「契約と魔術」
深紅の修道服を被りながら着衣するフェイトと名乗る銀髪赤眼の少女。
その傍らで彼女に背を向け着るのを待つ宗次郎。
絹の擦れる音だけが支配し、両者の間に静かな空気が流れる。
フェイトが手で身形を整え終えた。
「要求通り着直しました。此方を向いて下さい」
宗次郎が後ろを振り向くと服を脱ぐ前の姿がある。内心でほっと安堵した。
直ぐに確かめなければならない事柄を思い出して口にする。
「貴女がこの城に忍び込んだ目的を聞かせ願いたい」
「それは運命であり、必然でありました」
相変わらずの呑み込めない言葉を述べると両手を顎の辺りで組み、両膝を跪かせて頭を垂れる格好をとった。
自らが信仰する神に祈りを捧げるフェイトと宗次郎がそれを見下ろす形となる。
「僭越ながらわたくしめは貴方様に御願いがあるのです」
「御願い、ですと?」
片眉がぴくりと動く。
無表情が幸いして相手に悟られる事はなかったが、あまりにも不審で面妖な言葉に流石の宗次郎も胡散臭くなってしまった。
その反応を続く真摯な言葉が一変させる。
「母を救済して欲しいのです」
「それは助けを求めている状況にある、との事ですか? 貴女の母上殿が?」
頭を縦に振るフェイト。
「母を救済に導けるのは此の世でただ御一人。貴方様にしか成され得ない事柄であり、母を救うにはわたくしが貴方様に縋るしか手がないのです。それにソウジロウ様にも実になるお話なるかと」
上目遣いに宗次郎を見上げる。
その色濃い赤の瞳は薄く霞み、目尻には雫が溜まり始めていた。
それと同時に強烈な女の匂いが場に広がる。妖しく艶やかな男を誘惑する香りだ。
絶世の美女と呼んで相応しい片鱗を垣間見せ、時折少女の様なあどけない幼さを擁するフェイトの懇願にも似た表情に世に蔓延る男なら劣情を抱いてしまうだろう。
少女に同情の念を感じずにはいられなくなる。警戒していても心が揺れ動き易くなる。
それを印象付けた後に此方が欲する利点を挙げて本格的な懐柔に踏み出す。
他人を意のままに操るには上手い手だと宗次郎は評価した。
普通の男なら一瞬の内に彼女の虜となる魅惑さがある。
しかし、それは"普通の男"ならの話だ。
「利点について聞きましょう」
フェイトは薄く微笑みを浮かべて礼を述べる。
獲物が罠に掛かったと思惟したのだろう。
宗次郎の心内が先程よりも冷静に冷淡になったとは知らず。
「ギルベルト・クリフ。現ハルトバルズ公爵。騎士英雄。様々な呼び名がお在りの方ですが、彼と出会い。貴方様は不審に、不満に思われた、のではないでしょうか?」
心の底を見透かした言葉に冷え切った心に熱が生じる。
宗次郎は軽く動揺した。
「おや、何故にわたくしが知り得ているのか? そういう御顔をなされておりますね」
図星を指された宗次郎は睨み付けかけたが、武芸者としての性格の御蔭で衝動を静かに鎮め、続く搦め手の言葉を無表情のまま言葉を受け流す。
その態度を窺いながらフェイトは笑みを深めた。
「ふふっ。本当に強情な御方。嫌がる事を追求しては嫌われてしまうので切り上げますわ。種明かしをするのは貴方様が了承の言葉を口になされたら喜んで答えましょう。それよりも重要なのは次からです。冥界迷宮を攻略なされても貴方様は英雄には絶対に成り得ません。そしてわたくしに慈悲を与えて下さらなければ英雄には成れないでしょう。貴方様が英雄と成る唯一の道が此方にあります」
脅迫めいた言葉ではあったが決して信じるには値しない言葉。
であるのだが、宗次郎はその言葉を違うと拒み切れない。
宗次郎にとってそれ程に重要であり、此の世界での唯一の生きる意味なのだから。
「……何故にそう思われるのか?」
気が付けば口に出して宗次郎はフェイトに聞いていた。
罠に掛かっていたとしても看過出来ない物があったのだ。
フェイトは益々喜びを表情に表し、喜悦の声をあげる。女の微笑みは人を狂わし、声は人を惑わす。
態度と綺麗な容姿が余計に人の心を惹き付ける。
「まずは受けて下さい。わたくしを受け入れてください。話はそれからです」
宗次郎には拒む理由が見当たらなかった。
受ける理由は多く見受けられた。
ならば彼女に応える言葉はたった一つだけだ。
「……協力しましょう」
「あぁ有難う御座います。感謝の祈りを」
