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第1話 何も生み出さない妻

第1話 何も生み出さない妻


冬の朝、クロフォード伯爵家の執務室には、火を入れていない暖炉と、昨夜から置かれたままの銀色の燭台があった。窓枠には白い霜が張りつき、隙間から入る風が机の上の書類をかすかに揺らしている。エルナは毛羽立った灰色のショールを肩へ引き寄せ、紺色のドレスの袖口から出た指先へ息を吹きかけた。朝食として運ばれてきた黒パンと豆のスープは、帳簿を三冊確認しているうちに冷え、スープの表面には薄い膜ができていた。


「奥様、せめてスープだけでも温め直してまいりましょうか。今日の厨房は、いつもより冷えております」


声をかけた侍女のマルタは、盆を抱えたまま心配そうに眉を下げた。エルナは返事をする代わりに木の匙で膜を端へ寄せ、冷たいスープを一口だけ飲んだ。豆には芯が残り、塩もいつもの半分しか使われていなかったが、厨房の料理人が節約していることを知っているため、味への不満は口にしなかった。


「温め直すための薪も無料ではないでしょう。このままで結構です。それより、厨房に残っている小麦は、あと何日分ですか」


「使用人の分まで含めますと、六日ほどです。料理長が、パンを少し小さくすれば八日は持たせられると申しておりました」


「パンを小さくする前に、客用の菓子を減らしましょう。今月は夜会を開く予定もありません。干し葡萄と蜂蜜は、来月まで使わずに保管してください」


マルタは返事をしながらも、エルナの皿へ目を落とした。伯爵夫人の朝食より、厩舎番が食べる昼の煮込みのほうが温かく、肉も多く入っている。エルナはその視線に気づいたが、何も言わず、帳簿の隅に「蜂蜜購入延期」と書き込んだ。


領地から入る予定の税収は、先月より金貨七十六枚も少なかった。北の村にある水車が壊れ、農民たちは小麦を粉にできず、隣の領地まで荷車を走らせている。水車を直すには金貨百二十枚が必要だったが、修理を先延ばしにすれば、来月はそれ以上の収入を失うことになる。


「マルタ、先月注文した客間用の新しいカーテンは、まだ仕立てに入っていませんね」


「はい。布地を選んだところで止まっております。ただ、旦那様が春までには替えるようにと」


「今あるものを洗って、ほつれた房だけ直します。仕立屋には私から謝罪の手紙を書きましょう。浮いた金貨五十枚を、水車の修繕費へ回してください」


「けれど、それでも七十枚足りません。使用人の給金を遅らせるのでしょうか」


マルタの指が、盆の縁を強くつかんだ。弟を学校へ通わせている彼女にとって、給金の遅れは本代が払えなくなることを意味する。エルナはペンを置き、使用人一人一人の顔を思い浮かべながら、昨夜まとめた支出の一覧をもう一度見直した。


「給金には手をつけません。馬車を一台売り、使っていない南倉庫を穀物商へ貸します。それで水車は直せますし、来月分の薪も買えるはずです」


「旦那様がお許しになるでしょうか。あの黒い馬車は、王都で一番立派だと自慢しておられました」


「馬車は三台あります。人の乗っていない馬車を飾っておくより、領民が小麦をひけるほうが大切です」


そう答えたとき、廊下から硬い靴音が近づいてきた。扉が強く開き、冷たい風と一緒に、甘い香油の匂いが執務室へ流れ込む。レイモンドは深緑色の上着に金糸の刺繍を施し、首元には新しい絹のクラバットを巻いていた。


「朝から使用人と何をこそこそ話している。マルタ、お前は下がれ」


「おはようございます、旦那様。ただいま奥様のお食事を片づけるところでございました」


「そんな冷えた豆など、いつまで置いておくつもりだ。貧乏人の家のような匂いがする。早く持っていけ」


マルタは唇を結び、エルナの前から皿を下げた。スープは半分以上残っていたが、レイモンドが顔をしかめているため、その場で食べ続けることはできなかった。エルナは空いた机の上を布で拭き、スープの雫が帳簿につかないことを確かめてから、夫へ椅子を勧めた。


「それで、何のご用でしょうか。領地の収支報告でしたら、昼までにまとめます」


「そのような退屈な話ではない。これを見ろ。王都の宝石商から取り寄せたものだ」


レイモンドは椅子に座らず、小さな革張りの箱を机へ置いた。蓋を開けると、赤い宝石を連ねた首飾りが現れ、曇った冬の日差しを受けて血のような色に光った。エルナは宝石ではなく、箱の下に挟まれていた請求書を見て、指先を止めた。


