第2話 地下室から始まった二つ目の人生
第2話 地下室から始まった二つ目の人生
十五年前、クロフォード伯爵家へ嫁いだばかりのエルナは、薄桃色のドレスを着て朝食の席に座っていた。母が嫁入りのために仕立ててくれた服で、袖口には小さな白い花が刺繍されている。磨かれた銀食器の隣には、焼きたての白パンと山羊の乳、林檎の蜜煮が並んでいたが、向かい側に座るレイモンドは新聞を読み、ほとんど妻の顔を見なかった。
「レイモンド様、今日は町の商店へ行ってもよろしいでしょうか。侍女から、冬用の手袋が必要だと聞きました」
「手袋なら屋敷の倉庫にあるだろう。新しい物を買う必要はない」
「倉庫の物は虫に食われています。繕ってみましたが、指先に穴が残ってしまって」
「使用人の手袋など、布を巻いておけば十分だ。伯爵家へ嫁いだのだから、庶民の買い物に口を出すのはやめなさい」
レイモンドは新聞を折りたたむと、銀の鈴を鳴らして珈琲のお代わりを命じた。エルナの前に置かれた山羊の乳は、話しているあいだに表面が冷え、脂の粒が白く浮いている。彼女は両手を膝の上で重ね、手袋の話をもう一度する代わりに、林檎を小さく切って口へ運んだ。
食事のあと、レイモンドはエルナを書斎へ呼んだ。机の上には、彼女が実家から持参した宝石箱が置かれている。真珠の耳飾り、祖母から譲られた翡翠の腕輪、母が結婚祝いに贈ってくれた青い石の首飾りが、赤い天鵞絨の上へ並べられていた。
「この宝石を売ることにした。来月、王宮で新しい役職を得るためには、有力者との付き合いに金がかかる」
「青い首飾りだけは残してください。母が長いあいだ身につけていた物なのです」
「嫁入り道具は、嫁いだ家の財産になる。お前の母親も、そのつもりで持たせたはずだ」
「せめて、母へ手紙を書く時間をいただけませんか。買い戻してもらえるかもしれません」
レイモンドは、青い石の首飾りを指先で持ち上げた。窓から差し込む光を透かして眺めたあと、価値を確かめるように爪で石の表面を軽くたたく。その音を聞いたエルナは、母が同じ首飾りをつけ、庭で杏の実を集めていた夏の日を思い出した。
「手紙を書く必要はない。実家に金を無心する妻がいると知られれば、私の評判に関わる」
「私が持ってきた物を、私の家族に買い戻してもらうだけです。それでも無心になるのですか」
「しつこい女は嫌われるぞ、エルナ。伯爵夫人らしく、夫の成功を喜びなさい」
宝石箱は、その日の午後に商人の馬車へ積まれた。エルナは二階の窓から見ていたが、商人は首飾りを麻袋へ無造作に入れ、御者台の下へ押し込んだ。見送りに立っていた使用人たちは誰も顔を上げず、洗濯係の女だけが、庭に干した白いシーツを取り込むふりをしながら何度もエルナの窓を見た。
それから間もなく、レイモンドは妻へ渡す生活費を月に銀貨五枚と決めた。便箋や髪油、傷んだ靴の修理代まで、その中から払うよう命じた。銀貨を使い切った月、エルナはドレスの裾から切り取った布で靴の内側を補修し、侍女に見つからないよう寝室の暖炉で針仕事をした。
「奥様、私がお直しします。これでは歩くたびに踵が擦れてしまいます」
侍女のマルタは、椅子の下へ隠された靴を見つけると、太い糸と革の切れ端を持ってきた。当時十八歳だった彼女は頬にそばかすがあり、髪を結ぶ青い紐の端を、話すたびに指へ巻きつける癖があった。エルナは靴を渡すことをためらったが、すでに右の踵へ血がにじんでいたため、最後には両手で差し出した。
「代金を払えないのです。今月の銀貨は、便箋と石鹸に使ってしまいました」
「靴を縫うくらいで、お金はいただきません。その代わり、奥様の林檎の蜜煮を一切れください。今朝から、ずっとおいしそうだと思っていたのです」
「それなら半分ずつにしましょう。ただし、料理長には内緒ですよ。伯爵夫人が侍女と同じ皿を使ったと知れば、また小言を言われます」
二人は寝室の隅に腰を下ろし、冷えた林檎を小さな銀の匙で交互に食べた。窓の外では細い雨が降り、洗い終えたシーツが風にあおられて、物干し綱の上で大きく膨らんでいる。蜜煮には少し焦げた匂いがあったが、マルタが目を細めて食べるため、エルナも最後の一切れまでゆっくり味わった。
その年の冬、屋敷で熱病が流行した。最初に倒れたのは下働きの少年で、三日後には厨房の女二人と厩舎番も寝込んだ。レイモンドは病人を使用人棟へ集め、自分にうつらないよう、妻も近づかせるなと執事へ命じた。
