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第10話 二本の鍵

第10話 二本の鍵


離縁から三年後の春、王都の東門近くに、アフェクタ商会の新しい中央工房が完成した。白い石壁と赤い屋根を持つ三階建ての建物で、正面には二本の金色の鍵を交差させた看板が掲げられている。完成式の朝、エルナは夜明け前に目を覚まし、寝間着のまま台所へ下りて、焼き上がったばかりの丸パンを一個つまんだ。


「エルナ様、今日は主役なのですから、台所で立ったまま食べないでください」


マルタは深緑色の礼服を着ていたが、その上から白いエプロンをつけ、鍋の豆スープをかき混ぜている。髪を結ぶ灰色の紐は三年前と同じもので、端は少し毛羽立っていた。エルナは口に入れかけた丸パンを皿へ戻し、食卓の椅子へ座った。


「工房へ早く行きたいのです。換気窓の留め金と、休憩室の寝台を、もう一度確認しておきたくて」


「昨日も三回確認なさいました。留め金は動きますし、寝台は四台とも壊れておりません」


「子ども部屋の玩具は、角が丸くなっていますか」


「大工の棟梁と私とガストン先生が確認しました。先生は木馬に乗ろうとして、棟梁から追い出されました」


「それは、角より先生の腰を心配すべきですね」


朝食には豆と蕪のスープ、焼きたての丸パン、茹で卵、林檎の薄切りが並んだ。三年前、クロフォード家を出た朝にマルタが持たせてくれた胡桃パンとは違い、今日は食べ終わるまで誰も出発を急かさない。エルナは半熟の黄身をパンですくい、スープの蕪も残さず食べた。


新しい中央工房には、黄金の柱も、大理石の階段もなかった。代わりに、朝から夕方まで光が入る大きな窓と、薬品の蒸気を外へ逃がす換気設備が設けられている。炉と炉の間には防火壁があり、床には転んでも割れにくい材料が使われ、消火砂と洗浄水の場所は文字と絵の両方で示されていた。


一階には錬金作業場と品質検査室、二階には事務室と研修室が設けられた。三階には体調を崩した職人が横になれる寝台が四台あり、その隣には子どもを預けられる部屋もある。子ども部屋の棚には布の人形、木の積み木、絵本が並び、窓辺には小さな机と色鉛筆が置かれていた。


「ここまで必要でしょうか。工房は、商品を作る場所ではないのですか」


見学に来た一人の商人が、子ども部屋を見て尋ねた。彼は上等な紫色の上着を着ていたが、工房の床を歩くため、靴には布の覆いをつけている。エルナは床へ落ちていた赤い積み木を拾い、棚の同じ色が集まった場所へ戻した。


「子どもを一人で家へ置けないため、働けない職人がいます。子ども部屋があれば、その人の技術を工房で生かせます」


「寝台も四台ありますね。具合の悪い者は、家へ帰せばよいのではありませんか」


「帰れる状態になるまで休むための寝台です。無理をして炉の前へ立ち、事故を起こせば、本人だけでなく周囲の職人も危険になります」


「働かない者のために場所を使えば、利益が減りませんか」


「職人を使い捨てれば、新しい人へ何度も技術を教える費用がかかります。人が長く働ける設備は、商会にとっても必要な投資です」


商人は寝台の白い敷布を指で確かめ、何も言わずにうなずいた。敷布は王都の洗濯工房で働くノーラたちが洗い、手が荒れにくい薄荷石鹸で仕上げたものである。窓から入る春風が白い布を少し持ち上げ、部屋には日なたと石鹸の匂いが広がっていた。


完成式まであと半刻となり、中央広場には人々が集まり始めた。地方工房の代表、農村組合、治療院、商店の責任者、小規模工房制度を修了した女性や若者が、家族と一緒に門をくぐってくる。広場の長机には、豆と挽肉の包み焼き、川魚の香草焼き、胡桃パン、薄荷茶、林檎の菓子が並べられた。


ノーラは青い格子柄のエプロンではなく、薄荷色のワンピースを着ていた。隣には十歳になったリタが立ち、新しい茶色の靴を何度も見下ろしている。靴には青い紐が通され、三年前に買った最初の靴紐と同じ色だった。


