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王妃の妹、偽りの遺書  作者: フミえるる
第五部「真実」
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第27話 鍵

 翌朝、エレノアは再び薬品庫の前に立っていた。


 昨日と同じ場所だった。


 扉も、棚も、並べられた薬瓶も変わっていない。


 それなのに、エレノアには昨日までとは違って見えた。


 薬品庫へ入ること自体に意味があるのではない。


 誰が、いつ、何のために入ったのか。


 その理由が本当だったのか。


 そこを確かめなければならない。


 エレノアは扉を開け、中へ入った。


 薬品庫には朝の冷たい空気が残っていた。


 窓は小さく、差し込む光も弱い。棚の奥にはまだ薄暗い場所があり、瓶の影がいくつも重なっている。


 彼女は中央の机へ向かうと、昨日確認した入室記録を広げた。


 記録には、日付と時刻、名前、そして用件が簡潔に書かれている。


 リーアが死ぬ前の日。


 ローレンス。


 用件――王妃の薬を取りに来たため。


 エレノアは、その一行をじっと見つめた。


 何度読んでも、文字そのものは変わらない。


 父が薬品庫へ入った。


 それは事実だ。


 王妃の薬を取りに来た。


 それも記録上は事実になっている。


 しかし、エレノアが知りたいのは、その先だった。


 なぜ父は、その日に薬を取りに来たのか。


 誰から頼まれたのか。


 どの薬を持っていったのか。


 そして、本当にそれだけだったのか。


 エレノアは記録をめくった。


 薬品庫では、入室だけでなく、薬を持ち出した場合にも簡単な記録を残すことになっている。


 王宮では、薬品を扱う場所が厳しく管理されていた。


 毒物にも使える薬品がある以上、誰が何を持ち出したのかを把握しておく必要がある。


 エレノアは、父の名前が記された欄を探した。


 見つけた。


 日付は一致している。


 時刻も一致している。


 そして、その横には持ち出した薬の名前が記されていた。


 エレノアは目を細めた。


「……王妃様の薬」


 確かにそう書かれている。


 一つだけ。


 王妃が普段使っている薬の名前だった。


 父が薬品庫へ入った理由としては、何もおかしくない。


 それどころか、記録だけを見れば非常に自然だった。


 王妃の薬が必要になった。


 父が取りに来た。


 薬を持って出た。


 それだけだ。


 エレノアは一度、椅子に腰を下ろした。


 やはり違うのだろうか。


 父は本当に王妃のために薬を取りに来ただけだったのか。


 それなら、薬瓶に毒が仕込まれたこととは無関係になる。


 エレノアはそう考えかけた。


 だが、すぐに思考を止めた。


 違う。


 まだ確認していないことがある。


 父が持ち出した薬を、王妃は本当に受け取ったのか。


 エレノアは記録を閉じた。


 それを確かめるため、薬品庫を出た。


 向かった先は王妃の居室だった。


 王妃セレーネは朝の支度を終えたところだった。


 侍女たちが部屋を整えている。


 エレノアの姿を見ると、セレーネは侍女たちに下がるよう命じた。


 扉が閉じる。


 二人きりになる。


「どうしたの?」


「確認したいことがあります」


 エレノアは慎重に言葉を選んだ。


「リーア様が亡くなる前の日のことです」


 セレーネの表情がわずかに硬くなる。


「……ええ」


「父が薬品庫へ入ったことは、ご存じでしたか?」


「ええ。聞いています」


「父は、王妃様の薬を取りに来たと記録されています」


 セレーネは少し考えた。


「そうだったと思うわ」


「その薬は、父から受け取りましたか?」


 セレーネは首を横に振った。


「いいえ」


 エレノアの胸が強く鳴った。


「……受け取っていない?」


「ええ」


 セレーネははっきりと答えた。


「その日は、侍女が持ってきたわ」


「侍女が?」


「そうよ。いつものように」


 セレーネは少し困ったように眉を寄せた。


「ローレンスから薬を受け取った覚えはないわ」


 エレノアは黙った。


 頭の中で、何かが音を立ててつながった。


 薬品庫の記録。


 父の名前。


 王妃の薬を取りに来たという理由。


 けれど、その薬を王妃は父から受け取っていない。


 では、父が持ち出した薬はどこへ行ったのか。


 エレノアは問いを重ねた。


「王妃様、その日、薬を受け取った侍女を覚えていますか?」


「ええ。いつも薬を届けてくれる者よ」


「父が薬を持ってきたという話は?」


「聞いていないわ」


