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王妃の妹、偽りの遺書  作者: フミえるる
第二部「王妃の秘密」
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第11話 薬瓶

 翌朝、エレノアは再び医務室を訪れた。


 昨夜から、ほとんど眠れていなかった。


 父が犯人だと決めたわけではない。


 むしろ、決めてはいけないと思っている。


 父が薬品庫へ行った。


 その直後、王妃の薬は別の者によって届けられた。


 そしてリーアの薬瓶には、毒が入っていた。


 並べれば疑わしく見える。


 だが、どれも父がリーアを殺した証拠にはならない。


 エレノアが必要としているのは、疑いを強めることではなかった。


 疑いをひとつずつ潰し、それでも残るものを確かめることだった。


 医務室の扉を叩く。


「どうぞ」


 中へ入ると、昨日の医師が机の前に座っていた。


「また薬瓶のことでしょうか」


「はい」


 医師は少しだけ困った顔をした。


「何度調べても、結果は変わりませんよ」


「結果が変わらないか、確認したいんです」


 エレノアはそう言って椅子に座った。


「毒が入っていたことは確かですね」


「はい」


「薬そのものに最初から混ざっていたわけではない」


「そうです」


「では、あとから入れられた可能性がある」


「あります」


「どのくらい前に入れられたかは分かりますか?」


「それは難しいですね」


 医師は薬瓶を机の上に置いた。


 小さな透明の瓶だった。


 何の変哲もない。


 蓋も、瓶の口も、特別な細工が施されているわけではない。


 それでも、その小さな瓶の中にリーアの命を奪ったものが入っていた。


「毒を入れるためには、瓶を開ける必要がありますか?」


「当然です」


「外側から入れることは?」


「この瓶では無理でしょう」


「つまり、誰かが瓶を手に取って、蓋を開けた」


「そう考えるのが自然です」


 エレノアは瓶を見つめた。


「蓋を開けた痕跡は?」


「目立ったものはありません」


「では、誰かが開けても分からない?」


「ええ」


 医師は瓶を持ち上げた。


「この程度の瓶なら、普通に開け閉めしただけでは痕跡は残りません」


 エレノアは黙って聞いていた。


「ただし」


 医師が続けた。


「ひとつ、気になることがあります」


「何ですか?」


「毒が底に沈んでいたことです」


「それが?」


「毒を入れた直後なら、もっと薬全体に混ざっていた可能性があります」


 エレノアは顔を上げた。


「つまり、時間が経って沈んだ?」


「その可能性があります」


「どのくらい?」


「正確には分かりません。毒の性質にもよりますから」


 医師は瓶を机に戻した。


「ただ、少なくとも、入れた瞬間から底にあったとは考えにくいでしょう」


 エレノアは考え込んだ。


 誰かが毒を入れた。


 そして、しばらく時間が経った。


 そのあと、リーアが薬を飲んだ。


 そう考えれば、薬瓶の中の状態にも説明がつく。


「先生」


「はい」


「この瓶は、リーア様が亡くなる直前まで、普通に使われていたんですよね」


「そう聞いています」


「では、誰かが毒を入れたのは、少なくともリーア様が最後に薬を飲むより前」


「そうなりますね」


「それなら、その間に瓶を触った人間を調べればいい」


 医師は黙った。


「簡単ではありませんよ」


「分かっています」


 エレノアは立ち上がった。


「だから、調べます」


 医務室を出たエレノアは、薬品庫へ向かった。


 そこへ行くのは初めてではない。


 王宮の医務関係の品が保管されている場所で、普段は医師や薬を扱う一部の侍女しか立ち入らない。


 廊下の奥にある重い扉を開けると、薬草と乾いた木の匂いがした。


 棚には薬瓶や包みが整然と並べられている。


 その中には、王族が使う薬も保管されていた。


 エレノアは入口にいた侍女へ声をかけた。


「薬品庫の記録を見せてもらえますか?」


「記録ですか?」


「誰が、いつ薬を取り出したか書かれているものです」


「はい。少々お待ちください」


 侍女は棚の奥から分厚い帳簿を持ってきた。


 机の上に置かれた帳簿には、日付と薬の名前、それを取り扱った者の名前が細かく記されている。


 エレノアはページをめくった。


 リーアの薬が処方された日。


 薬を受け取った者。


 そして、その薬を運んだ者。


 記録は、昨日マリアから聞いた話と一致していた。


 薬はマリアが受け取っている。


 エレノアはさらに前の日付を追った。


 そして、父の名前を探した。


 すぐには見つからなかった。


 何ページもめくる。


 王妃の薬。


 侍女の薬。


 王子の薬。


 医師が使用した薬。


 様々な記録が並んでいる。


 その中に、ひとつだけローレンスの名前があった。


