「三つ首の怪物」
此処は最も深き闇の中。洞窟の最奥。
松明がその中身を照らし出す。此処は想定していた規模よりも広大で、松明の細い光では奥深くまで確認出来ない。
微かに揺らめく炎が頼りなかった。
だが、その炎が闇に隠れていたものを炙り出す。
騎士達の誰もが息を呑んだ。
それは彫刻の様に精巧で、絵画のように現実味の無い光景だった。
顔。それも成人男性一人分は優に越える獣の横顔。
深い眠りに堕ちているらしく、瞳は瞼に閉じられ、耳が垂れ下がり、鼻から騒音並みの呼吸音が響き渡る。それなりに離れている筈なのに鼻息が騎士達の髪を扇ぐ。獣の生臭さを感じた。それは確かに生きていた……。
呼吸と共に心臓も止まり掛ける。
膝が笑い、体が震え、目が霞む。あまりの光景に恐慌状態に陥っている。
反面彼らは絶好の機会を得たと確信していた。
確かにその巨大な体躯の犬は怪物と称されて間違いない存在だ。あの閉じられている口が開けば人間の体な容易く物言わぬ肉塊に変えるだろう。
決して人間では敵わない。故に怪物だ。
だが、弱点はある。
必ず何所かにそれはある。
生まれれば必ず何時かは死ぬ。神が定めた絶対の法則だ。
それが彼らにとっての唯一縋れる希望であり、信じるものであった。
松明を翳していたドミニクが後続の方へ振り返り、視線を投げる。視線による合図だ。
後続の騎士は恐怖の呪縛を食い縛りながらなんとか解き、今度は片手を勢いよく振った。これは薄暗い中でも察知出来る動体視力を使った合図であり、その意味は"待機"である。
意味を察した面々は頷くと前方に詰め、肩に触れる。離さない様にしっかりと掴んだ。
そろりそろりと気配と音を消しつつ、ドミニクは松明の火を消す。洞窟に完全なる暗闇が戻る。
何も見えない。視覚が役立たずとなった。
怪物がたてる寝息だけを感じ、ただ彼らは時を待つ。ただじっと。
すると役立たずとなっていた視覚が闇に慣れてぼんやりとその瞳に映すようになっていく。
所々に薄らと灯りらしきものも視得る様になっていった。
洞窟の最奥といえど完全に密閉された空間ではない。地下空洞内であるが空気が循環する穴がある。微かに射し込む光を頼りにして、彼らは辛うじて視覚を取り戻した。
準備は整ったと立ち上がって手を離す。
これもまた"闇に慣れた"という事前に決めていた合図であった。
先頭のドミニクが全体の視覚回復を確認すると後方の騎士の肩を二度叩く。そしてその後ろに居る騎士の肩をそいつが叩いていく。
そうして合図が行き渡ったと想定してドミニクは我先に怪物の領域へと足を進める。
この合図の意味は"散開"。
怪物を取り囲み、一斉攻撃で反撃の余地なく倒すという策だ。
愚策と思える作戦だと思えるが、想定していた規格よりも何倍もある体躯の前では固まっていると一度に全滅の可能性があるので、逃げ延びる余地のある策を採用した。
騎士達は希望を確かに持っていたがとある覚悟をしている。
それは逃げない覚悟ではなく、戦う覚悟でもなく、生きて帰る覚悟でもない。
死ぬ覚悟。
己が何も出来ずに無惨な形へと成り果てる覚悟を結んだ。
彼らは知っている。
勝てないことを知っている。
それでも何も出来ずに逃げ帰るのも、ただ真正面から戦って何も分からずに終わるのも御免だった。
死ぬ事は分かっている。
どうなることかも理解している。
だからこそ逃げない。死ぬ覚悟を決めた。
"あぁ、我等はソマリアの騎士"
ある者は祖国の家族に祈り、ある者は速やかに十字を切って、静かに胸の中で唱えた言葉を反芻する。
恐怖と混乱を追い出すように勇気を振り絞り手持ちの武器に力を込めた。長年使い続けている愛用の武器は軋まず、しっくりと馴染んでいる。
目を細めながら頷く。
長年連れ添った妻子の様に愛おしく思えた。
"我が相棒よ、此処が正念場である"
眼前に感じるのは大型の獣が体躯。
完全に視界で捉えずとも其処には確かに生物の熱があった。
呼吸の生臭い熱ではない。体の中で一番熱量を誇る臓物が発する熱。それが地面を伝って、鎧越しも感じられた。
手持ちの槍を構え、狙いを定める。
目標は怪物の腸。頭蓋よりも貫通しやすい場所だ。
"さぁ、往かん"
槍を握る手に力が篭り、体全体を駆使して放つ。
鋭利に尖った先端の刃が見事怪物の体躯を穿った。衝撃は人数分だけ続き、確実に怪物の体は穴だらけとなった筈だ。
死ぬまでもなく、勝機が見えた。勝てるとも一瞬ばかり思った。
だが何かがおかしい。
"手応えがない?"