ある夜、マルタも熱を出した。エルナが部屋へ入ると、彼女は薄い寝間着の上へ毛布を二枚重ね、歯を鳴らしている。枕元には水差しと、昼に出された大麦粥が置かれていたが、粥は手をつけられないまま固まり、表面には乾いたひびが入っていた。
「奥様、ここへ来てはいけません。旦那様に知られたら叱られます」
「話さなくてよいのです。水を飲みましょう。起きられますか」
「頭が重くて、天井が回っています。薬は、もうないそうです。町の薬屋も、今日は閉まっていたと」
「倉庫を探してみます。先代伯爵様が使っていた薬が残っているかもしれません」
エルナはマルタの額に水でぬらした布を載せ、燭台を持って使用人棟を出た。廊下には煮沸した布と薬草の混じった匂いが漂い、厨房の裏口には使い終えた鍋が洗われないまま積まれている。いつもなら夜食を作っている料理人も寝込んでおり、炉の火は消え、灰の中に焼け焦げた玉葱が一つ転がっていた。
物置には乾燥した豆、塩漬け肉、古い食器が詰め込まれていたが、薬箱は見つからなかった。エルナは棚の奥を調べ、葡萄酒の樽の後ろに細い扉があることに気づいた。錆びた金具を引くと、湿った空気と、乾燥した草の青臭い匂いが流れてきた。
扉の向こうには、小さな地下室があった。机の上には黒ずんだ蒸留器、銅製の鍋、ひびの入った乳鉢が置かれ、壁際の棚には薬草の瓶が並んでいる。床には鼠がかじった紙袋と、片方だけになった茶色の手袋が落ち、部屋の隅では蜘蛛の巣が燭台の光を白く反射していた。
「これは、治熱草かしら。でも、瓶の札には眠り草と書かれているわ」
エルナは瓶の蓋を開け、葉を一枚だけ指先へ取った。幼い頃、実家の庭師から教わった治熱草は、葉の裏に銀色の産毛があり、揉むと柑橘に似た匂いがする。瓶の中の草も同じ特徴を持っていたため、誰かが札をつけ間違えたのだと分かった。
しかし、薬の作り方までは知らなかった。煮出す量を誤れば、熱を下げるどころか胃を傷めることもある。エルナは瓶を持って執事の部屋へ行き、先代伯爵が雇っていた錬金術師の名を尋ねた。
翌朝、屋敷へガストンがやってきた。焦げ茶色の外套には雪がつき、長靴には乾いた泥が厚くこびりついている。元王宮筆頭錬金術師だと聞いていたエルナは、豪華な服を着た老人を想像していたが、彼が提げていた籠には薬草のほかに、固い黒パンと半分食べかけの燻製腸詰めが入っていた。
「病人はどこだ。腹が減っておるから、長い挨拶は省くぞ」
「使用人棟です。こちらへお願いいたします。その前に、この薬草を見ていただけませんか」
「札には眠り草とあるな。眠らせたいのか、熱を下げたいのか、どちらだ」
「中身は治熱草だと思います。葉の裏に銀色の産毛があり、揉むと柑橘の匂いがしました」
ガストンは足を止め、エルナの手から瓶を取った。蓋を開けて匂いを嗅ぎ、葉を歯で少しだけかむ。それから彼女の顔と瓶を交互に見て、乱れた白い眉を持ち上げた。
「よく気づいたな。この札を書いた者は、匂いも確かめなかったらしい。これを眠り草の分量で煮れば、病人は一晩中、腹を下すところだったぞ」
「治熱草なら、マルタに使えますか」
「使える。ただし、このままでは古すぎる。新しい草と混ぜ、苦みを抑えるために乾燥林檎を入れる。厨房に林檎はあるか」
「蜜煮ならあります。昨日の残りでよければ」
「砂糖の入った物は駄目だ。生の林檎を持ってこい。それから湯を沸かせ。腹の減った老人に、何か温かい物も出してくれ」
エルナは厨房へ走り、貯蔵箱の底に残っていた小さな林檎を二個見つけた。料理長の代わりに鍋を見ていた少年へ、湯と野菜のスープを用意するよう頼む。スープには昨日の蕪と豆しか入っていなかったが、ガストンは三杯もお代わりし、黒パンを浸して最後の汁まで食べた。
薬を飲ませて半日が過ぎると、マルタの熱は少し下がった。彼女は汗でぬれた寝間着を着替え、薄い大麦粥を三口食べることができた。エルナが匙を置こうとすると、マルタは弱い力でその手首をつかんだ。
「奥様が薬を作ってくださったのですか」
「私は林檎を切っただけです。薬を作ったのはガストン先生ですよ」
「林檎が入っていたから、苦くても飲めました。元気になったら、また奥様の靴を縫います」
