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王妃の妹、偽りの遺書  作者: フミえるる
第二部「王妃の秘密」
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第8話 王妃の告白

 王妃セレーネの秘密を知った翌日から、エレノアは人の視線が気になるようになった。


 王宮を歩いているだけなのに、以前とは違って見える。


 廊下を行き交う侍女たちも、警備兵たちも、誰も何も知らない。いつもと変わらない顔で仕事をしている。


 けれど、その中にひとつだけ、エレノアが知ってしまった秘密がある。


 この国の王妃は、この国の人間として生まれた女性ではない。


 かつて隣国を治めていた王家の血を引いている。


 その国は戦争に敗れ、王家は滅びた。


 そして、その生き残りのひとりが、今ではこの国の王妃になっている。


 エレノアは、その事実を頭の中で何度も繰り返していた。


 だが、それだけではリーアが殺された理由にはならない。


 むしろ、問題はその先だった。


 リーアも、この秘密を知っていた。


 しかも、ただ知っていただけではない。


 以前、姉である王妃を脅していた。


 それを知ったとき、エレノアは胸の奥が重くなるのを感じた。


 リーアなら、やりかねない。


 昔の彼女を知っているからこそ、そう思ってしまう。


 だからこそ、昨日聞いた言葉が引っかかっていた。


 ――明日は姉と話すの。


 ――今度こそ、ちゃんと話す。


 ――もう、あんなことを続けるのは嫌なの。


 脅すつもりなら、そんなことを言う必要はない。


 では、リーアは何をするつもりだったのか。


 エレノアは、その答えを知るために王妃の部屋へ向かった。


 王妃付きの侍女に案内され、扉の前で足を止める。


 扉の向こうには、セレーネがいる。


 昨日、姉妹の秘密を知ったとき。


 セレーネは、何も言い訳をしなかった。


 自分が何者なのか。


 なぜこの国の王妃になったのか。


 そして、リーアがそれを知っていたことも。


 すべて認めた。


 けれど、まだ聞いていないことがある。


 リーアが、どのようにその秘密を使っていたのか。


 そして、なぜ今になって姉と話そうとしたのか。


「どうぞ」


 中から声がした。


 エレノアは扉を開けた。


 部屋にはセレーネしかいなかった。


 窓際に置かれた椅子に座り、手元には一冊の本がある。


 けれど、本は開かれていなかった。


 セレーネはエレノアを見ると、静かに微笑んだ。


「いらっしゃい、エレノア」


「少し、お聞きしたいことがあります」


「リーアのことですね」


 先に言われて、エレノアは一瞬だけ言葉を失った。


 セレーネは本を閉じた。


「座ってください」


 エレノアは向かいの椅子に腰を下ろした。


 しばらく、二人の間に沈黙が落ちた。


 王妃の部屋は静かだった。


 外から聞こえるのは、遠くを歩く靴音だけ。


 その静けさの中で、エレノアは慎重に口を開いた。


「リーア様は、以前、陛下を脅していたのですか」


 セレーネの表情がわずかに曇った。


「……ええ」


「何を要求していたのですか」


「最初は、お金でした」


 思っていたよりも、あっさりとした答えだった。


 エレノアは黙って続きを待つ。


「その次は、王宮での待遇でした。自分の望むことを通すように、と」


「それは、何度も?」


「ええ」


 セレーネは膝の上で指を組んだ。


「リーアは、自分が知っていることを私に思い出させるように話していました」


「……王妃陛下の出生を?」


「そうです」


 セレーネの声は小さかった。


 そこには怒りよりも、疲れがあった。


「私が拒めば、あの子は言いました。『これを知られたら、お姉様も困るでしょう』と」


 エレノアは目を伏せた。


 やはり、リーアはその秘密を武器にしていた。


 その事実は変わらない。


「陛下は、そのことをご存じだったのですか」


「ええ。私から話しました」


「それでも、リーア様を処罰しなかった?」


「できませんでした」


 セレーネは少しだけ苦しそうに笑った。


「リーアは私の妹ですから」


 その言葉に、エレノアは顔を上げた。


「……それだけですか?」


「それだけではありません」


 セレーネは窓の外を見た。


「私は、リーアを嫌いになれませんでした」


 王妃として言えば、脅迫は許されない。


 ひとりの人間として言えば、妹を切り捨てることもできない。


 その二つの間で、セレーネもまた苦しんでいたのだろう。


「でも」


 セレーネが続けた。


「最後の頃には、少し変わっていました」


 エレノアの胸が動いた。


「どのように?」


