第2話 エルフ語、まじで分からん
三人が落ちた場所は、森だった。
枝葉の隙間から、夕方の終わりの空が見える。
巨大な月が浮かび、森の奥は少しずつ暗くなっていた。
木々は高く、葉は青黒い。
幹には淡い光の粒が浮かび、足元の草は柔らかく湿っていた。
どこからか、鈴のような虫の声が聞こえる。
知らない森。
知らない空気。
知らない匂い。
綺麗で、広くて、少し怖い。
そして。
「たしかさ!」
日野陽菜が、急に手を打った。
「落ちてる時、森の向こうに街っぽい灯り見えた!」
「落下中にそんなもの見ていたの?」
水瀬澪が呆れたように見る。
「見えた見えた! めっちゃキラキラしてた! あっち!」
陽菜が指差した先には、木々が深く重なっている。
どう見ても、森のさらに奥だった。
「……あそこへ行くには、森の奥へ進む必要があるわね」
「じゃあ行くしかなくない?」
「危険度が高そうだけど」
「でも街行かないと、ごはんも寝るとこもなくない?」
澪は少し黙ってから、ため息をついた。
「……それはそうね」
風見由良が、両手を震わせた。
黒髪。
小柄。
長い袖。
眠そうな目。
だが今、その目だけは完全に覚醒している。
「森の奥……! つまりイベント密度が上がる場所……! 薬草、魔物、エルフ、精霊、隠された古代遺跡、封印されし魔王の欠片……!」
「危険度が上がる場所よ」
「同じ意味?」
「違う」
澪が即答する。
陽菜はけらけら笑った。
「おっけー! 慎重にダッシュしよ!」
「慎重とダッシュは両立しない」
「澪、異世界初心者なのに警戒心だけ上級者」
「陽菜が初級以下だからよ」
「え、ひど」
「褒めてはいないわ」
三人は森の奥へ歩き出した。
夕暮れの光は少しずつ薄くなり、木々の影が濃くなる。
枝の隙間から見える空は、青から紫へ変わっていく。
巨大な月が、少しずつ白く強くなっていた。
「やば。森かわいくない?」
陽菜が言う。
「かわいいで済ませていい場所ではないと思うけど」
「でも光ってる木とかあるよ? インテリアじゃん」
「自然よ」
「異世界の自然、センスいいね」
「褒め方が軽い」
その後ろで、由良が急に足を止めた。
「待って」
陽菜と澪も止まる。
「何?」
「……明かり」
由良が指差した先。
木々の奥に、淡い光があった。
街の灯りにしては近い。
けれど、焚き火とも違う。
枝の間に、ほわりと浮かぶような光。
その光の下に、木の幹に寄り添うような家が見えた。
いや、家だけではない。
木の上にも、枝と枝の間にも、小さな建物がある。
蔦でつながれた通路。
淡く光るランタン。
葉に隠れるように並ぶ家々。
「村……?」
澪が呟いた。
その瞬間。
木の影から、人影が見えた。
長い耳。
細い体。
弓を持った、綺麗な顔の人影。
由良の呼吸が止まった。
「……エ」
ぷるぷる震える。
「エ……」
さらに震える。
「エルフだあああああああああああああああああ!!」
「声!」
澪が慌てて由良の口を塞いだ。
しかし遅かった。
村の中が、ざわりと揺れた。
灯りの下にいた長耳の人々が、こちらを見る。
子供らしき姿が家の中へ引っ込む。
大人たちが集まり、弓を手にする。
由良は、澪の手を外して小声で早口になった。
「生エルフ……長耳……森……弓……精霊信仰……長命種……実在した……世界、ありがとう……!」
「由良、落ち着いて」
「無理。エルフは無理。歴史がある。文化がある。二次創作がある。いや、ここでは一次創作か? 現実だから原典? 待って、概念が壊れる」
「こっちの頭も壊れそう」
陽菜は目を輝かせた。
「耳なが! すご! かわい!」
「陽菜も声を落として」
「あ、ごめん」
エルフたちが近づいてくる。
その瞬間、由良の表情が変わった。
「……待って」
「何?」
「エルフも人だった」
澪が横を見る。
由良の顔から、さっきまでの興奮がすっと引いていた。
かわりに、顔色が少し悪い。
「当たり前じゃない?」
「違う。画面越しのエルフと、目の前のエルフは違う。目がある。こっちを見てる。社会性がある。会話が発生する。無理」
「急に現実に戻らないで」
「知らない人類……しかも耳が長い……情報量が多い……」
