第3話 妖精女王との邂逅
三日は寝ていた気がする。
気がするというのは、正確な日付や時間がわからないからだ。
戦場の音が消えた世界は、思っていたよりも静かすぎた。
この山には魔物も動物もいない。
鳥のさえずりすら聞こえない。
気が付くと身体は首の下まで地面に埋まっていた。
目の前では焚火が赤々と燃えている。
時折爆ぜた火の粉が飛んできて顔を焼いた。
身体はピクリとも動かない。
後頭部だけがやけに寒い。
どういう状況だこれは。
反射的に火から逃げようともがくが、首しか動かせない。
何がどうなったのか、立ったまま埋められたような状態になっていた。
覚えているのはヘンドリックが死んでいたこと──彼の死に際の顔だけがやけに印象に残っていた。
魔石を剣で切ったこと、白竜が爆発したこと、
そして僕をかばってバルザックが重傷を負ったこと。
その時、頭上で羽音が鳴った。
「─、──」
「─。─」
「───。──!」
聞き取れない短い会話のような声がした後、頭上の気配が飛び去っていった。
……まさか、妖精か。
羽音の軽さと声の高さを思い返しながら、僕は状況を整理した。
妖精のいたずら。
……いや、こちらが縄張りを荒らした可能性もあるか。
魔物のいないこの山は、彼らにとっても暮らしやすい場所だったはずだ。
そこへ人間の軍隊が入り込み、挙句、白竜と大立ち回りを演じた。
環境をめちゃくちゃにしたと言われても反論は難しい。
悪意があってやったわけではない。
だが、だからといって問題がないわけでもない。
場合によっては敵対行動とみなされてもおかしくはなかった。
……というか、現状がその可能性を全力で肯定している。
僕がどうしたものかと思案していると、カチャカチャと金属片がぶつかるような音がした。
音の方を見ると子どものような人影が近づいてきた。
「気が付いたようですね。気分はどうですか?」
初めて聞く声なのに、どこか懐かしい響きがあった。
母親と話している時のような安心感。
初対面なのに不思議と親近感を抱いてしまう声だった。
声の主はなぜか兵士の鎧を身に付けていた。
小柄な体には不釣り合いなはずなのに、その姿が妙に板についていた。
埋められているのに、思わず後ずさりしたくなるような圧がある。
羽の生えた妖精たちが彼女の背後に整列して浮いているのを見るに、
どうやら彼女が妖精たちの長らしかった。
動きやすさを優先するような短い金の髪が風に揺れていた。
深い緑色の瞳が、じっとこちらを見ていた。
下手なことを言えばこのまま埋められてもおかしくはなかった。
「おかげさまで大変結構です。お気遣いいただきありがとうございます」
とりあえず下手に出ておく。
相手の意図が読めない以上、気分を害するのは避けたい。
何しろこちらは文字通り、手も足も出ない状態なのだから。
「礼には及びません。
まあ、死んでしまったらそのまま埋めようかと思っていたけれど、その必要はなかったようですね。
春になれば木や花の養分になるかもと思いましたが……」
……どうやら埋められる寸前だったらしい。
まさに危機一髪だ。
竜には殺されかけ、今度は妖精に埋葬されかける。
まったく散々な任務である。
……任務。
そこでようやく、止まっていた思考が動き出した。
他の兵はどうなった。
バルザックは。
部隊長たちは。
「あの、近くに僕以外の人間はいませんでしたか?
体の大きい奴なんですが」
「人間はみな体が大きいけれど、おそらくあなたの言っている人間なら目の前にいますよ」
「え?」
言われて正面を見る。
焚火を挟んだ向こう側。
地面から人の頭が生えていた。
……バルザックだ。
「おい、バルザック!
