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王妃の妹、偽りの遺書  作者: フミえるる
第三部「父親」
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第15話 死亡時刻

 薬品庫へ戻ったエレノアは、しばらく扉の前に立っていた。


 重い扉には、王家の紋章が刻まれている。


 その向こうには、薬や薬草だけではなく、扱いを間違えれば人の命を奪うものまで保管されている。


 リーアの薬瓶に入っていた毒も、ここから持ち出された可能性がある。


 そう考えると、今まで何度も通った場所が、まるで別の建物のように感じられた。


 エレノアは係の者に頼み、記録をもう一度見せてもらった。


 古い帳簿を机の上に広げる。


 紙には、薬を取り出した者の名前と時刻、用途が細かく記されていた。


 リーアの薬が作られた日。


 マリアが受け取った日。


 そして、父が薬品庫へ入った日。


 エレノアは指先で、その記録をなぞった。


 父の名前がある。


 間違いなく、ここに残っている。


 だが、それだけでは犯人とは言えない。


 父は王妃の薬を確認するために来たと言っている。


 その理由が嘘だったとしても、毒を持ち出したとは限らない。


 エレノアは帳簿を閉じた。


「その日の記録を、もう少し詳しく見ることはできますか?」


「詳しく、ですか?」


「入った時刻だけではなく、出た時刻も」


 係の男は別の帳簿を取り出した。


 薬品庫の出入りは、王族に関わる薬を扱う場所だけあって厳重だった。


 入室した者の名前だけでなく、立ち会った者や、鍵を戻した時間まで記録されている。


 エレノアは一行ずつ目を追った。


 父が入った時刻。


 そして、出た時刻。


 そこに大きな空白はなかった。


 父は長時間、薬品庫にいたわけではない。


 数分程度だった。


 それでも、その数分があれば薬瓶を開けることはできる。


 毒を持ち出すこともできる。


 問題は、それを証明できないことだった。


「この日は、他に誰かいましたか?」


「薬品庫の中に、ですか?」


「はい」


 係の男は記録を確認した。


「私と、薬師が一人。それからローレンス様です」


「父が来たとき、何をしていたか覚えていますか?」


「……そうですね」


 男は少し考えた。


「王妃陛下のお薬について尋ねられました」


「薬の名前は?」


「詳しい名前までは覚えていません。ただ、王妃陛下に届ける予定の薬について確認されました」


「父は、薬を受け取りましたか?」


「いいえ」


 即答だった。


「受け取ってはいません。マリア様が後から取りに来られました」


 エレノアは頷いた。


 やはり、父は薬を受け取っていない。


 それなら、なおさら分からない。


 なぜ薬品庫へ入ったのか。


 何を確認したのか。


 エレノアは礼を言って薬品庫を出た。


 廊下を歩きながら、ふと足を止める。


 頭の中に、一つの疑問が浮かんだ。


 父は、リーアが死んだ時間を知っている。


 いや。


 知っているような話し方をしたことがあった。


 それは、いつだっただろう。


 エレノアは記憶を辿った。


 リーアの死を知らされた直後。


 父は現場にいた。


 遺体が見つかった場所から戻ったエレノアに向かって、父は言った。


 ――死んだ者は戻らない。


 その言葉に、当時のエレノアは何の疑問も抱かなかった。


 悲しみから出た言葉だと思っていた。


 だが。


 その前後に、何か別の言葉があったような気がする。


 エレノアは眉を寄せた。


 思い出せない。


 ただ、父が妙に落ち着いていたことだけは覚えている。


 リーアが死んだ直後だった。


 普通なら、もっと動揺していてもおかしくない。


 それなのに父は、すでに何かを受け入れているようだった。


 エレノアは踵を返した。


 向かった先は、医務室だった。


 リーアの遺体を最初に確認した医師が、まだそこにいるはずだった。


「先生」


「エレノア様」


 医師は机の上の書類から顔を上げた。


「またリーア様のことでしょうか」


「はい」


 エレノアは椅子に腰を下ろした。


「リーアの死亡推定時刻について、もう一度確認させてください」


 医師は少し考えた。


「以前にもお話ししたと思いますが」


「お願いします」


 医師は手元の記録を開いた。


「発見された時間から逆算して、おおよそ夜の九時から十時の間です」


「かなり幅がありますね」


「はい。正確な時間までは分かりません」


「一番可能性が高いのは?」


「九時半前後でしょう」


 エレノアは頷いた。


「九時半」


「もちろん、あくまで推定です。薬の作用もありますから、多少前後する可能性があります」


「分かりました」


 エレノアは礼を言った。


 それだけ聞けば十分だった。


 九時から十時。


 正確な時間は分からない。


 それが医師の判断だった。


 エレノアは医務室を出る。


