55話 適合者
頌路の姿が、城内の闇へ溶けるように消えていく。
「待て、頌路!」
反射的に地を蹴った。
砕けた城門を越え、俺も城内へ飛び込む。
背後ではなお、兵士たちとマリエルの剣戟が響いていた。
「マリエル! そっちは任せる!」
「好きにしろと、言ったはずだ!」
兵士を完全にマリエルに任せて頌路を追う。
このままあいつを放置すれば、ユリネ王女やエリカ王女にまで手をかけてしまう可能性がある。
なぜ城内へ進んだかはわからないが、頌路をこのまま行かせるわけにはいかない。
「……なんだ、これ」
城内へ踏み込んだ瞬間、空気が変わる。
冷たい。
いや、温度ではない。空気そのものが粘ついているような、不快な圧迫感。
『スメラギよ』
急にイグザガルードの声が脳内に響く。
『この場は神器の干渉に近い空間が広がっている』
「それは精神に直接干渉する類ってことか」
『そうだ』
「はは、ここならお前も俺と融合しやすいってことか?」
『……そうだ』
確信した。エトランゼは頌路との融合を深める為に城内へと入った。
そして、兵士たちのあの異様な様子……。
あれは洗脳なんて生易しいものじゃない。
もっと根本的に"上書き"されている感覚だった。
──ゴォン。
再び、鐘の音。
城全体が震える。
「っ……!」
瞬間、視界がぶれた。
床が傾いたような錯覚。
だが違う。
歪んでいるのは空間そのものだ。
遠近感が狂い、奥へ続く廊下が不自然に伸縮している。
「なんだよ、これ……」
しかしはっきりとわかるこの空間の危険性。
このままでは頌路はおろか、ユリネ王女たちも……。
その時だった。
廊下の奥、巨大な扉がゆっくりと開く。
黒紫の煙を纏った頌路がその向こうへと消えていった。
その後を追うように闇を滑らせる俺。
そして──。
玉座の間に満ちる、圧倒的な気配。
「お父様……!」
玉座の間は異様な静けさに包まれていた。
その中でユリネ王女の声だけが響く……。
広い。
いや、広すぎる。
本来ならば一直線に見えるはずの床が、どこか湾曲して見える。
柱の距離感も狂っていた。
近いと思えば遠く、遠いと思えばすぐ傍にある。
空間そのものが壊れている。
その中心。
玉座に腰掛ける一人の男。
「……」
光砂の国の国王、ゴート・E・サンウィル。
そしてユリネ王女の父、だった男。
だが……その姿は人間でありながら、人間ではなかった。
王冠の隙間から黒い光が脈打ち、肌にはひび割れのような紋様が走っている。
特筆すべきは灰色に染まった眼球であった。
「お父様……」
エリカ王女の声が震える。
ゴート王はゆっくりと視線を向けた。
「エリカか」
穏やかな声だった。
あまりにも普通の声。
だからこそ、その異様な風体に似合わない声が、不気味に映った。
「戻ってきたのだな」
「……っ」
エリカ王女が息を呑む。
その瞬間。
「ガァァァァァァッ!」
頌路が床を砕きながら飛び出した。
黒紫の煙を纏い、一直線に玉座へと迫る。
だが。
「愚かな」
ゴート王が指をわずかに動かした。
刹那――。
「なっ――!?」
空間が軋む。
頌路の身体が空中で静止した。
見えない壁に叩きつけられたように、床へと激突する。
轟音と共に床が放射状に砕け散った。
「頌路!」
俺は闇を噴き上げ、一気に間合いを詰める。
だがその途中、視界がぶれた。
「ぐっ……!」
眩暈、頭痛、吐き気。
思考がノイズのように乱れる。
『この空間、精神そのものを浸食している』
イグザガルードの声。
「わかってる……!」
闇の上を滑り、無理やり前進する。
その時、玉座の傍に視線が止まった。
そこには一振りの巨大な斧が立てかけられていた。
白銀――いや、銀ですらない。
まるで光そのものを固めたような質感。
『オートマディーンだ』
「……あれが」
邪を払うという神斧オートマディーン。適合者がいないとはいえ、魔王にとって最悪の神器であるはずの斧がなぜここに……。
「気になるか?」
静かな声。そしてにやりと口角を上げるゴート王。
「その神器だけは、余の傍に置いていた。そうとも、唯一、余を滅ぼし得る可能性があったのでな」
ゴート王の口から放たれたその言葉、だがしかしゴート王の言葉ではなかった。
そして歪に笑う王。
「万が一にも適合者が現れぬようにな」
『ガアアアアアッ!!』
黒紫の煙が爆発的に噴き上がる。
空間が裂け、エトランゼが王へ斬撃を叩き込んだ。
しかし。
「遅い」
空間が歪む。
斬撃が、消えた。
いや、消えたんじゃない。
"別の場所へ移された"。
直後、玉座の間の天井が爆発した。
エトランゼの斬撃が、空間そのものを捻じ曲げられて天井を切り裂いてしまったのだ。
「とんでもないな……!」
冷や汗が伝う。
これが、この世界の魔王の力。
「……ッ!」
頌路が再び地を蹴る。
黒紫の煙を噴き上げながら、今度は空間ごと切り裂くような横薙ぎを放った。
玉座の間が軋む。
斬撃そのものではない、エトランゼが振るわれる度、この空間の"法則"そのものが悲鳴を上げているのだ。
「ガアアアアアッ!!」
頌路は止まらない。
いや、止まれない。
暴走ではない。
もっと深い"願望"そのものを利用されている。
異世界に居場所を求めた頌路の願いを、エトランゼが増幅し、歪め、喰い潰している。
『掴め』
『壊せ』
『奪え』
そんな声が聞こえてきそうなほど、黒紫の煙は濃く脈打っていた。
「頌路!!」
――超集中!
