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隣の部屋にはお姫様が住んでいる  作者: 満月すずめ
第一章・一学期

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「私も柏木くんと同じですから」

「柏木くん」


 柔らかな声に呼びかけられ、目が覚める。

 制服姿の深夜が目に飛び込んできて、息をするのも忘れるくらい驚いた。


「お(かゆ)、できましたよ」

「……あ、あぁ」


 そうだった。風邪を引いて寝込んでいたら、何故か見舞いに来てくれた上に食事まで作ってくれていたんだった。

 肘をついて身を起こせば、テーブルの上に湯気を立てる卵粥。食欲をそそる匂いに、腹の虫がまた鳴いた。


「起き上がれそうですか? ベッドで食べます?」

「大丈夫、起きれる。ありがとう」


 礼を言ってベッドから降り、テーブルの前に座る。対面に深夜が座り、ちゃんと食べるか監視するぞと言わんばかりにじっとお粥を見つめている。

 寝起きのせいか、現実感がない。大して広くもない部屋で、異国の血が混じった美少女と向かい合っている。手元には彼女が作った料理。狸か狐に化かされてるみたいだ。


 REDの電灯に照らされた彼女の髪が光を反射して白く映える。小顔に並んだ目鼻立ちはすっきりと整っていて、儚げな印象を受ける。が、実際は結構押しが強いということを直也はここ最近で知った。

 その結果が今の状況なのだから、文句を言う筋合いもないのだが。


「いただきます」

「どうぞ」


 少しだけ緊張しながら、粥をスプーンですくって口に入れる。

 卵のまろやかな甘みとネギのとろっとした食感が幸せを運んできた。少しだけ感じる辛みが尚更甘さを際立たせる。食べ応えもばっちりだ。


 直也は猛然とかきこんだ。食べれば食べるほど腹が減る気がする。それもそうで、昨日の昼にパンを食べてから水しか飲んでいないのだ。胃が空っぽなのを思い出してもっと寄越せと脳みそに訴えている。

 あっという間に空にしてしまい、物欲しそうな目を対面に向けてしまう。


「あの……」

「お代わり、よそってきますね」


 お椀はキッチンへと連れ去られ、山盛りになって再び直也の前に置かれた。

 礼を言う暇もあらばこそ、またもあっという間に空にしてしまう。腹具合はもう少しといったところだが、追加は果たしてあるのか。

 居候、三杯目にはそっと出し。そんな気持ちで深夜の顔を(うかが)い見れば、


 嬉しそうに微笑んでいた。


 それは、普段学校で見ているものとはまるで違っていて。

 彼女に良く似合う穏やかな喜びに満ちた笑みに、直也の心臓が大きく音を立てた。


 頭がぼうっとする。熱が上がってきたかもしれない。どうしてか、彼女の笑顔から目が離せない。


「もういいですか?」


 しんしんと降り積もる雪のような、静かなのに耳に馴染んで届く声音。

 普段から聞いているはずのそれが、何故かひどく特別なものに聞こえた。


「あ、や、できればもうちょっと……」

「ついできます。これでお鍋は空っぽですよ」

「あぁ、うん」


 お椀を渡すだけなのに、少し緊張した。

 彼女がついでくれた最後のお粥を噛み締めるように食べれば、ようやく腹も満ちて人心地ついた。

 ベッドに寄りかかって天井を見上げていると、食器を洗う音がした。


「いいよ、俺が後でやっとくから」

「放っておくのが気になる方なので。スポンジ、使わせてもらってます」

「それはいいんだけど……なんかごめん。色々やってもらって」

「謝られるのは、あんまりいい気分にならないですよね」

「……ありがとうございます。助かりました」

「どういたしまして」


 うぐぅ、と良く分からない呻きをもらして、直也はベッドによじ登る。

 お腹を撫でて、味を思い出す。久しぶりに他人の手料理を食べた。マトモな食事なんてどのくらいぶりだろう。やっぱり自分で作る肉と野菜を適当に切って炒めただけの代物は料理と呼ぶのもおこがましいのだと再認識した。


