56話 神斧オートマディーン
ゴォン――。
床が波打つ。柱が歪む。
空間の奥行きが狂い、視界が引き延ばされたように揺らいでいく。
「っ……!」
息が詰まる。
重力すら曖昧だ。
立っている感覚が薄い。
まるで世界そのものが、魔王を中心に書き換えられている。
「下がって、エリカ!」
ユリネ王女の叫び。
だがエリカ王女は光り輝くオートマディーンを握ったまま、その場を動かなかった。
白銀の光が、か細く周囲の歪みを押し返している。
「余に抗うか、オートマディーンよ!」
魔王の灰色の瞳が細く光った。
空間が裂ける。
「――!」
視界の右側。何もなかったはずの場所から、灰色の杭が無数に射出される。
「散れぇっ!」
マイナさんの槍が唸った。
灰杭を正面から叩き落しながら、ヴァルキュリア隊が一気に前へ出る。
「ナーン!」
「任せてぇ~!」
ナーンさんの槍の石突きが床を滑る。
舞うような動きで灰杭の軌道を逸らし、ギンコさんがその隙間を縫うように槍を振るった。
「はぁっ!!」
鋭い突き。
裂け目そのものへ槍が突き刺さる。
灰杭の射出が止まる。
「裂け目が……!」
「中心を崩せば止まる! ダイスケ、今のうちに!」
マイナさんの叫び。
「エリカ王女、前へ!」
「う、うん!」
エリカ王女がオートマディーンを持ち、ゆっくり前進する。
白銀の光が広がる度、空間の歪みが押し戻されていく。
だが──。
『浅はか』
魔王が指を動かすと同時に現れる無数の裂け目と灰杭。
「くっ、数が多い、ユリネ王女を守れ!」
マイナさんの号令。
その瞬間だけで理解した。
この攻撃は俺たちが対象じゃない……。
魔王は初めから、ユリネ王女を狙っている。
──ドォン!!
玉座の間全体が揺れた。
魔王の周囲で、空間が崩れている。
いや、違う。
"増殖"している。
裂け目。
裂け目。
裂け目。
無数の空間断層が玉座の周囲に生まれ、そこから灰色の腕が這い出していた。
「なんだよ、あれ……」
思わず息を呑む頌路。
「異世界はなんでもアリだからな」
いつもと違い、冷や汗をかきながらも余裕を見せる俺。
裂け目から現れる灰色の腕たち――。
人間の腕。
兵士の腕。
老人の腕。
無数の腕という腕が、裂け目から這い出し、床を掴みながら蠢いている。
『我は悪意』
『我は渇望』
『我は嫉妬』
『人の願いある限り、我は消えぬ』
ぞわり、と背筋が粟立つ。
「悪意の集合体……」
エリカ王女が呟いた。
オートマディーンが白銀の光を強める。
だが歩みが止まる。
灰腕が多すぎる。
「大輔!」
頌路の声。
振り向く。
頌路は荒い呼吸のまま、それでもエトランゼを握り直していた。
黒紫の煙はもう噴き出していない。
「オレは、オレの意思で戦う」
頌路は唇の端をつり上げた。
その目にはもう迷いはない。
「だから、力を貸せ。エトランゼ。オレが、お前の居場所になってやる」
力強く、エトランゼを握り直す頌路。
「はっ……」
思わず笑う。
「頌路、お前急に主人公みたいな顔するじゃないか」
「うるせぇよ」
頌路もふらつきながら笑った。
イグザガルードを握り直す。
頌路が膝を震わせながら、それでもエトランゼを構える。
ヴァルキュリア隊がユリネ王女を囲む。
そして──。
エリカ王女が、オートマディーンを握り締めた。
「……みんな」
震えながらも──それでも彼女は、一歩前へ出た。
白銀の光が、静かに広がる。
「お父様を――止めるよ!!」
その瞬間、オートマディーンの白銀の光が玉座の間を駆け抜けた。
空間の歪みが後退し、魔王への道が拓ける。
『忌々しい……!』
裂け目の奥から、無数の声が重なった。
灰色の腕が一斉にエリカ王女へ伸びる。
「行かせるかぁっ!」
頌路が地を砕いた。
黒紫の斬光。
まるで頌路とエトランゼが共鳴したかのような斬撃。
エトランゼの斬撃波が、迫る灰腕をまとめて切り裂き、魔王へと向かう。
「ショウジ!」
「オレにも守らせろよな、エリカ!」
だが。
『愚かな』
魔王が指を動かした。
そして頌路の斬撃が空間ごと捻じ曲がる。
「っ!?」
斬撃が消える。
次の瞬間、頌路の背後の壁面が爆散した。
「おいおい、反則だろ……!」
頌路が舌打ちしながら着地する。
「頌路、上だ!」
俺は叫びながら闇を噴き上げた。
裂け目から降り注ぐ灰杭。
闇を盾状に圧縮し、真正面から受け止める。
鈍い衝撃が全身を軋ませる。
「ぐっ……!」
闇を開放する。
槍状に圧縮された黒が灰杭を撃ち抜き、裂け目ごと穿った。
その隙を縫うように、マイナさんが駆ける。
「ナーン! 右を開けろ!」