起きろ、起きるんだ。寝たら死ぬぞ!」
見苦しいなどと言っていられなかった。
僕は必死に身体を揺らし、地面から抜け出そうともがく。
そんな様子を見かねたのか、彼女は地面へ手を触れた。
すると足元の土がぐぐっと盛り上がり、身体がゆっくり押し出されていく。
生き埋め状態から解放された。
同時に、剥き出しになった身体へ冷気が突き刺さった。
だが、寒さより開放感の方が勝っていた。
「バルザックも解放してください。お願いします」
僕は慌てて頭を下げた。
しかし彼女は、少し困ったような顔をした。
「構いませんが、その人間、死ぬかもしれませんよ」
「は?」
「目が覚めていないということは、回復しきっていないということですから」
「回復……?」
意味が分からず聞き返す。
すると彼女は、小さく首を傾げた。
「どうも誤解があるようですね。
これは大地の癒しです。
あなたたちが死にかけていたので、治療を行っていたのですよ」
どうやら、それは拷問でも処刑でもなく、治療だったらしい。
そう言われてみると、土の中はじんわりと温かかった。
身体の芯にも妙に力が戻ってきている。
……妖精にはこれが常識なのかもしれないが、異文化すぎるだろ。
「そうでしたか。
では、このままのほうがいいんですね」
「そうですね。
目が覚めるまでは埋めておいた方がいいでしょう。
火も焚いていますから。
凍死の心配はいりません」
命に別状はないと分かり、僕はようやく一息ついた。
そこで改めて彼女に状況を確認する。
結果として分かったのは、僕たち以外に生存者はいないこと。
そして白竜は完全に消滅したということだった。
さらに僕らは、自分たちが妖精たちへどれほど大きな迷惑をかけたのかを知ることになる。
彼女たちは元々、別の土地で暮らしていたらしい。
だが人間の軍隊に住処を襲われ、この山へ逃げ込んできた。
そして白竜の縄張りの近くに隠れ住んでいたところへ、今度は僕たちがやってきた。
白竜を討伐するために。
◆◆◆
バルザックが目覚めたのは、三日ほど経ってからだった。
目を覚ました彼は僕と同じように自分の状態にパニックを起こしていた。
「落ち着け、これは治療だ。
君は助かったんだ」
彼は僕の姿を確認すると、暴れるのをやめた。
僕は待つよう言い含め、妖精の少女を呼びに行った。
「これから生き埋めにされるのかと思いましたよ。
まったく、とんでもない治療法だ。
でも助かりました。ありがとうございます。
私はバルザックといいます」
不満を言いながらも礼を言うあたりに彼の人柄が見て取れた。
「そういえば、まだ名乗っていませんでしたね」
少女は小さく首を傾げた。
「私はアゼリア。
妖精たちの長を務めています」
妖精たちが一斉に羽音を鳴らした。
……どうやら、本当に女王らしい。
そして、僕らは妖精たちに被害の補填をすべく手伝いを申し出たが、やんわりと拒絶された。
曰く、人の手は借りないとのことだった。
命を救ってもらったお礼に何かしたいと申し出たが、とりつくしまもなかった。
「助けたのは助けられそうだったからです。
あなたたちだって死にかけた犬や猫がいれば手当ぐらいするでしょう?
たとえ自分をひっかいたり噛みついたりしたとしても。
同じことです」
アゼリアの言葉は辛辣だったが、理解できるものだった。
中には犬猫と同じ扱いかと憤慨するような者もいるかもしれない。
だが僕は、そこまで傲慢にはなれなかった。
人間に追われながら、それでも傷ついた人間を助ける。
矛盾しているようだが、彼女の中ではそうではないのだろう。
だからこそ僕は、その割り切り方に奇妙な親近感を覚えた。
「ですが、これ以上助ける気はありません。
それと監視もつけさせてもらいます。
妙な真似はしないように」
「わかりました。でも、もし何か困っていることがあれば遠慮なく仰ってください。
何か力になれることがあるかもしれません」
それ以上は口にできなかった。
無理に食い下がっても、恩返しの押し売りになってしまう。
恩返しもできないのは心苦しいが、当人が望んでいないのなら
押し付けるのはそれこそ筋違いというものだろう。
僕が気を落としていると、ミーアが飛んできて頭に乗った。
僕の頭を休憩所扱いしている。
どうも彼女は僕のお目付け役らしい。
完全に信用されているわけではない。
それでもミーアは妙に僕へ懐いていた。
「何か落ち込んでるみたい」
「そうだね、助けてもらった恩を返したかったんだけど、断られてしまった」
「おかしなことを気にするのね、アランは。
そんなの気にしなくていいのに。
女王様もそう言ってたでしょ」