そう疑問を浮かべた時、騎士の一人は何気なく上を見た。そう何気なく。第六感的なものを感じた訳では断じてない。
暗い闇の中で視線を感じる。
何かが此方を覗いていた。段々と闇に慣れた瞳がそれを捉える。
怪物の醜悪な顔面が上空にあった。
「ひっ!」
堪らず悲鳴の声があがる。
同時に闇の中で何かが蠢く。
のっそりと緩慢な動きで、それは起き上がった。
怪物の首が一つ、首が二つ、首が三つ。三つ首の獣が今完全に目覚め、口を開ける。
威嚇の雄叫び。洞窟内に轟音が響き渡った。
同時に最も首の近くに陣取っていた騎士達の鼓膜が破れ、三半規管が潰れる。緩やかに彼の体は倒れ伏し、それが開戦の合図となった。
――こうして殺戮は始まった。
騎士達は死物狂いで反撃をする。
刺していた槍を捻りを咥えながら更に奥へと穿ちながら手前に引く。そうして盾を構えつつ槍を投げるように突き刺す。
同時に何度も何度も突き刺しては引き戻すを只管繰り返す。
必死だった。
それはもう半ば恐慌状態に陥りながらも行動する。
騎士の誇りとか、国民の為とか。そうした理由は既に忘却の彼方に追いやり、生き延びる為だけに、死にたくないから動いていた。
死ぬ覚悟など既に吹き飛んでいる。心の底から溢れ出る恐怖がそうさせていた。
ただ逃げるなんて選択肢はない。
彼らは腐ってしまっても訓練された戦士である。
戦い方を熟知し、どうやれば勝てるか、どうすれば負けないかを知っている。
そんな彼等だからこそ知っていた。
背中を見せれば死ぬ。
須らく死が待っている。
その確定された運命の最中にせめて希望に繋がる何かを残そうと微かな奇跡を信じて攻撃を続けた。皆一様に心の中で祈った。
『あぁ、神様、お願い致します。どうか奇跡を……』
そしてたった今生まれたその願いは潰える。いとも容易く、容赦など無く。
怪物が動いた。
傍から見れば軽く身動ぎをする行動。それだけで突き出した槍が折れ、騎士の腕も不自然な方へと圧し折れた。
断末魔の叫びが洞窟内に木霊する。
犠牲者に気付き、ほんの少しだけ理性を戻して警戒を強める周囲の騎士。手にした槍よりも盾を強く構えたその時――。
怪物の尾がぶれる。
その動きに少し遅れて壁に何かが叩きつけられた音が響いた。金属が拉げて肉が潰れる嫌な音だ。
聞けば何があったのかは想像出来る。
残った騎士達は恐怖に体を竦めるのを本能的に察して、思考を捨てた。
ただ全てではない。
金属の盾が役立たない事を知った。
一斉に彼らはそれを手放して、怪物の胴体に両手持ちをした槍を突き刺す。
感触は浅い。
最初の攻撃よりも深いが足りない。
まるで足りない。
これでは急所にまで突き刺せない。
絶望感が足元から這いずりだした彼らの思考を止める様に怪物の前足が撥ねる。その過程でまた金属が拉げる音と肉が潰れる音が響く。
もう四人。誰かは判明していないがもう四人の騎士が倒れた。
残りは五人。
半数近くが一瞬で命の灯を吹かれ消えた。
生き残った騎士達は攻撃の手を緩めない。少しでも緩めれば死ぬ。が、緩めなくともこのままでは死ぬ。
まさに絶望の底に彼らは突き落とされていた。
そんな最中動き出す者が居る。
藤宗次郎だ。
彼は静観を止め、疾風の如く走り出す。
誰よりも功を欲して英雄に到ろうとしている宗次郎が観察に時間を割いていたのは、宗次郎がその場に居る誰よりもこのままでは化物に勝てないと悟っていた為である。
故に少しでも情報を得ようとしていた。
怪物の動きをよく観察し、宗次郎は気付く。
三つ首の在り得ざるものであるが、挙動は変わらず四つん這いの獣そのものだった。
動きが同じとは密度は違えど体の構成が似通っているという事に他ならない。であるならば、弱点も同じ筈……。
その観察に徹していた宗次郎が動き出す。
怪物の意識が名も知らぬ騎士達が惹き付けている内に宗次郎は音を殺しつつ、怪物に近付き、前足に突き刺さっていた槍を足場にして跳躍する。
超人的な脚力により、胴体部分まで到達すると空中で腰を捻り脇差を抜く。
鈍い光が煌くと怪物の肉に深く突き刺さる。
それをそのままにして一寸ばかり宙吊りなると片手の筋力であっさりと脇差の柄に乗ると更に跳躍す。
身体が女性ゆえの身軽さと想像を絶する身体能力鍛錬によって可能とした芸当だった。
首の付け根部分が見える高さまで上昇すると同時に落下が始まる。
宗次郎は裂帛の気合を張り上げると居合の構えを整え、抜いた。刃が通った道に一文字の銀色が駆け抜ける。
斬った。
確実にその刃は切り裂いた。
絶命に到らずとも致命傷に関る程の傷を与えた。
宗次郎の勇姿を感じていた者達は誰しもがそれを信じ、喜びの声を張り上げんとした。
が、現実はそうではない。
宗次郎を含めた全員が目を疑う。
――怪物が消えた?
