第5話 新たな脅威、ロック鳥
王都に行くのをやめた僕たちは、白竜山へと逆戻りした。
白竜山を出てから、半月が過ぎていた。
戻った僕たちはミーアを伴い、女王であるアザリアのもとへ向かった。
もっともミーアは途中で待ちきれなくなったのか、先に飛んで行ってしまったが。
剣が並び立つ墓標の群を通り過ぎ、林へと分け入る。
葉を落とした枝の隙間からは、空がよく見えた。
しばらく歩いたところで、石でできたドーム型の住居が見えてきた。
以前訪れたときは妖精がそこかしこを飛び回っていたが、今はその気配さえ絶えていた。
笑い声も歌声も消え失せ、かつての活気は跡形もなく失われていた。
家に近づいたところで、アザリアが姿を現した。
女王である彼女は片腕を痛々しく包帯で覆い、他の妖精たちもどこか影を落としている。
「戻ってきたのですね」
アザリアの声は冷ややかだったが、その奥にわずかな安堵が混じっているのが感じられた。
この地から白竜が消えたことで、山は主を失った。
空白となった山には、魔物が流れ込んできているらしい。
「僕たちが白竜を倒したせいで……」
僕は言葉を詰まらせた。
「あなたたちには、あなたたちなりの理由があったのでしょう。
ならば、そこまで気に病む必要はありません。
縄張り争いの末に、白竜が敗れただけのことです。
……私たちにとって白竜が生きていてくれた方が都合がよかったのは事実です。
ですが、それであなたたちを責めるつもりはありません。
白竜もまた、不滅の存在ではありませんから。
遅かれ早かれ、私たちはこの山を離れることになっていたでしょう」
アザリアの言葉に、少しだけ救われた気がした。
だが、その安堵はすぐに別の不安に塗りつぶされる。
「でも、僕たちがミーアを連れて行ったせいで、ここを離れるのが遅れたのではないですか?
だとすれば、やはり僕たちにも責任が……」
そうであってほしかった。
自分たちのせいだと、誰かに断じてほしかった。
しかしアザリアは、迷いのない瞳でそれを否定した。
「危ないと思えば、待たずに逃げていました。
残っていたのは、行く当てもなく彷徨うより、ここで暮らし続けたいと願ったからです。
この怪我も、あの子を待つために負ったものではありません。
自分たちの居場所を守るために戦い、その結果負った傷です。
ですから、あなたが気に病む必要はありません」
その言葉は、冷たい現実を突きつけていた。
「ミーアのことは、どうするつもりだったんですか?」
「はぐれても、生きていれば再会することもあります。
ですが、死んでしまえばそれも叶いません。
ならば、別れをためらう理由はありません」
ためらいのない言葉に、僕は戦慄した。
これが種を統べる者の覚悟なのか。
個の情よりも、種の存続を優先する理。
そこには軍の規律とも違う、残酷なまでに研ぎ澄まされた生存の論理があった。
「……懺悔をしたいのなら、教会にでも行きなさい。
あなたの言葉にはどこか傲慢さがにじんでいて、不快です。
そのままでは、いずれ死にますよ」
それだけを言い残し、アザリアは去っていった。
「僕は傲慢なのか」
自分ではそんなつもりはまったくなかった。
むしろ謙虚な方だとすら思っていた。
その言葉だけが、やけに長く頭に残った。
◆◆◆
その夜、僕とバルザックは妖精たちの集落の端で仮眠をとった。
遠くで響く魔物の咆哮が、ここがもはや安全な場所ではないことを告げている。
僕は交代で見張りに立つバルザックと短く言葉を交わし、硬い木の根元に身を横たえた。
運命は、夜明けを待たずに牙を剥いた。
空が白み始めた頃、巨大な影が頭上へ落ちてきた。
反射的に跳ね起きた視界を、漆黒の影が覆い尽くす。
「ッ!?」
巨大な爪。
牛でも掴めそうな鉤爪が、僕の頭上で空を切る。
ロック鳥だ。
死の影が僕を裂こうと振り下ろされる。
間一髪、僕は転がるようにそれを回避したが、地面が砕ける轟音に鼓膜が震えた。
「バルザック、起きろ!」
僕の叫びにバルザックが飛び起きた。
剣を拾い上げ戦闘態勢を取る。
奴の狙いは僕だった。
上空を旋回するロック鳥は、まるで品定めでもするかのように余裕だった。
一瞬、止まったかに見えた。
次の瞬間には巨体が目の前に迫っていた。
「くそっ!」
とっさに自分とロック鳥の間に剣を差し込むが、大した意味はなかった。
風圧で身体が浮き、岩肌に背中から叩きつけられた。
口から胃液が逆流した。
バルザックが果敢に飛びかかっていたが、柔らかそうな羽毛なのにまるで刃が通っていなかった。
ロック鳥は無様に這いつくばっていた僕を見逃さなかった。
爪が鎧下を引き裂く。
肩が裂け、焼けるような痛みが走った。
巨大な鉤爪が僕の胴をつかみ、宙へと引きずり上げようとしたその時、
バルザックがその足にしがみつき、必死に抵抗した。
「離せ……離れろ、バルザック!」
万事休すかと思われた瞬間だった。
