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王妃の妹、偽りの遺書  作者: フミえるる
第三部「父親」
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第17話 リーアの最後の日

 エレノアは、その日の夜、自室の机に一枚の紙を広げた。


 リーアが死んだ前日の出来事を、最初から書き出すためだった。


 これまでにも何度も思い返してきた。


 けれど、記憶だけを頼りにしている限り、どうしても抜け落ちるものがある。


 だから今度は、分かっていることを一つずつ並べることにした。


 朝。


 昼。


 夕方。


 夜。


 リーアが誰と会い、どこへ行き、何をしようとしていたのか。


 そして、その一日の中に、自ら命を絶とうとした人間の痕跡が本当にあったのか。


 エレノアはペンを握った。


 最初の行に、日付を書き込む。


 その下に、思い出せることを記していく。


 朝。


 リーアは普段通りに起きている。


 侍女のマリアから朝食を受け取った。


 体調に異変はなかった。


 昼。


 特別な予定はない。


 午後。


 リーアは王妃の居室へ向かっている。


 だが、セレーネとは会っていない。


 そのあと、リーアは温室を訪れた。


 記録には午後七時と残っている。


 そして夜。


 エレノア自身がリーアと会った。


 そのときの会話を思い出す。


 リーアは落ち着いていた。


 死を決めた人間には見えなかった。


 むしろ、何かを決意した人間に見えた。


 エレノアはペンを止めた。


 その違いが、今になってはっきり分かる気がした。


 絶望した人間の決意と。


 これから何かを始めようとする人間の決意。


 同じ「決意」という言葉で表せても、その中身はまったく違う。


 リーアの目には、諦めた者の色がなかった。


 明日、姉と話す。


 そう言っていた。


 今までのことを、全部そのまま話す。


 その言葉には、恐れがあった。


 けれど同時に、どこか安堵したような響きもあった。


 エレノアは紙の端に小さく書き込んだ。


 ――明日の予定があった。


 そして、その予定は重要なものだった。


 自殺するつもりだったのなら、なぜそんな話をしたのか。


 もちろん、自殺を決めた人間が翌日の予定を話すことだってある。


 だから、それだけで自殺ではないとは言えない。


 それでも。


 リーアの最後の一日を最初から追い直す必要があった。


 エレノアは椅子から立ち上がった。


 翌朝、まずマリアを訪ねた。


 リーア付きの侍女である彼女は、以前と同じように緊張した顔でエレノアを迎えた。


「またリーア様のことですね」


「ええ。前の日のことを、もう一度聞かせてほしいの」


「はい」


 マリアは椅子を勧められて腰を下ろした。


 エレノアは向かいに座る。


「リーアが亡くなる前日、朝から何か変わった様子はなかった?」


「特にはありませんでした」


「体調は?」


「いつも通りでした」


「食事は?」


「朝食も昼食も、普通に召し上がっています」


「薬は?」


「昼と夜に飲まれていました」


 エレノアは頷いた。


「薬を飲むのを嫌がったことは?」


「ありません」


「薬瓶を触った様子は?」


「……覚えていません」


 マリアは少し考えた。


「夜のお薬は、いつもリーア様ご自身で用意されます。私が持っていくこともありますが、瓶から取り出して飲まれるのはご本人です」


「その日の夜も?」


「はい」


「では、その薬瓶を最後に見たのはいつ?」


「夕方です」


「あなたが見た?」


「はい。部屋を片付けたときに」


「そのとき、何か変わったところはあった?」


「いいえ」


 エレノアは少し考えた。


「リーアは、その日、何か準備をしていなかった?」


「準備、ですか?」


「荷物を整理したり、手紙を書いたり。身の回りのものを片付けたり」


 マリアは首を横に振った。


「そういうことはありませんでした」


「本当に?」


「はい」


 マリアの返事に迷いはなかった。


「リーア様は、亡くなる前の日に部屋を片付けてはいません。むしろ、いつもより散らかっていたくらいです」


「散らかっていた?」


「読みかけの本が何冊か机に置かれていました。それに、翌日に着る服を選んでいらっしゃいました」


 エレノアは顔を上げた。


「翌日に着る服?」


「はい」


「何を着るつもりだったの?」


「淡い青色のドレスです」


 エレノアの胸に、小さな衝撃が走った。


 明日のための服。


 それは何気ないことだった。


 けれど、リーアが翌日を生きるつもりだったことを示すものでもある。


「そのドレスは?」


「まだ部屋にあると思います」


「見せてもらえる?」


