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王妃の妹、偽りの遺書  作者: フミえるる
第一部「王妃の妹が死んだ」
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第2話 自殺

 リーアが死んだ翌朝から、王宮は妙に忙しかった。


 誰かが大声を上げるわけでもない。廊下を走る者もいない。使用人たちは普段と変わらない顔で仕事を続け、騎士たちはいつもと同じように決められた場所に立っている。


 けれど、空気だけが違っていた。


 人が一人死んだ。


 しかも、それが王妃の妹だった。


 その事実は、王宮にいる誰もが知っている。それでも皆、口にしようとはしなかった。


 エレノアは回廊を歩きながら、昨夜のことを何度も思い返していた。


 リーアの部屋。


 机の上に置かれていた小さな鍵。


 そして、別れ際に向けられた笑顔。


 あれが最後になるなんて、考えもしなかった。


 あのときのリーアは、死を決めた人間には見えなかった。


 もちろん、人は外から見ただけでは分からない。


 どれほど明るく振る舞っていても、胸の奥に深い絶望を抱えていることはある。


 だから、エレノアも最初は自分の記憶を疑った。


 自分が勝手に、姉と話すつもりだというリーアの言葉に意味を見つけようとしているだけなのかもしれない。


 死ぬ前の人間が、最後に何を考えていたのか。


 それを他人が正確に知ることなどできない。


 それでも、どうしても引っかかっていた。


 リーアは言った。


「明日、姉と話すつもりなの」


 あの声には、迷いがなかった。


 少なくとも、死ぬつもりの人間が口にする言葉には聞こえなかった。


 エレノアは足を止め、窓の外へ目を向けた。


 朝の光が王宮の庭を照らしている。


 昨日までなら、いつもと変わらない穏やかな景色だった。


 だが今日は違う。


 庭の一角には、数人の騎士が立っている。


 リーアが死んだ温室には、まだ誰も近づけないようになっているのだろう。


 エレノアは視線を外した。


 そのまま歩き出す。


 向かった先は、王妃セレーネの居室だった。


 扉の前には侍女が二人立っていた。


 エレノアが近づくと、二人はすぐに姿勢を正した。


「エレノア様」


「王妃陛下にお会いしたいの」


「申し訳ございません。今は……」


 侍女は言葉を濁した。


 エレノアはその顔を見た。


 拒まれているわけではない。


 ただ、入っていいものか迷っている。


 そんな表情だった。


「姉のことです」


 エレノアがそう言うと、侍女は目を伏せた。


「……お通しします」


 扉が開く。


 部屋の中は静かだった。


 窓から差し込む光は柔らかく、白いカーテンが風に揺れている。


 その穏やかさが、かえって不自然に感じられた。


 リーアが死んだ。


 それなのに、ここには何も起きていないような静けさがある。


 部屋の奥には、セレーネが座っていた。


 王妃として人前に出るときとは違い、装飾の少ない服を着ている。


 顔色は悪かった。


 けれど、泣いている様子はなかった。


「エレノア」


「……お姉様」


 セレーネはしばらく黙っていた。


 姉妹の間に、長い沈黙が落ちる。


 やがて、セレーネが口を開いた。


「リーアのことね」


「はい」


 エレノアは椅子に座るよう勧められた。


 けれど、すぐには座らなかった。


「本当に、自殺だったのでしょうか」


 セレーネの指がわずかに動いた。


 ほんの一瞬だった。


 だが、エレノアは見逃さなかった。


「どうして、そう思うの?」


「昨日、リーアと話しました」


「……何を?」


「明日、お姉様と話すと言っていました」


 セレーネの表情が変わった。


 ほんの少しだけ、目が見開かれる。


 そしてすぐに元へ戻った。


「そう」


「何を話すつもりだったのかは、聞いていません」


 エレノアはそこで言葉を切った。


 昨夜のリーアの顔を思い出す。


 あのとき、リーアは何かを決めていた。


 それが何なのか、エレノアには分からない。


 ただ、死ぬことを決めていたようには見えなかった。


