エピローグ 幸せを感じる心を育てられますように
エピローグ 幸せを感じる心を育てられますように
王都に初雪が降った朝、エルナは工房の二階にある執務室で、届いたばかりの手紙を開いた。濃紺の長衣の上には灰色の毛織りの肩掛けを羽織り、机の隅には職人から差し入れられた胡桃入りの焼き菓子と、少し冷めた林檎茶が置かれている。窓の下では研修生たちが雪を踏みながら薬草の箱を運び、子どもを預かる部屋からは、木製の積み木が崩れる乾いた音が聞こえてきた。
手紙の差出人は、北部の小さな農村で暮らすレイモンドだった。領地も爵位も失った彼は、親族の紹介で共同農場の帳簿係となり、空いた時間には家畜小屋の掃除や薪割りも手伝っているらしい。以前なら使用人が触れる封蝋の色まで注意した男が、今では紙の端に小麦粉を付け、文字の途中でインクをにじませていた。
『エルナへ。先月、初めて自分で焼いたパンを隣家の老夫婦に分けました。形は悪かったのですが、二人は温かいうちに食べてくれました。礼として干し林檎を一袋もらい、それを食べながら、私は十五年間、すでに多くのものを持っていたのだと気づきました』
エルナはそこまで読むと、焼き菓子を一つ摘まんだ。胡桃の薄皮が少し舌に残り、林檎茶には蜂蜜を入れ忘れていたが、呼び鈴を鳴らして誰かに直させようとは思わなかった。隣の机で契約書を確認していたセドリックが顔を上げ、「また借金の申し込みですか」と尋ねたため、エルナは手紙を半分に折った。
「いいえ。パンを焼いたという報告です」
「それは国家の一大事ですね。あの方は昔、焼きたてのパンが三分遅れただけで給仕を叱っていました」
「今回は自分で三時間かけて、石のようなパンを作ったそうです」
「石をパンに変えるのではなく、パンを石に変える錬金術ですか。会頭、製法を買い取りましょうか」
エルナは口元を押さえ、肩を揺らした。窓際に干していた薬草の束から、清涼感のある薄荷の香りが漂い、暖炉の上では洗った手袋が片方だけ裏返しになっている。昔の屋敷なら、レイモンドの手袋が裏返ったまま置かれることなどなく、パンの焼き加減も、食卓の花も、客間の温度も、すべてエルナが先回りして整えていた。
手紙の続きには、農場での細かな暮らしが書かれていた。鶏に指をつつかれたこと、初めて洗濯した白いシャツを灰色にしてしまったこと、収穫祭で子どもたちに押しつけられた木の実の首飾りを、捨てずに壁へ掛けていることまで記されている。豪華な晩餐も大勢の使用人も失った男は、焦げたパンや不格好な首飾りを、一つずつ数えるようになっていた。
『私は、持っていないものばかりを見ていました。もっと高い爵位、もっと広い領地、もっと若く美しい妻があれば満足できると思っていました。しかし、何を手に入れても、その隣にある別のものを欲しがったでしょう。私が貧しかったのは財布ではなく、受け取ったものを喜ぶ力だったのだと思います』
エルナの指が、便箋の上で止まった。十五年間に用意した食事、繕った衣服、守った使用人、立て直した領地が、頭の中で音もなく並んだが、今さら代金を請求するつもりはなかった。失った年月は人工宝石のように作り直せず、離縁の日に閉めた扉を再び開けば、せっかく得た暮らしへ冷たい風が入り込むことも分かっていた。
「返事を書くのですか」とセドリックが尋ねた。エルナは林檎茶を一口飲み、冷めて渋くなった味に眉を寄せてから、「短く書きます」と答えた。セドリックは新しい茶を入れさせようと立ち上がったが、暖炉のそばで眠っていた工房猫の尻尾を踏みそうになり、「会頭の商会には、なぜ猫まで堂々と通路をふさぐのですか」と小声で抗議した。
昼になり、エルナは食堂で職人たちと豆と燻製肉の煮込みを食べた。見習いの少女が塩を入れすぎたらしく、皆が水を飲みながら「冬にはちょうどよい」「明日まで喉が渇きそうだ」と好き勝手なことを言っている。エルナも黒パンを煮汁へ浸し、隣の席で頬に豆を付けたまま眠りかけている研修生へ、そっと布巾を渡した。
午後、エルナは自分の机へ戻り、新しい便箋を一枚出した。商会の契約書なら迷わず何十枚でも書けるのに、最初の一行を書いたあとで羽根ペンを置き、窓の外を眺めた。広場では雪がやみ、職人の子どもたちが小さな雪だるまへ古い鍋をかぶせ、「会頭より偉い王様だ」と騒いでいた。
『レイモンド様。お手紙を拝見しました。パンを分けた相手から干し林檎を受け取ったことを、どうか忘れないでください。人は大きなものを手に入れた時だけ幸せになるのではなく、小さなものを受け取ったと気づいた時にも、暮らしを温かくできるのだと思います』
そこまで書いたエルナは、引き出しから二本の鍵を取り出した。一本は錬金工房の鍵で、もう一本は各地の工房と契約を結ぶ商会の鍵だった。どちらも使い込まれて細かな傷が増えていたが、朝になるたび、エルナの手で新しい一日を開いてくれる。
『私たちが再び夫婦になることはありません。あなたにされたことが、なくなるわけでもありません。それでも私は、あなたがこれから出会うパンの匂い、干し林檎の甘さ、洗ったシャツが風に揺れる様子を見落とさず、以前より少し多く、幸せを感じられる人になれるよう願っています』
エルナは最後に自分の名を書き、封をした。許すことと戻ることは違い、相手の幸福を願うことと、自分を再び差し出すことも違う。彼女はその区別を知っていたからこそ、手紙を破らずに発送箱へ入れることができた。
夕方、工房の鐘が鳴ると、職人たちは作業台を拭き、使った器具を決められた棚へ戻した。子どもを迎えに来た母親が、片手に薬瓶、もう片方に毛糸の帽子を持ち、「会頭、うちの子が雪だるまを工房へ入れたいと言っております」と困った顔で報告した。エルナは広場を見ると、鍋をかぶった雪だるまの両脇を二人の子どもが抱え、入口まで運ぼうとしていた。
「溶けますよ」
「溶けたら、錬金術で直して」
「雪を直す製法は、まだ開発していません」
「王都一の錬金術師なのに?」
「王都一でも、できないものはあります。ですから、外にいるうちによく見ておきましょう」
エルナは子どもたちと一緒に外へ出た。雪だるまの鼻には形の悪い人参が刺さり、鍋の底には昨日のスープの焦げ跡が残っていたが、誰も取り替えようとはしなかった。大きな窓からこぼれる工房の明かりを受け、鍋のへこみまで金色に見えていた。
その夜、エルナは工房と商会の扉を順番に閉め、二本の鍵を濃紺の長衣のポケットへ入れた。遠いポケットへ入れた。遠農村では、レイモンドが石のようなパンを薄く切り、干し林檎を一枚載せて食べているかもしれない。エルナは雪の残る道を歩きながら、明日の朝食に林檎ジャムを出してもらおうと考え、それから小さな声で言った。
「どうか、幸せを感じる心を育てられますように。そして私も、今日あるものを見落としませんように」




