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王妃の妹、偽りの遺書  作者: フミえるる
第四部「リーアは変わっていた」
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第23話 父親の誤算

 翌朝、エレノアは父の執務室へ向かっていた。


 廊下には朝の光が差し込み、磨かれた床に窓枠の影が細く伸びている。使用人たちはいつものように行き交い、誰もが普段と変わらない顔をしていた。


 王宮では、リーアが死んでからも時間だけが進んでいる。


 朝になれば朝食が運ばれ、昼になれば仕事が始まり、夜になれば灯りが消される。


 人が一人死んだところで、王宮そのものは止まらない。


 けれど、エレノアの中では、何かが昨日までとは決定的に変わっていた。


 リーアは死ぬつもりではなかった。


 少なくとも、死ぬことだけを考えていたわけではない。


 姉を脅すことをやめようとしていた。


 もう一度、話そうとしていた。


 それが、最後の手紙に残されていた。


 では、なぜ死んだのか。


 エレノアは足を止めた。


 目の前に父の執務室がある。


 扉の向こうに、ローレンスがいる。


 これまで何度も見てきた扉だった。


 幼い頃、父に用があるときもここを訪れた。仕事の邪魔をしてはいけないと叱られたこともある。逆に、何も言わずに中へ入れてくれたこともあった。


 自分にとって、そこは父親のいる場所だった。


 だが今は違う。


 リーアが死んだ夜、薬品庫へ入った男。


 王妃の秘密を知っていた男。


 リーアが姉を脅していたことを知っていた男。


 そして、リーアが変わったことを知らなかった男。


 エレノアは、ゆっくりと息を吐いた。


 昨日までなら、父を疑う自分をどこかで否定していた。


 証拠がない。


 父がそんなことをするはずがない。


 そう思いたかった。


 だが、今は違う。


 リーアが変わったことを知ったからこそ、父の行動には別の意味が生まれていた。


 父は、リーアが最後まで王妃を脅し続けると思っていたのではないか。


 王妃の秘密が露見すれば、国が揺らぐ。


 だから、リーアを危険な存在だと考えた。


 ならば。


 もし父がリーアを殺したのだとすれば。


 父が殺したのは、本当の意味での「今のリーア」ではない。


 父の中に残っていた、過去のリーアなのではないか。


 エレノアは扉に手をかけた。


「お父様」


 返事はなかった。


 もう一度、少し強く叩く。


「お父様。入ります」


「……ああ」


 中から声がした。


 エレノアは扉を開けた。


 ローレンスは机に向かっていた。


 書類を整理している。


 いつもと変わらない姿だった。


 背筋は伸び、髪も乱れていない。机の上にはいくつもの書類が並び、その脇には冷めかけた茶が置かれている。


 まるで、何も起きていないかのようだった。


「どうした?」


 ローレンスが顔を上げる。


 その目がエレノアを見る。


「リーアのことです」


 父の手が止まった。


 ほんの一瞬だった。


 だが、エレノアは見逃さなかった。


「まだ調べているのか」


「はい」


「もう十分だろう」


 静かな声だった。


「王妃も、お前も、これ以上苦しむ必要はない」


「苦しんでいるから調べているわけではありません」


 エレノアは父の机の前まで歩いた。


「知りたいんです」


「何をだ」


「リーアが、なぜ死んだのか」


 ローレンスは答えなかった。


 エレノアは父の顔を見つめた。


 そこに罪悪感があるのか。


 恐怖があるのか。


 それとも、ただ娘の心配をしているだけなのか。


 以前なら、父の表情を疑うことなどなかった。


 今は、一つ一つが気になった。


「リーアは、最後の日に姉を脅すつもりではありませんでした」


 ローレンスの眉がわずかに動いた。


「……何を言っている」


「手紙が見つかりました」


「手紙?」


「リーアが書いたものです」


 エレノアは、昨日読んだ言葉を思い出した。


 姉を許したわけではない。


 起きたことをなかったことにもできない。


 それでも、もう脅したくはない。


 一度だけ、きちんと話したい。


 それがリーアの最後の意思だった。


「リーアは、王妃陛下を許したわけではありません」


「……」


「でも、もう脅すつもりはなかった」


 ローレンスは黙っていた。


「姉と話すつもりだったんです」


 長い沈黙が落ちた。


 窓の外から、鳥の鳴き声が聞こえる。


 やがてローレンスが口を開いた。


「人は、最後まで同じ気持ちでいるとは限らない」


「ええ」


「だからといって、それが何だというんだ」


「父は、リーアが変わったことを知っていましたか?」


 ローレンスの目が止まった。


「……何を言いたい」


「質問しています」


