十話 深層の兄妹
塔の上の少年は、動かなかった。
黒い外套。
風もないのに揺れる長髪。
その背後では。
巨大な塔が脈打っている。
まるで心臓みたいに。
少年「……やっと来た」
静かな声。
感情が薄い。
けれど。
その奥に、壊れそうな何かがあった。
グロウ「お前、誰だ」
少年は答えない。
代わりに。
こちらを見下ろしたまま、小さく呟く。
少年「……まだ、思い出せないんだ」
グロウ「は?」
その瞬間。
頭痛。
グロウの視界が揺れる。
断片。
白い病室。
笑う少年。
『また来いよ、グロウ』
知らない記憶。
なのに。
胸だけが締め付けられる。
グロウ「っ……」
刀を支えに膝をつく。
フードの少女がこちらを見ていた。
赤い瞳。
泣きそうな顔で。
フードの少女「……やっぱり、壊れてる」
グロウ「何を知ってる」
フードの少女は答えない。
その代わり。
黒霧を周囲へ漂わせる。
石畳が軋む。
女が前へ出る。
銃口を向けながら。
女「エメ、もうやめて」
空気が止まる。
グロウが顔を上げる。
グロウ「……エメ?」
フードの少女の瞳が揺れた。
まるで。
その名前を呼ばれたくなかったみたいに。
エメ「……勝手に呼ばないで」
女「お願い。もう十分でしょ」
エメは唇を噛む。
怒っている。
でも。
本当に怒っている相手は、自分自身みたいだった。
その時。
塔の上の少年が、静かに口を開いた。
少年「戻れ、エメ」
その声。
優しい。
驚くほど。
エメの身体がびくりと震える。
赤い瞳が揺れる。
さっきまでの殺気が消えていく。
まるで。
兄に叱られた子供みたいに。
エメ「……でも」
少年「いい」
エメ「ライネ兄さま……」
その名前が落ちた瞬間。
空気が冷える。
女の顔色が変わる。
女「……ライネ」
グロウは見上げる。
塔の上。
ライネは静かにこちらを見ていた。
死んだみたいな目。
けれど。
エメを見る時だけ、ほんの少し優しい。
ライネ「その子に近づくな」
視線は???へ向いていた。
???の肩が小さく震える。
グロウはそれに気づく。
まるで。
“知っている声”を聞いたみたいだった。
グロウ「お前、こいつに何した」
ライネ「……何も」
グロウ「嘘つけ」
ライネは少しだけ黙る。
そして。
静かに言った。
ライネ「壊したのは、いつだって人間だ」
その声。
妙に痛かった。
その時だった。
塔の奥。
重い扉が開く音。
白い街全体が震える。
鐘が鳴る。
今までで一番大きく。
女の表情が凍る。
女「……嘘」
エメも顔を上げ怯えていた。
ライネだけが静かだった。
まるで。
それが来るのを知っていたみたいに。
暗い塔の奥。
ゆっくり。
一人の男が歩いてくる。
長い黒衣。
白髪混じりの男。
疲れ切った目。
だが。
その目だけは異様に優しかった。
男はエメを見る。
苦しそうに。
愛おしそうに。
そして。
壊れそうに。
男「……エメ」
エメの呼吸が止まる。
黒霧が揺れる。
男は今度はライネを見る。
男「まだ続けるのか」
ライネ「……」
男「もう終わりにしよう」
沈黙。
白い花びらだけが舞う。
ライネは目を伏せる。
その横顔は。
どこか。
“助けてほしそう”だった。
つづく




