「愚かなる勇者達よ 中篇」
王都北部には平原地が広がっている。
侵入する事すら禁忌としていた場所であるから自然に荒れ果てていた。
領主や行商人も存在していないので道は禄に整理されておらず、流石に訓練されている軍馬も移動するのに苦労している。
目的の場所まで辿り着くのは相当労する事が予想された。
軍師の立場に居る鋼の騎士ドミニクの想定する行軍速度は日に五割の距離を踏破出来るとの事らしい。安全に進むには日に三割までの距離しか稼げない様だ。
予め行軍する予定を計画していた指示頭目を任されたベアトリスは後者を選択している。
現状で"冥界迷宮"に潜んでいるとされている化け物が移動したという情報もない。目的を果たす前に体力を失うのは本末転倒だ。
それに何よりも彼女は自分を含めた十二人の騎士達が無事に生還出来ると信じ、帰りの行軍も予定していた。
例え二日で目的の場所に辿り着いても軍馬を潰す破目になり、危険な場所の近くで夜を明かさなければならなくなる。
彼等はまず自らの安全第一を考えて進んでいたのであった。
早朝に王都から出立して現在時刻は夕方。
夕焼けの空が広がり、橙色に全てが染められていた。
ドミニクがベアトリスに近付き指示を請う。彼女は鉄の騎士アルベルトの方を見遣ると彼の反応を待つ。
軍馬の脚を落として進めながら周囲を見回して場所の状態を調査しているらしい。
一通り確認が済むとアルベルトは北東を指差す。
岩場など障害物が多い場所を安全地帯と定めた様だ。水源が近くに無いのが残念であるがそれは内陸部なので予め想定していた。
ベアトリスは手を掲げて無言のまま指示を出す。
他の行軍する騎士達はそれに従って彼女が先導する場所へと向かった。
夜営には少し時刻が早いけれど明るい内に準備を整えておくのが基本である。
特に北部は禁忌とされ近付く人間はあまりいないが、盗賊が潜むには絶好の場所らしい。奇襲されない可能性の方が低いだろう。
軍馬から荷物を降ろし、各自で予め決めていた役割行動を始める。
手馴れた風にアルベルトは同胞の騎士達に命令を出して野営の準備を整え、ドミニクは軍師として頭脳に叩き込んであるだろう地形を更に把握しようと周回に出て行った。
忙しなく騎士達が動き回る中で宗次郎は自分に与えられている役目を果たそうと適当な岩場に腰掛ける。宗次郎が与えられた役目とは戦力の温存。十二人の先頭集団の中で最も戦力を有していると期待されての御役目であった。
それでも非常時の戦力と言われて負い目が消える訳じゃない。
宗次郎は深々と溜息を吐き出すと不満気な表情であるが珍しく表情を形作った。見ているだけとは案外辛いものなのである。
きびきびと動き回る騎士達を見詰めていると隣から軽い笑い声が聞えてきた。
其方へ視線を遣ると同じ様な役割を課していた女騎士が口許を隠して突っ立っている。目元が弓形になっているので笑みを隠しきれていない。
「野営の準備に携われなくて不満か、宗次郎?」
「長い時間乗馬していたので気が晴れないのです」
「ふふっ。凛々しい貴公に意外な可愛らしい所があるのだな」
そう言って宗次郎の隣に座るベアトリス。
表情に浮かべている笑みを今度は隠そうともしなかった。
宗次郎は思わず向きになって
「私に何か用でも?」
と、ぶっきらぼうに尋ねた。
そのむくれた態度に優しい目線で宥める様に諭す。
「機嫌を損ねてくれるな。貴公にしては珍しく感情的になっている様だ」
「いえ、そんな――」
感情的になっている?
宗次郎は否定しながらその言葉に引っ掛かりを感じた。
以前から情が薄く、英雄に成りたいという願いだけを心に残してきている。少女として、東堂桜として一切の感情を切り捨ててきた宗次郎には似つかわしくない言葉。
しかしながら宗次郎には心当たりがあったらしい。
「……すみません。確かに感情的であったかと自覚しました」
「訂正などしなくともいい。貴公はそれでいいのだ。感情が希薄気味なのが性根なのは理解している。逆に私は貴公の情に少しでも触れられて嬉しいとすら感じている。貴公は少しでも情を表に出すべきだ」
「助言、肝に銘じます」
と、助言を聞き入って早速微笑む。
これ以上になく情を感じさせるその無邪気な笑みにベアトシスは胸が高鳴るのを感じた。あの決闘以来に見る笑顔に余計愛しく感じさせたのだろう。
「それでいい。して、何に気を張っているのか私にも教えてくれないか?」
頷いて夕焼け空を見上げる宗次郎。
「突然ですが貴女はこの夕焼けが綺麗だと思いますか?」
言われてベアトリスは空を仰いだ。
夕日が西の空を茜色に染め上げている。彼女は素直に美しいと思った。
「あぁ。とても情感揺さぶる光景だと思えるよ。貴公もそう思うだろう?」
感想を素直に述べた。
しかし、宗次郎はそれを否定する。
「私はそう思えません」
「えっ?」
「私は一度たりとも夕焼けを綺麗だと感動した事がない。日ノ本で素晴らしい景色だと言われている冬の雪景色も春の桜吹雪も夏の夜空も秋の稲穂も。どうにも私には感じ得るものがないのです。端的に言えば綺麗だという人並みの感想は浮かぶけれど心が揺れ動く事が少ないのでしょうか」
