「微かに繋がる記憶と訪れる運命」
一通り実の娘と久し振りの触れ合うとギルベルトは宗次郎の方へ振り向き、歩み寄って来る。
若干であるが、心ここに在らずの状態である宗次郎は無理矢理に奮起し自分を誤魔化す。
こういう時に普段からの無表情が大いに役に立つ。
無闇に武芸者が他人へ感情を悟らせてはいけない。これからお世話になるのだから余計に、だ。
「さて、お客人。お持たせして申し訳無い。遠い所からお越し感謝します。私はギルベルト。ギルベルト・クリフ。公爵の栄誉を得ている者で御座います。今後とも当家と祖国の為に御協力願います」
一息で言い終えるとギルベルトは微笑む。
「此方こそ宜しくお願い致しまする」
手持ち無沙汰になってしまった右手を引っ込める。
宗次郎は予め習っていた挨拶の所作である握手に移るのかと思っていたがギルベルトは宗次郎を見て微笑むばかり。
何所か不自然な二人の姿に怪訝そうな顔をセロが浮かべた。
「それではディナーで親睦を深める為の持て成し、としたいのですが、生憎、私は仕事がありましてね。家長不在は本来なら礼儀に反するのですが。其方の方はべスに任せますので少しばかりの歓迎ですが船旅の疲れを癒していって下さい。では」
言い残すと自室から去って行く。
その後姿を宗次郎は真剣な眼差しで眺めていた。
■
ソマリア王国貴族の客人への歓迎は特別な意味を持つ。
玄関に招き入れられた瞬間に客人は招待した貴族の庇護を与えられる。その貴族が持ち得る全ての権力、財産、武力を使ってまでも客人を守らないといけない。
玄関を越えれば客人は未来の友人へと変わり、家主は自分に出来る最高の持て成しを以って歓迎する。
酒を飲みつつ言葉を交わせば誰だって文句無しに心を開き通わせるようになるのだ。
翌日には客人の家主への信用は信頼に変わり、固き結束が生まれている、といった寸法となる。
今宵の宴もそう在るべきものだったのだが、ギルベルトが仕事により家を空けてしまったので家主としての役割が果たせず、本来なら代理となる妻女も此の世にはいない。
なのでギルベルトの言葉通り息女のベアトリスが代わりに役目を果たそうと遣る気になっていた。
何度か客人を持て成される側にも持て成す側にも立った事のある彼女は、その意味を深く理解している。
それに相手は恋い慕う青年なので尚更に自分達の仲をもっと近くて深いものにしようと画策していた。
最終的には懇意となるべく家主が妻女や息女を遣っての色仕掛けや酒で酔わせて前後不覚にしてから夜這いを掛けさせるのも珍しい話ではなし、ギルベルトは承諾していないが宗次郎にはそれだけの価値有る青年に間違いなかった。
いざとなれば操を捧げる覚悟も決めなければならないのかもしれない。
晩餐の為の正装に着替え直しながら、白磁の様に真っ白い頬を朱に染めながらも逞しくベアトリスは経験が無いなりの拙い情事を想像して余計に顔を赤くする。
その様子を着替えを手伝っていた家政婦が怪訝な顔をして窺っていた。
■
目の前に一人の老人が座して佇んでいた。
浅葱色の着物を召して、黒帯を腰周りに締めている。
清廉で身奇麗な雰囲気漂わせていた。
肌には疾うに張り艶など無く、何十にも刻まれた弛んだ皺が年功を感じさせている。
年の功は大体七十後半位だろう。何時死んでも可笑しくない頃だ。
暫しの間、ひっそりとした時間が流れる。
そうなったのは互いに持ち合わせる言葉など最初から無かったからかもしれない。それでも言葉は相手に伝える為にある。
「斬れない物こそ断ち切る」
唐突に真白い伸ばし放題になっている口髭が動き静寂を打ち破った。
老人が発した言葉の意味は相手に到底理解出来る物ではない。
何の意図があって伝えたのかも分かりはしない。少しばかり難解過ぎる言葉だった。
「今はそれで良し。何れ分かる事よ」
まるで意味を解せない言葉が一方的に投げ掛けられると薄紙が厚く重なる様に視界がぼやけて淡くなっていく。
次第に色が白く支配されてしまうと藤宗次郎は見知らぬ天井を仰いでいた。
首を少しだけ動かし、辺りの様子を窺っても薄暗くて闇に支配され窓際に射す柔らかな月の光だけが頼りとなっている。
