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戦乙女は英雄を夢みた  作者: 毎日三拝
迷宮探索前闘の章
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15/24

番外編「剣客孫十郎 上巻」

 東堂桜の実兄。東堂孫十郎の話。本編とは関係ありません。

 この話は作者が日本編がまだ書き足りないと思っていた為に書きました。

 次回の下巻で終了です。

 振り返れば何とも恥多き生き様である。

 東堂孫十郎は己が歩んで来たこれまでを省みて、ふと思った。

 徳川様が納める太平の世に生まれ、英雄と呼ばれる誇れる父親を持ち、何れは水戸藩剣術指南役を受け継ぐ将来が約束される。

 正に誰もが羨む黄金色に光り輝く人生。人よりも余程満たされている。

 しかし、間違いなく彼の心は劣等感に塗れている。

 原因は彼の近くにあった。前に目を向ければ直ぐ視界に入る程の距離に何時も居る。

 道場の端で一人静かに修練棒を振る少女。東堂桜。彼の妹だ。

 今日も少女は孫十郎の視界の中でゆっくりと型を取り、木で出来た棒を上段から振り下ろす。

 ただそれだけの動作に彼女が厳しい修練を積んできた軌跡と剣の天性が見える様だ。

 思えば始めから桜と孫十郎は違う様に育てられていた。

 孫十郎は桜が生まれるまで初めての子と言う事もあり、多少甘やかされて育てられており、両親から叱られた記憶もあまりない。

 桜が生まれたからもそれは変わらずであったが、作次郎の桜への態度は孫十郎へ向けるそれとはあまりにも違った。

 只管に厳しい。ただその一言に尽きる。

 親が娘を見る目では決してなかった。

 あまりにも実の娘にする仕打ちとは思えない所業に周りに居た門下生もそれを感じて作次郎を一時期気が狂ったのかと心配していた。諌めに入った者もいる。

 しかし、それでも作次郎に厳しく接した。それこそ門下生以上に。

 幼い孫十郎はその厳しさの理由を何となく気が付いていた。

 ゆったりと成長を刻む妹を不思議に思い常々観察していた孫十郎は彼女以上に彼女を知る人物であり、桜が如何いう人間かを知っていたからだ。

 孫十郎が思うに恐らく父、作次郎は桜に剣の才能を見出したのだと。

 自分にはない、剣に愛される資格を得て生まれてきた人間なのだと。

 故に孫十郎は桜に対して嫉妬した。

 実の妹に実の兄が惨めたらしく彼女の持つ才能に嫉妬した。

 それに気が付いた時、彼の黄金に彩られた人生は色褪せてしまった。

 惨め。無残。碌な有様ではなかった。正に無様。

 幸い孫十郎は腐りはしなかった。

 彼女の隣で堂々と剣を振るえている。

 彼は知っていたからだ。

 どんな凄い才能を有していても、圧倒的な力も得ていても、この日ノ本の女人は絶対に大成しない事を。

 だから彼は妹を哀れに思っていれた。

 剣の道に進むならば何をしようとも決して認められはしない人生を歩んでいくしかない妹をただただ哀れに思えた。

 それでも目の前で剣を振る彼女の姿は孫十郎よりも光り輝く色を放っている。清廉で華美である様。

 孫十郎の抱える劣等感は何時までも拭えなかった。

 彼が剣士として堕ちていくまで。




   ■




 酒が不味い。女が絡みつく。赤い舌がちろちろと孫十郎の素肌を這い回る。

 孫十郎が元服を迎えて数年後の事。

 彼は剣の道からずるずるとずり堕ちていた。

 儀を終えて前髪を切り、漸くと男前と言われる面構えになったのだが、内面は醜く腐りきっている。

 その証拠に目は淀み生気を失っていた。

 そんな孫十郎の腐った目を見て嬉しそうに女が頬に触れる。

 覗き込んだ女の瞳も同様の色をしていた。

 この女の名はおきんといい、さる御偉い方に金で囲われている愛人らしいのだが相手側が年老い過ぎているのでこうして暇を持て余し、孫十郎の様な男を誘ってはこうして慰みにしている。