「要求がなくなったのです」


「いつ頃からですか」


「一月ほど前だったと思います」


 エレノアは息を止めた。


 それは、リーアが変わったと言われていた時期と重なる。


「何か理由を言っていましたか?」


「いいえ」


「では、王妃陛下は、リーア様がなぜ変わったのかご存じないのですね」


「……ええ」


 セレーネは首を横に振った。


「だから、私は怖かったのです」


「怖かった?」


「要求をしなくなったことが、良い変化なのか。それとも、別のことを考えているのか」


 その言葉に、エレノアは何も返せなかった。


 リーアは以前、姉を脅していた。


 だからこそ、セレーネが警戒するのは当然だった。


 だが。


 リーアが最後に残した言葉を知っているエレノアには、それだけでは説明できない。


「王妃陛下」


「はい」


「リーア様は、最後に何か言いませんでしたか」


 セレーネは考え込んだ。


 しばらくして、静かに答える。


「……一度だけ」


「何を?」


「『明日、ちゃんと話したい』と」


 エレノアの指が膝の上で止まった。


「それだけですか?」


「ええ」


 セレーネは首を傾げた。


「何の話なのかと聞きました。でも、あの子は答えませんでした」


「そのときのリーア様の様子は?」


「怒ってはいませんでした」


「悲しそうでも?」


「いいえ」


 セレーネは少し考えてから言った。


「……決めた人の顔をしていました」


 その言葉が、エレノアの胸に残った。


 決めた人の顔。


 それは、昨日聞いた侍女の話とも一致している。


 リーアは死ぬことを決めた人間には見えなかった。


 姉を殺して自分も死ぬ。


 そんなことを考えていた人間にも見えない。


 むしろ、何かを終わらせようとしていた。


「王妃陛下」


「はい」


「リーア様は、本当に最後まで王妃陛下を脅すつもりだったと思いますか」


 セレーネは答えなかった。


 長い沈黙のあと、ゆっくりと首を横に振った。


「……分かりません」


 その声は、ひどく正直だった。


「分からないのです。あの子が何を考えていたのか。何を言おうとしていたのか」


 セレーネは俯いた。


「だから私は、今でも考えてしまいます」


「何をですか」


「もし、あの日、あの子が生きていたら」


 その先を、セレーネは言わなかった。


 エレノアにも、その続きを想像することはできた。


 姉と妹が話をしていた。


 過去のことを話して。


 秘密のことを話して。


 脅していたことも、脅されたことも。


 そして、これからのことを話していた。


 そんな未来だったのかもしれない。


 けれど、その未来は突然消えた。


 リーアが死んだからだ。


「王妃陛下」


「はい」


「私は、リーア様が残したものを調べています」


 セレーネは顔を上げた。


「それは、犯人を見つけるため?」


「はい」


「……そうですか」


 セレーネはしばらくエレノアを見つめた。


「では、お願いがあります」


「何でしょうか」


「真実を見つけてください」


 エレノアは黙った。


「たとえ、その真実が私にとって都合の悪いものでも」


 王妃の声は震えていなかった。


「リーアが私を恨んでいたのなら、それも知りたい。私を傷つけようとしていたのなら、それも知りたい」


 セレーネは一度、目を閉じた。


「でも、あの子が最後に何を望んでいたのか。それだけは、知りたいのです」


 エレノアは立ち上がった。


「分かりました」


 それだけを告げて、部屋を出る。


 廊下に出たところで、エレノアは足を止めた。


 頭の中に、いくつもの事実が並んでいる。


 王妃には秘密があった。


 リーアはその秘密を知っていた。


 そして、以前はそれを使って姉を脅していた。


 けれど、一月ほど前から要求をやめている。


 最後には、姉と話そうとしていた。


 それなのに、死んだ。


 しかも、自殺に見せかけるための手紙まで残されている。


 エレノアは、ふと拳を握った。


 もし誰かがリーアを殺したのなら。


 その人物は、リーアの秘密だけではなく。


 リーアが何をしようとしていたのかまで、知っていたのだろうか。


 その疑問が、昨日までとは違う形で胸に浮かんだ。


 そしてもうひとつ。


 エレノアは、父の顔を思い出した。


 ローレンス。


 父は、王妃の秘密を知っている。


 それは確かだ。


 では。


 リーアがその秘密を使って、かつて王妃を脅していたことも――父は知っていたのだろうか。


 エレノアは、ゆっくりと廊下を歩き始めた。


 その答えを聞かなければならないと思った。


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