「リタさん、すてきな靴ですね」


エルナが声をかけると、リタは片足を少し前へ出した。つま先には小さな葉の模様が入り、足の大きさにきちんと合っている。ノーラは娘の肩へ手を置き、自分の足元も見せた。


「今度は、娘と私の分を一緒に買いました。石鹸の売上から毎月少しずつ貯めたのです」


「ノーラさんの靴も新しいのですね」


「はい。夫に頼まず、好きな形を選びました。私の工房は、今も洗濯屋の仕事と両方続けています」


「二つとも無理なく続けられていますか」


「洗濯屋は週三日、石鹸作りは週二日です。忙しい週には石鹸の注文を減らします。全部引き受けないことも、ようやく覚えました」


広場の反対側では、元兵士のカイルが革製品の修繕台を出していた。軍服はもう着ておらず、丈夫な茶色の作業着の胸元に、自分の工房名を刺繍した布を縫いつけている。彼が考案した保温板の固定紐は、今ではアフェクタ商会の標準部品になり、その使用料も毎月支払われていた。


「会頭、中央工房の寝台に使う革紐を納品しました。力を入れなくても長さを調整できる形にしてあります」


「ありがとうございます。手が動かしにくい人でも使えますか」


「片手だけでも締められます。戦地で片腕を負傷した仲間の結び方を思い出して作りました」


「その方にも、見ていただきたいですね」


「今日、招待しています。あそこで川魚を三尾も食べている男です」


カイルが指した先では、大柄な元兵士が片手で皿を持ち、香草焼きを食べていた。ガストンが隣へ座り、四尾目を取るなら自分の分も確保してほしいと頼んでいる。マルタは二人の皿を見つけると、ほかの客の分がなくなると注意し、焼いた蕪を山盛りにして渡した。


「魚を食べすぎる者には、蕪を食わせる決まりでもあるのか」


ガストンが皿の蕪を見て、口をとがらせた。今日は王宮時代に使っていた濃紺の礼服を着ているが、腹回りが少しきつく、金色の釦が今にも外れそうになっている。エルナはその釦へ目を向け、完成式が終わるまで食べる量を減らしたほうがよいと伝えた。


「今日は、わしの引退祝いでもあるんだぞ。食べたい物を食べさせろ」


「引退祝いは、昨日もなさいました。腸詰めを五本召し上がったでしょう」


「あれは、中央工房完成前夜の祝いだ。引退祝いとは別だ」


「先生は、毎日違う名前のお祝いを作っていますね」


「長生きするには、祝う理由を多く持つことだ」


完成式が始まる前、ガストンはエルナを錬金作業場へ呼んだ。新品の炉や蒸留器が並ぶ中央に、一台だけ、黒ずんだ古い錬金器具が置かれている。縁には何度も火へかけた跡があり、持ち手にはガストンが巻いた革紐が残っていた。


「先生、これは王宮時代からお使いの蒸留器ですね。引退後も、ご自宅で使うのではありませんか」


「今日から、お前さんが使え。わしの目より、お前さんの目のほうが、薬液の色を正しく見られるようになった」


「まだ、教えていただきたいことがたくさんあります」


「引退するだけで、死ぬわけではない。腹が減れば、これからも商会へ来る」


「先生なら、朝昼晩といらっしゃるでしょうね」


ガストンは鼻を鳴らし、古い器具の蓋を開けた。内側には薬草の色が薄く残り、金属と乾燥した葉の匂いがした。エルナが十五年前に地下室で使ったひび割れた器具よりも丈夫で、ガストンが王宮で何百種類もの薬を作った道具だった。


「錬金術は、金を作る魔法ではない。人が捨てた物から使い道を探し、必要な者へ届ける仕事だ。お前さんなら、これを道具棚の飾りにはせんだろう」


「もちろん、使わせていただきます。ですが、失敗して焦がしても返しませんよ」


「焦がしたら、自分で磨け。それも含めて譲るんだ」


「ありがとうございます、先生」


エルナが古い蒸留器へ手を置くと、黒ずんだ金属は春の朝でも冷たかった。地下室で最初の傷薬を作った夜、ガストンから火を強くしすぎるなと何度も叱られたことを思い出す。あの頃は、古い道具一つを修理する金にも困っていたが、今は安全な設備のそろった中央工房で、その技術を次の職人へ教えられるようになった。


