side02 欠落した感覚
紀里谷花音が帰宅してから数日―――彼女は1,2日ほどの欠席を挟んでから学校に復帰した。
その間は、僕の食事が前のように戻ってしまっていたが、特に気にすることでもない。
だが、少し変わったこともある。
花音に出会う前は空腹感を満たせればそれだけで十分だった。それなのに、最近では全然だめだった。
固形物を食べていたことが原因なのかわからないが、食べてるという感覚に充足感を覚え始めてしまっている。
彼女の言うオムライスというものを食べてみたいな。
そろそろ、僕の胃も固形物を食べられるくらいにはなっているはず。最悪、僕が自分の胃を作ればいいだけのことでもあるか。
というか、最初からそうすればよかったのではないか?
まあ、あの時は職に対してそこまでの執着はなかったからな。それに、今となっては彼女の愛を長く受けることができたのだから、良しとするか。
ちなみにではあるが、先刻の事件がきっかけで花音と恋仲になった。
それから何か変わったというわけではないが、なんだあ親密度が上がった感じがして気分がよい。
まあ、恋人という概念は物語の中でしか見たことがないから、なにか認識がちがうかもしれないが。
今日は花音とあまり話をしていない。なにかに対して緊張しているのか、彼女とは僕に『放課後、店に来てほしい』との言葉だけを伝えて席についてしまったのだ。
なんだか彼女の鬼気迫るほどの緊張に僕は話しかけることをためらってしまった。
そして、その問題の放課後になると、花音は早々に教室を去っていった。
僕も、急ぎ目に動き、教室を出ようとすると、僕に話しかけてくる人物がいた。
「なあ……」
「……板倉芙美か」
「その、ありがとう」
「君に感謝される覚えはないが?花音を助けたのは、僕自身の考えだ。もし彼女と僕にかかわりがなかったら、わざわざ救おうとは考えなかっただろうね」
そう言って板倉芙美を突き放す。
実際、僕が花音と仲良くなければ、いちいち助けようとは思わず、雨宮柚葉の安否も特に気にせずに殺しただろう。
その点で言ってしまえば、彼女の感情など特に関与しておらず、よってわざわざ感謝を向けられる覚えはない。
「それでもお前は……」
「だったら、君は君なりにけじめをつたらいいんじゃないのかな?」
「けじめ?」
「ああ、少なくとも、君の言っていたいじめは幾分か止める余地はあったはずだ。まあ、神代雄真がどんな奴なのかは、一切わからないけどね」
「そんな軽はずみなこと―――」
「まあ、僕は一般人のするいじめがどんなものかは知らないけどね。それこそ、僕からすれば物語の中の話だ」
時間の無駄。言いはしないが、そういうものだとその場に背を向ける。
板倉芙美は追いかけてこない。それを確認して、僕は聞こえないように言葉漏らした。
「本当に神代雄真が存在していたのかすら、僕にとっては疑問だけどね」
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下校をして、家に帰らず花音の店に行く。
この場所に来るのは、そう久しぶりというわけでもない。
彼女の卒業アルバムを見たのもここだったわけだし、彼女の帰宅を見届けたのも僕だ。
数日挟んだだけであって、長い時間が空いていたということもない。
それだからか、もうこの店に入るのも板についてきた。
正面の扉を開けると、中で待機していた花音に迎えられる。
その後も、席の誘導も注文の受付も彼女が行う。とはいっても、僕が頼むのはもう決まっているのだけれど。まあ、頼んで食べるのは今日が初めてだが。
店の店員がそこまで僕にだけ構っていいのかと思うかもしれないが、今の時間に限れば問題ではない。
喫茶店と言えばいいのかはわからないが、定食的なものまで提供をしているこの店は、昼時、夜時以外の時間はそんなに人がいない。
そのおかげで、僕は彼女の働く姿を見ていられるのだが。
いろいろ考えていると、隣の席に彼女の母親が座り、話しかけてきた。
「ありがとう、っていえばいいのかな?」
「その感謝がどういう意図なのかはわからないね」
「あの日、花音を家に帰らせてくれたのは、颯二君だ。母として、感謝するべきだろう?」
「そのことか……そのことについての感謝はいらない。僕も幾分か彼女に救われた」
「うちの娘が何をしたのか知らないけど、その笑顔を見るとなにかすごいことをしたみたいだ」
「みたいだ、ではなく。事実彼女は僕でも頭がおかしいと思う判断をしたのさ。僕の救ったのは事実だけど」
「颯二君―――お母さんとなに離してるのー?」
「なんでもない。他愛のない世間話さ」
それからしばらくすると、厨房のほうから花音が品物を届けに来た。
彼女が持っているトレイに乗っていたのはオムライスだ。
いつかの時に食べさせてくれと言ったメニュー。それに、食べるのは初めてのもの。
花音の手作りを食べられる。それは極めて喜ばしい事ではないか。
「はい、味付けは―――いつものと変わんないから、口に合うと思う」
「ふふ、僕は信じるよ。僕のためだけに昼食を作ってくれる君の腕をね。確か、食事をする前はこう言うんだよね―――いただきます」
「なんか、うちの娘が不思議な子と付き合っちゃったなあ……」
そんな母親のボヤきを聞きながら、オムライスをスプーンに乗せて口の中に運ぶ。
その瞬間、初めての感覚に襲われた。決して、拒否反応ではない。
前までのように吐こうとするような感覚ではなく、むしろその逆のもの。
今までは水気の多いまま胃に流し込むのではなく、しっかりと口の中で咀嚼し、喉を通って、腹に沈む。
おそらく一般人からすれば普通のことなのだろう。
しかし、僕からすれば新鮮なもの。それに肉体的な感覚だけではない。
なんというか、もっとこの料理を食べたいという感覚に襲われる。
僕にも未知の感覚だ。
黙ってしまった僕の反応に、花音が不安の表情を作ってしまう。
「る、颯二君……口に合わなかった?」
「君は愚問を投げるのが好みなのかな?少なくとも君の味付けは、僕の口に良い意味での刺激を与え続けていた。今になって、嫌いだというわけがないだろう?」
「そ、そうだよね」
「ただ、未知の感覚故に戸惑いが生じているだけさ。そうだね、言語としてあらわすのなら、もっと口にしていたいような感覚だ」
僕のその言葉に、反応した人物がいた。
「それがおいしいって感覚だ。思い出すな。私があいつの父親にコーヒーを出してやったといのことを」
「そうか……この感覚がおいしい―――紀里谷花音」
「は、はい!?」
「僕は君に一生感謝をしよう。故に僕は、君に一生を捧げるよ」
それが僕の決意であり、生き甲斐となる大切な決意と快楽だった。




