亜紗美・流れ出るもの
次に向かったのは、早貴の家から電車で10分ほどのところにある、名古屋涼の家だった。
インターホンを押す時は怖くなったが、ここに来るまでに話すシュミレーションをもう一度したので、大丈夫なはずだと言い聞かせた。
家から出てきた涼は、人懐こそうな笑みを浮かべていた。
中に入ると、今回は無駄な話が出る前にスマホを取り出した。必要なことだけを迅速に話せば、早貴の時のようにはなるまいという考えによる。
「へぇ、よく調べたね」
涼は早貴と違って、顔色ひとつ変えることなく、単純に感心したようにデータを見ていた。
「理由を知りたいです」
涼は面白そうにこちらを見た。どうして、と返されたら、今回は何も言わずに帰るつもりだった。正直、早貴が知らない時点で、彼からそれ以上の情報を聞き出せるとは思っていない。
「普通そうだよね、なんで今まで誰からも聞かれなかったんだろう」
涼の言葉は予想の少し斜め上をいっていた。
「他に誰かのところ行った?」
「廣瀬早貴さん」
「あーじゃあ里見さんのことはもう聞いたかな?残念だけど、俺は廣瀬以上のことは知らないよ」
涼は察しがいいのか話が早く、聞き込みはあっさりと終わった。亜紗美が予想していた通りだった。だから、新しい情報がなかったことよりも、新しい苦痛もなかったことにほっとしていた。
今日の最後の1人、塩谷國雄の家は少々遠かったが、思ったより時間も亜紗美の余裕もあったため、予定通り向かうことにした。
前の2人で要領は掴んでいたため、彼のところでも時間を取らないつもりだった。
少々面倒くささを見せながらアパートの部屋から出てきた國雄には、玄関先でスマホの画面を突きつけた。
「理由を知りたいです。早貴さん以上の情報を持ってますか」
思い切って一気に言った。
國雄はしばらく画面を見つめ、そのうち亜紗美の顔とを交互に見始めたが、やがて短く一言。
「持ってないね」
最速で終わった。
しかし、亜紗美は達成感を覚えていた。核心に触れるようなことは何も分からなかったとはいえ、一人重要人物と思える名前を聞き出せただけでも収穫だと思っていた。それに、亜紗美1人で3人の知らない人と話ができたというだけで、大きなことだった。
"里見さん"に指示されたということ以外の情報はない。しかし、みんながさん付けをしているあたり、学校の先輩というよりも、もっと年上の人かと予想できる。つまり、外部の人間だ。見つける難易度は断然に上がる。
しかし、本命は残るあと1人、情報係の日野祐介だと思っていた。情報係は、生徒会長と同じくらいの情報を持っていてもおかしくないからだ。
亜紗美は妙な高揚感を覚えながら、満に報告のメールを打っていた。
***
翌々日、亜紗美は一昨日より意気込んで日野祐介に会いに行った。
彼は少し他の人と雰囲気が違った。軽く笑みを浮かべているものの、はっきりとした感情が読み取れない人だった。そして、あまり積極的に会話をする人には見えなかった。
「どうぞ、座って」
静かにお茶とお菓子を出す様子を見て、早貴の言っていたことを思い出した。亜紗美と同じタイプと思えた。
「何の用?」
聞いておきながら、その要件は分かっているように見えた。だから亜紗美も一昨日と同じように、座るとすぐにスマホを取り出した。
亜紗美がまとめた情報を見ても、彼は表情ひとつ変えなかった。ただ、画面から目を逸らして、遠くを見るような目をした。
「その真意は、俺たちに聞くことじゃない。里見さんが知ってる」
やはり、出す名前は里見さんだった。しかし、他の人と違うところ。彼は真意を知らないとは言わなかった。
予想していた通り、他の人より粘る価値はありそうだった。そう意識すると、一気に緊張してくる。
「どうしてですか?」