「でも、あの子は……」


 セレーネが言葉を止めた。


「何ですか?」


「……何でもないわ」


 そう言って、セレーネは視線を落とした。


 その横顔は、王宮で見る王妃の顔とは違っていた。


 強く、冷静で、何があっても揺るがない王妃ではない。


 一人の姉の顔だった。


 妹を失った姉。


 そのことだけは、エレノアにも分かった。


「遺書には、私を殺そうとしたと書かれていました」


「ええ」


「リーアが、そんなことを言っていましたか?」


 セレーネは答えなかった。


 沈黙が答えのようにも思えた。


「お姉様?」


「……あの子には、私に言えないことがあったのです」


 静かな声だった。


 エレノアは息を止めた。


「言えないこと?」


「ええ」


「それは、何ですか?」


 セレーネはしばらく窓の外を見つめていた。


 やがて、小さく首を振る。


「今は、話せません」


 拒絶された。


 そう感じる言葉だった。


 けれど、その声には怒りがなかった。


 むしろ、何かを恐れているように聞こえた。


「……分かりました」


 エレノアはそれ以上、尋ねなかった。


 セレーネにも話せない事情がある。


 そのことだけを、心に留める。


 部屋を出ようとしたときだった。


「エレノア」


 呼び止められて、エレノアは振り返った。


 セレーネは椅子に座ったまま、こちらを見ていた。


「リーアのことで、何か分かったことがあったら……私にも教えて」


「もちろんです」


 そう答えてから、エレノアは扉の外へ出た。


 扉が閉まる。


 廊下に出た瞬間、エレノアは小さく息を吐いた。


 分からないことが増えた。


 リーアには、セレーネに言えないことがあった。


 そしてセレーネにも、リーアに関して隠していることがある。


 それだけなら、姉妹の間に何か複雑な事情があったというだけの話だ。


 問題は、リーアが死ぬ前に何をしようとしていたのかだった。


 エレノアは歩きながら、昨日の会話をもう一度思い返した。


 ――明日、姉と話すつもりなの。


 あの言葉が、頭から離れない。


 そして、もう一つ。


 リーアから渡された鍵。


 エレノアは懐に手を入れた。


 指先に、小さな金属の感触が触れる。


 冷たい鍵だった。


 昨日の夜、リーアはこれをエレノアに渡した。


 理由は言わなかった。


 ただ、


 ――もし私に何かあったら、これを開けて。


 そう言った。


 あのときは、ただの冗談だと思った。


 姉との話し合いがうまくいかなかったときのために、何かを残しておきたいのだろう、と。


 けれど今となっては、その言葉の意味が変わってしまっている。


 エレノアは立ち止まった。


 鍵を取り出し、手のひらの上に載せる。


 古びた鍵だった。


 小さく、細い。


 普通の部屋の扉に使われるようなものではない。


 表面には、細かな傷がいくつもある。


 そして柄の部分には、見覚えのない紋章が刻まれていた。


 王家の紋章ではない。


 少なくとも、エレノアが知っている現在の王家のものとは違う。


「……何の鍵なの」


 誰に聞くでもなく、呟いた。


 返事はない。


 エレノアは鍵を握り直した。


 リーアは、これを自分に渡した。


 自分が死んだあとに開けるように。


 それなら、この鍵が開けるものの中には、リーアが最後に残した何かがある。


 そう考えるのが自然だった。


 エレノアは歩き出した。


 向かう先は決まっていた。


 王宮には、古い建物が一つ残っている。


 今ではほとんど使われていない、小さな礼拝堂。


 昔、王族が祈りを捧げるために使っていた場所だ。


 エレノアは幼い頃、そこで一度だけ古い記録庫を見たことがあった。


 鍵が合うかどうかは分からない。


 何があるのかも分からない。


 それでも、行くしかなかった。


 リーアが最後に自分へ託したものなら、確かめなければならない。


 姉と話すはずだった妹が、なぜ死んだのか。


 その答えに近づくために。


 エレノアは、古い礼拝堂へ向かった。

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