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【連載版】君と笑える未来を見たい  作者: les.


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7/10

葬式

葬式の日は、朝から雨だった。


 九条律希は黒い傘を差しながら、これ以上ないくらい最悪な天気だと思った。

 雨宮透真がいなくなった日にまで空気を読んだみたいな雨なんて、できすぎていて腹が立つ。どうせなら、あの日みたいに無駄に青空でいてくれた方がまだましだった。


 会場の前には、思っていたよりずっとたくさんの人がいた。


 大学の知り合い。

 高校時代の同級生。

 中学の頃の顔見知り。

 中には、小学校以来見ていないような懐かしい顔まであった。


 みんな黒い服を着て、静かな顔で立っている。


 透真には家族がいない。

 だから、こんなに人が集まるとは正直思っていなかった。


 でも考えてみれば、それも透真らしかった。


 あいつは、気づいたら人の中にいた。

 自分から強く関わりに行くタイプでもないくせに、困っているやつがいれば放っておけなくて、いつの間にか相手の記憶の中に残る。そういう人間だった。


 誰かが小さな声で言った。


「優しいやつだったよな」

「ほんとに」

「なんであいつなんだよ」


 その言葉に、律希は返事をしなかった。

 返事をしたら、たぶんそれだけで喉が壊れそうだった。


 会場の中は、花の匂いがした。


 白い花。

 静かな読経。

 湿った服の感触。

 全部が現実感を奪っていく。


 それでも、一番現実味がなかったのは棺の中の透真だった。


 眠っているみたいだった。

 いや、眠っているよりも穏やかだった。


 苦しそうな顔ではなかった。

 発作のたびに歪んでいた表情も、酸素マスクを嫌がっていた時の面倒くさそうな顔も、もうどこにもなくて、ただ静かだった。


 それが妙にむかついた。


 なんでそんなに普通の顔してんだよ。

 こっちは全然普通じゃないのに。


 律希は棺の前で立ち尽くしたまま、しばらく動けなかった。


 隣には榊原澄玲がいた。

 黒い喪服の袖口から見える手が、少しだけ震えている。


 それでも澄玲は泣いていなかった。

 いや、泣いていないように見えただけかもしれない。

 目元は赤いし、瞬きのたびに涙は滲んでいた。けれど、病院の廊下で見た時と同じように、崩れないように必死で立っているように見えた。


 律希は小さく息を吐く。


 こういう時、本当なら何か言うべきなのかもしれない。

 「大丈夫か」とか、「無理するな」とか。

 でもそんな言葉が何の意味も持たないことは、自分が一番よく分かっていた。


 大丈夫なわけがない。

 無理しないでいられる状況でもない。


 だから、何も言わなかった。


 その代わり、棺の中の透真を見て、ようやく口を開く。


「……おい」


 誰にも聞こえないくらい小さな声だった。


「起きろよ」


 返事はない。


 当然だ。

 分かっている。

 分かっているのに、それでも言わずにいられなかった。


 律希は少し笑った。


「……お前、ずるいわ」


 喉が詰まる。

 うまく息ができない。


「いいとこ全部、持っていきやがって」


 周りに人がいることなんて、もうどうでもよかった。

 声が少し震えても、誰に見られても構わなかった。


 だって、今さら格好をつける相手はもういない。


「安心しろ」

 隣に立つ澄玲を見る。

「澄玲は、俺がちゃんと支える」


 言葉にした瞬間、自分でその重さに少しだけ驚く。


 支える、なんて簡単に言えることじゃない。

 自分自身だって、まだ全然立ち直れていない。

 講義に出ても上の空で、スマホの連絡先に残った「雨宮透真」の文字を見るだけで指が止まる。コンビニでラムネを見れば、あの日の駄菓子屋を思い出して息が詰まる。


