24話 純潔の乙女
──少女は気が付いた。
埃のかぶった窓には、薄暗い夜の帳が映り込み……
今まさに地上を照らさんとする赤い月の光が差し込む。
幾許かの後、少女は身をよじり、まるで生まれたての赤子のように、おもむろに動いた。
ここがどこかを確かめるように首を動かし、ぼんやりとした目線で周囲を見つめている。
その吊り上がった瞳が、ぱちくりと大きく瞬きひとつ。
何かに気付いたのか、覚醒したかのように動き出す。
だが、起き上がることはできない。
少女は手足の自由が利かない事に気付き、もがく。
自由を奪われた手足……。
少女の手足は縄で結ばれていた。
口にも小汚い縄が結ばれ、縄から悪臭が漂う。
口から鼻へダイレクトに入ってくる悪臭に顔をしかめるも、その臭いから決して解放されることはない。
普段つけているであろう少女の香水も、埃や黴の匂いと混ざって悪臭のひとつと化していた。
「むぐぐ!ゲェフォッ、ゲェフォッ」
あまりに悪臭に少女はむせた。
苦しさの余り、縄を噛み切ろうと試みるも、縄は強靭で、とても噛み切れそうにはない。
外から虫の鳴き声が聞こえる。
外に面した部屋……小屋だろうか。
だが、そんな小屋が少女に心当たりのあろうはずもない。
虫の声に耳を傾けていた少女は、ふと足に肌寒さを感じ、もぞもぞと動く。
暗がりの中で、はっきりとは見えなかったが、夜会服として使用していたドレスは脱がされ、シュミーズ程度しか着用していないであろうことがわかる。
混乱しつつも、少女はこのような状況ですら、家人への怒りを沸々と湧き上がらせていた。
いつも困り顔の執事、自身の魔力の低さを知りつつ持ち上げる教師、ぼーっとした表情で、何を考えているのかわからない学友。
自分の周りを囲む全てが、分不相応に持ち上げる現状に苛立ちを募らせていたのだ。
唯一、武術の教師だけは等身大の彼女を見てくれていることが救いであったのだが。
──フン、わたくしがいないことを勝手に心配すればいいのだわ。
今は気丈な少女……。
リヴェーラ=カプチーノはこの日、人生で一番長い夜を経験することとなる。
* * *
「──ガハハ!」
外から大きな笑い声と共に、乱暴に扉が開かれる音がした。
次いで灯される明かり。
扉の先から漏れる明かりから、この小屋は少なくともふたつの部屋で構成されていることが判明した。
やっと感じた人の気配に、リヴェーラは浮足立つ。
──誰でもいいから、早く、わたくしを助けなさい!
「むむぐぐぐ!」
縄を噛まされた状態で、精一杯声を張り上げる。
隣の部屋にいるであろう人物に、リヴェーラは助けを求めた。
──求めてしまった。
彼女はまだ自覚していない。
今の状況が、普通ではないことを。
隣の部屋にいる者は、使用人ではないことを。
乱雑な音を鳴らし、扉が開かれる。
「あぁ?」
「お、起きちまったのか」
明かりを持った男が二人。
片方は細身で明かりを持ち、帯剣している。
もう一人はやや太めで、手ぶらのようだ。
だが、どちらも彼女の記憶にない顔である。
暗がりでも汚れの目立つ粗野な風貌、まるで雑巾のような服装。
彼女にとっては、どれも初めて目にするものであった。
「むぐ!?」
ここに来て、初めて彼女に危機感が訪れる。
「ご機嫌麗しゅう、伯爵家のお嬢様ぁ、うへへ」
「な、なんだその言葉遣い、ギャハハ!」
下卑た顔つきというのは、こういう顔の為にある言葉なのだろう。
細身の男の粗雑なお辞儀と汚い言葉遣いは、とても貴族のものではないと感じさせられた。
平民、それも貧民街に身を寄せる類の中でも、特に劣悪な人種。
誘拐犯である。