「知らない」


 答えは早かった。


 エレノアは、その一言を聞き逃さなかった。


「知らなかった?」


「そうだ」


「本当に?」


「私はリーアと親しく話していたわけではない」


「でも、リーアが姉を脅していたことは知っていましたよね」


 ローレンスの表情が硬くなる。


「それは知っていた」


「どのくらい前から?」


「……かなり前からだ」


「だから、リーアは危険な人間だと思っていた」


「危険だった」


 即答だった。


 その声には、迷いがなかった。


「王妃の秘密を知り、それを使って王妃を追い詰めていた。あのまま続けば、いずれ取り返しのつかないことになっていた」


「でも、リーアはやめようとしていた」


「それを私は知らなかった」


「ええ」


 エレノアは父を見つめた。


「そこが問題なんです」


 ローレンスは眉を寄せた。


「何がだ」


「父は、リーアが変わったことを知らなかった」


「……そうだ」


「なのに、リーアが死んだ」


 ローレンスの顔から、わずかに血の気が引いたように見えた。


 だが、それ以上の変化はなかった。


「偶然だ」


「本当に?」


「エレノア」


 低い声だった。


「何を疑っている」


「まだ、何も断定していません」


「ならば、なぜそんな目で私を見る」


「父だからです」


 エレノアは答えた。


「父だから、知りたいんです」


 ローレンスはしばらく黙っていた。


 やがて、椅子の背に身体を預けた。


「お前は、私がリーアを殺したと思っているのか」


 直接的な言葉だった。


 エレノアの胸が強く締めつけられる。


 それでも、目を逸らさなかった。


「分かりません」


「分からない?」


「父が犯人だと、まだ言えるだけの証拠はありません」


 ローレンスは何も言わない。


「でも、疑う理由はあります」


「私がリーアを嫌っていたからか」


「違います」


 エレノアは首を振った。


「父は、リーアが姉を脅していたことを知っていた。王妃の秘密も知っていた。そして、リーアが死ぬ前の日に薬品庫へ入っています」


 ローレンスの指が机の上でわずかに動いた。


「それだけだ」


「それだけではありません」


 エレノアは続けた。


「リーアの薬瓶から毒が見つかりました」


「……知っている」


「その毒は、薬に混ぜられていたわけではない」


「何?」


「薬瓶の中に仕込まれていました」


 ローレンスは黙った。


「薬瓶は、封が一度外されています」


 エレノアは父の顔を見た。


「誰かが意図的に触った可能性があります」


「可能性、だろう」


「はい」


「では、私ではない」


「まだ、そうとも言っていません」


「ならば何を求めている」


「本当のことです」


 エレノアは静かに言った。


「リーアが何をしようとしていたのか。そして、誰がそれを奪ったのか」


 ローレンスは答えなかった。


 父の沈黙が、部屋の中に重く残る。


 エレノアは、その沈黙を聞きながら思った。


 父は、リーアを殺したことを認めていない。


 けれど、何かを恐れている。


 それが自分の疑いなのか。


 王妃の秘密なのか。


 それとも――リーアが最後に何をしようとしていたのか。


 まだ分からない。


 だからこそ、エレノアはここで引くことができなかった。


「お父様」


「なんだ」


「リーアは、最後に姉と話すつもりでした」


「……」


「そのことを、父は知っていましたか?」


 ローレンスは目を伏せた。


「知らない」


 今度の答えは、少しだけ遅かった。


 エレノアはそれを聞き、父の顔を見た。


 知らなかった。


 本当に知らなかったのか。


 それとも――。


 エレノアはそれ以上、追及しなかった。


 今ここで父を問い詰めても、答えは出ない。


 必要なのは、疑いではない。


 父がリーアを殺したと証明できるものだ。


 そのためには、もう一度、最初から見直す必要がある。


 薬瓶。


 薬品庫。


 封。


 そして、リーアが死んだ夜。


 エレノアは父に背を向けた。


「もう行くのか」


「はい」


「どこへ行く」


 扉の前で、エレノアは足を止めた。


「調べに行きます」


「何を」


 エレノアは振り返らなかった。


「父が嘘をついているのかどうかを」


 扉を閉める。


 廊下に出たエレノアは、深く息を吐いた。


 胸の奥が重い。


 それでも、迷いはなかった。


 リーアは変わった。


 そして、その変化を知らない誰かによって、未来を奪われた。


 ならば、その誰かが誰なのか。


 今度こそ、証拠で確かめなければならない。


 父を疑うためではない。


 リーアが最後に選ぼうとしていたものを、誰かに勝手に終わらせられたままにしないために。


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