「金貨百五十枚ですか。どなたへの贈り物でしょう」


「セシリア嬢だ。来週、彼女の誕生日を祝う晩餐会がある。この程度の物を用意できなければ、クロフォード伯爵家の名に傷がつくだろう」


「今月は水車の修繕が必要です。その費用が金貨百二十枚、さらに不足している小麦の購入費が二十枚かかります。首飾りを購入すれば、使用人の給金を支払えません」


レイモンドは鼻で笑い、机の端に置かれていた黒パンを指で押した。硬くなったパンは少しくぼんだだけで、すぐにもとの形へ戻った。彼は汚れた指先をエルナの帳簿の端で拭き、まるでくだらない計算を見せられたとでもいうように肩をすくめた。


「水車など、来月直せばよい。農民には隣領まで行かせておけ。歩けば済む話だ」


「荷車で片道二日かかります。道中で雪が降れば、運んでいる小麦がぬれます。すでに三軒の農家が、来年から隣領の製粉所と契約すると申し出ています」


「農民が伯爵に逆らうというのか。税を上げれば、余計なことを考える余裕もなくなる」


「税を上げれば、土地を捨てる者が増えます。人のいない土地からは、一枚の銅貨も入りません」


エルナが落ち着いて説明すると、レイモンドの頬がわずかに引きつった。彼は数字の話になると、いつも話題を変えるか、声を荒らげた。領地から金が入るのは伯爵である自分が偉いからであり、小麦を育てる農民や帳簿を整える者の働きなど考えたこともなかった。


「お前は最近、口答えが多くなったな。妻の役目は夫の命令に従うことだ。首飾りの代金を屋敷の会計から出せ」


「出せません。馬車を一台売っても、その金は水車の修繕へ回します。セシリア様への贈り物は、旦那様個人のお小遣いからお支払いください」


「私に指図するな!」


レイモンドは机の上の帳簿をつかみ、床へ投げつけた。革の表紙が鈍い音を立てて開き、丁寧に挟んでいた領収書が床一面へ散らばる。暖炉からこぼれた灰の上へ一枚が落ち、パン屋の請求額が書かれた部分が黒く汚れた。


「私が稼いだ金をどう使おうと、私の自由だ。収入のないお前は、黙って屋敷を整えていればいい。十五年もこの家で食わせてもらいながら、金貨一枚生み出したことのない女が、伯爵へ意見するな」


「私が毎月の支出を調整しなければ、この家は三年前に給金を払えなくなっていました。水車を直さなければ、来年の税収はさらに減ります」


「節約を仕事だと思っているのか。古いカーテンを使い、肉を減らし、客に安物の葡萄酒を出す。お前がしているのは、伯爵家を貧しく見せることだけだ」


レイモンドは首飾りの箱を閉じ、それを脇へ抱えた。部屋にはまだ香油の匂いが残っていたが、その下から、床に散った紙と古い灰の乾いた匂いがした。エルナは椅子から立ち、踏みつけられた領収書を一枚ずつ拾い始めた。


「代金は今日中に支払え。セシリア嬢を待たせるな」


「屋敷の会計からは出せません」


「ならば、私が執事へ命じる。金の管理を任されているだけの女が、金の持ち主になったつもりでいるな」


扉が閉まると、壁に掛けられた小さな絵皿が振動でかすかに鳴った。その絵皿は結婚した年、エルナが自分の小遣いで買った唯一の品だった。青い小鳥が二羽描かれていたが、先月、掃除中に片方の尾が欠け、それでも捨てられずに掛け直していた。


マルタが廊下から戻り、何も言わずに床へ膝をついた。二人で領収書を拾うと、彼女は灰で汚れた一枚をエプロンの端で丁寧に拭った。エルナはその手が小さく震えていることに気づき、レイモンドが出ていった扉から彼女を遠ざけるように、自分の側へ紙を集めた。


「奥様、私は一か月くらいでしたら、給金を待てます。弟の学校へ納めるお金も、少しは貯めてありますから」


「いいえ。働いた人の給金を、首飾りのために遅らせることはしません。あなたは今日、いつもどおり会計係から受け取ってください」


「ですが、旦那様が金庫を開けるよう命じたら」


「その前に、水車の修理代を職人へ支払います。マルタ、執事を呼んでください。それから、馬車商にも使いを出します」


エルナは散らばった紙を日付順に並べ直し、汚れた部分へ小さな布を当てた。指先には灰がつき、紺色のドレスの膝にも白い埃が残った。新しいドレスを何着も贈られるセシリアとは違い、エルナは袖口を三度直した同じ服を、冬のあいだ着続けていた。


その日の夕食には、鶏肉の入っていない根菜の煮込みが出た。レイモンドはセシリアの晩餐会へ出かけ、食堂にはエルナ一人しかいなかった。人参と蕪はよく煮えていたが、給仕の少年が塩入れを落として割ったため、料理は朝のスープと同じように薄い味がした。