近づいてきたエルフの一人が、三人を見て何かを言った。
「……何者だ」
言葉は分かった。
澪が小さく息を飲む。
「言葉は通じるみたいね」
由良は少しだけ持ち直した。
「異世界ものは言葉が通じる。これは基本無料パック」
「基本無料とは限らないでしょ」
「ここは私が、異世界知識を総動員して交渉を……」
由良は一歩前に出た。
エルフたちが一斉に由良を見る。
由良の肩が跳ねた。
「あ」
目が合う。
長耳の知らない人たちが、全員こちらを見ている。
「あ、あば」
「由良?」
「あばばばばばばばばば」
「人見知り出てんじゃん!」
陽菜が思わず叫んだ。
「違う! これは人見知りではなく、未知の長耳人類を前にした脳の防衛反応であって!」
「それを人見知りって言うのよ」
澪が冷静に言う。
その瞬間。
空気が凍った。
エルフたちの表情が変わる。
弓を持つ手に力が入る。
誰かが低く呟いた。
「アグロ」
別のエルフも言う。
「アグロか」
「アグロでよい」
「アグロせよ」
「古き怒りだ」
「アグロ、アグロ」
三人は固まった。
「……アグロ?」
陽菜が首をかしげる。
「ゲームで聞いたことある」
由良が震える声で言った。
「アグロは敵対値。つまり、我々はヘイトを買っている可能性がある」
「いや、なんかめっちゃ怒ってない?」
陽菜が由良を見る。
「あんた怒らせてんじゃん!」
「言ってない! ただの人見知り音声!」
澪がエルフたちを見る。
「でも明らかに悪化したわ」
「私のせいなの!?」
「たぶん」
「理不尽!」
エルフたちはさらにざわついている。
「アグロ」
「アグロせよ」
「黒き小娘、古き言葉を吐いた」
「アグロが鳴り止まぬ」
「アグロが鳴り止まないって何!?」
陽菜が叫ぶ。
由良は頭を抱えた。
「エルフ語、怖っ!」
その時、由良がはっとした。
「待って」
「何?」
「澪のスキルに、ルールブックってなかった?」
澪が目を細める。
「……確認するわ」
由良はなぜか少しだけ背筋を伸ばした。
「ステータス、オープン!」
しん。
次の瞬間、澪の前に半透明の画面が浮かんだ。
由良の前にも。
陽菜の前にも。
光でできた薄い画面。
そこには、名前とスキル一覧、称号らしきものが表示されている。
能力値の数字は出ていない。
澪は画面を見た。
「……出たわね」
由良は固まった。
「今の詠唱、いらなかった?」
「たぶん」
「ステータス、オープン……いらなかった?」
「たぶん」
「……恥ず」
由良の耳が少し赤くなった。
陽菜が前から振り返る。
「由良、顔赤いよ!」
「見ないで! 今、私の中の中二が社会的に死んだ!」
澪は自分のスキル一覧を見る。
「ルールブック……これね」
意識した瞬間。
どん、と音がした。
澪の手元に、分厚い本が現れた。
辞書というより、学校の全教科書を束ねて殺意を持たせたような厚みだった。
陽菜が目を丸くする。
「でっっっか」
由良が小声で言う。
「3Dホログラムから物理本!? 異世界UIどうなってんの!? ミクとかVTuberとかブルーアイズ出せたら最高だったのに、出てきたの鈍器!?」
「今は黙って」
「はい」
澪は本を開いた。
ページが勝手にめくれていく。
光る文字が、空中に浮かんだ。
「エルフ……言語……古語……警戒語……感情語……」
澪の目が止まる。
「アグロ」
陽菜が身を乗り出した。
「意味は?」
「……殺す、という意味みたい」
三人は沈黙した。
エルフたちは、相変わらずこちらを見ている。
「アグロ」
「アグロせよ」
「アグロ、アグロ」
陽菜がぽつりと言った。
「やばーーーーーー!!」
由良も叫ぶ。
「敵対値じゃなくて殺意そのものだった!」
澪が本を見ながら言う。
「アグロせよ、は殺せ、ね」
「やばすぎ!」
陽菜は青ざめた由良を見る。
「てかさ」
「何?」
「由良の、あばばばばばばばも意味あんじゃねーの?」
由良は固まった。
「まさか」
澪が本に視線を落とす。
「……一応、調べるわ」
「いやいやいや、ただのバグ音声だから。私の口から出た故障音だから」
ページが勝手にめくれる。
ぴたりと止まった。
澪の顔が固まる。
由良の声が震えた。
「……あった?」
「古代エルフ挑発語」