俺は闇を噴き上げ、無数の槍となって放つ。
頌路はそれを真正面から切り裂いた。
一歩、また一歩。
獣のような速度でこちらへ迫る。
「くっ……!」
闇を盾状に圧縮。叩き込まれるエトランゼを防御。
静謐だった玉座に轟音が鳴り響く。
「重……っ!」
押し込まれる。
だが、以前とは違う。
イグザガルードの闇が、俺の意思に応えるように流動していた。
『後ろだ』
反射的に身を捻る。
空間そのものが裂けていた。
裂け目の向こうから灰色の杭のようなものが無数に射出される。
「な――!」
神器でもない、魔法でもない、空間操作そのものによる攻撃。
避けきれない……!
そう判断した瞬間だった。
「させないよおおおおぉぉぉっ!!」
白銀の閃光。
「!?」
何者かに振るわれた斧が、空間の裂け目ごと灰杭を吹き飛ばす。
空気が変わった――いや、違う。
玉座の間を覆っていた歪みが、一瞬だけ"正常化"されたのだ。
「エリカ王女!」
煙の中から現れたのは、俺の前に飛び出している斧を掴んだ少女……エリカ王女だった。
ゴート王――いや、魔王が初めて表情を変える。
「……ほう」
エリカ王女は苦し気にオートマディーンを握っていた。
玉座と同等のサイズの巨大な斧。
本来彼女の細腕で扱える代物ではない。
だが。
「これが……オートマディーン……」
白銀の光が、エリカ王女の身体を包んでいる。
神器が、彼女を選んだのだ。
魔王の灰色の瞳が細く光る。
「エリカ、すごいじゃないか。さあ、それを持ってパパのところへおいで」
「お父様……」
優しい、あまりにも優しい父の声。エリカ王女の両目が潤む。
『ガアアアアアッ!』
エリカ王女が魔王に近づこうとした瞬間、頌路が絶叫した。
黒紫の煙が激しく揺らぐ。
そして頌路が一直線にエリカ王女の元へ剣先を向ける。
「エリカ――!」
ユリネ王女の悲痛な叫びが聞こえる。
俺の闇も一歩届かない。絶体絶命――。
「ショウジは……あたしが守ってあげるって、約束、したんだからぁぁぁぁっ!!」
オートマディーンが輝く。
白銀の光が、黒紫の煙を押し返していく。
まるで頌路を"浄化"しているかのようだった。
『ガアアアアアッ……!』
頌路が、エトランゼが苦しんでいる。
「目を覚ましなさい、ショウジ――!!」
白銀の大斧が振り下ろされる。
オートマディーンがエトランゼへと叩き込まれ──。
光が、弾けた。
『――――ッ!』
耳をつんざく絶叫。
黒紫の煙が引き裂かれ、頌路の身体から噴き出していく。
空間が震え、玉座の間を覆っていた歪みが、悲鳴のように軋んだ。
「がっ……ぁ……」
頌路が膝をつく。
エトランゼが床へ落ち、黒紫の煙を撒き散らした。
「頌路!」
駆け寄る。
苦し気に呼吸しながら、それでも確かに俺を見た。
「大……輔……」
「ああ」
思わず笑ってしまう。
「戻ってきたな、馬鹿野郎」
頌路の目から一筋だけ涙が零れ落ちた。
だが。
――ゴォン。
再び、鐘が鳴る。
玉座の間の空気が変質する。
今までとは比較にならない圧力。
魔王が、ゆっくりと立ち上がっていた。
「興醒めだ」
灰色の瞳がこちらを見下ろす。
その瞬間――空間そのものが悲鳴を上げた。




