EP 5
【決着】慰謝料と合気道によるM&A。母の背負い投げが実家(ブラック企業)を完全論破する
大広間にばら撒かれた、分厚い裏帳簿のコピー。
そこに記載された数字と、帝国法務局や特捜部の名前を出された瞬間、ルシファン家の経営トップ(当主と第一夫人)は、完全にフリーズした。
「ば、馬鹿な……。なんだこの数字は……! こんなもの、ただのデタラメだ!」
「おほほ! そうですわ! 平民の女が、悔しさのあまり偽造したに決まっております! 誰がこんな三文芝居を信じるというのですか!」
ゴートンとエレノアは必死に声を張り上げ、己の正当性を主張する。
典型的な『コンプライアンス違反を指摘されたブラック企業の社長』の反応だ。証拠を突きつけられても、まずは大声で否定し、相手の属性(平民、商人)を攻撃して論点をすり替えようとする。
だが、元・ゴルド商会幹部候補である母・マリアの追及は、外資系金融の監査のごとく冷酷だった。
「偽造? でしたら、四ページ目をご覧ください。アバロン魔皇国の国境付近を拠点とする密輸業者との取引記録……そこに押されている印璽は、エレノア様の実家のものと完全に一致しておりますわ。インクの成分分析まで、ゴルド商会の錬金術師に裏付けを取ってあります」
「ヒッ……!?」
「それに、領民からの税の不当な搾取と着服。この金の流れは、旦那様の個人金庫から、エレノア様のドレスや宝石の購入代金へと見事に繋がっております。……言い逃れができるとでも?」
完璧なロジックと、揺るがぬ物証。
逃げ道を完全に塞がれたゴートンは、ギリィッ! と奥歯を鳴らし、顔を鬼のように歪めた。
「き、貴様ァァァッ!! 俺を、このルシファン家の当主を、貴族を脅す気かァァッ!!」
ゴートンの全身から、どす黒い『闘気』が爆発的に噴き出した。
論理で勝てないと悟った無能が最後に取る手段――暴力による隠蔽である。
「こんな紙切れ、ここで焼き捨ててしまえば証拠隠滅だ! そして貴様ら母子も、この場で不敬罪として斬り捨ててくれるわッ!!」
腰に帯びていた長剣を引き抜き、ゴートンが母さんに向かって突進してくる。
大柄な男の、闘気による身体強化。それが本気で殺意を向けてくるプレッシャーは、並の人間ならその場に腰を抜かすほどの迫力があった。
(……チッ、やっぱり最後は物理で来るか。仕方ない、ウンディーネ、ノーム)
『準備オッケーですわ、悪徳社長』
『いつでも防壁を出せまさァ!』
俺は脳内で非正規雇用の精霊たちに指示を出し、魔法のトリガーに指をかけた。
しかし――その瞬間、母さんが背中で『手出し無用』の合図を送ってきた。
「……野垂れ死ぬのがどちらか、お教えすると言ったはずですわ」
母・マリアは、殺意の塊となって突っ込んでくるゴートンに対し、一歩も引かなかった。
それどころか、すっと右足を半歩前に出し、両手をだらりと下げて極めて自然体で構えた。
「死ねェェェッ! マリアァァァッ!!」
ゴートンが渾身の力で長剣を大上段から振り下ろす。闘気が刃を包み、空気を切り裂く轟音が鳴り響いた。
だが。
――クルリ、と。
母さんの身体が、まるで風に舞う柳のように滑らかに反転した。
ゴートンの振り下ろした剣の軌道から紙一重で身をかわし、同時に、ゴートンの踏み込んだ右腕をふわりと両手で掴み取る。
(……あれは、合気道!?)
俺は目を丸くした。
以前、母さんの護身術の稽古に付き合った際、前世の知識として「物理学的に、相手の力を利用して重心を崩す技術がある」と口頭でアドバイスしたことはある。だが、まさかそれを商人としての実戦経験と組み合わせ、ここまで完璧な武術に昇華させていたとは。
「なっ……!?」
ゴートンが驚愕の声を上げた時には、すでに手遅れだった。
闘気による超加速と、自身の絶大な体重。その莫大な運動エネルギー(運動量ベクトル)を、母さんは一切逆らうことなく円の動きで受け流し、さらに自らの足払いを添えて『前方』へと完璧に誘導した。
「武功だの闘気だの……時代遅れの脳筋が、商人を舐めるなッ!!」
ダァァァァンッッッ!!!