 現に襖の向こうにある奥の部屋にも浪人崩れの様な男が居る。

 孫十郎に飽きたらあちらの方へ絡むに違いないだろう。

 それに孫十郎の方も只酒を飲ませてくれると言うから付き合っているに過ぎない。

 赤漆の椀に並々酒を注ぎ足すと一息で飲み込む。

 あまりいいとは言えない飲酒の仕方だが、孫十郎は酔ってしまいたかった。酩酊すれば最悪の気分からは逃げられるから。

 如何せん、親父譲りのざるさで幾ら飲んでも酔えやしないのだが。

 そんなどうしようもない所ばかり似てどうする、と心の中で愚痴りながらも手酌で酌んでいた酒がきれる。

 孫十郎は先程まで好き勝手にさせていた女を手で払いのけた。

 それだけの理由ではないが酒の切れ目が縁の切れ目とばかりに。


「あっ……」


 女の悲しげな声が聞こえた。

 立ち上がり、大小の物を腰元に差すと襖を開け放ってその場を後にする。

 背後では態とらしくすすり泣く声がした。

 如何してこうなってしまったのか。

 孫十郎にはもう何も分からない。

 最初に始めた原因がもう彼の中から霧散している。

 家を飛び出してから帰らず、都合の良い女の所で過す日々を送っている内にすっかり忘れてしまった。

 例え思い出して改心したとしても今更戻ろうなど虫のいい考えは捨ててしまっている。

 恥を忍んで戻ったとしても直ぐに逆戻りするのが目に見えてしまっているからだ。

 それ程に東堂孫十郎は剣士として腐りきっていた。

 おきんの家を出て、町の外へと出て行き、歩いてゆくと田園の外れの方に藁屋根の一軒家がある。

 躊躇無く其処の敷地内に入る。

 其処は母方の祖父が昔住んでいた場所で、今はもう誰も住んでいない家。

 彼にとって昔の心地良い思い出が残る唯一の場所だった。

 それ以外にはあれが付き纏う。孫十郎が生家を飛び出して来た原因となった人物が。

 安心を得たい時に孫十郎は真っ先にこの場所へと来ていた。

 適度に物が無く、煩わしい物も一切無い。

 孤独を営むのに最適な場所だった。

 早速と中へ入ろうと玄関口の扉を開こうとする。

 奇妙な事に人が居る気配を感じた。

 不信に思い、右手を鍔頭に添え、警戒しながら扉を開け放つ。

 会う筈の無い人物が其処に居た。


「何故、お前が此処に居るっ!」


 江戸小紋の小袖を着込み、真正面に座す人物に孫十郎は思わずかっとなって怒鳴りつける。

 目の前の人物は静かに孫十郎を見遣る。


「父上から連れ戻して来いと申し付かったのです。兄上」


 涼やかな声が響く。

 久方振りに聞くその声も孫十郎には気に食わなず、益々激昂した。


「己は帰らないっ! 帰ってやるものか!!」

「それでは困るのです。東堂の道場を受け継ぐ人が何時までも遊んでいる訳にはいきません」


 駄々を捏ねる幼子の様に聞き分けのない孫十郎対して容赦なく述べた。

 それを聞くと顔色を赤くして


「遊んでっ……いるだとぉ! 貴様!!」


 抑え付けていた憎しみの心が我慢の限界を越えて、孫十郎を突き動かす。

 刀を抜刀するとそのまま桜に斬りつける。

 剣の修行を止めて久しく鈍った腕でも十分に人を斬り殺せるであろう斬撃は桜を捉えて確実に切り裂く筈であったのだが


「――そんな鈍らでは到底桜は斬れませぬ」


 偶々、手元にあったであろう鉄製の火箸で剣の軌道を逸らしていた。

 孫十郎はぎょっとする。

 その神業に妹の腕がまた上がったのかと驚愕した。

 驚いている間に桜は素早く火箸を孫十郎の喉下に突きつける。


「聞き分けがないようなら無理矢理にでも、と申しつかっております」


 先程まで赤くなっていた顔色がさっと青褪めて、頭に上っていた血が一気に下がっていくのを感じる。

 あらゆる感情が霧散して消えていくのが分かった。

 憎しみや嫉妬などの負の感情も目の前の存在には意味を成さない。そんな人間は物と一緒だ。

 孫十郎と言う人間は桜の前で無機質になるしかなかった。


「……相分かった。煮るなり何なりと好きにしてくれ」


 そんな情け無い姿を晒す兄に対して桜は何もいうべき言葉は無かった。

 黙って先に家から出て先導して行く。

 その背を見詰めて


(掛けるべき言葉も無し、か)


 当然の考えを頭に浮かべた。




  ■




 祖父の家を出て、一刻(30分位)。

 孫十郎の前方には懐かしき道場兼住居が在った。

 実家である東堂家である。 


「此処まで連れて来いとしか申されなかったので、後は兄上が決めるが宜しいでしょう」


 気兼ね無く、桜は先に敷地の中へと門を潜り入って行く。

 孫十郎は躊躇うばかりで足が如何しても進まなかった。

 そのまま躊躇していると孫十郎の体が影に隠れてしまった。


「お前さん。道場破りかえ?」


 振り返ると思わず呆気に取られてしまった。

 大男が見下ろしている。

 背は大体、六尺(180cm位)。厳つい顔に無精髭を拵え、着慣れているであろう着物が縒れてしまっていて浪人崩れだと言う印象も受けるが


(まるで大熊の様な男だ……)


