそうだ。後は掴みやすいところさえあれば…


「そか。なら気が済むまでやるといい。

俺は適当に入ってるから終わったら教えてくれー」


それきりコドウの声は聞こえなくなる。

時折、湯面が揺れる音や吐息の漏れる音がするだけだ。


「さて、どうするべきか」


ねずみ返しを見上げて腕を組む。

近づいてよく壁を見れば、木製だからかちらほらと小傷がある。その中でも特に大きな物を選び出しておけば、登ること自体はそれほど苦じゃなさそうだ。

だが、問題はやはりあのねずみ返し。

露天風呂を仕切る壁の端から端まで満遍なく設置されているため、隙間らしいものは見当たらない。

それに、壁と出っ張っている部分の距離がそれなりにありそうで、手を伸ばせば届くかどうかが危うい。壁の高さ自体も相当あるし、落ちた時のことを考えるとあまり無茶はできない。

あくまで、最終手段としておいたほうがよさそうだ。


「…と、言ったところでなぁ」


残念ながら、最終手段こそが最高の手段だと、直感で分かってしまう。

湯船の底から向こうに繋がっている可能性も最初は考えていたが、露天に用意されている風呂と壁との間は人が一人半横になれるくらいの距離がある。

こうなると仮に繋がっていたとしても向こうに到達するまで呼吸が持つかどうかが怪しいし、何かしら起きた場合、ほぼ確実に溺れ死んでしまう。

流石に[覗きをしようとして死んだ男]とは吹聴されたくない。

他に思いつくのなんて、壁を壊すか穴を開けて覗くかくらいだが、それをする道具がないから不可能。

そもそも、取りに行ってる間に出られてしまっては元も子もない。

となれば…。


「……仕方ないか」


腰に巻いた手拭いをしっかりと締め直す。

指の可動は良好。全身にあった疲労もすっかり取れた。

………行ける。


「よい…しょぉぉ!!!」


叩きつけるようにして壁に両の掌を合わせ上へと登る。

幸い、登り始めた壁には大小様々な傷が、手を目一杯伸ばせば届く位置に点在している。

手や足の指掛け先は確保できた。

後は。


「気合いだッ!」


一手、また一手と着実に登壁する。

掛けた指は確かに辛い。気を抜けば今にも落ちてしまうくらいだ。

だが、それでも…


「見たいものは!見たい!!」


胸の内にくすぶる男としての気高き炎が燃え上がる。


夢を見たいか?

ーー夢ならば見ている。見たいのは、空想した世界だ。


希望を叶えたいか?

ーー[叶えたい]ではない。[叶える]んだ。


全てを、越えたくはないか?

ーーあぁ、超えたいさ。今までにない今へ!


自分で自分を叱咤し、激励し、至った場所は……


「ねずみ…返し…」


最初にして最後の砦。

最難関の、ねずみ返しだ。


「…近くで見ると、俺の背並みに幅あるな…」


絶望が脳裏をよぎる。

ほぼ直角に設置されているねずみ返し。その先端までは俺が壁に垂直に立ってようやく届くかどうかの距離。

……これ、無理だろ。

諦めが視線を乱す。

見下ろしてしまった下界。確認してしまった己の軌跡。

……どうやって降りるんだろう。

目頭が熱くなるのがわかる。

今にも涙が溢れそうな時、今までにないほど明確な声が聞こえた。


「ユキミー!見えてるぞー!」


「やだッ!?ねぇさんのスケベ!!」


「……おおおお!!飛べる!今の俺なら鳥にだってなれる!!!いやなるんだ!なれ!成れぇぇぇ!!」


ここまできて引き返すなんてあり得ない。

これだけやって何も得られないなんて許さない。

そうだ。手段ならまだあったんだ。

間近にきて絶望が俺を覆うなら、僅かにでもいい、距離を取れ。

俺を照らす希望がある位置までッ!



「……馬鹿だ」


コドウの声が微かに聞こえる。

あぁ、そうさ。今の俺はきっと間抜けに映ることだろう。

布一枚を腰に巻き付けて、壁を蹴ってねずみ返しの端まで飛ぼうとしているんだから。


……だがッ!!


「とっ、届いた!」


「うっわ。本当にやりやがった。どんだけ見たかったんだ」


俺が掴んでいるのは何かで出来た傷じゃない。意図的に切られた切断面だ。

即ち…


「の、登り切った!」


ねずみ返しの先端だ。


「やった、やったぞ俺!良くやったぞルフト!

いや!今はそんなことどうでもいい!」


興奮冷めやらぬ中で冷静さを保つ思考を呼び起こす。

俺がここにいるのはただ登りたかったからじゃないだろ。俺がここにいるのは、その先にある桃源郷を見るためッ!

ただ、それだけのためだ。

ヒタリ、ヒタリ、とねずみ返しの上を赤ん坊のように這って進む。

今目に映るのは快晴の空と、女湯から湧き上がる多量の湯気。

後数歩。あとたった数歩で至る男の夢の世界。

……生唾が喉を鳴らす。

速く、早く、と心臓が早鐘を打つ。

だが焦るな。ここでしくじれば全て水の泡。

向こうにいるセラや小虎達に気付かれれば、市中をこの格好のまま引き摺られる事だろう。

そんなことになれば末代までの恥。…いや、その前に背中がズル剥けになって死ぬだろう。

だからこそ、慎重に慎重に、着実に確実に一歩を噛み締める。

至るまでの時間が長ければ長いほど、得られる感動の味もきっと甘美なものになるはずだ。

それを含めての覗き。それこそが覗きの醍醐味だと言える。今はそう思い至れる。

ーーーそして、遂に、辿り着いた。

僅かにでも身を乗り出せば、見える位置へと。

女湯の湯気が顔に当たる位置へと。

一つ、静かに大きな深呼吸を行なった。


「……いざ、参らん」


自分を動かす、最後の起爆剤が俺の筋肉を前へ動かした。

そうして、目に映るのは。


「「へ…?」」


目と鼻の先まで近づいた、汗をかいた浴衣姿のユキミの顔だった。











To be next story.


それではまた次回。

さよーならー

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