柔らかい感触が体を包み込んでいるのだけは感じられた。
記憶を呼び覚ましながら気怠い体を起こすと頭の鈍い痛みと吐き気が襲ってくる。
覚えがある症状だ。
右手を額に当て、頭痛を無視して思考を巡らせると段々と記憶が蘇る。
正確な時刻は曖昧で何時まで気を失っていたのかは知る術を持たないけれど、大体数時間前の事だろう。
宗次郎は家主であるギルベルトが不在になってしまった為に代理を務める事となったベアトリスから晩餐に招かれて広場に着いていた。
他人には話せない諸事情ある宗次郎は日本刀だけを腰元から抜いて、一人だけ着替えの事を遠慮し、先に会場へと足を運んでいる。
会場は城の中で一番敷地面積を占めている部屋で、清潔な白い布に覆われた丸形の机が幾つも並び、その上に過度に装飾された料理が並ぶ。
大人数でも居なければとても食べ切れないであろう料理の山に宗次郎は此の城にそんなにも大勢の人が居るのかと不思議そうに見ていた。
宗次郎は知らぬ事だが客人は宗次郎一人だけであり、当然その料理は食べ切れないので、捨てる事を前提として持て成しを彩る飾りの一部として機能している。
一時、手持ち無沙汰に待っているとセロが普段の姿とは掛け離れた小奇麗な格好で会場に入って来る。
まるで本物の騎士の様だ。
その事を正直に伝えるとセロは笑いながら
「ワシも満更捨てたものではないだろう?」
宗次郎も軽く頷きながら肯定の意思を表した。
その後、
直ぐに三騎士達がぞろぞろとセロと似た様な格好で姿を現す。
元々、騎士として相応しい格好を普段から心掛けている三人は正装姿で男振りを上げていた。
女性は何処の国でも同じく時間が掛かるものであるからベアトリスが着替えに手間取っているのを宗次郎は元女性として知っており、男達が集まって会話をして待ち時間を潰す。
それから暫くして扉の向こうから誰かが歩いて来る音が鳴り響く。
男達の注目が扉の向こう側に集まる。宗次郎も同じく扉の先を注視した。
其処から現れた人は鮮烈な赤を纏っていた。
首筋から胸元まで開かれ、肩の部分が膨れている形状を保ち、胸の下から腰元までを帯の様な物で巻き止め、腰より下は筒状に覆われ裾が朝顔形に広がっている。
紅色の見事な染色を成された生地を贅沢に使われた衣装を着こなし、金糸の如き髪は後頭部で渦巻状に編み込んで束ねており、露わになった項が大人の色香を放つ。
少女の面影を残しながらも大人の女を感じさせるその姿には女の宗次郎すらも思わず見蕩れてしまった。
ベアトリスは此方の様子を確認すると満足そうな笑みを浮かべ、広場中央に優雅に歩み寄り、一呼吸を入れてから声を遠くまで通らせる。
「今宵の晩餐に来て頂き真に嬉しく思います。本来ならクリフ家当主であり家長であるギルベルト・クリフが持て成しを果たすべきなのですが、訳有ってクリフ家長女の私、ベアトリス・クリフが代わりを務めさせていただきます!」
今更ながらの言葉を儀式的に垂れ流すベアトリス。
如何やら持て成しの経験が有るらしいけれど、流れに沿って動き、簡略が出来ないらしい。
一通りの口上を述べると隅の方で控えていた妙齢の家政婦に赤い色の液体が注がれた杯を渡される。
会場に居る数人に杯が行き渡るのを確認するとベアトリスは頷く。
「――東方の地から我が故郷へ共に渡り着いた客人。フジ・ソウジロウ殿に私は敬意を表し、祝福の乾杯を捧げる。では準備を」
宗次郎以外の全員が杯を右手に持ち、自身の額の高さまで杯を持ち上げる。
宗次郎も見様見真似でそれに習い、杯を掲げた。
「絆を深める為に、神と王に感謝の意を捧げ、乾杯っ!」
ベアトリスの言葉に合わせて「乾杯」と口に出すと杯を高々に掲げてから、並々と注がれた赤い液体を口に含む。
遅れて宗次郎も口にしたのだが、記憶が其処から途切れていた。
記憶と現在の状態を踏まえて宗次郎は原因に何となく気付いた。
人間誰しも必ず苦手な物が存在する。
宗次郎にとってのそれは酒であった。
幾ら呑んでも平気な笊であった父親とそれを受け継いだ兄に似ず、宗次郎は昔から酒だけがどうしても克服出来ない程に弱い。
口に含むだけで気を失ってしまう過剰な程の弱さだ。