凄まじい轟音。
ルシファン家当主の巨体が、己の闘気の勢いそのままに空を舞い、大理石の床に頭から激突した。
広間のシャンデリアが激しく揺れ、エレノアやバカ兄貴たちが「ヒィィッ!?」と情けない悲鳴を上げて腰を抜かす。
白目を剥き、完全に気絶してピクピクと痙攣するゴートン。
母さんは、その巨体の背中をハイヒールで容赦なく踏みつけ、見下ろした。
「さて、エレノア様」
氷の微笑みを浮かべた母さんが、震える第一夫人を振り返る。
「旦那様がこんな状態では仕方ありませんわね。これにサインと判を。……一秒遅れるごとに、特捜部への告発状の提出が早まりますわよ?」
差し出されたのは、『離縁状』と『財産譲渡契約書』。
そして、請求額の欄には『慰謝料および解決金:金貨三十万枚(約三十億円相当)』という、ルシファン家の全財産を文字通りひっくり返すようなエグい数字が記載されていた。
「ひっ、ひぃぃ……っ! わ、わたくしは関係ありませんわ! 全部この男が……っ!」
「サインを」
「ヒッ! は、はいぃぃっ!」
エレノアは震える手で羽根ペンを握り、ゴートンの代わりに震える字でサインを書き殴った。
こうして、ルシファン伯爵家という名のブラック企業に対する、俺と母さんの『地獄のM&A(敵対的買収)』は、完全なる勝利をもって幕を閉じたのである。
数日後。
ルナミス帝国の首都近郊、治安が良く緑豊かな高級住宅街の一角。
俺と母さんは、慰謝料としてゴートンから毟り取った金貨三十万枚の一部を使い、広大な庭付きの豪邸を一括で購入していた。
白亜の壁に、ふかふかの絨毯。最新式の魔導キッチンに、いつでも適温のお湯が出る魔導バスルーム。ルナミス帝国特有の100円ショップ概念から生まれた便利グッズも完備されている。
「ふふっ。どう、トーマ? 少し広すぎるかもしれないけれど、これからはここが私たちの新しい『お城』よ」
リビングの高級ソファで紅茶を飲みながら、母さんが優しく微笑む。
俺は出されたマカロンをかじりながら、深く、深く頷いた。
「最高だよ、母さん」
モラハラ親父も、陰湿な第一夫人もいない。
理不尽な精神論を押し付けられることもなく、資金繰りに怯える必要もない。
まさに、前世でどれほど働いても手に入らなかった『超絶ホワイト生活』がここにあった。
(……母さん、すげーわ。やっぱりこの人の有能さはアナスタシア世界でもトップクラスだ。下手に俺がチートで無双するより、母さんのコンサルに回っていた方が絶対に安全で儲かる)
俺はソファに寝転がり、幸せな気分で目を閉じた。
これでいい。
俺はもう二度と働かない。この潤沢な資産を運用しつつ、静かに、誰にも迷惑をかけずにニートとして生きていくのだ。
『……オイ、ボス』
『社長? くつろいでいらっしゃるところ申し訳ありませんが』
脳内に、不躾な声が響く。
『引越し作業の手伝いで、俺ら精霊に家具の運搬とか魔導ストーブの点火とかやらせましたよね?』
『ええ。これは明らかな「実働」ですわ。事前の契約通り、基本給(基礎魔力)に加えて、労働対価としての特別手当を要求いたしますわ』
……ちっ。
こいつら、きっちり労働時間をタイムカード(魔力記録)で切りやがった。
俺はソファから身を起こし、頭を掻き毟った。
(わかったよ、今支給してやる! ……あーあ、ホワイト生活を手に入れても、経営者の苦労は絶えないってことか)
俺こと神崎健太郎、現トーマ・ルシファン、五歳。
実家という名のブラック企業からの脱出には成功したが、今度は『非正規雇用の精霊たち』という厄介な労働組合を抱え込むことになった。
――そして時は流れ、タイムスキップ。
俺が十六歳になり、本格的な『マネジメント業務(冒険者活動)』に巻き込まれるのは、ここからもう少し先の話である。
読んでいただきありがとうございます。
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