ロック鳥の顔面に、鮮烈な炎の玉が直撃した。
「ギャアアアアッ!」
異常な熱量にロック鳥がたまらず僕を放り出す。
身体は宙を舞い、そのまま地面へ叩きつけられた。
「危ないところでしたね」
アザリアが、怪我をしていない方の手を飛び去るロック鳥へ向けたまま言った。
その手先には、なお魔力が揺らめいている。
僕は荒い息をつきながら礼を言ったが、アザリアは冷ややかに受け流した。
「礼には及びません。あの鳥は、私に手傷を負わせた張本人です。
あなたが囮になってくれたおかげで、痛手を与えることができました。
これで旅支度を整える時間は稼げました」
それだけ告げると、アザリアは背を向けた。
僕とバルザックの命など、彼女にとっては戦略の一手でしかないのだ。
「アラン様、怪我は……」
バルザックが心配そうに覗き込む。
「大丈夫だ。君は?」
「かすり傷です」
彼の肩から血が滴っていた。
かすり傷のはずがない。
だが彼は、それ以上は何も言わなかった。
僕もまた、それ以上を言えなかった。
◆◆◆
しばらく立ち尽くしていた。
痛みはあるものの、幸い致命傷ではない。
バルザックに促されテントに入り治療を受けたが、その間の記憶は曖昧だった。
ただ、ずっと無力感に苛まれていた。
自分は竜を倒した英雄などではない。
ただ運が良かっただけの人間だったのだ。
自分の手柄ではないと分かっていながら、心のどこかで「自分が倒したのだ」という驕りがあった。
ロック鳥は、その薄っぺらい自尊心を容赦なく叩き潰した。
白竜の半分にも満たない相手に、手も足も出なかったのだ。
挙句の果てに、アザリアからは囮役だと言われる始末だ。
これのどこがドラゴンスレイヤーなのか。
視界が滲み、気づけば子供のように涙がこぼれていた。
そのまま泣き続けていられれば、どれだけ楽だっただろう。
だが状況はそれを許さない。
袖口で目元を拭い、ゆっくりと立ち上がった。
◆◆◆
泣き崩れた後、バルザックのもとへ向かうと、彼は戦死者の遺品を集めていた。
武器や防具、道具、雑貨。
それぞれが雑に、しかし確かに仕分けられている。
僕も足元のおぼつかないまま、遺品を集めて回った。
手を動かしているうちに、少しずつ落ち着いてくるのが不思議だった。
「……こうしていると、演習を思い出しますね」
バルザックが小さく呟いた。
「そうだね。倉庫から荷物を引っ張り出しては整備してたっけ」
短く答えて、また手を動かす。
あの頃はただ面倒なだけだった。
だが今は、その繰り返しに救われている。
一通り集め終えたところで、バルザックと焚き火を囲む。
この先の方針を決める必要があった。
妖精たちに頼り続けることはできない。
アザリアの言葉通り、彼らは早々にこの地を去るだろう。
そして再びロック鳥が現れれば、次は確実に殺される。
だが、本当に勝てない相手なのか。
そんな疑問が頭をもたげる。
確かに正面から戦えば敗北は確実だ。
だが、そもそも自分は兵士ではない。
士官だ。
指揮を執る側の人間だ。
指揮官が前線に立つのは、軍が崩壊したときだけだ。
その瞬間、自分が負けた理由がはっきりした。
戦う土俵を間違えていたのだ。
思えば白竜のときも同じだった。
あれを倒したのは剣でも魔法でもない。状況を見る目だ。
いつの間にか、自分は勇者になったつもりでいた。
それこそが敗因だった。
アザリアの方がはるかに戦略家だ。
傷を負わせた相手と正面から戦わず、囮を使い撤退時間を稼ぐ。
あれこそが戦略だ。
「僕は勘違いしていた」
僕は自嘲気味に呟いた。
「僕は勇者じゃない。華麗に敵を倒すことなんてできない。
僕にできるのは、戦場を見極めて策を練ることだけだ」
恐怖が消えたわけではない。
今でも身体は震えている。
それでも──捨てられないものがある。
「バルザック。残り三本のポーションのうち一本を飲め」
「アラン様、それは……」
「君が動けなければ、この山から出られない。
僕らにはまだ、生き延びるためにやることがある」
震えを押し殺し、足を踏みしめる。
恐怖ではない。そう自分に言い聞かせた。
そう思い込むことで、心を無理やり前へ引き上げた。
「アザリアと交渉し、彼女たちと同盟を組む」
「同盟、ですか」
バルザックが疑問を口にする。
「僕らに戦う力はない。けど、人間の土地の情報なら僕の方が知っている。
賊に狙われにくい場所、人目につかない山道、補給ルート。
士官学校で叩き込まれた地図の知識が、ようやく役に立つ」
「……なるほど」
バルザックは小さく息を吐いた。
「あなたらしい戦い方ですね」
英雄にはなれないかもしれない。
それでも、命を諦めるつもりはなかった。
夢半ばで散った者たちに会うその日まで、生にしがみつく。
それが今の自分にできることだと思った。
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