 と、失礼な考えを抱いたのは間違いないのであるが、孫十郎が驚いたのは男に対してではなく、男が背負っている物だ。

 刀である。

 ただの刀ではない刀の刃渡りが途轍もなく長い刀。

 通常刀身の長さは二尺三寸一分(70.0cm)位の物だが男のそれは目測でその二倍近く。

 四尺六寸六分(約14.0cm)の長さ。大太刀どころの長さではなく、到底常人が引き抜ける代物ではないが、この男なら抜けるのも頷ける。


「おい! 大丈夫か、お前さん」


 野太い声が耳に響く。

 見た目通りの豪快な声だ。


「おう、心配無い。平常そのものだ」

「そんな心此処に在らずの状態じゃあ、勝てるものも勝てねぇぞ! 気ぃ付けなぁ!」


 大男は道場破りだと勘違いしたままだ。

 孫十郎は頭を掻く。


「俺は道場破りではないよ」

「あんだぁ、そうだったのかい。俺はてっきり挑みに来たはいいものの噂の剣鬼にびびちまって一歩踏み出せねぇのかと思った」


 否定は出来ない。

 それは強ち間違いではなかった。


「兎に角、道場破りとは関係無い」


 大男は下顎を軽く撫でる。


「なら俺とこれから呑みに行かねぇか?」

「は?」





   ■





 時刻は既に夕暮れ時。

 西空に落ちかかる日が赤く大地を染め上げて、一日の終わりを告げている。

 子供は家に帰り、女は夕餉の仕度に掛かる。

 その中で男達は酒に酔わせて貰おうと場所を彷徨う頃合だ。

 大男と孫十郎も屋台が出るには一寸ばかり早いので、夕暮れを前にしてふらふらと歩き回っていた。

 快活に且つ豪快な喋りを一方的に投げ掛ける大男と頷きながら歩を共にする孫十郎。

 何度も同じ事柄を飽きもせずに話されてもちっとも嫌な顔一つしない孫十郎を大男はすっかり気に入ってしまっているようだ。


「そういやぁ、お前さんの名前をまだ聞いていなかったなぁ。こりゃ失敗、失敗」


 男の名は正善といった。

 孫十郎は少しその名に聞き覚えがあった。

 酒場で知り合った浪人が噂していた男の名が正善。月に届き足る刀を持つ男、と。


「赤羽重三郎」


 少し考えた末に孫十郎は正善に偽名を名乗った。

 東堂の名を出すには江戸では分り易過ぎるから、家出をしてから何時も使っている偽名を名乗らざるを得なかったのだ。

 幸いの所、正善は東堂孫十郎の存在を作次郎には息子が居るとだけしか知らなかったので偽名だと相手に知れる心配はない。

 その思惑通りに正善は孫十郎の言葉を信じ、彼は赤羽殿と呼ぶようになった。




  ■




 いよいよ辺りが暗くなり、夜の帳が忍び寄る中で赤い提灯が下がる飲み屋に居ついた彼等は酒を酌み交わしてからニ刻過ぎていた。

 正善は見掛けに寄らず酒に弱く、徳利一つで泥酔状態になっている。

 気持ち良さ気に呂律の回らない舌で語る話を孫十郎は時折に御猪口を口元へ傾けながら隣の席で静かに聞いていた。

 孫十郎は心の中で正膳の事を


(よく少量の酒で酔えるものだ…)


 と、羨ましがっていた。

 やがて、二つ目の徳利が空になると正善は急に真面目な顔付きになり、孫十郎と顔を向き合わせる。


「赤羽殿」


 酔いで呂律が回っていなかった舌が真剣さが窺える声を吐き出す。

 その突然の変貌に孫十郎は驚いたが、椅子に座ったまま姿勢を正した。


「何か?」


 少しの間を空けて、孫十郎の態度に満足したのか彼は語りだす。


「御聞きして頂きたい事がある」


 目には覚悟の光が浮かんでいた。

 これは面倒事の臭いがする、と考えたが孫十郎は黙って頷いた。

 孫十郎は既に正善の頼みを聞き入れる程に彼を好ましいと思っていた。


「大事な話なら場所を移そう」

「いや、此処でいいんだ。此処がいい。場所を変えるよりも飲み屋で話す方が自然でいい」

「ふむ。そうか。それでは聞かせてもらおう」

「おう」

 