広場へ戻ると、王宮の馬車が門前へ到着した。降りてきたセドリックは、灰色の正装の上へ青い肩掛けをまとい、革鞄と細長い筒を抱えている。いつもより髪を整えていたが、右の襟だけ少し内側へ折れていた。


「セドリック様、襟が折れています」


エルナが指摘すると、彼は慌てて首元へ手をやった。直そうとして反対側まで曲げてしまい、マルタが見かねて両方の襟を整える。法務官として何百人もの前で話せるのに、服装のことになると急に手が不器用になるのは、三年前から変わっていなかった。


「ありがとうございます。今朝、法案の最終書類が届き、着替える時間が短かったのです」


「法案が成立したのですか」


「はい。国王陛下の署名と公布印がそろいました。既婚女性財産権法は、本日より正式に施行されます」


セドリックが筒から羊皮紙を取り出すと、周囲へ人が集まった。新しい法律では、既婚女性も夫の許可なく工房や商会を所有し、自分の名義で口座と契約を持つことができる。結婚前の財産と、本人の技術によって得た収入も、夫が一方的に売却できないと定められていた。


「これで、地下室へ隠れなくても商売ができるのですね」


ノーラがリタの手を握りながら尋ねた。セドリックはうなずき、彼女の名前で石鹸工房を所有できると説明した。広場の女性たちから拍手が起こり、工房主たちは互いの肩をたたいた。


「法律の名前だけでは、暮らしは変わりません。皆さんが使って初めて、権利は動き始めます」


セドリックが言うと、ノーラは胸元に下げた自分名義の工房証を指で確かめた。ミラは染め直した深緑色の上着の釦を留め、カイルは共同工房の看板を持ち直す。彼らが小さく始め、帳簿を残し、借金を増やさず仕事を続けた記録が、新法を成立させる証拠にもなっていた。


「セドリック様も、ずいぶん働かれましたね。今日くらいは、書類を置いて食事をなさってください」


エルナは羊皮紙を受け取り、彼の革鞄を見た。鞄の口からは別の法令集と未処理の書類がのぞいている。マルタはすでに豆と挽肉の包み焼き、川魚、蕪の酢漬けを一枚の皿へ載せ、逃げられないようセドリックへ渡した。


「この量を全部ですか」


「法案を成立させた方へのお祝いです。残してはいけません」


「ガストン先生の皿より多いようですが」


「先生には、すでに三皿お出ししました」


完成式では、国王から届いた祝辞が読み上げられた。続いて農村組合、小規模工房の代表、治療院の責任者が、新しい中央工房で行う仕事について話す。エルナは壇上へ立ったが、豪華な演説ではなく、工房の非常口と子ども部屋の場所、昼食の配膳方法を先に説明した。


「会頭、完成式で食堂の使い方まで話すのですか」


ガストンが前列から声を上げると、広場に笑いが起きた。エルナは壇上から、食事を抜いて働く者が一人でも減るように作った工房だから、食堂は大切な設備だと答える。マルタが一番大きな拍手を送り、ガストンも蕪を口へ入れながら片手で拍手した。


式が終わる頃、西の空は薄い橙色へ変わっていた。広場では研修を終えた者たちが、自分の店や工房の看板を抱え、家族と記念の絵を描いてもらっている。石鹸、革修繕、染め直し、保存食、薬草栽培など、看板に記された仕事は一つずつ異なっていた。


エルナは三階の会頭室へ戻り、窓を大きく開けた。机の上には完成式で使った書類、食べかけの林檎菓子、誰かが置き忘れた子どもの青い色鉛筆が残っている。窓から入った風が紙を揺らしたため、彼女はガストンから譲られた小さな乳鉢を重しとして載せた。


机の引き出しを開けると、二本の鍵が入っていた。一本は、自分の手で薬や生活用品を作る錬金工房の鍵である。もう一本は、各地の工房と契約を結び、商品を王国中へ届けるアフェクタ商会の鍵だった。