家にあがって初めて声を発した亜紗美を、彼は奥底の見えない目で見てきた。
「指示されただけだから」
これは他の人と同じだ。しかし、誰も彼も指示されただけとは、全ての責任を里見さんとやらに押しつけているように聞こえる。
押し黙る亜紗美を見て、祐介はふと笑った。驚いて顔をあげる。
「言葉が怖い?」
彼にその質問をされるのは心外だった。
「だから君は選ばれたんだ」
質問は答えなければと焦っていたが、すぐに彼自身が言葉を被せた。何のことを言っているかはよく分からない。
「膨大な情報を手にしても、全てを口にはしないだろう。君の役目を忘れてはいけない」
はっとした。興味本位で調べていることを見透かされて、それを咎められているのだ。反論したかった。言葉を恐れる彼が、わざわざ口にしたのだ。こちらも口を開くべきだ。
身体が全身で拒否していたが、無理やり喉を震わす。
「始まりはあなたたちです。何の為の役目か、見極めなければならないと思ったので」
まっすぐ目を見て発言した亜紗美が意外だったようだ。祐介はわずかに目を細めた。
「危険だ⋯⋯」
何を言われているのか、分からないわけではなかった。逃げ出したくなるのを必死に抑える。
「手を出すべきじゃない。⋯⋯考えているよりずっと、大きなことだよ」
囁くようにそういう祐介は、少し憂いを帯びているように見えた。亜紗美は、彼がはっきりと自分の考えを言い切ったことに驚いた。
危険なことはなんとなく感じていた。学校でおこる出来事としては亜紗美の手に余ることのように思ってはいたから。
しかし、だからこそ知らないふりをしていられなかった。それが負の方向へ向かっているものなら、なおさら。
祐介は小さくため息をついていた。これ以上自分から話す気はないらしい。しかし、何かを知っている。あと一歩、踏み込めば聞けそうな気がした。
あと一歩。亜紗美にはどうしてもそれが難しい。もどかしかった。
祐介は余計な話をせず、話すテンポも亜紗美に似ているのに、亜紗美とは違う理由なのか、あるいは克服したのか、自然と言葉が出ているように見えた。それが、いつも以上に羨ましく感じる。
「里見さんって誰ですか。どこにいるの」
祐介は少し上ずった声を絞り出す亜紗美をちらりと見たが、やはり感情は読み取れない。
「教えないよ」
「でも私は知りたい」
「正確に言えば、俺たちも知らない。知っていても、恩人を売るような真似はしない」
まただ。流れ出るものと引き換えに、新しい情報が手に入る。
恩人とは彼にとってだろうか。生徒会、あるいは学校にとってだろうか。
身体の震えを抑えようとする亜紗美を見る祐介の顔に、僅かに表情があらわれていた。どういうものかは分からなかったが、亜紗美はその目を温かいものに感じた。
そろそろ限界だ。
それに、これ以上粘っても、亜紗美が折れるのが先のように思えた。彼の口は思ったよりずっとかたい。最初に言っていた通り、それが彼の役目だと思っているのだろう。
亜紗美は黙ってスマホをしまい、立ち上がった。頭を下げて玄関に向かう。
「言葉が怖い?」
靴に足を入れると、背後で静かな声が再び問いかけてきた。
振り返る。その目を見て分かる。彼も同じだ。でも、彼は違う。たぶん、亜紗美よりも年齢分大人なのだ。
質問は苦手だ。しかし、失礼かどうかというよりも、彼の質問には答えたかった。
「醜い中身が晒されてしまうから⋯⋯」
「そう」
彼は僅かに笑った。やはり、どこか温かさを感じる笑みだ。
しかし、亜紗美はそれを見ていなかった。早くここから出たかった。1人になって、この息苦しさから解放されたかった。
「蔵ノ城の居場所は、今の生徒会長が知っているはず」
亜紗美がもう一度頭を下げて家を出た時、締まりかかる扉の向こう側で小さな声がした。大きな情報に、亜紗美は玄関の前でしばらく立ち尽くしていた。
