52話 書き換えの転移
あれから何日歩いただろうか。
追っ手を撒く為に迂回を繰り返し、既に数日が経っていた。
マリエルのおかげか、追っ手が来る気配はない。
「……」
「火の国が心配か?」
仏頂面で歩く俺に、マリエルが質問を投げかけてくる。
「国が……というわけじゃない」
気にかかるのは、もちろん頌路の事だ。
あいつだけは守るつもりだったのに、こうして離れてしまった。
もう、あのお姫様を信じるしかない。
信用が置けるかはともかく、お付きの二人もマイナさんと同じヴァルキュリア隊の一員。
実力の程は想像に難くない。
今はただ、信じるだけだ。
「随分遠回りをしたが、このぐらいでいいだろう。
この道を真っすぐ進めば、火の国の城壁に当たる。
あとは壁伝いに移動すれば、国へ入れるだろう」
マリエルが、道なき道の先を指し示す。
「"この道"ってな……、獣道じゃないか」
辺り一面は赤茶けた大地。
よく見るとうっすら獣によって踏みしだかれた地面が見える。
これを"道"と呼んでいるのなら、確かに道と言えなくもないかもしれない。
「この辺りは人を襲う凶暴な獣も多い。
だが、神器の力があればさして問題はないだろう。
……以前のように取り込まれるなよ、ダイスケ」
頷きだけで、返事をする。
言われなくても神器の危険性については、肌で理解している。
強力な力を生み出すと共に、使い方を誤れば神器に身体を乗っ取られる。
いや、一体化すると言った方が正しいか。
あの時、確かに俺は俺でありながら、今の俺とは違う"俺"になっていたのだ。
(二度とああはなるまい)
そう心に誓って獣道を踏み出すが、マリエルはその場に留まったまま動かない。
「どうしたんだ」
「……あえて説明の必要もないと思っていたんだ。
だが、私は存外、お前を気に入っていたらしい」
どういう事だろう。
自問自答するかのように、マリエルは天を仰ぎ、ぽつぽつと語り始めた。
「まず、私は火の国へは行かない。いや、行けない。理由は説明した通りだ」
当然だ、火の国にしてみればマリエルは王殺しの大罪人。
しかし、それにしては確かに疑問が生まれる。
どうしてここまで送ってくれたのか、だ。
マリエルの任務は、クマソ王の殺害とイグザガルードの奪還で、既に終了しているはず。
「私は次の任務があり、光砂の国へ向かう。
本来、お前を火の国へ送り届ける事は任務外の事……」
マリエルの言葉を信じるならば、わざわざ送ってくれた事になる。
追っ手から逃れられるよう、何日も迂回して。
「光砂の国で、何をするんだ?」
「それは言えない。私がこうして話をしているのは、お前を巻き込んだ事への贖罪だと考えてくれればいい」
急な拉致への借りは返した、という事か。
俺としてはこんなところまで連れてこられてなかなか迷惑ではあるが。
「……俺が火の国へ行くと、火の国は神器をふたつ持つ事になるんじゃないか」
「……その心配はない。軍事的な機密事項が含まれるため、詳細な説明はできないが、お前はお前の思う通りに動けばいい」
「……」
恐らく、軍事的な機密事項とは、火の国が自由に神器を扱えるわけではないという事だろう。
クマソ王から遠回しに説明を受けていたのでピンときた。
マリエルもその情報に確信を持っているようで、仮に俺が火の国へ帰順したとしても、1国1神器という基本は守られている状況になる。
確かにその線で考えれば、俺が火の国へ帰順しても問題ないのだろうが……。
「なんでわざわざ光砂の国へ行く事を話したんだ?
