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37話 潰える

「逃げるか! クックック、いかにもネズミ共らしい!」


 特徴的なぬるっとした声が辺り一面に響く。

 拡声器も使用されていないのに、薄く反響し、辺り一面に声が広がる。


「走れ、頌路(ショウジ)!」


 頌路(ショウジ)はグイと大輔に引っ張られ、たたらを踏みながらも走る。

 一歩遅れて劫火のギラファトがそれを追う。


 頌路(ショウジ)はもう、逃げることに躊躇はなかった。

 生きたかった。ただ生き残りたかった。


 追ってこないでくれと心の底から願っていた。


「ん~? お前は残ったのか」


 烈風のシャアトが槍を構え、鋭い目つきで睨む。


「おぉいおい、泣かせるじゃないか。

一人囮になってネズミと異物を逃がすか。

何が変わるわけでもないというのに、無様に抗う姿は情けないぞ」


 よく喋る天使だと思っていた。

 しかし、サリエル本人に打ち込む隙はまるでない。


 烈風のシャアトに残された手は、救世主たちが逃げる時間稼ぎしかなかったのだ。

 そして烈風のシャアトは、時間稼ぎの手段として、会話を試みる。


「あ」


 サリエルが指をパチンと鳴らすと、烈風のシャアトは全身が引き裂かれた。

 わずか一瞬の出来事。


「なぁ~にが『会話を試みる』だ。お前にそんな選択肢はない」


 哀れにも、彼女の犠牲は無駄に終わる。

 だが。


「サリエル、何を遊んでいるのですか」


 白いタキシードを着こなす金髪の青年が現れた。

 整った顔に、生真面目そうな表情。

その頭上には光輪が浮き、背には神々しい翼が二対浮かんでいる。


「おぉ、アルカンじゃねぇか、久しぶりだなァ」


 既知の仲なのか、サリエルは気さくに話しかけた。


「今の私はアルカンではありません。バラキエルです」

「へぇ~、ご出世されたことで」

「あなたのように遊んではいませんから」


 皮肉に対しても淡々と返事を返すタキシードの青年、バラキエル。

 彼もまた、大天使であった。 


「けっ、相変わらずつまらねーやつだ。

まぁいい、面白い話があるんだよ」

「あなたの話で面白かったことは一度もありませんが」

「クックック……まあ聞け。

ネズミ共が、禁呪を使い、異物を取り込んだようだ」


 禁呪、という単語にぴくりと反応を示す。


「驚きました。あなたの話を初めて面白いと感じましたよ」

「だろう? これでもう、わざわざ手を下す必要もなくなったわけだ」

「サリエル、そんな事だから詰めが甘いと言われるのですよ」


 バラキエルは、状況を楽しんでいる同僚に対し、やれやれと首を振る。


「唯一神様の決定により、彼ら魔族が滅ぶ事は必定。

さりとて、我らは魔族を滅ぼす使命を与えられている」

「クックック……どうせ奴らは滅ぶ。わざわざ我らの()()()やった禁呪を使ったのだからな」


 しかしサリエルはもう狩りに乗り気ではないようだ。


「本来このエリアはあなたの担当なのですが……。

私が残党狩りに出ます。もう帰っていいですよ」


 仕方がないといった風にバラキエルが「チッ」と舌を鳴らすと、引き裂かれた烈風のシャアトの身体は瞬時に塵となって風に流された。


「クックック。なら、お言葉に甘えて高みの見物とさせてもらおうかな。

精々楽しませてくれよ、アルカン」

「バラキエルです。今後はお間違えのなきよう」



 * * *


「はぁっ、はぁっ」


 走った。とにかく走った。

 肺が酸素を求めるも、胃が逆流し、息が詰まり、膝が震えるまで。


「くっ……さすがにあれは予想外だ」


 大輔が珍しく苦々しい口調で漏らした。


「ううっ、シャアトまでやられてしまうなんて……」


 残された三人の雰囲気は重い。

 オレだって、もう何も考えたくない、こんなの悪夢に決まってる。


「だが、出来る事をやらないと……」


 あくまで前を向こうとする大輔。

 いつもぼーっとしたこいつのどこに、そんな気力があるんだ。


「大輔……」

頌路(ショウジ)、俺たちが帰るには、送還条件を満たすしかないんだ。

そのためにやれることは全てやる」


 それは強く、頼もしく、酷く冷徹な言葉だった。

 全てはオレのせいだ、オレが安請け合いしたから、いや、ついてきたから……異世界に憧れたから……。


「ギラファトさん、現状を確認します。

我々は救世主として召喚されたとのことですが、残念ながらこの世界で活躍できる能力は特にもっていないようです。

これは、召喚術がハズレを引いたことを意味します」

「……」


 やめろよ、大輔は事実を語っているだけだ。

 そんな顔するな。


「また、我々とギラファトさんの三人では、下級天使一体の討伐が関の山。さきほどの大天使なる敵には、正直、勝てそうにありません」


 そうだよ、もう無理なんだ。


「それでも……」


 劫火のギラファトさんが頭を下げる。


「それでも、私たちはあなた方救世主さまに頼るしかない……!

本当なら自分たちの手でやらなければならない、けど……できない!」


 謝罪と、嘆き。己の力への無力感。

 無茶を言われているが、劫火のギラファトさんの気持ちは少しだけ、理解できた。


「お願いします……救世主様……この世界を、リト様を救うために、お力をお貸しください……」


 ……。


「わかっていま」

「イヤだ……」


 大輔の言葉に割って入ったのはオレの声だ。

 止まらない、荒んだ心から、何もかも逃げ出したい気持ちが溢れてくる。


「無理だよ、勝てっこない、なんなんだよ、勝手に呼び出して!

勝手に押し付けて! 勝手に死んで!

もう帰りてぇ、帰らせてくれよ……!!」


 劫火のギラファトさんは頭を下げたまま、黙って聞いていた。

 少しの沈黙の後、大輔が声を出す。


頌路(ショウジ)

「……」


 オレは、特別なんかじゃない。こいつらみたいに強くないんだ。

 もう何を言ってもオレは動かないよ。


「帰りたいなら、考えろ。生きたいならどんな手でも使え。

それが異世界転移のルールだ」

「その! 手が! ねぇんだろうがよ!!」



「こんなところに隠れていましたか。

見つけるのに手間取りましたが、大きな声で助かりました」


 現れた白いタキシードの青年。

背に浮かぶ二対の翼、頭上の光輪を見た時、瞬間的に悟った。


 これはオレたちを殺す、その象徴だと。


「!!」


 最も早く逃げ出したのはオレだった。

 どんな手を使ってでも、生き延びてやる。

 死にたくない、死にたくない。


 全速力で走るオレに対し、劫火のギラファトさんが声をかけてくる。


「ごめんなさい、ショウジ(・・・・)さん……」

「は……?」


 全速力で走るオレたちとは逆に、その場にとどまり、大声を出す劫火のギラファトさん。


「救世主様! リン様がお選びになられたあなたがたお二人になら!

この世界の未来を安心して託せます!」


 また、勝手な事を言って。


「どうか、あとのことはよろしく」


 美しい笑顔が見えた、気がした。


 その姿が、一瞬で塵と化したのを、見た。


「うわああああああああ!!!」


 

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