それは恐るべき人間的欠落だった。
宗次郎本人から直接聞いてさえも到底そうは見えない。
「美意識に欠けるというか感動そのものが出来ないという事か……?」
「そうではないのです。美意識以前に感情そのものが揺れ動かないのです。表面的に感情を表すことは出来るのですが上辺だけに留まる……。ただひとつの感情を除いて」
「ほう。それは何なのだろうか?」
「憧憬。夢物語に登場する英雄に私は憧れ、その地位を心の底から欲している……。だから私は貴女方と共に此処の大地に立っているのです」
語る宗次郎の瞳はまるで子供の様に純真無垢であった。
夕陽の光が差し込んでいるからか何時もよりも輝いている。
「英雄の誕生は怪物からの勝利で彩られる」
言葉を発した瞬間である。
ベアトリスの騎士としての感覚が隣人の変化を敏感に感じ取った。
続いて語る言葉と共に宗次郎の雰囲気がそのものが段々と変質していく。
彼女はその正体を確かに知っていた。
「怪物退治――その機会が私の掌に転がり込んで来ている。ならば怪物を撫で斬り、根斬りにしようと昂るのは必然でしょう」
それを一言で表すならば歓喜。
戦うことに対して喜びを見出す、修羅の感情。
以前に行った決闘の時に宗次郎がベアトリスに対して向けた感情。
(私ではなく今度は怪物に向けられている……)
そう悟った彼女は冥界迷宮に潜む恐るべき怪物に嫉妬した。
想い人が唯一と断じたその感情が自分ではなく、その怪物に対して向けられている事実に。
彼女からしてみれば想い人を取られたに等しい。
そして恋焦がれたように怪物を語る宗次郎の言葉は聞くのも耐え難い。
次第に感情が高まり、彼女は歳相応の少女らしく心を嫉妬に塗れた。
故に彼女は蓋をしていた恋心を刺激され、恋する少女らしく感情に突き動かされる。
「いや、そうであらなければならない――」
その口を自らの口で塞いだ。
稚拙で激しい接吻。勢いを付け過ぎた所為でお互いの歯と歯がぶつかり合う。歯茎から血も出ている。正に戦場に生きてきた乙女に相応しい様であった。
流石の宗次郎も薄い感情を揺れ動かし、精一杯狼狽する。
先程まで濃厚に漂わせていた雰囲気をすっかり霧散させていた。
唇が離れる。
血液が混じった粘液が糸を引いていく。
夕陽に照らされ赤く染まるベアトリスの頬。愛しそうに微笑むと彼女は名前を呼ぶ。
「ソウジロウ」
「……はい」
「貴方は私に秘密を打ち明けてくれた。それだけでは不公平ね。だからこの胸の奥に仕舞っている私の秘密も打ち明けるわ。いいかな?」
「はい」
気付けばベアトリスは少女らしい口調へと変わっていた。
余程親しい人物にしか見せはしない彼女本来の素の状態だ。その状態の彼女が宗次郎に想いを口にする。
「私は貴方を愛している」
その言葉が更に宗次郎を混乱の渦へと叩き落す。
彼女の好意には嫌と言う程に気付いていて素知らぬ振りをしていられたが、直接言葉にして好意を伝えられたので宗次郎は逃げる選択肢を奪われてしまった。
続く彼女の言葉が更に宗次郎を追い詰めていく。
「貴方は言った。英雄への憧憬が唯一の感情だ、と。でもそれには必ず終わりがある。近い内に終わりが必ず訪れるわ。それに貴方の英雄伝には足りない要素がある」
「……それは何でしょうか?」
「私の国にはミンネという言葉があるわ」
「ミンネ?」
「そう、ミンネ」
ミンネとは騎士道精神に基づいた恋愛のことだ。
高貴な婦人を崇拝し、奉仕することを誇りとして捧げる。国家が傭兵に頼るようになる嘗ての騎士達が持っていた矜持でもあった。
要は騎士特有の古式な求愛行動である。
と、ベアトリスは宗次郎にミンネの意味を説明した。
何故にその話を今自分にしたのかを些か疑問に思っていると彼女は腰を下ろしていた岩場から離れて宗次郎の前に立つ。
「私の名前はベアトリス・クリフ。王家と縁が深い公爵家の令嬢です。貴方は共に怪物を退治してくれると誓ってくれています。では貴方が怪物を倒してくれた暁には――」
宗次郎の口をまたも塞がれる。
先程とは違い優しく唇と唇が触れ合う程度の接吻。
しかも今度はその行為を阻害しようともせずに両目を閉じて受け入れていた。
両者は見詰め合いながら押し付けられた唇を離していく。
「代わりに貴方には私を愛する心をあげる。……英雄伝には色恋が付き物なのだから」
そう言い残してベアトリスは頬を朱に染めながら岩場から颯爽と離れていく。
その後ろ背中を眺めながら宗次郎は昂っていた気分すら忘れて、微かに芽生えつつある感情に困惑していた。
確かに彼女の言う通りで英雄伝や英雄譚には色恋沙汰があるのが普通である。
しかし、その英雄伝には一つだけ決定的な間違いが存在する。通常の英雄伝とは前提からして異なる要素。
何故ならこの物語は藤宗次郎となった少女である東堂桜の物語。戦乙女の英雄伝なのだから。
ガールズラブ的な表現が本編に出てしまったので今回からタグにガールズラブのタグを付けました。
なんか何時の間にかベアトリスとフェイトがヒロインを競い合っているのは何故なんだろう。