例えば、俺が火の国へ帰順し、火の国の先兵として月の国への侵攻を行ったら? それ以前に、新興国が攻めてくる可能性もあるんじゃないのか」
俺がそう質問すると、マリエルはやれやれと肩をすくめる。
「軍事的な機密事項が含まれていると言っただろう。
現状、新興国や火の国に、我が国が襲われる事はない。
ただ、私の行先をお前に教えるのは、ちょっとした打算があっての事だ」
あくまでロジカルに、思惑があるから伝えたというマリエル。
癪に障るが、マリエルの言う通り、俺は月の国を襲おうとは微塵も考えていないし、火の国に言われたとしても断るつもりだ。
だが、俺がこの世界でやるべき役目だったはずの、ユリネ王女とルドルフ王子の婚姻を守る事は……適わなかった。
そして、突然の送還。
状況から考えれば、召喚主であるユリネ王女の身に何かがあったに違いない。召喚主が死ねば、送還されるのだから……。
考えていると、マリエルに対して黒い感情が湧き出てくる。
こいつのせいで失敗した、それは間違いないからだ。
だが、この数日を共にしてみて、ただ任務に実直なだけの奴だと、考えを改める機会にもなった。
過ぎ去った過去は水に流し、建設的に未来を考えるべきなのかもしれない。それでも、俺は……。
「……その打算とは?」
「気に障ったか? 殺気がだだ漏れだぞ。
いずれ、お前の力が必要になる時が来る、とそう考えているだけだ」
指摘を受け、慌てて気を落ち着かせる。
後悔の矛先を向ける相手が違う、後悔の元を作ったのはマリエルではない、未熟な俺自身だ。
* * *
マリエルと別れた俺は、明かりのない路地を歩いていた。
火の国は元々夜は静かな国ではあるが、この静けさは異常だ。
警戒を怠る事なく歩を進めると、通路の中央で仁王立ちする小さな影を見つけた。その姿は、どう見ても──。
「ワシじゃあああ!」
大賢者メイガス・ナジャだった。
「聞け!ダイスケ!
お主の友、ショウジが神器に心を奪われおった!」
神器に心を奪われる……頌路までが、取りこまれてしまったというのか。
脳裏をかすめる、どろりとした闇の感覚。背筋が冷える思いに、思わずかぶりを振る。
「……何があったんだ」
「見よ!ダイスケ!
天頂に光っておる双子の星を!
あの星はお主ら二人の事を示しておる。しかし、寄り添うように追従していたあの星が、独自の軌道を取り始め、今ではあのように霞んでしもうた!」
興奮しながら語るナジャ。
言っている事は理解できる。だが、星の光で占いまがいの事を語られても、現代人たる俺にはどうも響かない。
あれだけ小さな星であるならば、この星との距離は相当に離れているはずだ。
何万年前という光で、今この時の事がわかるはずがないのだ。
……本来ならば。
「へぇ……。その星の動きで未来の事はわからないのか」
「はっきり言おう、わからぬ! 所詮、星の光など参考にしかならぬのじゃ!」
……期待した俺が馬鹿だったようだ。
結局のところ、この異世界の環境は日本、いや地球に近いのだろう。
であれば星の動きが今の出来事を示すなど、科学的にはあり得ない。
そう結論付けるのが当然だ。
だが──異世界は常に裏切る。
「それで? 俺は何をしたらいい?」
「星はこうも告げておる。光砂の国にて地が割れる、と。ダイスケ、お主はワシの作った転移陣に乗って光砂の国へ向かうのじゃ!」
「転移陣?」
思わず聞き返す。
「そうじゃ。光砂の国までは距離がある。徒歩なら二週間はかかる距離じゃが……この転移陣ならば一瞬じゃ!」
ナジャは魔法陣の書かれたマットを敷き、杖を突き立てた。
すると、足元の空間がわずかに揺らぐ。まるで水面の上に立っているような、不安定な感覚。
「これは……」
「本来は禁術に近い代物じゃ。じゃが今はそんな事を言っておられる状況ではない」
ナジャの声は珍しく鋭い。
「光砂の国で"地が割れる"。それは災害か、あるいは神器による戦争か。いずれにせよ、間に合わねば全てが手遅れになる」
俺は一度だけ息を吐いた。
「……わかった。乗る」
理屈はどうでもいい。
頌路が関わっている以上、迷っている時間はない。
ナジャが頷く。
「ならば行くぞい。転移は一度きりじゃ。失敗は許されぬ」
マットの魔法陣が光を帯びる。
地面に円環が浮かび上がり、古い文字のような紋様が高速で回転し始めた。
空気が歪む。音が消える。
視界の端から、世界の輪郭がほどけていく。
足元の円環が、まるで生き物のように脈動し始めた。
「……っ」
思わず一歩引こうとした瞬間、身体が動かない。
引き止められているのではない。
空間そのものに固定されている。
「慌てるでない、ダイスケ」
ナジャの声だけが、やけに遠く聞こえた。
「転移は"移動"ではない。"書き換え"じゃ」
書き換え。
その言葉の意味を理解する前に、光が弾けた。
――世界が、裏返る。




