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王妃の妹、偽りの遺書  作者: フミえるる
第六部「父親」
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第30話 父と娘

 父の執務室を訪ねたのは、その日の夕刻だった。


 窓の外はすでに薄暗く、廊下には夜の冷気が流れ始めていた。使用人たちの姿も少なくなり、王宮の一日は静かに終わろうとしている。


 エレノアは扉の前で一度だけ立ち止まった。


 ここを開ければ、もう後戻りはできない。


 父が犯人ではない可能性も、まだ残っている。


 けれど、もし犯人なら。


 そのとき自分は、父親を罪人として追及しなければならない。


 それでも、エレノアは扉を叩いた。


「入れ」


 聞き慣れた声が返ってきた。


 エレノアは扉を開けた。


 ローレンスは机に向かっていた。手元にはいくつかの書類が置かれている。


 いつもと変わらない姿だった。


 王宮に仕える役人として、長年この国を支えてきた男。


 そして、エレノアにとっては父親だった。


「どうした」


「話があります」


 ローレンスは顔を上げた。


「リーア様の事件についてです」


 その名前を聞いた瞬間、父の手が止まった。


 ほんのわずかな変化だった。


 だが、エレノアは見逃さなかった。


「……まだ調べているのか」


「はい」


「もう十分だろう」


「十分ではありません」


 エレノアは部屋の中央まで歩いた。


 父との距離が、妙に遠く感じられた。


「リーア様は自殺ではありません」


 ローレンスは何も答えなかった。


「薬瓶から毒が見つかりました。毒は薬に偶然混ざったものではありません。瓶の中へ、誰かが意図的に入れたものです」


「それは聞いている」


「薬瓶の封印は、一度外された形跡がありました」


「……そうか」


「そして、リーア様が亡くなる前日、父上は薬品庫に入っています」


 ローレンスの視線がエレノアへ向いた。


「記録に残っている理由は、王妃陛下の薬を取りに来たため」


「そうだ」


「ですが、王妃陛下の薬を届けたのは侍女です」


 沈黙が落ちた。


「追加の薬もありませんでした。父上が薬を受け取った記録もありません」


 エレノアは一歩近づいた。


「つまり、記録に残された入室理由は嘘です」


 ローレンスは椅子に座ったまま、エレノアを見ていた。


 怒るでもなく、言い訳をするでもない。


 その静けさが、かえって不気味だった。


「……よく調べたな」


「父上」


「何だ」


「何をしていたのですか?」


 答えは返ってこなかった。


 エレノアは父を見つめた。


 これまでなら、沈黙を父なりの考えだと思っただろう。


 けれど今は違う。


 何かを隠している。


 その確信があった。


「父上は、リーア様が王妃陛下を脅していたことを知っていましたね」


 ローレンスの表情が変わった。


 初めて、明らかな動揺が見えた。


「……誰から聞いた」


「王妃陛下からです」


 ローレンスは目を伏せた。


「そうか」


「リーア様は、王妃陛下の秘密を知っていました」


「……ああ」


「その秘密を使って、何度も王妃陛下を脅していた」


「そうだ」


「父上は、それを危険だと思っていた」


「当然だ」


 ローレンスの声が低くなる。


「王妃陛下の秘密が公になれば、国がどうなるか分からない。あの方は、それほど危うい立場にいる」


「だからリーア様を殺したのですか?」


 ローレンスの顔から、表情が消えた。


「……何を言っている」


「私は父上を疑っています」


 エレノアははっきりと言った。


「薬品庫に入ることができた。リーア様の薬瓶に触れることもできた。王妃陛下を守る動機もあった。そして、薬品庫へ入った理由について嘘をついた」


 一つずつ、事実を並べていく。


 声が震えないように、エレノアは意識してゆっくり話した。


「これだけ揃って、まだ父上を疑うなというほうが無理です」


「……証拠は?」


 短い言葉だった。


 エレノアの胸に重く響いた。


「ありません」


 正直に答える。


「今のところは」


「ならば、私を犯人扱いする理由にはならない」


「分かっています」


 エレノアは頷いた。


「だから、ここへ来たのです」


「何のために」


「父上から聞くためです」


 ローレンスは黙った。


「父上が薬品庫へ入った本当の理由を教えてください」


「……」


「なぜ記録に嘘を書いたのですか?」


「……」


「リーア様の薬瓶に触れていないのなら、そう言ってください」


 長い沈黙が続いた。


 窓の外では、風が木々を揺らしている。


 その音だけが、部屋の中に入り込んでいた。


 やがてローレンスが口を開いた。


「お前は、何も分かっていない」


 その声には、怒りよりも疲れがあった。


「何がですか」


「王妃陛下が、どれほど危うい立場にいるのか。あの方の過去が知られれば、何が起こるのか。リーアが、それをどう利用していたのか」


「それは聞きました」


「ならば分かるだろう」


「分かりません」


 エレノアは首を横に振った。


「少なくとも、人を殺していい理由にはなりません」


 ローレンスの目が揺れた。


「私はまだ、父上が犯人だとは決めていません」


 エレノアは静かに続けた。


「ですが、父上が何かを隠していることは分かります」


 ローレンスは視線を逸らした。


 それだけで十分だった。


 エレノアには、父が何かを知っていることが伝わってきた。


 だが、それでも決定的な答えは出ない。


 父が黙っている理由が、殺人を隠すためなのか。


 王妃を守るためなのか。


 あるいは、その両方なのか。


 まだ分からなかった。


「最後に一つだけ聞きます」


 エレノアは父を見た。


「リーア様が亡くなる前日、父上は何をしていたのですか?」


 ローレンスは答えなかった。


 その代わり、ゆっくりと目を閉じた。


 そして、しばらくしてから言った。


「……私は、王妃陛下を守るために必要なことをした」


 エレノアの呼吸が止まった。


「何をしたのですか?」


「それ以上は聞くな」


「父上」


「エレノア」


 ローレンスが初めて強い声を出した。


「これ以上、王妃陛下のために動くな」


 その言葉に、エレノアは父の顔を見つめた。


 父は何も認めていない。


 殺したとも言っていない。


 薬瓶に触れたとも言っていない。


 それでも。


 あまりにも多くのことを知っている。


 そして、自分が何をしていたのかを語ろうとしない。


 エレノアはゆっくりと息を吐いた。


「……分かりました」


 ローレンスが顔を上げる。


「では、私が自分で調べます」


「エレノア」


「父上が何を守ろうとしたのかも」


 エレノアは扉へ向かった。


「リーア様を殺したのが誰なのかも」


 扉に手をかけたところで、背後から声がした。


「エレノア」


 振り返る。


 ローレンスは机の前に座ったまま、こちらを見ていた。


 その顔には、これまで見たことのない疲労が浮かんでいた。


「……真実を知れば、後悔するぞ」


 エレノアはしばらく父を見つめた。


「それでも、知らないままにはできません」


 そう言って、部屋を出た。


 扉が閉まる。


 廊下に一人になったエレノアは、その場から動けなかった。


 父は何も認めなかった。


 けれど、否定もしなかった。


 そして最後に言った。


 ――王妃陛下を守るために必要なことをした。


 その言葉が、何度も頭の中で繰り返された。


 エレノアは拳を握った。


 疑いは、もう確信に近づいている。


 それでも、まだ足りない。


 父を犯人だと断じるには、最後の一線を越える証拠が必要だった。


 そしてエレノアは、その証拠を見つけるまで止まらないと決めた。


 たとえ、その先にいるのが自分の父親だったとしても。


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