十五年前、エルナが持っていた稼ぎ口は一つもなかった。伯爵夫人という身分、屋敷の部屋、食卓へ出される料理、履いている靴まで、すべてレイモンドの判断で失う可能性があった。離縁を言い渡された日、四つの鞄で屋敷を出ることができたのは、外にもう一つの場所を作っていたからだった。


今では、自分が工房へ立てない日も、商会の仕組みが職人たちの働きを商品へ変え、各地へ届けている。一つの工房が止まっても、別の工房が製造を補い、一つの商品が売れなくても、ほかの仕事が商会を支える。一本目の鍵が自分の技術を守り、二本目の鍵が、その技術を誰かの暮らしへつないでいた。


扉が控えめにたたかれ、十六歳ほどの少女が入ってきた。今日の完成式で研修生代表を務めたリゼットで、淡い黄色のワンピースの上へ、まだ新しい白い作業着を羽織っている。彼女は母親と二人で暮らし、町の食堂で皿洗いをしながら、保存袋作りを学び始めたばかりだった。


「会頭、お尋ねしてもよろしいでしょうか」


「どうぞ。椅子へ座ってください」


「皆さんの工房を見たら、私だけ何も持っていないように思えてきました。石鹸も作れませんし、錬金術もまだ失敗ばかりです」


リゼットは椅子の端へ座り、作業着の袖口を指でつまんだ。右の袖には、保存液をこぼした薄い黄色の染みがついている。洗えば落ちるかもしれないと何度もこすったのか、そこだけ布が毛羽立っていた。


「私にも、本当にできるでしょうか」


エルナは引き出しの奥から、小さな革袋を取り出した。紐は何度も結び直したため柔らかくなり、革の表面には地下室でついた薬草の染みが残っている。袋を開けると、中から古い銀貨が一枚現れた。


「これは、私が傷薬を三瓶売ったときに得た最初の銀貨です」


「会頭にも、三瓶しか売れなかった頃があったのですか」


「最初は三瓶作るだけで、何日もかかりました。薬草を焦がし、分量を間違え、ガストン先生から何度も叱られました」


「それでも、商会を作れると思っていたのですか」


「いいえ。次に十瓶作ることしか考えていませんでした。十瓶が売れたら、保温石を三個作りました。その一つずつを積み重ねたのです」


リゼットは銀貨を両手で受け取った。銀の表面は黒ずみ、王国の紋章も少し擦れている。現在のアフェクタ商会が一日に動かす金額に比べれば小さな一枚だったが、エルナにとっては、誰にも許可を得ずに使い道を選んだ最初の金だった。


「最初から二つも作らなくてよいのです。まず一つ、自分の力で小さく始めるのです。その一つが育ったら、倒れないように、もう一本の柱を立てればよいのです」


「私の一つ目は、保存袋でよいのでしょうか」


「はい。まず一枚作り、誰かに使ってもらいましょう。使いにくければ直し、売れなければ理由を聞いてください」


「一枚売れたら、次はどうしますか」


「二枚目を作ります。ただし、食事と睡眠を削ってはいけません。暮らしを守るための仕事で、暮らしを壊しては意味がありませんから」


リゼットは銀貨をエルナへ返し、代わりに作業着のポケットから、小さな保存袋を取り出した。縫い目は少し曲がっていたが、口の紐は片手でも閉められるよう工夫されている。エルナは中へ机の上の林檎菓子を一切れ入れ、紐を締めた。


「明日の朝まで乾かなければ、最初の商品にできますね」


「本当に、これを使ってくださるのですか」


「林檎菓子が乾かずに残れば、代金を払って買います。ただし、乾いてしまったら、どこから空気が入ったか一緒に調べましょう」


「はい。明日の朝、一番に確認へ参ります」


リゼットが部屋を出ると、入れ替わるようにセドリックが入ってきた。正装の上着を脱ぎ、腕へ掛けている。襟はまた片側だけ折れ、皿から持ってきたらしい林檎菓子を二個、紙へ包んでいた。


「一つはガストン先生に奪われる場合に備えた予備です」


「先生に見つかる前に、鞄へしまったほうがよいですよ」


「これは、あなたの分です。完成式のあいだ、ほとんど召し上がっていなかったでしょう」


セドリックは一個をエルナの机へ置き、もう一個を自分の上着のポケットへ入れた。エルナは保存袋に入れた菓子を指し、明日の試験用だから、こちらは食べられないと説明する。二人は窓辺へ並び、広場で看板を抱える人々を眺めた。