「なんで?」
澪は少しだけ目を逸らした。
「意味は……かかってこい、クソ虫」
三人は再び沈黙した。
そして。
「やばーーーーーー!!」
陽菜が叫ぶ。
「由良ああああ! あんた完全に喧嘩売ってんじゃん!」
「売ってない! 私そんな攻撃的な人間じゃない!」
「古代エルフ語では言ったことになってるわ」
「私の人見知り音声が古代エルフに対応してるなんて知らない!」
澪は本を閉じかけて、やめた。
「言語事故ね」
「事故の規模が戦争!」
エルフたちの弓が、さらに強く引かれる。
澪が一歩下がった。
「まずいわね」
由良は完全に陽菜の背中に隠れた。
「終わった……私の異世界人生、古代語で終わった……」
その時、陽菜がすっと前に出た。
「ウチが謝ってくる」
「陽菜、待って。危険よ」
「でも、怒らせたなら謝らないとじゃん?」
陽菜は両手を上げた。
弓を向けられているのに、声は不思議なくらい明るかった。
「ごめん! 今の、うちの友達の口バグ! かかってこいとか思ってないし、クソ虫とも思ってない! むしろエルフかわいいって言ってた!」
「それも言わないで!」
由良が後ろから悲鳴を上げる。
陽菜は気にせず続けた。
「ウチら今日めっちゃ困ってて。森に落ちて、街行きたいんだけど道分かんなくて、日も暮れてきて、まじで詰んでるの。一晩だけ泊めてもらえたりしない?」
エルフたちは沈黙した。
ギャル語が、森の夜にふわっと浮いた。
「怪しいのは分かる! 服とかも違うし、急に来たし、たぶんめっちゃ怪しいと思う! でも、ウチらほんと悪いことしないから。なんなら手伝えることあったら手伝うし」
陽菜は村を見回した。
「てか、ここめっちゃ綺麗だね。木の家かわいすぎ。ランタンもかわいい。森の中なのに、なんか星みたい」
エルフたちの空気が、少し揺れた。
弓はまだ下がらない。
けれど、殺気の色がほんの少しだけ薄くなる。
その後ろで、由良が小声で言った。
「なんで陽菜、あんな平然としてんの……? 弓向けられてるんだよ?」
澪は陽菜のステータス画面を見直した。
「……恐怖耐性」
「え?」
「陽菜のスキル。恐怖耐性がある」
「そうか、恐怖耐性……!」
「精神侵食耐性もある。たぶん、恐怖で判断が鈍りにくいのね」
「チートじゃん……」
澪は少しだけ眉を寄せた。
「便利だけど、危険でもあるわ。普通なら止まる場面で止まらない可能性がある」
「ホラー映画で真っ先に地下室行くタイプだ……」
「陽菜なら行くでしょうね」
「行くね」
前にいる陽菜が、なぜか振り返った。
「え、地下室? 行く行く!」
「今は行かないで」
澪が即座に止めた。
由良は自分のステータス画面を見る。
「……待って」
「どうしたの?」
「なんで私だけ、いくつかデバフついてんだ……?」
画面には、由良のスキルが並んでいた。
固有スキル、創造主。
風魔法適正。
危険察知。
不穏な風。
魔力制御。
解析者。
ストレージ。
そして。
初期魔力低下。
対人恐怖症。
「対人恐怖症ってステータスに書く必要ある!? 本人が一番知ってるんだけど!?」
「さっき証明されたわね」
「あばばばばは不可抗力!」
「古代エルフ語では挑発だったけど」
「世界が私に厳しすぎる!」
その時。
ひとりの若いエルフが、小さく言った。
「……朝の火か」
陽菜は笑顔のまま首をかしげた。
「朝の火?」
別のエルフが言う。
「まだ誰も焼いていない」
「え、なにそれ褒めてる?」
由良が陽菜の後ろから小声で言う。
「エルフ比喩、まじで分からん」
やがて、奥から一人のエルフが現れた。
白い髪。
深い緑の衣。
長い耳。
顔は穏やかだが、目だけは鋭い。
長老のようだった。
「客人よ」
老人はゆっくりと言った。
「若い衆が悪かったな。夕方に結界を破られてな。みな殺気立っておる」
三人は顔を見合わせた。
(絶対私たちだ……)
声には出さない。
けれど、三人の心は完全に一致していた。
陽菜だけ、小さく呟く。
「やば、ウチらじゃん」
「黙って」
澪が小声で止める。
由良も小声で震えた。
「初手で村の防衛システム破壊……実績解除が早い……」
「解除しないで」
長老は三人を見て、少しだけ目を細めた。