そう、怪物の巨躯が忽然と姿を消したのだ。
まるで魔法の様に。
地面に何らかしらの金属音が響く。その中には宗次郎の聞き覚えがある音がした。
沢山の疑問が残るが上空に残された体は落下を続けている。
宗次郎は空中で体勢を変えながら勢いを殺し、無様に地面へと転がりながら着地した。
「ソウジロウッ!」
戦局を見極める為に後方へ下がっていたベアトリスが堪らず駆けつける。
見れば全身隈なく擦ったらしく、宗次郎の衣服は所々が破れており、見事な染物であった着物は襤褸屑のようであった。
ベアトリスはすぐさま生死を確認する。
か細いながらも呼吸音が聞き取れたので彼女は安堵した。如何やら意識を失っただけの様である。
このまま放って置く事も出来ないので精一杯の力を駆使して抱き上げる。するとベアトリスは違和感に気付いた。
微かだが常日頃感じていたもの。
宗次郎は男性にしては体重が軽過ぎる。
その事実は数々の信じ難い技法と異国の常識により隠されてきた真実だった。
ベアトリスは誰よりも凛として、雄々しい姿を宗次郎に見せられている。何よりも彼は紳士という言葉を体現した様な存在だった。
あの出会いから始まって、決闘から今日までの記憶がある気付きを否定していた。
(彼は、ソウジロウはもしや女なのではないか?)
何度もその疑問が頭を駆け巡る。幾度否定しても覆らない。
だから彼女はその疑問を、焦りを消そうとして宗次郎の胸元に手を忍ばせた。
■
消失した化物を警戒するように未だ松明を灯さず、周辺をドミニクは捜索す。天井から射す微かな光を頼りにして地面を隈なく見回していた。
目を皿にして真剣に捜索する彼にはひとつ懸念がある。
それは化物が消失する際に落としたらしい金属音だった。
恐らく突き刺した武具が化物の巨躯が消失した事により、落ちたのだろうと思われる。
そして見付かったのはこの場では二つと無い異国の武器。宗次郎の脇差である。
ドミニクはやはりか、と抱えていた懸念が段々と確信へと繋がっていく。
突如致命傷を与えようすれば消えた怪物。現地人しか知り得ない古代遺跡の様な場所に怪物が配置されている不思議。神が与えたという十二の試練。そして隔離された王妃の存在。
その全てから確かに繋がりを感じさせる何か。
あの日。
あの宮殿で味わった悪夢の様な現実が彼に一つの疑念を持たせていた。
美し過ぎる王妃が齎した変化にドミニクは悩まされ続けている。
思えば隣国の第三王女が嫁いでくる少し前から何もかもが変化していた。
隣国との戦争に明け暮れていた国家が停戦を結び、今では人間同士の戦争は一部を除いて起こってはいない。
騎士の概念が変化し、死肉を喰らう様な職業である傭兵から次々に誇りある騎士へと変化した。
新しい言葉も生まれた。革命。
セロの様な成り上がりで騎士となった者達が好んで使う言葉だ。元々、貴族である立場の騎士達に蔑まされている言葉だがドミニクは嫌いではなかった。
そして革命が生まれる原因となったハルトバルズ公爵。
彼がネメアー谷の悪魔獅子を退治したからこそ現状の冥界迷宮攻略の場がある。月日は魔法の様に過ぎ去っていくものだという言葉が日ノ本にあるらしいが正にそうだなとドミニクは思う。
そう、魔法だ。
神話に残された人類の希望にして、今は希薄な繋がりへと変わった妖精の秘法。
魔法の様に消えたあの怪物がネメアー谷の悪魔獅子と同種の存在だとしたら……。
そしてドミニクは気付いた。
気付いてしまったのだ。決して行き着いてはならない真実へと。
「――――全員、たい」
叫ぶが時既に遅し。
ドミニクの鍛え上げれた体を怪物の牙が貫いた。
今回から題名とあらすじを変えました。段々と趣味趣向が変わって、前の題名とあらすじが堅過ぎるように感じたので。