ミーアは当然のように言った。
気にしなくていいか、僕も逆の立場ならそう言ったかもしれない。
立場が弱いというのは辛いものだ。
だが、何も返せないまま守られるだけというのは、思っていた以上に苦しいものだった。
そこで僕は、バルザックの回復を待ちながら王都へ帰る手筈を整えることにした。
まずは立場を取り戻さなければならない。
部隊が壊滅した今、僕はただの生存者でしかない。
白竜討伐の功績が認められれば、多少なりとも発言力も得られるだろう。
そうなれば、彼女たちへ恩を返す方法も見つかるかもしれない。
目標ができると、さっきまでの落ち込みが嘘みたいにやる気が湧いてきた。
急に動き出した僕を見て、ミーアは妙なものでも見るような顔をしている。
「……変なアラン」
どうやら妖精から見ても、僕は変わり者らしかった。
◆◆◆
そうして物資を集める傍ら、僕は兵たちの亡骸を埋葬した。
本当は家族の元へ返してやりたかった。
だが、それだけの力は僕にはなかった。
日が登るのと同時に起きだして作業をはじめた。
最初に運ばれてきたのはヘンドリックだった。
バルザックが整えたのか生きていた時には見たことがないほど衣服が整っていた。
死に際の歪んだ表情も整えられ、今は穏やかな顔になっていた。
「おやすみ。ヘンドリック」
短くつぶやき彼を穴に横たえた。
そこからは何も考えずに動き続けた。
亡骸を集める。
凍りついた土を掘る。
一人ずつ埋めていく。
日が沈めばバルザックと二人で焚火を囲んだ。
行軍中に部隊で焚火を囲むことはあったが
今はもう二人しかいないのだと思った。
まずいスープの味だけが変わらずに残っていた。
ふと、いつも隣でまずそうに音を立ててスープをすすっていたヘンドリックのことを思い出す。
スープの味については同意だが、行儀が悪いと内心で少し呆れていた。
今はあの音が聞こえないことがどこか寂しかった。
スプーンを持つ手が止まる。
少し上を向いたあと、器に口をつけた。
ただ静かにスープを飲み干した。
腹を満たしたらあとは寝るだけだった。
そんな風に過ごした。
言葉はほとんどなかった。
必要なことだけを、淡々と繰り返した。
バルザックは足を棒にして遺体を集めて回り、僕はひたすら穴を掘った。
墓標の代わりに、拾い集めた剣を地面へ突き立てた。
誰のものかも、今ではもう区別がつかない。
ただ剣だけが、そこに残った。
それを最後まで終えたとき、時間の感覚はすでに曖昧になっていた。
いつの間にか、ひと月が過ぎていた。
バルザックが黙とうする僕を見ていた。
死人よりは幾分かましな顔色だ。
「調査隊は来ませんな」
バルザックの言葉に、僕は苦虫を嚙み潰したような顔になった。
「そうだね。白竜を倒すことはできたが、部隊は壊滅的な被害を受けた。
普通なら帰還予定日を過ぎているのだから、調査隊が派遣されていてもおかしくない。
それが来ないのは、何か理由があるはずだ。」
問題は、その理由に心当たりがないことだった。
だから王都に戻り、報告し確認する必要がある。
「戦没者の弔いも終わりました。
そろそろ帰りますか」
「そうだね。王都までの食料も確保できた。
いい頃合いだろう」
「……なぜか歓迎される気がしません」
「僕もだ。被害が大きすぎる。
せめて白竜の魔石が残っていれば、功績を主張できたのだけど」
僕はポーチの上から、中に収めている白竜の魔石――だったはずの石をなぞる。
「それを見せても、その辺の石を魔石と偽るのかとどなられるのが落ちでしょう」
「僕もそう思うよ」
白竜を討った証とは思えないほど、それはただの石だった。
自分でもこれが本当に白竜の魔石だったのか自信がない。
間違えて関係のない普通の石を拾ってしまったのかもしれない。
だが、剣で叩き割ったような痕跡が、かろうじてこれがそうだと主張していた。
「とにかく戻るしかない。僕らには事の顛末を報告する義務がある。
どう判断するかは上層部に任せるさ」
任官の際に一度だけ顔を見た上層部の面々を思い浮かべた。
好んで会いたいと思う人たちではないが、会いに行かないわけにはいかないなと苦笑した。
そうして僕らは、妖精たちとの奇妙な共同生活に終わりを告げ、王都への帰路についた。
「それで、君はいつまでそうしてるのかな」
僕は頭の上でくつろぐミーアに尋ねた。
「私はアランのお目付け役だから。
お家に帰るならついて行くわ。
人間のお家って面白そう」
どうやら僕に拒否権はなさそうだった。
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