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王妃の妹、偽りの遺書  作者: フミえるる
第四部「リーアは変わっていた」
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第22話 しかし、最後に変わった

 記録室を出たエレノアは、その足で王宮の使用人たちが使う小さな資料室へ向かった。


 リーアの最後の一か月について知るには、王宮の公式記録だけでは足りない。


 警備記録に残るのは、誰がどこへ行ったかという事実だけだ。


 その人間が何を話し、何を考え、何を決めたのかまでは書かれていない。


 だからエレノアは、リーアの身近にいた人間の証言を探すことにした。


 扉を開けると、夕食前の静かな時間だったこともあり、室内には誰もいなかった。


 壁際の棚には、使用人たちが残した申し送りの帳簿が並んでいる。


 エレノアはその中から、リーア付きの侍女が記録を残しているものを探した。


 何冊かを机へ運び、ページをめくる。


 衣服の注文。


 食事の変更。


 来客の記録。


 薬を受け取った時間。


 どれも事件とは無関係に見えた。


 だが、何冊目かの帳簿を開いたところで、エレノアの手が止まった。


 ある日の記録に、短い一文が残っていた。


 ――最近、奥様は以前より機嫌がよい。


 エレノアは、その一文を読み返した。


 さらに次のページを見る。


 ――姉君への使いを頼まれたが、本人から不要になったと言われた。


 その数日後には、


 ――金銭の用意について、今後は必要ないとのこと。


 と書かれていた。


 エレノアは椅子へ腰を下ろした。


 今まで見つけた記録と、少しずつ繋がっていく。


 リーアは、ある時期を境に変わっていた。


 それは単なる気まぐれではない。


 周囲の人間が気づくほど、はっきりした変化だった。


 エレノアはさらにページをめくった。


 すると、最後のほうに一枚の紙が挟まっていることに気づいた。


 帳簿に挟むには不自然な、薄い紙だった。


 取り出してみる。


 表には何も書かれていない。


 裏返すと、見覚えのある筆跡があった。


 リーアの字だった。


 エレノアは息を止めた。


 それは、事件が起きる少し前の日付になっていた。


 紙には短い文章が残されている。


 エレノアは、ゆっくりと読み始めた。


 そこには、誰かへ宛てた言葉が書かれていた。


 姉に対する怒り。


 これまで自分がしてきたことへの後悔。


 そして、もうこれ以上、秘密を使って姉を脅したくないという意思。


 文章は決して綺麗ではなかった。


 何度も書き直した跡がある。


 途中でインクが濃くなっている箇所もあった。


 それでも、書いた人間が迷いながら言葉を選んだことだけは分かった。


 エレノアは最後の数行を読む。


 そこには、こうあった。


 ――私は、姉を許したわけではない。


 ――今までされたことを、なかったことにできるわけでもない。


 ――それでも、もう姉を脅したくない。


 ――姉が私を憎んでいても、一度ちゃんと話したい。


 エレノアは、紙から目を離せなかった。


 胸の奥が、ゆっくりと締めつけられていく。


 リーアは、セレーネを許したわけではなかった。


 仲直りしたわけでもない。


 自分が受けたものまで忘れたわけではない。


 ただ。


 もう、姉を傷つけることをやめようとしていた。


 エレノアは紙を持つ手に力を込めた。


 これが、リーアの最後の手紙だった。


 なぜここに残っているのかは分からない。


 誰かに渡すつもりだったのかもしれない。


 渡す前に死んでしまったのかもしれない。


 けれど、書かれていることは明白だった。


 リーアは死ぬ直前まで、姉を殺そうとしていたわけではない。


 むしろ逆だった。


 姉と話そうとしていた。


 これまでのことを終わらせようとしていた。


 エレノアは椅子から立ち上がった。


 窓の外は、すでに暗くなっていた。


 王宮の灯りが、黒い窓ガラスに映っている。


 その向こうに、リーアが最後にいた温室がある。


 死んだ場所。


 遺書が見つかった場所。


 そして、姉と話す前に命を奪われた場所。


 エレノアは手紙をもう一度見た。


 そこで、一つの疑問が浮かんだ。


 もし、この手紙が本物なら。


 ローレンスは、このことを知っていたのだろうか。


 エレノアは首を横に振った。


 父は知らなかった。


 そう言っていた。


 リーアが最後の一か月で変わったことを知らなかった。


 それは、先ほど聞いた父の言葉とも一致している。


 ローレンスは、リーアを危険だと考えていた。


 昔のリーアを知っていた。


 セレーネを脅していたことも知っていた。


 秘密を握って、金を要求していたことも知っていた。


 けれど。


 この手紙を書いたリーアのことは、知らなかった。


 エレノアはそこで初めて、父の言葉の意味を別の角度から考えた。


 父は嘘をついているのではないのかもしれない。


 本当に、知らなかったのではないか。