「三年前、この商会で初めてお会いした日も、あなたは昼食を忘れていました」


「セドリック様も、調停が長引いたと言って、根菜スープを二杯召し上がりました」


「あの日から、ずいぶん変わりましたね」


「変わらないところもあります。先生は今も食べすぎますし、マルタは今も私の皿へ鶏肉を追加します」


「私も、今も襟を直すのが苦手です」


セドリックは首元へ手をやったが、また反対側を折ってしまった。エルナは手を伸ばし、両方の襟を同じ形へ整える。指先が触れそうになり、二人は同時に手を引いた。


「新法が成立したので、法務官としての大きな仕事は一段落しました。これからは、もう少し商会の仕事を手伝えると思います」


「仕事としてでしたら、正式な契約書を用意します。友人だからといって、報酬は減らしません」


「仕事の話だけではなく、もう一つ、ご相談があります」


「どのようなことでしょう」


「すぐに答えを求めるつもりはありません。あなたが誰かの妻になるために仕事を手放す必要も、私の家へ入る必要もありません。そのうえで、これからも仕事以外の時間を、私と過ごしていただけませんか」


エルナは机の上の二本の鍵を見た。以前なら、結婚とは自分の鍵を誰かへ渡し、その家の扉だけを使うことだと思っていた。けれど、セドリックは鍵を渡せとも、商会を自分の家へ組み入れたいとも言わなかった。


「まずは、夕食をご一緒するところからでよろしいですか」


「もちろんです。今夜でなくても構いません」


「今夜にしましょう。ガストン先生に料理を食べ尽くされる前に、広場へ戻らなければなりませんから」


セドリックは何度もうなずき、隠していた林檎菓子の包みを確かめた。二人が階段を下りると、広場から食器の音と笑い声が聞こえてくる。焼いた肉と香草、林檎、石鹸、春の湿った土の匂いが、開いた扉から工房内へ流れ込んだ。


夕食の前に、最後の見学会が行われることになった。エルナは机の引き出しから二本の鍵を取り出し、一階へ降りる。正面入口には、新しい工房で働く職人、研修生、子どもたちが集まり、扉が開くのを待っていた。


一本目の鍵を使い、錬金作業場へ続く内扉を開けた。中にはガストンから譲られた古い蒸留器と、新しい安全設備が並んでいる。二本目の鍵を使うと、商品倉庫と商会事務所へ続く大扉が開いた。


「それでは、明日からここで仕事を始めます」


エルナが告げると、職人たちは自分の道具箱を持ち上げた。ノーラは石鹸を入れた籠を、カイルは革紐を、ミラは色分けした薬草袋を抱えている。リゼットも縫い目の曲がった最初の保存袋を、作業着のポケットへ大切にしまった。


扉の向こうにあったのは、夫から与えられた部屋でも、伯爵家の名で守られた場所でもなかった。大きな窓、汚れてもよい作業台、誰かが食べかけた丸パン、子どもの描いた絵、職人たちが自分で選んだ道具が並ぶ、暮らしの痕跡を持った仕事場だった。


エルナは二本の鍵を掌へ載せ、開いた扉を押さえた。一つの場所を失っても、人生のすべてを失うわけではない。一つ目の稼ぎ口を自分の手で作り、それが育ったら、支えとなる二つ目を作ればよい。


「エルナ様、早くいらしてください。先生が、林檎の菓子を全部食べようとしています」


広場からマルタの声が聞こえた。続いてガストンが、引退祝いだから五個までは許されるはずだと反論し、子どもたちが一人二個だと声をそろえる。エルナはセドリックと顔を見合わせ、二本の鍵を商会服のポケットへしまった。


新しい工房の扉は開いたままにした。明日の朝には職人たちがここへ入り、炉へ火を入れ、薬草を量り、商品を作り始める。誰かから与えられる居場所を待つのではなく、自分たちの手で作り上げた場所で、それぞれの最初の一枚が、また生まれようとしていた。



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