二人だけの秘密
行く手を阻む魔物たちを駆除し、更に奥へと足を進める。
窓越しに見る教室の様子は、相変わらずなんの変哲もない。
そのことに焦りを憶えつつ、ふと前方を向いたところ。
「――ここか」
視界に映り込んだのは、ひどく破壊された図書室だった。
乱暴にこじ開けられたのか、扉はへし折れ、その周囲には爪痕が何重にも刻まれている。
防御結界は無残にも打ち壊されていた。
「間に合えっ」
場所を特定し、この足は強く廊下を蹴った。
全速力で駆け抜け、図書室の敷居を跨ぐ。
そうすると、すぐに魔物の死体がいくつか目に入った。
ここで応戦した生徒がいる。
ここにいる。
「オオォォォオオオオォオオオオオッ!」
魔物の雄叫び。
それと同時に、身体は動いていた。
跳び上がり、本棚よりも高く跳躍し、魔物の位置を目視する。
見えたのは、熊のような中型の獣。
周囲の本棚は薙ぎ倒され、深い爪痕が刻まれている。
あの魔物が、この図書室の防御結界を破った魔物に違いない。
「――見つけた」
そして、魔物の視線の先に、探していた生徒を見る。
傷だらけの身体で剣を構えた、獣人の女子生徒。
疲労からか、恐怖からか、その剣先は震えていた。
「間に合った」
生きている。
まだ死んでいない。
本棚に足をかけ、次ぎの本棚へと飛び移る。
最短距離を最速で駆け抜け、刀の間合いに魔物を捕らえた。
しかし、その時にはすでに魔物は攻撃動作に入っている。
その豪腕を振り上げ、鋭爪をもって女子生徒を引き裂こうとしていた。
それを振り下ろさせる訳にはいかない。
最後の本棚を蹴って跳び、空中にてその豪腕を斬りつける。
「――え?」
斬りつけたことによる痛みと衝撃で、魔物は怯んで後ずさった。
これでなんとか、危機は脱した。
「無事か?」
「はっ、はいっ」
「よかった」
見た目の傷も軽傷の部類。
受け答えもはっきりしている。
なら、大丈夫。
「下がっていてくれ。あいつは俺がやる」
「で、でも――」
「大丈夫。必ず、護ってみせるから」
今度こそ。
「オオオォォォォオオオォォォォオオオオオッ」
負傷をものともせず、魔物は俺を威嚇する。
咆吼し、自らを誇示する。
だが、それが通用するのは自然界だけだ。
人間界では通用しない。
それを悟ったのか、魔物は口から火炎を漏らす。
明らかな攻撃の予備動作。
後方に女子生徒を配している以上、この攻撃は避けられない。
「――来い」
溢れ出す火炎は塊となり、炎弾と化す。
放たれるのは炎弾の乱れ撃ち。
視界を埋め尽くすほどの弾幕に対し、俺はただ刀を振った。
刀身に魔力を込め、一刀のもとに両断する。
そうすれば火炎は火の粉となって掻き消える。
迫りくる炎弾のすべてを、俺は斬り捨ててみせた。
そして。
「次ぎは撃たせない」
すべてを捌き終え、火の粉に帰した。
その直後、図書室の床木を踏みしめ、一息に距離を詰める。
一瞬にして間合いに踏み入り、反撃すら許さない。
この一刀は魔物の本能や危機回避能力すらも凌駕する。
紫電のように馳せた一閃は、意図もたやすく魔物の胴を二つに分かつ。
音もなく崩れ落ち、魔物はその生涯を終えた。
「す、すごい」
血を払い、刀を納刀していると、背後から呟きが聞こえた。
呆気に取られたように、ぽかんと口を開けている。
しきりに獣耳がぴくぴくと動いているのが、印象的だった。
「あの……生徒会の人、ですか?」
「いや、俺はただの通りすがりみたいなものだけど」
そう話していると。
「おーい! 剋人! どこだ!? ここか!?」
図書室の入り口あたりが、にわかに騒がしくなる。
どうやらマルスが生徒会を連れてきてくれたらしい。
「こっちだ!」
そう返事をして、それから魔物の死体にそっと手をやった。
熊のような巨体は、捕食能力によって跡形もなく消え失せる。
こうして証拠の隠滅をしていれば、不自然には思われないだろう。
俺が無傷で魔物を仕留めたことを。
「剋人! よかった、無事か」