彼らの言葉と所作ひとつひとつが、リヴェーラの背筋を凍らせ、恐怖心を煽る。
「……!」
事態を理解したリヴェーラは言葉を失っている。
対する男たちは酒の勢いもあってか、実に饒舌であった。
「やっちまったよなぁ、誘拐なんてよ」
「やっちまったもんは、しゃ、しゃあねぇよ」
「これで身代金が取れるんだぜぇ」
「い、いくらもらえるんだ?」
「たっぷりだぁ!」
「酒も、の、飲み放題か?」
「たーっぷりだぁ!」
「ヒャッホーウ!」
衝動的な身代金目的の誘拐。
本来、誘拐など成功するはずはなかった。
しかし、天運は彼らに味方してしまう。
成功するはずのない誘拐に成功、同時に逃げ出したアカーシャたちに身代金の請求まで伝達している次第である。
今宵こそが、彼らの運の絶頂であることを示すように、夜空の月は燦然と赤く輝き、地上を照らす。
彼らとは対照的に被害者となってしまったリヴェーラの次の地獄は、すぐそこまで迫っていた。
「ところでよ、お、おれ、おしっこしたくなっちまった」
「はぁ? 外でしてこいよぉ」
「外は遠いんだよ。だ、だからさ」
「あぁ?」
「も、もうがまんできねぇんだよ」
おもむろにズボンが下げられ、初めて見る男のいちもつが目に入る。
──!?
声にならない悲鳴。
同時にリヴェーラに熱く火照った液体がかけられる。
「──!!」
「お、おい、転がんなよ」
「ガハハ!お貴族様が転がっていらっしゃるぜぇ!」
必死で逃げるリヴェーラ。
「うっ、うぅ……すっきりし、したぁ」
液体の放射が止んだかと思えば、熱が引くと同時に寒さが襲ってくる。
さらに縄の臭いをも上回る独特の臭気、ぎゅっと目をつぶり、夢ならば醒めてほしいと願い続けるリヴェーラ。
「かーっ、くっせぇ」
「いいじゃねぇか、身柄さえ無事なら」
「まぁな」
「どうせ金を受け取ったら、こ、こいつはここに置いていくしな」
──どうしてわたくしがこんな目に……。
リヴェーラは切歯咬牙して涙をこぼすしかない。
どんなに強く噛んでも縄がギチギチと音を立てるだけで、決して噛み切れることはない。
「ぐぅぅぅ!!」
悔しさが怒りに振りきれたところで、リヴェーラは男たちを思いっきり睨み付ける。
だが、それこそが悪手。
より深い地獄へと誘う、地獄の手形であったのだ。
「なんだ、このガキ!」
男の怒りに触れたリヴェーラは、まだ濡れそぼったその顔を蹴り上げられてしまう。
「まーだ、自分の立場が、わ、わかってねーんだよな」
「そうだなぁ、俺様がやさーしく教えてやろう」
下卑た顔の男が近づいてくる。
転がって反抗を見せるも、何度も蹴り上げられてしまう。
端正な顔が、整った身体が、抵抗できなくなるまで、何度も。
「お、折れる、ぞ」
「命が無事ならいいんだろぉ?」
「それも、そ、そうだな」
なぜ、どうして、わたくしが。
心身共に深く傷ついたリヴェーラの心に、闇は容赦なく襲いかかってくる。
「な、なぁ、こいつヤっちまおうぜ」
「はぁ? お前、ガキに興味あんのかよ」
「命が無事なら、い、いいんだろ?」
「ハッハハ、それもそうだな。
そんじゃ、貴族様をお味見させてもらおうか」
何をされようとしているのか。
貴族の淑女たる彼女も、知識としては持っていた。
だが、それを許すわけにはいかない。
彼女の純潔は、愛する想い人の為に存在しているのだ。
「むぐぐぎゅう!!」
必死の抵抗も空しく、はぎ取られるシュミーズ。
この世界の貴族にしては鍛えられた身体に、成長途中の蕾が明かりに照らされる。
彼女は願う。
──助けて、助けてクライヴ様──!
だが、その願いは……届かない。
「ぎぎゃぁぁ!」