 正善の語った出来事は中途半端の道を行く孫十郎が聞ける話の範疇ではなかった。

 飲み屋で気軽に話す内容ではないし、然るべき場所で御沙汰を待たなければいけないものだ。

 此の話は彼の人生を賭けて行われている一世一代の晴れ舞台の話である。


――仇討ち


 正善は元々、武家の子ではなく刀鍛冶の息子であった。

 彼には武家の幼馴染がおり、妹は彼の元服と時に嫁いだらしい。

 正善も同時に元服を迎えて実家の家業を受け継ぎ一人前の鍛冶師として刀を打っていた。

 正善には昔からの親友との約束事があり、親友の彼に自らが打った渾身の本差を贈ると言っていた。

 漸くに約束が果たせると息巻いて打った刀が出来上がると店に一人の客が来た。

 そいつはどうも妙な男だった。

 鋭い野獣の様な目付きをして無雑作に髷を結い汚らしい形をしている。

 見た瞬間に浮浪者と決め付けてしまった。

 浮浪者の様な男はじろりと睨むと


「直ぐに一本刀を売ってくれ」


 とだけ言い、正善は打ち終えた刀をなるべく早くに仕上げるべく焦っており


「少し用事が有るから申し分けないが帰ってくれ」


 と言った。

 白銀師にはばき、鞘師に鞘、研師に研いでもらいに行く為、抜き身の刀を白い布で包み店を出ようとすると男がその一連の作業を見ていたらしく


「その刀を是非とも売って欲しい」


 食い下がって来た。

 正善は親友の為に折角打った刀を売る訳にいかずに断って店を閉めてから出た。

 その後姿を男は鋭い目付きで睨み付けていた佇んでいた。

 数日後の事。

 刀を渡し大いに喜ばれた正善は上機嫌のまま仕事に励んでいると駆け込む様に店にやって来た知り合いの同心から信じられない言葉を聞く事となる。


「羽賀様とアンタの妹が浮浪者の様な男に切り殺された……」


 それは白昼の出来事だったらしい。

 往来の真ん中で夫婦睦まじく散歩に出掛けているとその男が現れ


「その腰元に差している刀を寄越せ」


 と言ってきたらしい。

 当然、正善の親友である羽賀周蔵は妻のおいちを背に庇いながら要求を一刀両断した。

 周囲の人も羽賀の言葉が正しいと男に非難の目を向けていた。

 そこからは一瞬の出来事だったらしい。

 一刀流の師範代を務めるに至った羽賀周蔵が刀を抜けずのまま急所を右手に握った本差で突かれ即死し、その背に隠れていたおいちの首を左手にある脇差で斬り付けた。

 おいちはそのまま首を押さえ地獄の苦しみを味わいながら事切れる事となってしまった。

 悲鳴が上がる中で男は狂気を灯した目で羽賀周蔵が差していた刀を睨むと直ぐに目の形が弓形に変わり、腰元から抜き取る。