「はい」


 マリアに案内され、エレノアはリーアの部屋へ向かった。


 扉を開けると、そこには死ぬ前のリーアの生活が、そのまま残っていた。


 机の上には本が置かれている。


 読みかけのページには栞が挟まれていた。


 衣装棚の扉は少し開いている。


 その中に、淡い青色のドレスが掛かっていた。


 エレノアは近づき、指先で布地に触れた。


 柔らかな生地だった。


 死ぬために選んだ服には見えない。


 もちろん、服だけで何かを断定することはできない。


 それでも。


 部屋の中には、自殺を決意した人間が身の回りを整理した形跡がなかった。


 むしろ、明日を迎えるための準備が残っている。


「他に何かありませんでしたか?」


 エレノアが尋ねると、マリアは少し考えた。


「そういえば」


「何?」


「リーア様は、夜になる前に髪飾りを探していました」


「髪飾り?」


「明日、王妃陛下と会うからと言って」


 エレノアは振り返った。


「そう言ったの?」


「はい」


 マリアは頷いた。


「どれにしようかと、かなり迷っていらっしゃいました」


 エレノアはしばらく何も言わなかった。


 明日、姉と会う。


 着ていく服を選ぶ。


 髪飾りを選ぶ。


 そして、今までのことを全部話す。


 それは少なくとも、エレノアが知っているリーアの姿とは矛盾していない。


 死ぬための準備ではない。


 生きて、何かを伝えるための準備だった。


 エレノアは机の上へ視線を向けた。


 読みかけの本。


 途中まで書かれた紙。


 閉じられていない箱。


 どれも、途中で止まっている。


 人が突然いなくなった部屋には、独特の静けさがある。


 昨日までそこにいた人間の時間だけが、取り残されている。


 エレノアはその静けさの中に立っていた。


 ふと、机の隅に一枚の紙があることに気づく。


「これは?」


「私も分かりません」


 マリアが答える。


 エレノアは紙を手に取った。


 そこには、短い言葉が書かれていた。


 明日の予定。


 王妃の部屋。


 午後。


 それだけだった。


 エレノアは紙を見つめた。


 リーア自身が書いたものかどうかは分からない。


 だが、少なくとも彼女が翌日の予定を意識していたことは分かる。


 エレノアは紙を元に戻した。


「ありがとう、マリア」


「何か分かりましたか?」


「まだ何も」


 エレノアは首を横に振った。


「でも、大切なことが分かったわ」


「何でしょう?」


「リーアは、最後まで明日を迎えるつもりだったのかもしれない」


 マリアは何も言わなかった。


 エレノアは部屋を出た。


 廊下へ出ると、朝の光が差し込んでいた。


 昨日までなら、これをただの状況証拠だと思っただろう。


 だが今は違う。


 父には、リーアを殺す理由がある。


 薬品庫へ入る機会もあった。


 そして、知るはずのない時間について知っていた可能性もある。


 その一方で、リーアには死ぬための準備が見当たらない。


 むしろ、翌日を迎えるための準備がいくつも残されている。


 エレノアは立ち止まった。


 もし誰かがリーアを殺したのなら。


 犯人は、リーアが翌日に何をするつもりだったのかを知っていたのだろうか。


 そして、その予定を邪魔するために殺したのだろうか。


 そこまで考えて、エレノアは首を横に振った。


 まだ早い。


 勝手に理由を作ってはいけない。


 必要なのは、事実だけだ。


 リーアは死ぬ前の日、普通に食事をした。


 薬もいつも通り飲んだ。


 部屋を片付けてはいなかった。


 翌日に着る服を選んでいた。


 姉と会うための髪飾りを探していた。


 そして、翌日の予定を書き残していた。


 エレノアはゆっくり息を吐いた。


 これだけ揃えば、少なくとも一つのことは言える。


 リーアが自ら死ぬ準備をしていたという見方には、無理がある。


 それなら。


 遺書は何だったのか。


 あの文章は、本当にリーアが書いたのか。


 エレノアの足が止まった。


 その疑問が、初めてはっきりと形になった。


 薬瓶に毒を入れた人間がいる。


 そして、自殺に見せかける必要があったのなら。


 遺書もまた、誰かの手によって用意された可能性がある。


 エレノアはリーアの部屋を振り返った。


 あの紙に書かれていた言葉。


 ――私は姉を殺そうとした。だから死んで償います。


 今まで、その内容ばかりを見ていた。


 だが。


 文章を書いた人間が、本当にリーアだったのか。


 それを確かめていなかった。


 エレノアは静かに歩き出した。


 次に調べるべきものが決まった。


 リーアの遺書。


 そして、その文字だった。


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