EP 2
0歳児の企業分析。親会社(実家)は倒産確実につき、母と秘密のスペック底上げを開始する
人間の赤ん坊という生き物は、恐ろしく不便なハードウェアだ。
視力はぼやけ、首は座らず、言語中枢が未発達なため「あー」か「うー」しか出力できない。前世で分刻みのスケジュールをこなし、マルチタスクで億単位の資金を動かしていた俺からすれば、この圧倒的なスペック不足は拷問に近かった。
しかし、文句を言っても始まらない。
コンサルタントたるもの、まずは現状分析だ。俺はベビーベッドの上で天井の染みを眺めながら、自分を取り巻く『ルシファン伯爵家』という組織の財務・人事状況の把握に努めた。
結論から言おう。
この親会社、遠からず確実に倒産(没落)する。
「マリア! 今月の領地からの税収がまた減っているではないか! どういうことだ!」
ベビーベッドの置かれた部屋の扉が乱暴に開き、怒声が響き渡った。
金糸の刺繍が施された豪奢な(しかしよく見ると袖口が擦り切れている)貴族服に身を包んだ大柄な男。それが、俺の今世の父親であり、ルシファン家の当主、ゴートン・ルシファン伯爵(50)だった。
彼は顔を真っ赤にして、俺の母親であるマリア(30)を怒鳴りつけている。
「申し訳ありません、旦那様。しかし、隣の領地が最新の魔導農機具を導入した影響で、我が領地の旧式な農作物の価格競争力が低下しておりまして……。先日ご提案した、ゴルド商会を通じた販路拡大と品種改良の件に投資をしていただければ——」
「黙れ! 商人の小賢しい計算など聞きたくないわ!」
ゴートンはマリアの的確な改善案を、文字通り一喝で切り捨てた。
「貴族たるもの、闘気と武功こそが全て! 魔法だの経済だの、平民のやるような小細工に頼るなどルシファン家の恥だ! 農民どもには気合を入れてもっと働かせろ! 俺はこれから第一夫人の親族の夜会に出る!」
そう吐き捨てると、ゴートンはベビーベッドで静かにしている俺を一瞥した。
「……ふん。平民上がりの女の産んだ三男坊か。闘気も持たぬような無能に育てば、容赦なく家から叩き出すからな」
バタンッ! と鼓膜を破らんばかりの音を立てて扉が閉まる。
俺はベビーベッドの中で、冷ややかに思考を巡らせた。
(……典型的な老害ワンマン社長だな。市場の変化(ルナミス帝国の近代化)を無視し、過去の成功体験(武功)に固執し、部下(領民)に精神論で無理難題を押し付ける。おまけに、第一夫人の実家から多額の借金をしてマウントを取られている状態か。完璧な『倒産テンプレ』だ)
ルナミス帝国は、かつて佐藤太郎という転生者が築いた近代化の波により、今や魔導戦車や魔導列車が走る時代だ。そんな中で「剣と闘気が全て」などと言っているこの家は、もはや時代遅れの不良債権でしかない。
第一夫人やその息子たち(俺の腹違いの兄)も、母のマリアを「小汚い商人女」と見下し、陰湿な嫌がらせを繰り返しているらしい。
組織風土は最悪。財務は火の車。経営トップは無能。
よし、この家(泥船)を立て直す義理など一ミリもないな。
「……はぁ。行ってしまわれたわね」
ゴートンの足音が完全に消えると、それまで神妙に頭を下げていた母・マリアが、ふうっと深い溜息をついた。
彼女はベビーベッドを覗き込み、俺の頬を優しく撫でる。
「ごめんね、トーマ。うるさかったわよね」
その瞳には、先ほどまでの弱々しい態度は微塵もなかった。
元・大陸屈指の大企業『ゴルド商会』の幹部候補として最前線で揉まれてきた商人の顔。そして、我が子を何があっても守り抜くという、母としての強い光が宿っていた。
「あのクソ親父(旦那様)……市場経済を何だと思ってるのかしら。ゴルド商会のオロチ会長が聞いたら、鼻で笑って三秒で買い叩くわよ、こんなポンコツ領地」
……母さん。口調、口調。育ちの悪さ(本音)が出てる。
だが、俺はその現実的でドライな母さんが大好きだった。前世で家族の温かさを知らずに過労死した俺にとって、この母からの無償の愛だけは、何に代えても守るべき『最重要アセット(資産)』だ。
「でも、都合がいいわ。あいつらが闘気や剣術にしか興味がないなら、私たちのことは放っておいてくれるもの」
マリアは悪戯っぽく笑うと、部屋の鍵をカチャリと閉め、窓のカーテンを引いた。
そして、俺の小さな胸の上に、両手をそっと重ねる。
「さあ、トーマ。今日のエステ(ドーピング)の時間よ」
次の瞬間、マリアの手のひらから、淡く温かい黄金色の光が溢れ出した。
高純度の『回復魔法』だ。
ルナミス帝国には、佐藤太郎が遺した教育理論がある。『赤ん坊から六歳までに回復魔法を注ぎ続ければ、細胞の限界が拡張され、身体能力や闘気、魔力が爆発的に向上する』というものだ。
だが、これには膨大な魔力と、高度な技術、そして何より根気が必要になる。教会に頼めば莫大な費用がかかるため、貴族でも一部の者しか実践できない。
しかし、俺の母・マリアの魔力コントロールは異常だった。
商人の護身用として身につけたというその魔法は、優しく、しかし確実に俺の身体の細胞一つ一つに浸透し、限界値を押し広げていく。
「あー、うー(母さん、魔力出力が最適化されてない。もう少し腹式呼吸を意識して)」
「ふふっ、トーマは本当に賢い子ね。まるで『こっちに流せ』って誘導してくれてるみたい。それじゃあ、もっといくわよ」
俺は赤ん坊の身体のまま、目を閉じた。
前世のMBA時代、過酷なストレスから身を守るために習得した『マインドフルネス(瞑想)』の技術。それを応用し、母から注ぎ込まれる回復魔法のエネルギーを、体内の魔力回路と闘気回路の双方にバランスよく循環させる。
(……なるほど。魔法は『脳と神経』、闘気は『筋肉と血管』を拡張するイメージか。なら、両方を同時に回せば、相互作用でリミッターが外れる)
通常、人間は魔法か闘気のどちらかに偏る。しかし俺は、0歳児にしてその両方の循環を最適化するプロセスを構築し始めていた。
「すごいわ、トーマ……。あなた、魔法も闘気も、どんどん吸収していく。きっと、誰よりも強くて賢い子になるわ」
汗を拭いながら、マリアは嬉しそうに俺の額にキスをした。
その優しい温もりに、俺は心の中で静かに誓う。
(ああ。強くなるさ。理不尽に踏み躙られないために。そして、いずれ必ずやってくる『追放』の日に、このブラック企業から莫大な退職金(慰謝料)を毟り取り、あんたと一緒に最高のホワイト生活を手に入れるために)
それから約二年の月日が流れた。
二歳になった俺は、すでに両足でしっかりと立ち、簡単な言葉を話し、そして体内を巡る魔力と闘気の循環を完全にオートメーション化することに成功していた。
準備は整いつつある。
あとは、三歳の『スキル検査』、そして五歳の『魔力検査』というマイルストーン(節目)に向けて、完璧な「無能の穀潰し」を演じ切るだけだ。
待っていろ、ルシファン伯爵家。
元・外資系コンサルの『計画倒産』の恐ろしさを、その身に刻んでやる。
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