克服
「サン。どうしてここに」
「だって、先輩。全然、帰って来ないから」
飲み物を買いに行っただけなのに、異様に時間が掛かっている。
そのことを不審に思い、痺れを切らして探しに来たみたいだ。
出来ればこの場面、サンに見られたくはなかったが。
「それより、なにがどうなっているんですか?」
この現状を見て、サンは疑問を浮かべるばかりだろう。
「この状況は? 人が倒れている理由は? 戦っていたのはどうしてですかっ?」
その質問の数々はもっともで、どう返事をするべきかに悩んだ。
正直に話してしまえばいいのかも知れない。
だがそれを俺の口から言うのは、なぜだか憚られた。
彼の思いを、知ってしまったからだろうか。
命を狙ってきた相手だ、なにも配慮することなんてないのに。
「は――ははっ、もう終わりだ。なにもかも」
返事に悩んでいると乾いた笑い声がした。
先に言葉を紡いだのは、彼のほうだった。
「言い逃れは出来そうにない……すぐにバレる」
すこしずつ後ずさる。
「それに……一度も、俺をみてくれない」
俺から距離をとる。
「なら、もういい……全部、壊れればいいんだ」
彼が取り出すのは、大量のメモリ。
蘇るのは、廃工場でみた自我の崩壊。
自暴自棄となり、一時の感情に身を任せた破滅。
「――止めろっ!」
「いやだね。もうなにも感じたくない」
制止の言葉は届かず、メモリは彼に突き刺さる。
濁流のごとくなだれ込む記憶の波は、彼の人格を粉々に打ち砕く。
そして何者でもない何かが、彼の身体を乗っ取った。
「ハハ――ハハハ――ハハハハハハハハッ!」
彼は狂う。
その狂いは肉体にすら影響を及ぼし、変異が起こる。
恐らく、異形種の記憶を取り込みすぎたんだ。
だから、肉体が記憶に辻褄を合わせようと変貌する。
いまの彼は、もはや人間ですらなくなった。
とても醜い、見上げるほど巨大で歪な異形種だ。
「まだ早いだろ、投げ捨てるには」
思いも、人生も、諦めるには早すぎる。
まだ間に合うか。
変異は起こっているが、ランケのときよりメモリの数は少ない。
すぐにメモリを刺して記憶を抜けば、あるはまだ助かるかも知れない。
自我が、完全に崩壊するまえに。
「やってみるしか――」
「――先輩っ!」
刀を構え、交戦の意思を固めていると、目の前にサンが現れる。
俺を庇うように立ち、剣先を変異した彼へと向けている。
「私も戦いますっ、どうすればいいですかっ」
「サン……」
いま目の前にいる彼は、あの時の魔物より恐ろしいだろうに。
手足の震えも、息の乱れも、気後れもない。
あの時を、サンは乗り越えていた。
「かく乱してくれ。彼の注意を引いてくれればいい」
いまのサンになら、任せられる。
「わかりましたっ」
指示通りに、サンは動いた。
地面を蹴って彼の注意を引き、獣人の脚力をもってかく乱する。
人と獣の特性を有するサンの俊敏性は、自我を失った彼に捕らえきれるものではない。
身体から幾つもの腕を伸ばしても、そのいずれもサンには掠りもしない。
「よく動けてるじゃあないか」
彼がサンに気を取られているうちに、俺は懐へと潜り込む。
目当ては彼の足下にある、いくつもの空のメモリ。
それを一息に拾い上げ、隙をみて一部を突き立てる。
「ガァ――アアァァァアアァアアアアアッ」
移された記憶が一つ抜き取られ、彼は俺の存在へとようやく目を向ける。
しかし、そうなれば今度はサンがノーマーク。
「それっ!」
その巨体の首より上まで跳んだサンは、その顔面に蹴りを放つ。
深く抉るような攻撃は、決定打にはならないまでも、彼の気を引くには十分だった。
「その調子だっ」
サンがかく乱し、俺が空のメモリを刺す。
一連の動きはうまくかみ合い、次々に彼から記憶が抜けていく。
それに伴い身体の変異も、すこしずつ人の輪郭を取り戻していった。
そして、残り最後のメモリを、彼へと突き立てる。
「これで最後っ」
メモリは記憶を吸い上げ、彼の中から彼以外の記憶を排除する。
そうすることで、彼は再び人の姿を取り戻す。
異形種から人となった彼には、奇跡的にまだ自我が残っていた。
「なにを……やっても……かなわない、のか……おまえ、には」
その言葉を最後に、彼は意識を失った。
本当に最後の最後まで、面倒なことをしてくれたものだ。
「先輩! 大丈夫ですか!?」
「あぁ、お陰様でな。助かったよ、サン」
お陰で彼も救うことが出来た。
「よかったぁ……」
サンは心底ほっとしたように胸をなで下ろした。
「にしても、よく動けたな」
「え? あっ、そう言えば私、ちゃんと動けてましたね」
自分でも気がついてなかったのか。
「えへへ。なんだか、可笑しいですね。先輩を助けなきゃって思ったら、自然と身体が動いちゃって」
自然と身体が、か。
意外と、サンにも英雄の素質があるのかも知れないな。
自分でも知らないうちに動けていたなんて、いかにもそれらしい。
「じゃあ、もう特訓もこれで終わりか」
きちんと実戦で動けたことだし。
「あっ……あの、えっと」
「どうした?」
「まだ、続けたいです。私、先輩との特訓」
続けざまにサンは言う。
「ほら、今回はたまたまかも知れませんし。それに、まだ自分に自信が持ててないかなーって……だから」
「そうか? まぁ、そういう可能性もあるか」
一度できたことが、次ぎもできるとは限らない。
そう考えると、特訓を止めてしまうのは早計か。
「じゃあ、もうすこし続けることにしようか」
「――はいっ!」
まだしばらくはサンとの特訓が続きそうだ。
「よし、じゃあ保険医の先生を呼んでこようか。これがほかの人に見つかったら大惨事だ」
「そうですね。じゃあ、行きましょう。今度は二人で」
サンは俺の手をとって歩き出す。
俺はそれに歩幅を合わせて、保健室へと向かった。