「はぁ~い!」
ナーンさんの槍が円を描く。
空間の歪みに流れを作り、裂け目の位置をわずかにずらした。
「そこだっ!」
ギンコさんが滑り込む。
鋭い突きが裂け目へと突き刺さり、灰色の腕が悲鳴のような音を出して崩れ落ちた。
「ダイスケ!」
ユリネ王女の声に振り向くと、エリカ王女が、オートマディーンを抱えながら一歩一歩ゆっくりと、しかし着実に前進していた。
白銀の光が広がる度、空間の歪みが押し戻されていく。
だが遅い。
あまりにも遅い。
このままでは魔王に辿り着く前に押し切られる。
「大輔!」
頌路が俺を見る。
「やれるのか?」
「誰に言ってんだよ」
頌路が笑う。次いで、俺も笑う。
「俺は異世界転移常連だぜ!」
「オレは異世界小説大好きっこだぜ!」
頌路の足元に闇を出現させ、頌路を滑らせる。
さらに盾状に圧縮した闇で頌路を守る。
頌路が魔王の元へ届くように道を作るのが俺の役目だ。
『矮小』
魔王の声と共に空間が裂け、その姿を現す無数の灰杭。
「させるかぁっ!」
だが、俺の闇が頌路に向かう灰杭をすべて撃ち落としていく。
それでも魔王の裂け目は止まらない。
「行け、頌路ぃっ!!」
俺は闇を開放した。
玉座の間を埋め尽くす黒。
灰杭を飲み込み、裂け目を押さえ込み、無理やり空間を固定する。
軋む、全身が悲鳴を上げる。
「うおおおおおっ!! 超集中!!」
頌路の叫びが聞こえた。
エトランゼが湧き出る空間を次から次へと切り裂く。
魔王の周囲に展開された歪みが、初めて押し崩される。
『なに……?』
灰色の瞳が細められた。
「エリカァァァ!!」
頌路の絶叫。
これまで無限に増殖していた空間断層が、初めて止まっていた。
頌路が裂き、俺が押さえ込んだ"今この瞬間だけ"、魔王に隙が生まれた。
「うんっ!!」
エリカ王女が顔を上げる。
その足はもう止まっている。
もう、歩く必要がないから。
『やめろ』
魔王の足元で、少女が握り締めるオートマディーンが輝く。
白銀の光が、静かに収束していく。
魔王が初めて、後退した。
だが少女は止まらない。
「お父様ああああっっ!!」
オートマディーンが振り下ろされる。
一直線に閃いたその光だけが、この歪んだ世界の中で真っ直ぐだった――。
* * *
『ぐうううおおおおおおお!!』
魔王の絶叫。
指で顔をかきむしりながら、それでも叫ぶ。
砕けていくのは魔王の肉体ではない。
この空間を覆っていた"悪意そのもの"だった。
『オートマディーンめ……何度我を封じようとも無駄だ!
人の心に邪ある限り!
人が欲望の居場所を求める限り!
我は決して消えぬ──』
――――ッ!!!!
耳をつんざく轟音、まばゆい光、そして訪れる静寂。
粘ついた空気が浄化され、歪んだ空間が元に戻る。
その場にいる、全員の呼吸音だけが響く。
……勝っ、た……?
「お父様っ!!」
ユリネ王女が駆け寄る。
「……ユリネ、エリカ……おぉ……」
灰色に染まっていたゴート王は、今は血色の良い人間へと戻っている。ただ、疲労困憊の様子ではあるが。
二人の子を抱きしめる王は、今まさに一人の父親の姿であった。
──目的は、封印の解かれた魔王の討伐または封印をお願い致します──
「ッ、頌路! 時間がない!」
「えっ?」
あの時エリカ王女の言ったことが本当ならば、もうそろそろ俺たちは送還されてしまう。
俺はいいが、頌路は……。
「ダイスケ……お別れなのですか?」
ユリネ王女が信じられないという顔でこちらを見る。
「まあ、そういうことです」
俺は頌路を急かす。
「何か言うことがあれば、早くするんだ。時間がないぞ」
「わ、わかった。エリカっ!」
「ショウジ……!」
エリカ王女が頌路に抱き着く。
「ごめんね、守れなくてごめんね、つらい思いさせてごめんね……」
「いいんだよ、そんなこと……オレも、楽しかったしさ」
魔王の残滓が消え始めた。
「えっと、何て言ったらいいかわからねーんだけど……その、ありがとな、エリカ」
「ショウジ……行かないで……!」
エリカ王女が目から涙を零して訴える。
だが、俺たちを包む無粋な青い光がそれを許さない。
「オレだってここに残りてーけど……どうにもならないんだろ、大輔」
「残念ながら、もう一度召喚されるしかない。だが、それは……奇跡とも言える確率だぞ」
俺だって、帰りたくなかった異世界ぐらいある。
だが、それは叶わないことを、俺は知っている。
だからこそわかる。
頌路は、ようやく"帰りたい場所"を見つけたんだ。
「またオレを呼んでくれ、エリカ。その時は──」
「ショウジっっ!!!」