「普段なら、この村に辿り着くことはない。森が道を逸らす。結界が外の者を迷わせる」
「じゃあ、私たちは……」
澪が言う。
「辿り着いた時点で怪しい、ということですね」
「そうだ」
長老はあっさり頷いた。
「数時間前、空から何かが落ち、結界を裂いた。そこへ、見慣れぬ衣をまとった三人が現れた。ならば若い衆が、殺すしかないと思うのも無理はない」
「殺す判断、早くない?」
陽菜が言った。
澪は真顔で答える。
「状況的には仕方ないわ」
「澪、異世界に来てから殺意への理解が早い」
由良が引いた。
長老は気にせず続ける。
「我らは、相手の感情を少しだけ読む。完全に心を覗くわけではない。ただ、表に出た感情の色が分かる」
長老の視線が、澪へ向く。
「そなたからは、濡れた石の匂いがした」
「……疑念、という意味ですか?」
「近い」
「近いんですか」
次に、長老は由良を見る。
「そなたからは、穴の奥で光る虫の気配がした」
「虫!?」
「怪しげな執念だ」
「違っ、純粋な学術的興味であって!」
「余計に怪しいわ」
澪が言う。
最後に、長老は陽菜を見た。
「そなたは、朝の火だ」
陽菜は自分を指差した。
「ウチ?」
「よく燃え、まだ誰も焼いておらぬ。明るく、澄み、迷いが少ない。人間とは思えぬほどにな」
「え、褒められた?」
由良がぼそっと言う。
「人外判定だよ」
澪は小さく頷いた。
「褒め言葉として受け取りなさい」
「おっけー!」
陽菜は元気よく返事をした。
長老は少しだけ笑ったように見えた。
「ゆえに、入村を許す。一晩だけだ。監視はつける。村の外には出るな」
「ありがとうございます! まじ助かります!」
陽菜が勢いよく頭を下げる。
エルフたちはまだ警戒していた。
けれど、さっきよりは空気が柔らかい。
由良が小さく呟く。
「ギャル、感情読心メタだった……」
「たぶん陽菜が特殊なだけよ」
澪が言った。
その夜、三人は長老の家の一室を借りることになった。
部屋は木の香りがした。
壁には蔦の模様が彫られ、窓の外には淡い灯りが揺れている。
布団のようなものは薄く、床は少し硬い。
けれど、森で野宿するよりは何倍もましだった。
「エルフ村に泊まってる……」
由良は布団の端を握りしめていた。
「今、私、エルフ村に泊まってる……歴史……」
「寝なさい」
澪はすでに横になっている。
とはいえ、目は閉じていない。
警戒しているのが分かる。
陽菜は布団に入って三秒で寝た。
「すぴー」
「早」
由良が言う。
「恐怖耐性って睡眠にも効くの?」
「陽菜だからよ」
澪は天井を見つめながら答えた。
そして、夜が過ぎた。
翌朝。
外が騒がしかった。
「アグロ!」
「アグロ、アグロ!」
「アグロではない!」
「アグロに似たアグロだ!」
「アグロを越えたアグロだ!」
由良と澪は同時に飛び起きた。
「殺すって言ってる! めっちゃ殺すって言ってる!」
「落ち着いて。落ち着けないけど落ち着いて」
二人は反射的に抱き合った。
陽菜だけは布団の中で目をこすっている。
「んー……朝ごはん?」
「陽菜、恐怖耐性が仕事しすぎてる!」
「羨ましいけど危ないわね」
由良が急に硬直した。
「……ビンビン」
「何が?」
「不穏な風がビンビンだよ!」
「ビンビンって言い方やめな?」
陽菜が言った。
澪は外を見る。
「今回は早いわね」
「成長した!」
「危険が来てる時点で喜べないわ」
その瞬間。
部屋の入り口の布幕が、勢いよく開いた。
「ぎゃあああああああ!」
三人が叫んだ。
立っていたのは、昨日の若いエルフだった。
弓を背負い、緊張した顔をしている。
「どうした。お前ら、出ろ」
「出ろの圧が強い!」
陽菜が布団から起き上がる。
「朝ごはんじゃない感じ?」
「違う」
若いエルフは短く言った。
「森の奥で異変だ」
三人は外へ出た。
村は騒然としていた。
弓を持ったエルフたちが走り、怪我人らしき者が運ばれている。
遠くの森から、木が折れるような音が響いた。
鳥が一斉に飛び立つ。
森の奥から、黒いもやのようなものが滲んで見えた。
長老が立っていた。
昨日よりも顔が険しい。
「森の主が暴れておる」
「森の主?」
澪が聞く。
「黒い朝を食った」