「では、父が薬を取りに来たこと自体をご存じなかった?」


 セレーネは少し考えてから頷いた。


「そうね。今あなたに聞かれるまで、知らなかったわ」


 エレノアは視線を落とした。


 胸の奥で、冷たいものが広がっていく。


 父は薬品庫へ入った。


 そして、王妃の薬を取りに来たと記録を残した。


 だが、その薬は王妃には渡っていない。


 ならば、父が薬品庫へ入った本当の目的は何だったのか。


 エレノアは顔を上げた。


「王妃様」


「何?」


「その日、薬を届けた侍女に確認してもよろしいでしょうか」


「もちろん」


 セレーネは頷いた。


「必要なら私からも話すわ」


「ありがとうございます」


 エレノアは一礼した。


 だが、すぐには部屋を出なかった。


 もう一つ、確かめたいことがある。


「王妃様」


「まだ何かあるの?」


「父が、リーア様のことで何か話していたことはありませんか?」


 セレーネの表情が変わった。


 ほんの少しだけ。


 けれど、その変化は見逃せなかった。


「……どういう意味かしら」


「父は、リーア様が王妃様を脅していたことを知っていました」


 セレーネは答えなかった。


「そして、父はそれを理由に、リーア様を危険な存在だと考えていたのではありませんか?」


 しばらく沈黙が続いた。


 やがてセレーネが静かに口を開いた。


「そうね」


「では、父にはリーア様を止める理由があった」


「……あったわ」


「それでも、父がリーア様を殺したと証明できるものはありません」


「ええ」


 セレーネは静かに答えた。


「だから、あなたは探しているのでしょう」


 エレノアは頷いた。


 セレーネは視線を窓の外へ向けた。


「エレノア」


「はい」


「もしローレンスが、何かを隠しているのなら」


 セレーネの声は低かった。


「私のために隠している可能性があるわ」


 エレノアは息を止めた。


 その言葉の意味を、すぐには理解できなかった。


「王妃様……」


「でも、それが何を意味するのかは、まだ私にも分からない」


 セレーネは振り返った。


「だから、あなたが確かめなさい」


 エレノアはその目を見た。


 そこには恐怖があった。


 それと同時に、覚悟もあった。


「分かりました」


 エレノアは頭を下げた。


 部屋を出ると、廊下の空気が妙に冷たく感じられた。


 薬品庫へ戻る途中、エレノアは何度も父の記録を思い返した。


 王妃の薬を取りに来た。


 それは嘘かもしれない。


 いや、正確には、理由としては成立しているように見えていた。


 だからこそ、今まで誰も疑わなかった。


 父自身も、それを説明として使えると知っていたのかもしれない。


 王妃のために薬を取りに来た。


 その記録が残っていれば、薬品庫へ入った理由は説明できる。


 しかし実際には、王妃はその薬を受け取っていない。


 では、父は何をしていたのか。


 エレノアは薬品庫の前で立ち止まった。


 答えはまだ出ていない。


 だが、一つだけ確かなことがある。


 これまで「父が薬品庫へ入った」という事実は、疑いを強めるだけの材料だった。


 今は違う。


 父が薬品庫へ入った理由そのものに、嘘がある可能性が出てきた。


 そして、その嘘が事実なら。


 父には、薬品庫へ入った別の目的があったことになる。


 エレノアは扉に手をかけた。


 中へ入る。


 昨日までと同じ棚。


 同じ薬瓶。


 同じ静けさ。


 けれど、もう同じ場所には見えなかった。


 ここで父は何をしたのか。


 王妃の薬を取るためではなかったのなら。


 誰のために。


 何のために。


 エレノアは薬品庫の棚を見渡した。


 その中に、リーアの薬瓶が置かれていた。


 今はもう空になっている。


 それでも、そこには一人の人間の最後が残っている。


 リーアは明日、姉と話すつもりだった。


 父は、そのことを知らなかった。


 そして父は、その前日に薬品庫へ入っていた。


 王妃の薬を取りに来たという理由で。


 けれど、王妃はその薬を受け取っていない。


 エレノアは目を閉じた。


 これで、ようやく一つの疑問に手が届いた。


 父は、なぜ薬品庫へ入ったのか。


 まだ答えは分からない。


 だが少なくとも――。


 記録に書かれた理由は、真実ではない可能性がある。


 エレノアは目を開いた。


 今度こそ、父に直接聞かなければならない。


 王妃の薬を取りに来たというのは、誰のための嘘だったのか。


 そして、その嘘の裏で。


 父は、何をしていたのか。


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