「奥様、料理長が申し訳ないと申しております。新しい塩入れは、明日買ってまいります」


「欠けていない小皿が厨房にあるでしょう。それを使えば十分です。割れた破片で手を切らないよう、明るくなってから片づけてください」


「はい。それから、水車の職人へ代金を届けました。明日の朝には出発するそうです」


エルナはようやく煮込みを一口飲み込み、肩の力を抜いた。馬車は予想より高く売れたため、修繕費だけでなく、使用人たちの来月分の給金も確保できた。けれど、そのことをレイモンドへ知らせれば、残った金まで宝石や酒へ使われるため、帳簿には必要な額だけを記すことにした。


夜が深まり、屋敷の時計が十一回鳴った。エルナは寝室へ戻らず、濃い茶色の作業着へ着替えると、髪を後ろで一つに束ねた。廊下では洗い終えた布巾が暖炉の近くに並べて干され、石鹸とぬれた麻布の匂いが漂っていた。


地下室へ続く階段は暗く、三段目の石が少し欠けている。エルナは小さなランプを持ち、足を滑らせないよう壁へ手を添えて降りた。棚に並ぶ葡萄酒の樽を通り過ぎ、一番奥の空樽を横へずらすと、その後ろから細い木の扉が現れた。


扉の向こうには、レイモンドの知らない部屋があった。壁際には小さな炉と蒸留器が置かれ、棚には乾燥させた薬草、割れた魔石、色別に分けた鉱石が並んでいる。作業台には昼間の執務室とは別の帳簿と、ガストンが置いていった硬い干し肉、冷めた薬草茶が残されていた。


エルナは干し肉を少しかじり、苦い薬草茶で流し込んだ。夕食の煮込みだけでは足りなかった腹が、ようやく静かになる。誰にも見られていないのに、彼女は作業着の袖をきちんと折り、机の引き出しから黒革の帳簿を取り出した。


表紙には、銀色の文字で「アフェクタ商会」と刻まれている。帳簿を開くと、王都本店、北部工房、南部薬草園から届いた売上報告が、読みやすく整理されていた。傷薬、保存石、土壌改良剤の売上に加え、十五か所の工房から納められた製法使用料も記録されている。


今月の純利益は、金貨九百四十二枚だった。クロフォード伯爵家が領地と王宮から得る月収の、三倍を超える額である。しかも、その収入の半分以上は、エルナがこの部屋で薬を作らない日にも入ってくるものだった。


「今月も、予定を上回りましたね」


暗がりから声がして、エルナは顔を上げた。部屋の隅に置かれた椅子では、白い髭をたくわえたガストンが毛布に包まり、湯気の消えた茶をすすっていた。いつからいたのかと問う前に、彼は皿に残っていた干し肉を勝手にもう一枚取り、歯で苦労しながらかみ始めた。


「先生、その干し肉は私の夜食です。ご自分の分は持ってこなかったのですか」


「持ってきたが、階段を降りる途中で食った。年寄りは腹が減るんだ。それより、伯爵様は今日も、お前さんを養っていると威張っておったのか」


「廊下まで聞こえていましたか」


「樽の向こうにいても聞こえたぞ。よく響く声だ。あれほど立派な声が金貨を生むのなら、お前さんも苦労せずに済んだだろうにな」


エルナは小さく息を漏らし、帳簿の数字を指でなぞった。その指には、昼間の灰が爪の脇にまだ少し残っている。引き出しの奥から自分名義の預金証書を取り出すと、紙の角は、何度も確かめたせいで柔らかくなっていた。


預金、工房、製法の権利、各地の商店との契約。そのどれにも、レイモンド・クロフォードの名前は書かれていない。夫の役職がなくなっても、伯爵家の領地が不作になっても、エルナの暮らしを支える二つの稼ぎ口は残る。


「収入がない、ですか」


エルナは預金証書を帳簿へ挟み、革の表紙を静かに閉じた。地上では、帰宅したレイモンドが使用人を呼ぶ鐘を乱暴に鳴らしている。エルナはその音を聞きながらも立ち上がらず、冷えた薬草茶を自分の杯へ注いだ。


「先生、来月から製法を貸し出す工房を、あと五か所増やします。ただし、一つの店に売上を頼りすぎないよう、北と南へ分けてください」


「承知した。では、伯爵様の首飾り代くらい、ますます小銭に見えるようになるな」


「首飾りはレイモンドが自分で支払えばよいのです。私は明日も、水車と工房のためにお金を使います」


エルナはランプの芯を少しだけ長くした。火が明るさを増し、黒革の帳簿に刻まれた銀文字を照らす。何も生み出さないと罵られた妻の名は、まだそこには書かれていなかったが、その商会で動く金貨も、積み重ねた信用も、すべて彼女の手から生まれたものだった。



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