 だとしたら。


 父が危険だと判断したリーアと、死の直前に生き方を変えようとしていたリーアは、同じ人間なのに違う。


 過去のリーアを見ている人間には、最後のリーアが見えていなかった。


 エレノアは手紙を胸元へしまった。


 そのとき、扉の向こうから足音が聞こえた。


 エレノアは振り返る。


 入ってきたのは、リーア付きだった侍女だった。


「あ……エレノア様」


「少し聞きたいことがあるの」


 侍女は戸惑ったように立ち止まった。


「リーア様のことですか?」


「ええ」


 エレノアは手紙を見せなかった。


 まだ、見せる必要はないと思った。


「リーアは、亡くなる前の一か月で変わったと言っていたわね」


 侍女はしばらく黙っていた。


 それから、静かに頷いた。


「はい」


「何があったの?」


「それは……私にも分かりません」


 侍女は視線を落とした。


「ただ、以前とは違いました。昔のリーア様は、王妃様のことを話すとき、いつも怒っていました」


「それがなくなった?」


「はい」


 侍女は少し考えてから続けた。


「ある日を境に、王妃様の名前が出ても、怒らなくなりました」


「何と言っていたの?」


「……もう、終わりにしたい、と」


 エレノアは息を呑んだ。


「終わりにしたい?」


「はい。何度か、そうおっしゃっていました」


 侍女は悲しそうに目を伏せる。


「私は、それが何のことなのか分かりませんでした。でも……今思えば、王妃様とのことだったのだと思います」


「死ぬつもりだったわけではないのね?」


 侍女は、はっきりと首を横に振った。


「違います」


 その答えに迷いはなかった。


「少なくとも、私にはそうは見えませんでした」


 エレノアは黙って侍女を見つめた。


「亡くなる前の日も、いつもと違っていました」


「どんなふうに?」


「朝から落ち着かない様子でした。でも、悲しそうではありませんでした」


 侍女は記憶を辿るように、ゆっくりと言葉を続ける。


「むしろ……何かを決めた人の顔をしていました」


「何を決めたのかは?」


「それは分かりません」


 少しの沈黙が流れた。


 やがて侍女が、小さな声で言った。


「ただ、夕方に私へこうおっしゃいました」


「何を?」


「明日、姉と話すから、と」


 エレノアの胸に、あの夜のリーアの声が蘇った。


『明日、姉と話すつもりなの』


 あのときの顔を思い出す。


 怯えていたわけではなかった。


 死を決めた人間の顔でもなかった。


 迷ってはいた。


 けれど、その迷いの中にあったのは、生きるか死ぬかという迷いではなかった。


 何を言えばいいのか。


 どう伝えればいいのか。


 そういう、人間同士の迷いだった。


 エレノアは目を閉じた。


 手紙の文字が、脳裏に浮かぶ。


 ――私は、姉を許したわけではない。


 ――それでも、もう姉を脅したくない。


 ――一度、ちゃんと話したい。


 リーアは、姉と和解しようとしていた。


 完全に許したわけではない。


 過去を忘れたわけでもない。


 それでも、自分で選んだのだ。


 もう、脅迫という方法を捨てることを。


 エレノアは目を開いた。


 手紙を胸元から取り出す。


 そこに書かれたリーアの文字を見つめる。


 そして、ようやく分かった。


 遺書に書かれていた言葉が、なぜあれほど不自然だったのか。


 あの文章を書いた人間は、リーアを「姉を憎み続けた女」として知っていた。


 けれど、本当のリーアは最後の一か月で変わっていた。


 その変化を知らない人間が、過去のリーアを思い浮かべながら文章を書いたのなら。


 だから、あの遺書はリーアの言葉にならなかったのだ。


 エレノアは手紙を折りたたんだ。


 胸の中に、冷たいものが落ちていく。


 父が知っていたリーア。


 死の直前にいたリーア。


 二人は、同じ人物だった。


 なのに。


 父は、その後者を知らない。


 エレノアは手紙を大切にしまった。


 そして、誰にも聞こえないほど小さな声で呟いた。


「リーア……あなたは、生きるつもりだったのね」


 返事はない。


 ただ、窓の外で夜の風が吹いていた。


 王宮の庭木が揺れている。


 その向こうには、リーアが最後に姉と話すはずだった場所がある。


 エレノアは、もう一度だけ手紙を確かめた。


 そこにあるのは、許しではなかった。


 和解でもなかった。


 ただ一人の人間が、自分の過去を抱えたまま、それでも別の道を選ぼうとした痕跡だった。


 そして、その選択を知っている人間は、今のところエレノアしかいない。


 父は知らない。


 王妃も、まだ知らない。


 リーアが最後に何を選んだのか。


 それを知れば、事件の見え方は変わる。


 エレノアは静かに立ち上がった。


 もう一度、父と話さなければならない。


 今度は、リーアを過去のままにしてはいけない。


 最後に何を選んだ人間だったのか。


 それを確かめるために。


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