表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【連載版】君と笑える未来を見たい  作者: les.


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
6/10

廊下

病室を出た瞬間、九条律希はようやく息ができなくなった。


 さっきまで、何とか立っていられた。

 透真の前では、親友でいようと思っていたからだ。

 最後まで、いつもの調子でいようと決めていたからだ。


 でも、もう無理だった。


 ドアが閉まる。

 白い廊下に出る。

 それだけで、さっきまで必死に押し込めていたものが一気に溢れそうになる。


 壁に手をつく。

 冷たい。

 やけに硬い。

 その感触だけが妙に現実的で、逆に腹が立った。


「……ふざけんな」


 誰に向けた言葉だったのか、自分でも分からない。


 透真か。

 医者か。

 この状況そのものか。


 多分、全部だった。


「ふざけんなよ」


 声が掠れる。

 喉が熱い。

 視界がぼやける。


 律希はぎゅっと拳を握った。


 なんでだよ。

 なんで先にいなくなるんだよ。

 なんで最後まで、こっちに何も言わねぇんだよ。


 病室の中では怒れなかった。

 透真が苦しそうな顔をするたびに、怒りより怖さが勝ったからだ。

 でも今なら怒れる。

 本人に届かない場所でなら、いくらでも怒れた。


「なんでだよ……」


 壁を殴る。


 鈍い音が響いた。


 痛い。

 でも足りない。

 こんな痛みじゃ全然足りない。


「約束しただろ……」

 もう一度、壁に額を押しつける。

「学校行くって」

「駄菓子屋行くって」

「澄玲のこと、支えろとか……」


 そこで声が詰まる。


 それを言うな。

 それはお前の役目だろ。


 なんで、自分が残される前提で話してるんだ。

 なんで、そんなに当たり前みたいに先のことを託してくるんだ。


 律希はその場にしゃがみこんだ。

 膝に肘をつき、顔を覆う。


 涙が止まらなかった。


 親友が死ぬなんて、そんなもの現実にあるのかとずっと思っていた。

 ドラマとか映画とか、そういう遠い話の中だけにあるものだと勝手に思っていた。

 大学二年の春。

 これからいくらでも時間があるはずで、来年も再来年も、きっと三人で馬鹿みたいな話をして笑っているはずだった。


 なのに、それが今日終わった。


 あまりにもあっさり。

 あまりにも理不尽に。


 涙でぐちゃぐちゃになった視界の中で、廊下の床だけが妙に白かった。


 その時、病室のドアが静かに開いた。


 榊原澄玲だった。


 泣いているのかと思った。

 でも違った。


 目は真っ赤だったけれど、澄玲はまだ泣いていなかった。

 というより、泣けていなかったのだろう。

 全部が現実になりすぎて、涙に変える余裕すらなかったみたいに見えた。


 律希は慌てて顔を背けた。


 こんなところ見られたくなかった。

 いや、別に澄玲になら見られてもいいはずなのに、その時はどうしても無理だった。


「……ごめん」


 出てきた言葉がそれだったのは、自分でも意味が分からない。

 何に対して謝っているのか。

 先に病室を出てしまったことか。

 何もできなかったことか。

 透真を守れなかったことか。


 多分、全部だった。


 澄玲はしばらく何も言わなかった。

 ただ、立ち止まって律希を見ていた。


 やがて、静かな声で言う。


「……泣いていい」


 その一言に、律希は思わず顔を上げた。


 澄玲の声は震えていなかった。

 なのに、その奥にはちゃんと壊れそうなものがあった。


「……私も」

 少しだけ間を置く。

「……あとで、泣く」


 律希は何も返せなかった。


 強い、と思った。

 いや、本当は強いんじゃない。

 強くしていないと立っていられないだけだ。


 透真がいなくなった瞬間、きっと一番壊れるのは澄玲だと分かっていた。

 十年以上好きで、最後まで手を離さなくて、返事がどうであれ隣にいると決めていた人だ。

 そんなの、平気でいられるわけがない。


 それでも澄玲は立っていた。

 透真の手紙を受け取って、泣きそうな顔のまま、ちゃんと受け止めようとしていた。