新しい情報だ。
普段は静かな心臓が、色々な意味で高鳴っていた。次の一歩を踏み出せる。
しかし、亜紗美は嬉しいと思っていない自分が半分いることに驚いていた。ここで情報が途絶えれば、引き下がる言い訳ができるからだ。また、犠牲を払って新しい情報を手に入れに行くのだ。
亜紗美はやっと歩き出したが、1人になっても声を出すことができなかった。
『元情報係から話聞き出せた?』
自分の家に着きスマホを開くと、満から連絡がきていた。
亜紗美は返事を返そうとして、唖然とした。手が動かない。頭にはいつも通り言葉があるのに、文字に表すことすら怖くなっていた。
また身体が震え出しそうになって、思わずメールを閉じる。代わりに、まとめたデータを見る。無機質な情報は安心できる。
先に調べようと思っていたことを調べようと思い、スマホのキーボードを打つ。
元生徒会の人たちに聞き込みをして分かったことは3つ。
8年前のことは、"里見さん"に指示されて生徒会が行った。その目的は学校を守るためとのこと。そして、最後の情報源である蔵ノ城真琴の居場所は、現生徒会長の柳朔が知っている。
今の時点で亜紗美が手をつけられるのは"里見さん"についてだが、呼ばれ方から察するに、外部の年上、しかし全くの無関係ではないだろう。
(OB⋯⋯?)
亜紗美ははっとして手を動かす。
亜紗美の代は朝霧高校の43期生なので、初期生もまだ生きている年齢だろう。8年前にすでに卒業していると考えると、32年分の生徒の里見という名前の中から探すことになる。
生徒の詳しい情報は生徒会室に行かないと見られないが、里見という生徒をリストアップするのは造作もないことだった。しかし、肝心の"里見さん"を見つけるには、もう少し情報が必要だった。
亜紗美はそう思いながらも、里見という苗字の人を簡単な情報と共に並べていた。
亜紗美の周りでもあまり聞かない名前だとは思っていたが、32年間の生徒の中でも思ったより少なかった。
(そういえば、1人いるな)
亜紗美は、自分の身近にも"里見"がいることを思い出す。
里見千翔についてはあまり知らないが、もしかしたらと思って調べてみると、リストの中に彼の親戚も混ざっていた。歳は18も離れていたが、千翔の父の兄の子、つまり、千翔の従兄弟にあたる人のようだ。そして何の縁か、彼は17年前の生徒会長だった。
亜紗美はもう一度はっとする。元生徒会、というのは絞り込む価値があるかもしれないと思ったのだ。
里見リストの中で、生徒会に属していた人。すぐに調べられたが、亜紗美は唖然とした。千翔の従兄弟しかいなかったのだ。
絞り過ぎかと思ったが、これはこれで、彼のことを調べてみてもいいかもしれないと思う。赤の他人より情報が得やすいだろう。
亜紗美は基本情報を揃えておこうと思い手を動かしていたが、彼のことをもっと知りたいと思うのなら、千翔に話を聞くのが早いだろう。
亜紗美は手を止める。現実逃避はここまでだった。
どうしても、人と話す必要がある。今の亜紗美には、満とのメールのやり取りさえ苦痛なのに。
スマホを手に取ってため息をつく。文字を打とうすると、一気に動悸が激しくなる。それでも頑張って、満に大丈夫というスタンプだけ返した。
誰かに助けを求めたかった。
自分で許せない自分を許して欲しかった。
亜紗美は唐突に、入学したばかりの頃を思い出す。初対面では多くの人が、喋らない亜紗美には友好的な態度を示さない中で、1人だけ、無理して話さなくていいと言ってくれた人がいた。彼女は、亜紗美が恐れているものが見えているかのようだった。
涙の滲む目をもう一度携帯画面に向ける。
亜紗美は唯一の光を求めるように、彼女の名前を探した。