「今度は私が、あなたの手袋を縫います。布を巻いておけばよいなどと、誰かが申していましたけれど、指が出ていたら針も持てませんから」
数日後、エルナはガストンを再び屋敷へ招いた。病人の経過を見てもらうためだったが、彼女は地下室の机を掃除し、古い錬金道具も一つずつ布で磨いていた。蒸留器の下には水を受ける皿を置き、鼠にかじられた紙袋は捨てず、穴の開いていない部分を切って薬草の札に作り直してある。
「ずいぶん片づけたな。伯爵夫人が鼠の糞まで掃除したのか」
「途中でマルタに見つかり、半分は手伝ってもらいました。こちらの乳鉢は、ひびの浅い部分までなら使えますか」
「薬には使わんほうがいい。だが、染料や肥料を砕くなら十分だ。お前さん、錬金術を習いたいのか」
「習えば、自分で薬を作れるようになりますか。それを売って、お金を得ることもできますか」
ガストンは返事をせず、籠から三種類の乾燥薬草を取り出した。机の上へ無造作に置き、どれが傷薬の材料になるか選ぶよう命じる。エルナは葉の色、茎の硬さ、香りを一つずつ確かめ、青黒い葉を選んだ。
「それは捨てる予定だった二級品だ。形が悪く、町の薬屋は買わん。なぜ選んだ」
「端は変色していますが、葉の中央には油分が残っています。傷んだ部分を切り落とせば、使えると思いました」
「正解だ。見栄えの悪い物と、役に立たない物は同じではない。人間も薬草も、値段をつける者が使い道を知らないだけということがある」
ガストンは、週に二度、夜の地下室を訪れると約束した。その代わり、エルナは試作品の材料、分量、加熱時間、成功と失敗の結果をすべて記録することになった。レイモンドには、先代の道具を整理しているとだけ伝えた。
最初の一か月、エルナは何度も失敗した。煮詰めすぎた傷薬は鍋の底へ黒くこびりつき、焦げた薬草の匂いが髪や作業着に染みついた。寝室へ戻る前には石鹸で二度も手を洗い、香りの強い髪油をつけなければ、レイモンドに気づかれそうだった。
「また焦がしたな。火を強くすれば、早く完成すると思ったのか」
「昨夜は同じ火加減で成功しました。今日は薬草に水分が多かったのだと思います」
「では、それを帳面に書け。同じ材料名でも、乾き具合で結果が変わる。失敗した鍋を隠す者は、いつまでも同じ失敗をするぞ」
「先生も、王宮にいらした頃は焦がしたのですか」
「王宮の天井まで黒い煙を届かせたことがある。翌朝、料理人から、肉を焼くなら厨房でやれと叱られた」
エルナは思わず笑い、失敗の欄に薬草の重さと乾燥状態を書き込んだ。帳面の端には薬液の染みが残り、煤で黒くなった指の跡もついている。美しく飾られた伯爵夫人の日記とは違ったが、その汚れの一つ一つが、昨日まで知らなかったことを覚えた証拠になった。
半年後、エルナは廃棄される薬草から傷薬を作れるようになった。さらに、割れて捨てられる魔石の破片を組み合わせ、手のひらほどの保温石も完成させた。高価な暖炉用魔石ほど部屋を暖めることはできないが、布に包んで寝床へ入れれば、朝まで弱い温かさが残った。
「これなら、使用人棟でも使えます。暖炉を一晩中たかなくても、足元が冷えません」
「売るなら、貴族ではなく、夜明け前から働く市場の商人を狙え。金持ちは大きな魔石を買う。小さな温かさを必要としている者に、小さな石を売るんだ」
「けれど、私が市場へ行けば、レイモンド様の耳に入ります」
「お前さん一人で全部やろうとするな。作る者と売る者が同じである必要はない」
傷薬を市場へ持っていったのは、すっかり元気になったマルタだった。休日用の茶色いワンピースを着て、古い籠の底へ布を敷き、その中に小瓶を三本並べる。エルナは何度も栓を確かめ、値札を書き直し、最後には市場へついていきたいと言い出した。
「奥様が来たら、伯爵家の馬車も必要になります。そんな立派な馬車の横で、小さな傷薬を売ったら、みんな驚いて逃げてしまいます」
「では、少し離れた場所から見ています。外套をかぶれば、誰にも分かりません」
「駄目です。奥様は何度も値札を直すので、そばにいたらお客様にも口を出します。私に任せて、今日は地下室の床を掃いていてください」
「床は昨日も掃きました。もう鼠の糞もありません」
「それなら、林檎の蜜煮を作って待っていてください。三本とも売れたら、半分ではなく、一皿ずつ食べましょう」