 エレノアの指が止まった。


 記録の日付は、リーアが死ぬ前日。


 薬品庫を訪れた者――ローレンス。


 理由――王妃用の薬の受け取り。


 エレノアは、その一行をじっと見つめた。


「……父上」


 思わず声が漏れた。


 マリアの話と一致している。


 父は確かに薬品庫へ来ていた。


 王妃の薬を受け取るために。


 けれど。


 エレノアは帳簿を見直した。


 その日の王妃の薬は、マリアが受け取った。


 記録にも、そう残っている。


 では、父が薬品庫へ来た理由は何だったのか。


 エレノアは帳簿を閉じた。


 そのときだった。


「エレノア様」


 背後から声がした。


 振り返ると、薬品庫の管理を担当している年配の侍女が立っていた。


「ローレンス様のことでしょうか」


「はい」


「何か問題が?」


「父は、この日に王妃陛下のお薬を受け取ったと記録されています。でも、実際に受け取ったのはマリアですよね」


「ええ」


「それは、おかしくありませんか?」


 侍女は少し考えた。


「おかしいというほどではありません」


「どういう意味ですか?」


「ローレンス様が王妃様のお薬を取りに来られたあと、マリア様がいらっしゃいました」


「父が先に来た?」


「はい」


「では、父は何を?」


「それは……」


 侍女は困ったように眉を寄せた。


「私には分かりません」


「父は何かを受け取っていませんでしたか?」


「いいえ」


「薬瓶を持っていなかった?」


「持っていません」


 エレノアは考えた。


 父は薬を受け取っていない。


 なのに、薬品庫へ来た。


 理由は王妃の薬だった。


 その理由は成立していない。


 けれど、だからといって、リーアの薬瓶に毒を入れたとは限らない。


 エレノアは、慎重に問いを重ねた。


「父が薬品庫にいた時間は?」


「それほど長くありませんでした」


「どのくらいですか?」


「五分ほどだったと思います」


「その間、誰かが薬品庫へ入ってきましたか?」


「いいえ」


「父以外には?」


「いません」


 エレノアの胸がざわついた。


 もし父が毒を入れたのなら。


 その時間に、薬品庫にいた可能性がある。


 しかし、リーアの薬瓶は薬品庫にはない。


 薬はリーアの部屋に置かれている。


 父が薬品庫で毒を手に入れたとしても、それだけでは薬瓶に入れたことの証明にはならない。


 エレノアは帳簿をもう一度見た。


 記録の一行。


 ローレンス。


 王妃用の薬。


 受け取り。


 けれど、実際には何も受け取っていない。


 では、父は何のために来たのか。


 その答えが分からない。


 分からないからこそ、エレノアは怖かった。


 人を疑うということは、その人間の行動すべてに意味を求めてしまうことなのかもしれない。


 父が薬品庫へ来た。


 それだけのことを、殺人の準備に見てしまう。


 それが正しいのかどうか、エレノアには判断できなかった。


 ただ、ひとつだけ確かなことがある。


 薬瓶は誰かの手に触れられていた。


 リーア自身が触れた可能性もある。


 侍女が触れた可能性もある。


 そして、父が触れた可能性もある。


 まだ、誰なのかは分からない。


 エレノアは帳簿を閉じた。


 そのとき、扉の外から足音が聞こえた。


 振り返る。


 廊下の向こうに、ローレンスが立っていた。


 父はエレノアを見た。


 そして、彼女の手元にある帳簿へ視線を落とした。


「何をしている」


「調べています」


「まだ続けるのか」


「はい」


 ローレンスはしばらく黙っていた。


 やがて、低い声で言った。


「エレノア。もうやめておけ」


「なぜですか」


「お前が知る必要のないことだからだ」


「リーアの死が?」


「王妃のことがだ」


 エレノアは父を見つめた。


「父上」


「なんだ」


「昨日、薬品庫に来ましたよね」


 ローレンスの表情が変わった。


 ほんのわずかな変化だった。


 だが、確かに変わった。


「……誰に聞いた」


「記録を見ました」


 父は帳簿を見た。


 その目が、そこにある自分の名前を捉える。


「王妃陛下のお薬を取りに来たそうですね」


「ああ」


「でも、薬を受け取っていません」


 ローレンスは答えなかった。


「なぜですか?」


「忘れた」


 短い答えだった。


「何を?」


「何を取りに来たのかを」


 それだけ言うと、父はエレノアの横を通り過ぎた。


 エレノアは振り返らなかった。


 ただ、閉じられた帳簿の上に手を置いた。


 疑いは、まだ証拠ではない。


 それでも。


 父が薬品庫へ来た理由は、嘘だったのかもしれない。


 そして、その嘘の先に何があるのか。


 エレノアには、まだ見えなかった。


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