 そして、そのまま父のもとへ向かった。


 確かめたいことがあった。


 父が犯人だと決めるためではない。


 ただ、あの日の父が何を知っていたのかを確かめるために。


 執務室へ着くと、前と同じように扉の向こうから声がした。


「入れ」


 エレノアは中へ入った。


 ローレンスは書類を読んでいた。


「またお前か」


「少し聞きたいことがあります」


「何だ」


「リーアの死亡推定時刻についてです」


 父の手が止まった。


 エレノアはそれを見た。


「医師によれば、夜の九時から十時の間だそうです」


「そうか」


「一番可能性が高いのは、九時半頃だそうです」


「……九時半」


 父が繰り返した。


 エレノアは黙って父を見つめた。


「何か問題があるか?」


「いえ」


「なら、何だ」


「父上は、リーアが何時に死んだと思っていますか?」


 ローレンスは眉を寄せた。


「医師が言ったのなら、それでいいだろう」


「私は、父上の考えを聞いています」


「死んだ時間など、私には分からない」


「そうですか」


 エレノアは椅子に座らなかった。


 父の前に立ったまま、続ける。


「では、以前、なぜあの時間について話したのですか?」


「何のことだ」


「リーアが亡くなったあとです」


 父の顔から、わずかに表情が消えた。


「父上は、私に言いました」


 エレノアはゆっくりと言葉を選んだ。


「『あの時間なら、もう手遅れだった』と」


 沈黙が落ちた。


 ローレンスはエレノアを見ていた。


 その目に、驚きが浮かんでいる。


 だが、それは一瞬だった。


「……そんなことを言ったか?」


「言いました」


「覚えていない」


「私は覚えています」


 エレノアは一歩近づいた。


「そのとき、父上はリーアの死亡時刻を聞いていませんでした」


「遺体が発見された時間を知っていれば、それくらいの推測はできる」


「いいえ」


 エレノアは首を振った。


「父上が言ったのは、遺体が発見された時間ではありません」


 ローレンスの視線がわずかに揺れた。


「『あの時間』と言いました」


 エレノアは続ける。


「私は、そのとき何のことか分かりませんでした。でも、今なら分かります」


 父は黙っている。


「リーアが死んだ時間を、父上は知っていたんじゃないですか?」


「違う」


 返事が早かった。


「私は何も知らない」


「では、なぜそんなことを言えたんですか?」


「偶然だ」


「偶然?」


「ああ」


 ローレンスは机から離れた。


「人が死ねば、死んだ時間を推測する。それだけのことだ」


「でも、父上は医師ではありません」


「必要なら医師に聞くこともできる」


「いつ?」


「……何?」


「いつ、医師に聞いたんですか?」


 父は答えなかった。


 エレノアはその沈黙を見つめていた。


 ここで追い詰めることはできない。


 まだ証拠がない。


 父が医師から聞いた可能性もある。


 誰かから聞いた可能性もある。


 それなら、まだ何も証明できない。


 エレノアは一歩下がった。


「分かりました」


「何がだ」


「今日は、これで結構です」


 父は怪訝そうに彼女を見る。


「帰るのか?」


「はい」


 エレノアは扉へ向かった。


 背中に父の視線を感じる。


 扉を開ける直前、エレノアは振り返った。


「父上」


「何だ」


「私は、父上を犯人だと決めたわけではありません」


 ローレンスは何も言わなかった。


「だからこそ、確かめます」


 エレノアは部屋を出た。


 扉が閉まる。


 廊下に一人になった瞬間、エレノアは大きく息を吐いた。


 胸の奥が苦しかった。


 父が嘘をついた。


 そう断言するには、まだ足りない。


 だが、父が知らないはずのことを知っていた可能性は出てきた。


 それだけでも大きい。


 もし父がリーアの死ぬ時間を知っていたのなら。


 それは、父が死の直前にリーアの近くにいたことを意味するかもしれない。


 あるいは。


 死ぬことを、あらかじめ知っていたということかもしれない。


 エレノアは歩き出した。


 廊下の窓から差し込む夕暮れの光が、床を赤く染めている。


 その光を見ながら、彼女は一つのことを考えていた。


 父は、リーアが危険な存在だったと言った。


 王妃を守るためだったとも言った。


 そして今。


 リーアが死んだ時間について、父は知らないはずのことを知っているかもしれない。


 疑いは、まだ疑いのままだ。


 けれど。


 それはもう、ただの状況証拠ではなかった。


 父が何を見て、何を聞き、何を知っていたのか。


 それを一つずつ確かめなければならない。


 エレノアは夕暮れの廊下を歩き続けた。


 その先に待っているものが、父を救う証拠なのか。


 それとも。


 父を罪へと導く証拠なのか。


 今はまだ、分からなかった。


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