三人は黙った。
「ゆえに、根が怒り、枝が怯え、獣が逆さに走っておる」
さらに黙った。
陽菜が手を上げる。
「ごめん。でっかいイノシシが暴れてるってことでいい?」
「そうだ」
「最初からそう言ってください」
澪が真顔で言った。
由良は少しだけ目を輝かせた。
「でもちょっとかっこいい……」
長老は森の奥を見る。
「森の主は、本来この森を守る存在。だが今は、穢れに侵されている。放っておけば村も森も壊れる」
「穢れに侵された巨大イノシシ……」
由良が震える。
「オッコトヌシだね!」
澪は即座に言った。
「作品名を出さない」
「おっことぬし?」
陽菜が首をかしげる。
その瞬間。
エルフたちが静まり返った。
一人が膝をつく。
また一人。
また一人。
やがて、周囲のエルフたちが、次々に由良へ向かって膝をついた。
陽菜が目を丸くする。
「え?」
澪も固まる。
「何?」
由良の顔がゆっくり青ざめた。
「……待って。今の、何か踏んだ?」
エルフたちは深く頭を下げる。
「深く感謝する」
「そこまでの覚悟を示すとは」
「我らは弓を下げよう」
「森の主を、どうか頼む」
「なに?」
三人の声が重なった。
澪がルールブックを開く。
「オッコトヌシ……」
由良は必死に首を振る。
「いやいやいや、さすがにない。そんな都合よく古代エルフ語にあるわけ……」
ページが止まった。
澪が黙る。
由良の声が震える。
「……あった?」
「……あったわ」
「なんで?」
澪はゆっくり読み上げた。
「意味は、我が倒す。手を出すな」
三人は、三度目の沈黙に落ちた。
そして。
「やばーーーーーー!!」
陽菜が叫ぶ。
「由良、今度は何言ったの!?」
「言ってない! ただの名作参照!」
澪は真顔で言う。
「エルフ古語では、単独討伐宣言ね」
「重すぎる! オタクの独り言に命を乗せるな!」
陽菜は拳を握った。
「でもかっこいいじゃん! 我が倒す、手を出すな!」
「私はそんな覇王みたいな人格してない!」
「でもエルフたちは信じたわ」
「信じるな! 私の膝を見ろ! 今めちゃくちゃ震えてる!」
長老が由良を見る。
「小さき黒の娘よ」
「はい、違います」
「見誤っておったか」
「見誤ったままでいてください」
「怯えではなかった。あれは、深き集中の震え」
「怯えです」
「孤独に主へ挑む者の震え」
「対人恐怖症です」
長老は深く頷いた。
「ならば、我らは手を出さぬ」
「出して!!」
由良が本気で叫んだ。
しかし、もう空気は変わっていた。
エルフたちは、祈るような目で由良を見ている。
昨日まで怪しい小さい黒い人間だった少女は、なぜか森の主へ単独で挑む異邦の勇者になっていた。
長老は、深く頭を下げた。
「ならば、今すぐ向かってもらう」
「今すぐ!?」
由良の声が裏返った。
「主の穢れは、待たぬ」
「待って。私、何も決定してない」
長老はもう一度、深く頭を下げた。
「主を頼む」
周囲のエルフたちも頭を下げる。
由良は、青ざめた顔で二人を見た。
「この空気で断れる人いる!?」
陽菜は満面の笑みで親指を立てた。
「由良、かっこいい!」
「褒めるな! 退路が燃える!」
澪は静かに言った。
「もう半分燃えてるわ」
森の奥で、何かが吠えた。
低く、重く、腹の底を震わせる声。
木が一本、音を立てて倒れる。
黒い穢れが、森の奥からじわりと広がる。
異世界二日目。
風見由良は。
一切の覚悟なく。
穢れに侵された森の主との戦いへ、今から向かうことになった。
なお、本人はまだ一度も了承していない。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
第2話でした。
エルフ、まじで分からん。
言葉は通じるのに意味が通じないタイプの異文化交流回でした。
由良は異世界知識があるようで、だいたい事故っています。
次回は、穢れに侵された森の主との初戦闘です。
陽菜、澪、由良の三人がどうやって戦うのか。
そして、本人の了承なしに単独討伐を宣言したことになった由良は生き残れるのか。
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