 腕の立つ剣術家として有名であった羽賀周蔵が殺られたとあって誰も男を止める事も出来ずに男はその場を去って行ったらしい。

 その話を聞いた正善は憎き敵に殺された親友と妹の敵を討つ、という誓いを国に残し、江戸まで敵を追って来た。

 彼の話を聞けば聞くほど哀れに思える悲劇だが、孫十郎は何所か冷めた目で話を聞いた。

 まず敵方の特徴は世にも珍しき二刀流の刀使いにして、正善の親友であった高名な一刀流の師範代を切り殺した程の腕前を有しているらしい。

 二刀流。

 戦国時代末期から江戸初期に活躍した剣術家である宮本武蔵、その養子である宮本伊織の名で有名だが恐ろしく扱いが容易でなく、使い手を選ぶ高等剣術だ。

 利き手に本差、反対側の手に脇差を持って攻守操り戦う。

 生半な剣術家が操れば直ぐに一刀の下に切り伏せられるが、達人が二刀を操れば国の天下を取れると今でも恐れられている。

 最初に二刀流の名を聞き、孫十郎は大した者ではない、と思っていたが徳川将軍家御流儀の一つである一刀流の師範代を務める剣術家が敗れたと聞き考えを改めた。


(正善殿の及ぶ所ではない…)


 話を聞きながら正善の手で敵討ちが不可能であると確信してしまった。

 孫十郎は"月斬り正善"とまで呼ばれている彼の腕前を知る由もないが、佇まいで大体彼の腕前を把握している。

 その腕前は精々が素人よりも技がある、というだけ。

 中途半端な孫十郎からしても鈍に変わりない。

 このままでは敵を見つけても犬死のまま終わる。恐らく十中八九そうなるであろう。

 孫十郎が彼の敵討ちの同行人を務める義理もないし、その男に適うとも限らない。返り討ちに合う確立の方が高い。

 今の孫十郎では押し黙って話を聞くしかなかった。



  

  ■

 



 話が終わり、すっかり酔いが醒めてしまった頃。

 二人は店を出て、飲み屋に来た時と同じ様に当てもなく道を彷徨う。

 今度は孫十郎だけではなく正善も静かにして歩いていた。

 やがて歩き疲れた辺りで二人は別れる。

 別れ際に正善が


「赤羽殿。拙者の話を聞いて貰い感謝する」


 と薄笑いを浮かべて去って行った。

 その背を孫十郎は眺め、何者にも成れない自分に葛藤し苦い表情をしていた。

 敵とは早々に会えるものではなく、一生を潰えても敵討ちを終えられない人もいる。

 そう考えると孫十郎は次に正善と会う時には違う自分であろうと心の底から思った。

 そんな機会は訪れないとも知れずに。

 孫十郎の耳に"月斬り正善が果し合いで敗れ死んだ"と入ったのはそれから四日後の話であった。

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