マルタが帰ったのは、夕方の鐘が鳴る少し前だった。外ではみぞれが降り始め、彼女の肩と髪には小さな氷の粒がついている。籠の中は空になり、代わりに銀貨三枚と銅貨六枚が、白い布へ包まれていた。
「全部売れました。魚屋の奥さんが一本、鍛冶屋の見習いが二本買ってくれました。鍛冶屋では手に小さな火傷をする人が多いので、来週も持ってきてほしいそうです」
「本当に、この薬へお金を払ってくださったのですか」
「奥様、三回も数えました。銀貨が突然、葉っぱに戻ったりはしません」
「でも、材料は捨てられるはずの薬草でした。瓶も厨房から出た空き瓶です」
「だから、安く売っても利益が出るのでしょう。ガストン先生が、原価という言葉を百回くらい説明していましたよ」
地下室の机には、作りたての林檎の蜜煮が二皿置かれていた。エルナは椅子へ座ったが、すぐには匙を持たず、白い布の上の銀貨を見つめた。レイモンドから渡された生活費ではなく、実家から持ってきた宝石を売った金でもない。それは、彼女が覚えた技術と、マルタが市場を歩いた時間から生まれた金だった。
「この銀貨は、旦那様へお渡しするのですか」
「いいえ。材料費を引いた分は、私たちが得たお金です」
「それなら、奥様の靴を直せますね。もう片方も、そろそろ底が剥がれそうです」
「まず次の薬草と瓶を買います。それから、売ってくれたあなたへ手数料を支払います。靴は、その次にします」
翌日、エルナはガストンに頼み、町の小さな預かり所で口座を作った。伯爵夫人ではなく、旧姓のエルナ・ルーカス名義を使い、最初の預金として銀貨二枚を預ける。手続きが終わると、渡された証書を何度も読み、折り目がつかないよう厚紙の間へ挟んだ。
地下室へ戻ると、ガストンは保温石で湯を温めながら、昨日の残りの蜜煮を勝手に食べていた。エルナは取り返そうとしたが、皿には林檎が一切れしか残っていない。仕方なくそれを半分に切り、マルタの分を小皿へ移した。
「先生、傷薬が売れました。次は十本作ろうと思います」
「十本をお前さん一人で作るのか。百本の注文が来たらどうする」
「眠る時間を減らします」
「それでは駄目だ。技術を覚えるだけでは足りん。お前さん自身が倒れたら、その日の稼ぎも止まる」
「それなら、どうすればよいのですか」
ガストンは食べ終えた皿を舐めそうな勢いで匙を動かし、最後に残った蜜まできれいにすくった。それから傷薬の製造記録を開き、エルナが決めた分量と加熱時間を指でたたく。帳面には失敗も成功も残されているため、正しく読める者なら、同じ品質の薬を作ることができた。
「自分の手で稼ぐ口と、自分の手を離れても動く口を作るんだ。まず、お前さんが薬を作って売る。次に、信頼できる者へ作り方を教え、その者が売るたびに、製法を使う代金を少しだけ受け取る」
「私が作らなくても、収入が入るのですか」
「何もしなくても金が湧くわけではない。安全な製法を作り、教え、品質を確かめ、売る場所を探す。それだけの仕事を先にするから、あとで仕組みが働いてくれるんだ」
エルナは新しい帳面を開き、最初の頁に二本の線を引いた。左側には「自分で作る収入」、右側には「製法を貸す収入」と記す。まだ右側には一枚の銀貨もなかったが、空白を見ても、以前のように手を膝の上へ隠すことはなかった。
その夜、地上ではレイモンドが客を招き、高価な葡萄酒を何本も開けていた。地下室にも笑い声と靴音がかすかに届き、天井から落ちた細かな埃が作業台へ積もる。エルナは銀貨の入った小さな革袋を握り、自分名義の預金証書を黒い帳面の最初の頁へ挟んだ。
宝石箱を奪われた日、彼女の手元には銅貨一枚も残らなかった。今、革袋の中にある銀貨はわずか二枚で、伯爵家の晩餐に出される葡萄酒一本さえ買えない。それでも、この金を使う目的と時期を決めるのは、レイモンドではなくエルナだった。
「次は傷薬を十本、それから保温石を三個作ります。マルタだけに頼らず、売ってくださる店も探します」
「そうしろ。ただし、今夜はもう寝ろ。目の下を黒くした伯爵夫人では、夫に怪しまれるぞ」
「先生もお帰りください。蜜煮を全部食べたことは、マルタにはご自分で説明してくださいね」
エルナはランプを消す前に、二つの欄をもう一度見た。一つ目の稼ぎ口には、傷薬三瓶分の数字が入っている。二つ目はまだ空白だったが、その空白は、誰にも取り上げられない人生を作るために残された場所だった。