宗次郎の目の前に居る少女は修道女としての顔を見せ、目を瞑り大仰に祈りを捧げた。
宗次郎は行動に着いて行けずにただ黙して反応を待つ。
やがてフェイトが顔を上げると
「契約は為されました。今宵から貴方様はわたくしの御主人様です」
その言葉に宗次郎は一瞬固まが、直ぐに諦め受け流す。
突発的且つ突飛なフェイトの行動と発言に順応しつつあったのだ。
「それでは幾つか種明かしの方を話させて頂きます。御主人様は"魔術"について御存知であらせられましょうか?」
"魔術"
その単語に宗次郎は聞き覚えがあった。
日ノ本に居た頃の話だ。
宗次郎は海を渡る決心をしていたので海外の国言葉を人から教えてもらっていた。
相手は水戸藩に仕えている一介の藩士であった佐々木万六。
かの男は過去に日ノ本へ寄っていた黒船に乗って国を出て、海を渡り、数年の間勉強していた当時にしてみれば新しく凄まじい男だった。
彼は兎に角勤勉で留まっていた国の公用語を学ぶだけに留まらず、あらゆる文化、歴史、伝承を何れ戻るだろう故郷の為になればと蒐集していた。
時折、宗次郎に言葉ならず、そうした事を話していたのだ。
「言葉の意味は良く分かりませんが、確か…精霊による魔法が廃れた原因であり、流れる精霊の血が混じった一族の血脈でしか伝承出来ない特殊な術の為に現在は少数しか実在しない伝説級の力でしたか……」
「良く御存知で。改めて軽く御説明しますと、大昔の此の国では精霊が人間と暮らし、人間は"魔法"と呼ばれている通常では起き得ない奇跡を為す精霊の力を借りていたのです。互いの種族は融和的でした。ですがそんな日々が長く続かずに精霊は人間に"魔法"共々滅ぼされ、疎まれていた混血の子供達が大人になり人間を支配し王族となりました。その王達だけが使える中途半端な力が"魔術"なのです」
「現在でも王族なら使えると?」
フェイトは頭を振る。
「長い間に血が薄れ続けてしまい、王族の血に力は既に在りません。その為に現在のソマリア王は吸収された元隣国の平民筋であった剣士が当時の王女であった現在の王妃と恋愛結婚が出来ました」
以前に国の美談としてベアトリスとセロから頻りに聞かされていたので、血脈に意味が無くなったから実現出来たのだと知ると宗次郎は少し残念な気分となった。
「ですが此の国に術者は存在します。その一人がわたくしなのです。この銀の髪色はその証」
「そうですか」
思わず淡白な応え方になってしまった。
一口に奇跡を為す伝説的且つ超常的な力と言われても今一つ心に訴えかける物がなく、ソマリア国民でもない宗次郎には彼女が"魔術"の使い手だからと言っても凄さを理解出来ず、軽い驚きしか感じなかった。
その態度にフェイトは不満を感じむっとする。
「事情が有りまして此の場で大したものは御見せ出来ませんが"魔術"の使い手は"魔術師"と呼ばれ尊敬されているのです。御主人様に気付かれずに近づけたのも"魔術"の恩恵に由るもの」
"隠密の法"と名付けられた魔術技法で他者に自分の存在を隠し切る奇跡を起こす術。
気配を察知する事に長ける宗次郎がフェイトの気配をいくら酔い潰れていたからといっても気が付かなかったのはそういう背景があったのだ。
フェイトにとって"魔術"の凄さを理解して貰う為に術の一端を紹介したのだが、十分過ぎる効果を齎した。
暗殺に適したその術は武芸者として研き鍛えた勘が通用しないのだ。 宗次郎等の非"魔術師"にして見れば恐ろしい事この上ない。
宗次郎は来るかもしれない対"魔術師"戦の為に深く念頭に刻み込んだ。
「大分話がずれ込んでしまいましたが、話を戻しますと"魔術"によりわたくしは母を救済出来る人物である御主人様を探し出しました。御主人様は此の世でただ御一人の選ばれし者なのです」
(何を馬鹿な事を…)
選ばれし者。
言われてみれば気恥ずかしく嬉しい言葉なのだが宗次郎は自分を良く知り、自分が大した人間でない事をきっちりと自覚している。
「その証拠に御主人様には亡霊が憑いております」
「亡霊?」
鸚鵡返しで聞き返した言葉にフェイトは頷く。
「わたくしが誕生した前後の過去の出来事なので詳しくは知りませんが、その亡霊は此の世界を救済する為に別の世界から願いを餌に呼び出されたらしいのです。餌となった願いとは"英雄に成る事"と聞き及んでおります」