 それでも言ったのは、多分透真に聞かせたかったからだ。


 お前の約束、忘れてないぞと。

 全部守れるかは分からないけど、少なくとも投げ出す気はないぞと。


「俺もちゃんと生きる」


 その一言で、涙が落ちた。


 悔しい。

 嫌だ。

 こんなふうに見送る日が来るなんて、今でも納得なんてできない。


 でもそれでも、生きるしかない。


 透真に「幸せになれ」と言われたからとか、「ちゃんと生きろ」と託されたからとか、そういう理由だけじゃなくて、もう一つ分かっていることがある。


 ここで立ち止まったままじゃ、透真がいた意味まで止まってしまう気がした。


 あいつがいた時間。

 三人で笑った日々。

 嘘みたいな病室の一週間。

 手紙に残された文字。


 それを全部、これから先も生きていく中で抱えていかなければならない。

 重いし、痛いし、何度でも泣くと思う。

 それでも、それごと持っていくしかない。


「だから」


 律希は棺の中の透真を見たまま、最後に言う。


「そっちで見てろ」


 それは強がりでもあり、本音でもあった。


 見てろよ。

 勝手に託したんだから、最後まで見届けろよ。

 俺らがちゃんと笑えるようになるまで、逃げるなよ。


 その時、不意に隣から小さな声がした。


「……透真」


 澄玲だった。


 律希は少しだけ視線を横に向ける。


 澄玲は棺の中をまっすぐ見ていた。

 その目はもう、涙で隠すこともできないくらい赤かった。


「……約束」

 小さく、でもはっきりと言う。

「……守る」


 何の約束か、説明はいらなかった。


 幸せになること。

 前を向いて生きること。

 透真を忘れないまま、それでもちゃんと歩いていくこと。


 全部ひっくるめての約束だ。


 澄玲は少しだけ唇を噛んで、それから続けた。


「……でも」

 声が震える。

「……時間、かかる」


 その正直さに、律希はほんの少しだけ救われた。


 すぐに立ち直らなくていい。

 すぐに笑えなくていい。

 そんな当たり前のことを、今この場でちゃんと言えることが、少しだけ大事に思えた。


 律希は小さく頷く。


「……俺も」


 それで十分だった。


 その後、花を手向ける時間が来た。

 白い花びらを棺の中に置く。


 透真のそばに花が積もっていく。

 その光景は綺麗で、綺麗すぎて、ひどく残酷だった。


 まるで本当に終わりみたいだ。


 いや、実際終わりなのだろう。

 透真の時間はここで閉じる。


 けれど、自分たちの時間は閉じない。

 それが悲しくて、苦しくて、どうしようもなかった。


 会場の外に出る頃には、雨は少し弱くなっていた。


 傘を差しながら、律希は空を見上げる。

 灰色の雲の向こうが、少しだけ明るくなっている。


「……」


 透真なら、こういうのを見て何と言うだろう。


 たぶん「俺、晴れ男かも」とか、意味の分からないことを言って笑う。

 そういうやつだった。


 律希は鼻で笑って、それから小さく呟く。


「……ばか」


 隣で、澄玲もほとんど同じタイミングで同じ言葉を落とした。


 二人は顔を見合わせない。

 でも、少しだけ息が合ったことに気づく。


 透真がいなくなっても、まだ共有できるものはあるのだと、その時だけほんの少し思えた。


 やがて、雲の切れ間から光が差し込んだ。


 雨粒がわずかにきらめく。

 会場の前の濡れた地面が、静かに明るくなる。


 律希はまた空を見た。


 見てるか。

 そう心の中で呼びかける。


 お前の言った通り、簡単にはいかねぇよ。

 でも、何とかやっていく。

 澄玲も、多分ちゃんと歩く。

 時間はかかるだろうけど、それでも生きていく。


 だから、そっちで勝手に安心するな。

 最後までちゃんと見てろ。


 風が吹いた。


 その瞬間だけ、どこかで透真が笑った気がした。


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