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君が忘れた名前  作者: オニたん


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二話 人を殺したことある?

怪物が地面を砕いた。

轟音。

割れた石畳が宙へ跳ね上がり、人々の悲鳴が地下街へ反響する。


グロウは咄嗟に少女の腕を掴んだ。


グロウ「走れ!!」


少女は抵抗しなかった。

だが。

逃げながらも、彼女は一度だけ後ろを振り返る。

その目は奇妙だった。


怯えていない。

まるで、“来ると分かっていたもの”を見ている目だった。


侵食体は人混みへ突っ込んだ。

腕が振るわれる。

肉が裂ける音。

赤黒い飛沫。

誰かの叫び。

だが次の瞬間、その叫び声は急に途切れた。


侵食体に触れられた男の顔から、感情が抜け落ちたからだ。


男は立ったまま呆然としている。

笑いも、恐怖も、苦痛もない。

空っぽの目。

そして数秒後。

糸が切れた操り人形みたいに崩れ落ちた。


「なんだよ……あれ……」

グロウの喉が掠れる。


少女が小さく答える。

「記憶を喰ってる」


グロウ「……は?」


???「正確には、“人間を人間にしてる何か”かな」

彼女の声は静かだった。

知っている者の声だった。


地下街へ飛び込む。

薄暗い通路。

点滅する非常灯。

腐った水の臭い。


グロウは少女を壁へ押し付けるようにして息を整えた。


「お前、何者だ」


少女は答えない。

代わりに、グロウの首元を見る。

包帯の隙間。

黒い霧蝕。

彼女の目がわずかに揺れた。


???「……進行、早いね」


グロウ「質問に答えろ」


???「君、もう長くないよ」


グロウの眉が動く。


少女はまるで事実を読み上げるみたいに続けた。

???「あと半年」

???「……」

???「たぶん、それくらい」

沈黙。


遠くで悲鳴が聞こえる。

グロウは少女の胸ぐらを掴んだ。


グロウ「なんで分かる」


その瞬間。

少女は初めて、“少しだけ悲しそうな顔”をした。


???「何回も見てきたから」


グロウ「……何をだよ」


???「君みたいな人」


答えになっていない。

だが、その言葉の奥にある重さだけは分かった。

軽々しく踏み込めない種類のもの。


ガン、と鈍い音。

侵食体が地下通路へ降りてきた。

天井が軋む。

グロウは舌打ちし、腰の短刀を抜く。

刃は古い。

何度も研がれ、細く痩せている。


グロウ「お前、戦えるか」


少女は首を横に振った。

???「弱いよ、私」


グロウ「……役に立たねえな」


???「うん」

なのに彼女は少し笑った。

妙だった。

死にかけている状況なのに。


この少女は時々、“全部終わった後みたいな顔”をする。


侵食体が通路へ身体をねじ込む。

黒い肉が脈打つ。

顔のない頭部。


だが。

その表面に、一瞬だけ“人の顔”が浮かんだ。

泣いている女。

叫ぶ老人。

幼い子供。

無数の表情が肉の表面に滲み、消えていく。


グロウは息を呑んだ。

「なんだよ……これ……」


少女が呟く。

「食べた人たち」


その瞬間。

侵食体が突進した。

グロウは前へ出る。

短刀で腕を逸らす。


衝撃。

腕が痺れる。

重い。

まるで鉄塊。


侵食体の腕が壁へ突き刺さり、コンクリートを抉る。


普通の人間じゃ勝てない。

グロウは即座に理解した。

だが。

逃げれば、後ろの少女が死ぬ。


だから前へ出る。

考えるより先に身体が動いていた。


???「なんで庇うの」

少女が呟く。


グロウは怪物を睨んだまま吐き捨てる。

グロウ「知らねえよ」


???「死ぬかもしれないのに」


グロウ「だったら見捨てろって?」


少女は答えなかった。

その代わり。

ほんの少しだけ目を伏せた。


嬉しそうにも。

苦しそうにも見えた。


侵食体が再び咆哮する。

その瞬間。

グロウの首の痣が激痛を放った。


グロウ「っ……!」


視界が歪む。

耳鳴り。

肺が焼ける。

霧蝕が急激に進行している。

侵食体が放つ濃密な原霧のせいだ。


膝が揺れる。

まずい。


そう思った時だった。


少女が、グロウの背中へ触れた。

細い手。

冷たい指先。

その瞬間。

痣の痛みが、一瞬だけ消えた。


グロウが目を見開く。

少女も驚いた顔をしていた。

???「……え」

彼女自身、予想していなかったみたいに。


そして次の瞬間。


侵食体が突然、苦しみ始めた。

肉が泡立つ。

無数の顔が絶叫する。

黒い身体が崩れていく。

まるで。

少女を恐れているみたいに。


静寂。

数秒後。

侵食体は黒い灰になって崩れ落ちた。


地下通路に沈黙が満ちる。

非常灯だけが点滅している。


グロウは少女を見る。

少女も、自分の手を見ていた。

震えている。


グロウ「……なんだよ、今の」

少女は小さく唇を噛んだ。

そして。

まるで隠し続けていた秘密が零れてしまった子供みたいな顔で呟く。


???「……やっぱり、始まっちゃった」



つづく

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