 透真。

 お前、見てるか。


 律希は心の中で呟く。


 お前の幼馴染、強すぎるだろ。

 いや、強いふりが上手すぎるだろ。


「……なあ」


 掠れた声で、律希はようやく言う。


「俺さ」

「……」

「無理かもしれん」


 何が、とは言わなかった。

 言わなくても通じると思った。


 透真のいない明日を迎えること。

 今まで通り講義に出て、飯を食って、笑って、普通に生きること。

 全部まとめて「無理」だった。


 澄玲は数秒だけ黙って、それから小さく頷いた。


「……私も」


 その二文字に、少しだけ救われる。


 自分だけじゃない。

 自分だけが弱いわけじゃない。


 透真は最後に「澄玲を支えてやれ」と言った。

 正直、そんなの無茶だと思った。

 自分だって支えられたい側なのに、人を支える余裕なんてあるのか分からない。


 でも今、この廊下で思う。

 支えるというより、一緒に倒れないようにするくらいなら、できるかもしれない。


 片方が完全に崩れたら、もう片方が引っ張る。

 また入れ替わる。

 そうやって、何とか前に進いていくしかない。


 それが透真の望みなら。

 あいつがそこまでして残した「約束」なら。


「……支えるわ」


 律希がぽつりと言うと、澄玲は少しだけこちらを見た。


「……うん」

「でも、お前も頼れよ」

「……」

「強いふりしすぎ」

「……律希も」


 ほんの少しだけ、いつもみたいなやり取りだった。


 そのことに二人とも救われる。


 廊下の向こうで看護師が静かに行き来している。

 病院は、誰かの人生の終わりがあっても変わらず動き続ける。


 それが残酷で、でもありがたくもあった。

 世界は止まらない。

 なら自分たちも、どこかでまた歩き出さなければいけないのだろう。


 まだ今日ではない。

 今は無理だ。

 今はただ、ここで泣いていていい。


 律希は壁にもたれたまま、目を閉じる。


 透真。

 お前さ、と心の中で呼ぶ。


 最後まで勝手だったな。

 勝手にいなくなって、勝手に手紙残して、勝手に未来のこと託して。

 でも、多分それでよかったんだろうなとも思う。


 あいつはそういうやつだった。

 自分がいなくなった後のことまで考えてしまうくらい、どうしようもなく優しかった。


 その優しさが、今はたまらなく痛い。


 澄玲が隣の壁に背中を預ける。

 肩が少しだけ触れた。


 律希は何も言わない。

 澄玲も何も言わない。


 それでも、その沈黙は一人きりのものではなかった。


 透真がいなくなった世界で、初めて共有する静けさだった。


 やがて、澄玲がぽつりと言う。


「……ねぇ」

「ん?」

「……透真」

「……」

「……見てるかな」


 律希は天井の白さを見上げる。


「見てたらムカつくな」

「……なんで」

「泣いてるの絶対笑うだろ、あいつ」

「……」

「『え、そんな泣く?』とか言う」


 澄玲の口元が少しだけ動いた。

 笑ったのか、泣きそうになったのか、律希には分からなかった。


「……言う」

「だろ」


 二人は少しだけ息を吐く。


 泣きながら、透真の言いそうなことを想像してしまう。

 そのことがまた悲しくて、でも少しだけあたたかかった。


 廊下の窓から見える空は、信じられないくらい青かった。


 こんな日に。

 こんなにも綺麗に晴れてしまうなんて。


 でも、透真ならそういう日にいなくなる気がした。

 最後まで湿っぽくなくて、周りだけ泣かせて、自分は空の向こうで困ったように笑っている。


「……ばか」


 律希が小さく呟くと、澄玲もほとんど同じタイミングで同じ言葉を落とした。


 それが少し可笑しくて、二人はまた少しだけ笑った。


 泣きながら笑うなんて、ひどくみっともないと思った。

 でも多分、それでいいのだろう。


 透真が残したものは、悲しみだけじゃない。

 三人でいた時間も、どうしようもなくくだらない記憶も、全部ここに残っている。


 それを抱えて、この先も生きていく。


 廊下の白い光の中で、律希はようやく少しだけ呼吸を整えた。


 まだ前なんて向けない。

 でも、約束だけは忘れないでいようと思った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