亡霊。願い。数々の言葉に反応して宗次郎は忘れていた夢の出来事を急に思い出す。
浅葱色の着物を召した皺くちゃの老人の姿。その老人が発した言葉。
「長年の間、わたくしはその亡霊を探しておりました。様々な"魔術"を行使し捜索の日々を重ね、そして少し前に神託が下ったのです。亡霊は"フジ・ソウジロウ"に憑いている、と。それで――」
一つの歯車が強制的に噛み合った音が聞こえた気がした。
フェイトの語った事実。
夢で見た亡霊らしき人物。
自分が求めて止まない願望の正体。
あと少しで全部の歯車が噛み合い、動き出し、何かが分り始めるとなる筈だったその瞬間に扉を三回叩く音が響いた。
誰かが確認を待たずに部屋へと入って来る。
宗次郎はフェイトが既に部屋から消えているのを確認し、扉の方を見遣り、進入して来るその人物を注視した。
「おや、起きていて大丈夫なのですかな?」
燭台の上で煌々と燃え上がる蝋燭の火が銀色の髪を反射する。
銀の騎士フレディ・マーティンだった。
「えぇ、御蔭様で大分楽になりました。感謝します。マーティン卿」
「それは良かった。ところで見回りの途中なのですが此の部屋から妖しい気配がしたので何かありましたか?」
部屋をじろりと見回し、警戒するフレディ。
その反応は明らかに"魔術"に反応していた。
宗次郎はそう言えば先程にフェイトが銀髪である事が"魔術師"である証拠だと言っていたのを思い出す。
これ以上に無い分り易い特徴だ。
「何もありませぬ」
家主の許可なく勝手に侵入して来たフェイトの話をするのは現状的に拙いと考え、契約の話もあり律儀に彼女の存在を誤魔化す事にした。
暫くするとフレディは一瞬納得のいってない表情を浮かべるも直ぐに消し、愛想笑いを浮かべて部屋から立ち去り巡回に戻って行く。
それを確認すると宗次郎はまだ肝心な話を聞いていないので小声でフェイトを呼ぶも現れず、姿を見せない彼女を諦め、床に就いた。
■
空が白み東方から日が昇り始めた頃。
疾うに起床していた宗次郎の体調は酔いを吹き飛ばし全快していた。
勝手に部屋から出る訳にもいかないので御呼びが掛かるまで瞑想し、想像で鍛錬を繰り返している。
東堂桜であった頃に見たとある二刀流の武芸者に対して向かい合った体制で闘い始め、擦れ違いざまに首を斬り裂く。
八度に及ぶ真剣による果し合いは危なげもなく全て宗次郎に軍配は上がった。
扉を叩く音が四回程響く。
丁度切りがいい所で御呼びが掛かったので身形をざっと整えて部屋から廊下へと出る。
昨夜は見なかった老年の使用人に導かれ、ギルベルトに出会った部屋へと向かった。
部屋の前に着くと使用人に作法を教わり、扉を四回叩いてから中の人物に入室の許可をとる。
直ぐに返事がきて宗次郎は部屋の扉を開き、中へと進む。
「やぁ、昨夜は私からは特に持て成しも出来ず申し訳なかった」
「いえ。此方こそ酒に潰れる醜態を晒してしまって……」
部屋の中にはギルベルトしか居なかった。
如何やら彼は朝の内に戻って来ていたらしい。
「時間が無いので用件に入ろう。君に来て貰ったのは王都の事を注意して置こうと思ってね」
「注意ですか?」
「あぁ。これは昨夜に私が出向いた件に関っていてね。昨日の午前中辺りに港町で殺人が起きている。死者は二名で、どちらも此の国の有力貴族。ここからが肝要なのだが此の二名は革命派と呼ばれている貴族でね。他国から迷宮攻略の人員を持って来るのを断固として拒んだ奴等なんだ」
宗次郎は察する。
「派閥の争いにこのままでは巻き込まれるという訳ですか」
「理解が早くて助かるよ。確定事項だから暗殺などに気をつけて欲しいんだ。実力的に心配はしていないが序に私の娘に気を掛けてくれると嬉しい」
「微力ながら力を尽くします」
宗次郎の言葉に満足気に頷く。
「既に王都行きの準備は整っているよ。玄関口に行けばそのまま行く事になる。君はクリフ家の御客人なのに何も出来ず本当に申し訳なかったが健闘を祈っているよ」
「はい。有難う御座います」
ギルベルトに御辞儀をすると宗次郎は部屋の外で待機していた使用人に案内され、ベアトリス達の下へと向かい、玄関から出て行った。
月曜日になる三分前位に書き上がる。
執筆速度が遅過ぎるっ!!