そうこうしているうちに、マルスが駆けつける。
その後ろには生徒会の人たちもいた。
「これは……ここで何があった?」
薙ぎ倒された本棚と爪痕をみて、生徒会の一人がそう問う。
「小型の魔物が何体かいて、そいつらは俺と、その子が退治した」
「それだけか? それだけで、こんな被害が?」
「あぁ」
証言と現場の痕跡がかみ合わない。
そのことを不審に思っているようだ。
だが、ここにその答えはもうない。
死体は喰ってしまったから。
「あの……」
しかし、今回は俺のほかに真相を知っている者がいる。
獣人の女子生徒。
彼女からしてみれば、俺の行動は不可解に映っただろう。
「どうかしたのかい?」
「えーっと、その」
彼女は真実を伝えようと思っていたのだろう。
その口が開いて、言葉を紡ごうとする。
だから、俺は彼女にだけ見えるように、そっと口元に指を立てた。
秘密にしておいてくれ、そういう意味を込めて。
「……やっぱり、なんでもないです」
彼女は意図を察してくれたようで、秘密にしておいてくれた。
そのことにほっと安堵して、それからこれ以上の追究がないように動く。
「なにはともあれ、助かったんだ。はやいところ、訓練場に避難しよう」
「そうだぜ。剋人が助けにはいって、二人とも助かった。それでいいだろ?」
「……そう、だな。よし、みんな急いで避難しよう」
謎の追究より、人命救助を優先する。
生徒会としての役割を、彼らはきちんとこなしてくれた。
俺たちは生徒会のメンバーに護られる形で移動を開始し、無事に訓練場までたどり着く。
そこにはすでに大勢の生徒が避難していた。
「では、私たちは校舎に残る。けれど、ここにもゲートが開くかも知れない。避難場所だと、安心はしないように」
そう言い残して、生徒会は訓練場を後にした。
生徒会としての仕事はまだまだ残っている。
今回はそれに救われる形で、追究から逃れられた。
「それにしても大手柄だな、剋人」
「あぁ。まぁな」
今度はきちんと助けることができた。
「でも、たまたまだよ。こんなのは」
「まぁ、でも、それでもいいじゃん。人一人、たしかに救ったんだしさ」
「そう……だな」
人を一人救えた事実は変わらない。
俺自身の力ではなくても、仮初めの力に頼った結果であっても。
彼女がまだ生存しているという事実は歪まない。
なら、それでいいだろう。
あれこれと考えるのは、いまは止めておこう。
「あの……」
そうマルスと話していると、獣人の女子生徒が声をかけてくる。
「おっと。俺、用事を思い出したから、ちょっと抜けるわ」
「あ、おい、マルス」
いらない気を使ったのか、マルスはこの場から離れていく。
「ありがとうございました。助けてくれて」
「あぁ、うん。どう致しまして」
面と向かって礼を言われると、すこし戸惑う。
こんな経験、いままでしたことがなかったからな。
なんだか身体がむず痒い。
「それと」
そう言って、彼女は背伸びをする。
精一杯、俺との身長さを埋めて、耳元でこう呟く。
「秘密にしておきますね。二人だけの」
彼女は、そう言うと俺から離れていった。
どうやらあのまま腹に収めてくれるらしい。
この剣技のことを、正確に人に話すことは難しい。
自分でもわからないことが多すぎる。
だから、なにかわかるまでは、この剣技のことは秘密にしようと思う。
彼女のお陰で、今後もこの秘密は守れそうだ。
「で? なんの話してたんだ?」
頃合いを見てマルスが帰ってきた。
「べつに、なんでも」
「なんだよ、はぐらかすなよー」
「別になんでもないって」
「うっそだー」
「本当だよ、本当」
そうして時は過ぎていく。
生徒会の活躍もあって、校内に出現した魔物は駆逐された。
ゲートの出現も収まり、避難の必要性は消失する。
けれど、その頃にはすでに時計は遅い時間を指し示していた。
遊びにいくという当初の予定は、やはりまた今度。
今日のところは、一人で帰ることにしよう。