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【連載版】君と笑える未来を見たい  作者: les.


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5/10

手紙

待望の続編?です

 人が死ぬと、時間の進み方が変わるのだと九条律希は思った。


 正確には、世界は何も変わらないまま進んでいるのに、自分たちだけがその流れから取り残されるような感覚だった。


 病室の窓の外では、青空が広がっていた。

 さっきまで雨宮透真がそこにいて、くだらない冗談を言って、酸素マスクが嫌いだと笑っていたのに、その全部が急に遠くなる。


 モニターの長い音が止んだあと、部屋に落ちた静けさは異様だった。


 医者も看護師も、何かを言っていた気がする。

 けれど、榊原澄玲にはそのほとんどが聞こえていなかった。


 透真の手だけが、やけにはっきりと現実だった。


 さっきまで握り返してくれた手。

 少し冷たくて、細くて、それでも確かに生きていた手。


 それがもう、何の力も返してこない。


「……透真?」


 呼んでも返事はない。


 澄玲はもう一度、その名前を口にした。

 呼び続ければ戻ってくるような気がしたからだ。

 でも透真は、眠ったままみたいな穏やかな顔で動かなかった。


 律希が病室を出て行った音がした。

 きっと耐えられなかったのだろう。澄玲にもその気持ちは分かった。

 自分だって、もし今この手を握っていなければ、その場に立っていられなかったと思う。


 それでも、離せなかった。


 離したら、本当に終わるから。


 どれくらいそうしていただろう。

 時間の感覚は曖昧だった。

 泣いていたのかも、泣いていなかったのかも、もうよく分からない。


 ただ透真の手を握っていた。


 すると、控えめなノックの音がした。


 澄玲は顔を上げる。


 医者が立っていた。

 さっきまで処置をしていた時とは違う、ひどく静かな顔をしている。


「……」


 何を言われるのか分かった気がして、澄玲は無意識に透真の手を強く握った。


 医者は少しだけ間を置いて、それからポケットから二つの封筒を取り出した。


「透真くんからです」


 その一言に、澄玲は一瞬意味が分からなくなる。


「……?」

「もしもの時、渡してほしいと」


 隣に戻ってきていた律希が、そこで初めて顔を上げた。


「……何、それ」


 掠れた声だった。


 医者は静かに封筒を差し出す。

 ひとつには「九条律希へ」、もうひとつには「榊原澄玲へ」と書かれていた。


 見慣れた字だった。

 整っていて、やさしい字。

 透真は昔から字が綺麗だった。テストの名前欄ですら変に丁寧に書くやつだったから、律希に「そこだけ優等生かよ」と笑われていたのを思い出す。


 こんな時にそんなことを思い出した自分が、少しだけ嫌だった。


 でもそれくらいしか、頭が現実から逃げる方法を知らなかった。


 律希が先に封筒を受け取る。

 普段なら雑に破って開けそうなやつなのに、その時の手つきは妙に慎重だった。


 澄玲も自分の封筒を受け取る。


 薄い紙の重さが、やけにずっしりしていた。


 ◇


 最初に手紙を開いたのは律希だった。


 中には便箋が一枚。

 透真らしい、きれいな字が並んでいる。


 律希は最初の数行を読んだだけで、眉を寄せた。


「……ばか」


 そう呟いた声は、怒っているようで、泣いているみたいでもあった。


 澄玲は黙って見ている。


 律希は最後まで読み切ると、紙を握りしめそうになって、慌てて力を抜いた。

 透真が丁寧に書いた字を、自分の手でぐしゃぐしゃにしたくなかったのだろう。


「澄玲」

「……」

「読むか」

「……うん」


 澄玲はようやく自分の封筒を開く。


 中の紙を取り出した瞬間、指先が震えた。


 怖かった。


 開いたら、透真の言葉がそこにある。

 最後の、本当に最後の言葉が。

 もう増えることも減ることもない、たった一度きりの文字が。


 それを受け止めきれるのか、自信がなかった。


 それでも、読まないわけにはいかなかった。



 澄玲へ


 多分、怒ってるよね。


 ずっと好きって知ってた。

 気づかないふりしてた。


 ごめん。


 でも、澄玲が幼馴染でよかった。


 俺の人生で、一番長く隣にいた人が澄玲だった。


 告白してくれてありがとう。

 すごく嬉しかった。


 付き合えないって言ったのは、

 澄玲の時間を俺に使わせたくなかったから。


 澄玲はちゃんと幸せになってほしい。


 結婚したら写真くらい見せてよ。

 空から笑うから。