あの赤い液体の正体はワインと呼ばれている葡萄酒で、仄かに果実の様な甘い香りが漂っており宗次郎が酒だと気が付かなかった。
故郷の日ノ本に存在しない物であったのも一因かもしれない。
周りの真似をして一気に呷ったのも拙かった。
少量なら恐らく気絶するだけで済んだ。
もう既に起きた事を悔やんでも使用が無いと頭を振り、今如何するべきか現状把握に努める。
宗次郎はあの場には簡易的な医術を使うらしいフレディが居たので、自分の状態を向こうは把握している筈だ。
証拠に室内には人の気配がなく、自分一人だけである。重く見たなら看病役を置いて行くだろう。
自分の性別が相手に気付かなかった事も直ぐに分かった。
宗次郎は着物にちょっとした仕掛けを施しているからだ。介抱の為に脱がされていないので安堵する。
考えが纏まると、ふと風に当たりたくなり、宗次郎は寝具から立ち上がって窓際まで移動し、窓に備わっている鍵の仕組みに悪戦苦闘しながら解除に成功する。
両手を突き出し、窓を左右に開放させた。冷たい夜風が体に当たる。
酔いが抜けない体には丁度良い位の心地良い風だった。
目を瞑り、大人しくしていると頭が冷えて頭痛と吐き気が治まっていく。
何時もの正常な感覚が戻りつつあった。
故にやっと気が付くに至った。
宗次郎は背後を猛烈な勢いで振り向き、部屋の隅に佇む存在を睨み付ける。
月明かりが届かない先に漂う深い闇に何かが潜んでいる。気配は全くしないが、無さ過ぎて其処の空間だけ不気味な異様さが滲み出ている。
以前に似た術を持つ暗殺者に宗次郎は遭遇した経験が有ったのだ。
日陰者しか持たない特殊な技能ゆえに直ぐに屋敷に居る誰でもない事は分かっていた。
「誰だ?」
警戒して一応声を掛けた。
意味の無い問いかもしれないが相手に自分の存在が知れている、と分からせ警戒を取らせる為だ。
多少の牽制となる。
自分が狙われる理由は分からないが、こうした状態になったのだから見す見す殺される訳にもいかないので、対抗策を練る。
宗次郎は半身と呼べる愛刀を家人に預けたままで現在は所持していなく、他に見繕える武器は周辺に転がっていない。
おまけに酒の酔いが抜けておらず、体が感覚に追いついてこない。
利点としては先程までの二日酔いが消え、度を越した酩酊で気分が普段よりも高揚している。
仕方なく嗜む程度に心得のある無手の構えをとる。
「フェイト、と御呼び下さいませ」
返って来る筈が無いと思われた問いが返された。
一瞬であるが呆気に取られ、警戒を続けながら自分を狙う暗殺者ではないのかと思考する。
「此方に姿を見せろ」
「はい、仰せのままに」
宗次郎の言葉に素直に闇は従う。
その素直さに宗次郎は不審に感じた。
ゆっくりとした歩調で月明かりに照らされた場所までそれは移動して来る。
片時も目を離さずにその姿を宗次郎は見た。
出て来たのは深紅の服の下からも分る程に線が細く、華奢な身体つきの少女で、月光に照らされ銀色に反射する髪色に煌々と光る両の赤い瞳が妖しく印象に残る。
年の頃はベアトリスと同じ位だろう。
「何故、此処に現れた?」
「運命のままに。貴方様へと誘われる為にですわ」
意図を得ない宗次郎が警戒心を上げるとフェイトと名乗った少女は大仰な素振りで両手を胸元で組む。
「あぁそんなにも……警戒なさらなくともわたくしは貴方様に害意を持っておりませんわ。ほら、その証拠に御覧下さいませ。わたくしは貴方様を傷付ける術を持っておりませんわ」
突然に深紅の服を脱ぎ捨てると両手を広げて武器を有していない、と訴えった。
雪の様に透き通る白い肌が露わになる。
唖然となる面持ちとなる宗次郎。
年頃の娘が仮にも青年となっている宗次郎に裸を見せ付けたのだ。有り得ない出来事である。
従って宗次郎は彼女の覚悟を理解した。
冷静になって考えてみれば、自分を如何にかしようとするならば酔いの所為で感覚が鈍っていた内に出来たのだ。
態々、難易度を上げる暗殺者など存在しないだろう。
相手への警戒心が霧消した。
「取り合えず……服を着て下さい」
素手の構えを解き、宗次郎はフェイトの裸体から目を逸らし呟いた。