 あと、

 夜、病室に来てくれてたの知ってた。


 毎日ありがとう。


 最後に。


 大好きな幼馴染へ。


 透真



 最後の一行まで読み終えた瞬間、澄玲の視界が滲んだ。


 知ってた。


 その一言が、胸の奥に突き刺さる。


 知っていたのか。

 全部。

 夜、こっそり病室に来ていたことも。

 十年以上好きだったことも。

 きっと、もっと前から。


 それなのに、透真は何も言わなかった。


 気づかないふりをしていた。

 そう書いてある。


 澄玲は手紙を持ったまま、下を向いた。


「……ばか」


 声が震える。


「……知ってたなら」

 喉が詰まる。

「……もっと、甘えてよ」


 ずっと好きだった。

 ずっと隣にいた。

 何もできなかったわけじゃない。

 苦しいなら苦しいって言ってくれれば、いくらでもそばにいただろうに。


 いや、実際には言われなくてもそばにいたのだけれど。

 それでもやっぱり、本人の口から頼ってほしかった。


 律希が隣で小さく息を吐く。


「……俺にもさ」

「……」

「頼りにしてた、とか書いてあった」


 澄玲は少しだけ顔を上げた。


「……何て」

「澄玲のこと頼む、って」


 律希は苦く笑う。


「勝手に託してんじゃねぇよな」

「……うん」

「でも、そういうやつだわ」


 その言葉に、澄玲は少しだけ頷いた。


 そういうやつだ。


 最後の最後まで、自分のことより人のことばかり気にして、残される側の未来ばかり考えている。

 優しいというより、勝手だ。

 勝手にいなくなって、勝手に幸せになれと言って、勝手に手紙まで残していく。


 でもその勝手さごと、好きだった。


 澄玲はもう一度手紙に視線を落とす。


 大好きな幼馴染へ。


 その言葉の意味を、どこまで信じていいのか分からない。

 恋愛としての好きではないかもしれない。

 ただの、やさしい別れの言葉かもしれない。


 それでも、今はその一文が救いだった。


 透真の中で、自分はちゃんと「隣にいた人」だった。

 ただの同級生でも、ただの昔なじみでもなく、人生の一番長い時間を共有した相手として残っていた。


 それだけで十分だと思おうとした。


 律希が壁に背中を預ける。

 目は赤いのに、無理やりいつもの調子に近い声を作っていた。


「なあ」

「……?」

「これ、反則だろ」


 手に持った便箋を軽く振る。


「死んだ後に手紙で好感度稼ぐなよ」

「……」

「ずるすぎる」


 澄玲は少しだけ笑った。


 変なところで、透真らしい。

 本人がここにいたら、きっと「そんなつもりないし」と困った顔をしただろう。


 でも本当は分かっている。

 これは好感度稼ぎなんかじゃない。

 透真なりの、精一杯の整理だったのだ。


 言えなかったこと。

 言わないままにしたこと。

 残していく側の、せめてもの責任。


 そう思うと、また涙が溢れそうになった。


 病室の中は静かだった。

 透真はもう何も言わない。

 けれど手紙の中の言葉だけが、まだこの部屋に透真を残している気がした。


 澄玲はそっとベッドのそばに近づく。

 そして、透真の手の近くに自分の手紙を置いた。


「……約束」


 小さく呟く。


「……守る」


 幸せになれ。

 そう書いてあった。


 今はまだ無理だと思った。

 今日この日に、そんなことを素直に受け入れられるほど強くはない。


 それでも、いつか。

 本当にいつか、透真が望んだみたいに笑える日が来るのなら。

 その時はちゃんと前を向こうと思う。


 透真が、そこまで願ってくれたのなら。


 律希もベッドの方を見て、小さく言った。


「……俺も」


 その声に、澄玲は少しだけ安心する。


 自分だけじゃない。

 この先も、透真を覚えている人が隣にいる。

 それだけで、少しだけ怖くなくなった。


 窓の外は青空だった。


 こんな日に。

 こんなにも綺麗に晴れるなんて、ひどいと思う。


 でも同時に、透真はこういう日にいなくなる気もした。

 雨じゃなくて、ちゃんと光のある日に。

 最後まで「大丈夫」と笑いながら。


 澄玲は深く息を吸って、ゆっくり吐く。


 涙はまだ止まらない。

 悲しみも消えない。

 それでも、手紙に書かれた文字だけは、これから先も消えないのだろうと思った。


 この日から先、何度読み返しても、そのたびに痛んで、そのたびに救われる。


 透真が残したものは、思ったよりずっと重かった。


 そして、思ったよりずっとあたたかかった。


ランキングありがとうございます!!

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