 額に腕を置けば、冷えピタの感触がする。まだ効力を失ってはいないが、寝る前には替えた方がいいだろう。

 腹が満ちると、人間眠くなるものだ。が、見送りもしないうちに寝てはならぬと落ちる(まぶた)に抵抗する。恩知らずにはなりたくない。


 水が止まり、水切りラックと食器がこすれて音を奏でる。小さな足音がして、部屋の中に深夜が入ってくる気配がした。

 起き上がろうとする直也を手で制し、エコバッグを肩にかける。


「いいです、寝ててください」

「そういうわけには」

「隣ですから」

「それでも、感謝してるから。そのくらいやらせて」


 こればかりは譲れないと押し通し、ベッドから足を下ろして玄関先まで送る。

 深夜は少し不服そうにしながらも、大人しく見送らせてくれた。


「ここまででいいです。五歩も歩かないのに」

「そういう問題じゃないって。ありがとう、だいぶ楽になった」

「なら、良かったです。ちゃんと体を温かくして寝て下さいね。冷えピタ取り換えるのを忘れずに」

「はい、分かりました」


 直也が素直に頷くと、深夜は満足そうに微笑んだ。


 その笑顔に再び心臓が音を立てる。胸が痛いのは、風邪のせいだろう。熱が上がった気がするのも、頭がぼうっとするのも、

 変なことを聞いてしまうのも。


「……あのさ、聞いていい?」

「はい?」

「なんでこんなことしてくれんの?」


 深夜の表情から微笑みが消え、真顔になる。


 やめときゃよかった。心底そう思う。数秒前の自分をぶん殴りたい。

 下心が透けて見えただろうか。特別扱いされてると思いあがりやがって、バカめ。


 別になんだっていいじゃないか。助かったのは事実なんだ。それだけでいいとしておけばよかったのに、余計なことを口走る間抜け。

 そんなんだから中学時代にいじめられたんじゃないのか。


 思いつく限りの罵詈雑言を自分に浴びせる。神様、頼むから時間を戻してくれ。それが無理なら、ここ一分でいいから記憶を消してくれ。

 そんな願い、かなえられるはずがなかった。


「私も聞いていいですか?」


 質問に質問で返され、パニックを起こしていた直也の脳みそが爆発する。


「な、なに?」

「柏木くんは、どうしてあの日傘を貸してくれたんですか?」


 あの日、とはいつのことだろうか。半月前のアレだろうか。

 確か、その時に理由は話したはずだが。


「いや、ほら、朝陽さんから頼まれてたし、お隣だし」

「私が遠慮してたのに?」


 言われて思い出す。深夜は朝陽の名前を出すまで渋っていた。

 気持ちは分かる。いくらお隣だからって、クラスメイトの男子の傘を借りるのは気が引けたのだろう。これだけの美少女だ、入学したてなのに何度も告白されてる。過去にも色々あったんだろう。学校でも、気軽に男子と絡む姿は見たことがない。


 つまり、警戒されていたわけだ。そのくらい、直也だって分かっていた。

 分かっていて、朝陽をダシにしてまで厚意の押し付けをした。


「だって、気分悪いだろ。あのまま姫野さんを放置して帰ってたら、次の日から顔を見る度に『やっぱり声ぐらいかければよかったかな』って思う羽目になる。そういうのが嫌で、すっきり生きてたくて、こんな下手くそな一人暮らしまでしてんのに」


 そうだ。

 地元で事情を知る奴らといつ顔を合わせるかビクビクしながら生きてくのが嫌で、何もかも忘れて楽しく生きていきたくて、県外の高校まで受験した。


 もう、あんな後味の悪い思いは嫌なのだ。

 そのぐらいなら、押し付けがましい奴になるほうがマシだった。


「迷惑だったらごめん。もうしない」

「迷惑じゃないですよ」


 はっきりとした声に顔を上げれば、真っ直ぐ見つめてくる深夜と目が合った。

 その瞳には嘘偽りなど一つもなく、真実だけがあった。


「とっても助かりました。本当はすごく困っていたんです。その日は特売で、いつもより多く買いすぎちゃって。なのに途中で雨が降って、泣きたい気分で雨宿りしてました」


 深夜の目から視線を外せない。

 その薄いエメラルドが混じる瞳に飲み込まれそうだった。


「荷物も持ってくれて、良い人だなって。それまでは、背も高いし雰囲気がちょっと怖いなと思ってました」

「……それは、ごめん」


 人に優しい雰囲気でなかったのは確かだ。

 中学の事件以来、どうにも周りとの距離感が掴めずにいるせいだと思う。


「だから、今日はそのお礼と怖いと思ってたお詫びです。お隣ですし、これからも助け合うことがあるでしょうし。それに、私も柏木くんと同じですから」

「え?」


 聞き返すと、雪が解けていくような柔らかな表情を浮かべた。

 それは彼女の雰囲気とあいまって、どこか神秘的にさえ見えた。


「気分悪いじゃないですか。具合が悪いの分かってて、何もせずにいるの。何も知らない人でもそう思うのに、柏木くんなら尚更です」

「……そう、ですか」

「はい、そうです」


 きっぱりと頷かれ、直也はそれ以上何も言うことができなかった。


 廊下の照明で微かに金色に輝く髪を翻し、「それじゃ、また明日」と去る彼女の背中を呆然と見送る。

 玄関のカギを開けてドアを開き、こちらに小さく手を振る。そんな彼女に手を振り返して、直也は部屋の中に戻った。


 溜息すら出ない。

 足元がふわふわと浮くようなこの感覚は、体調が悪いせいで起きているのだ。


 冷蔵庫を開けて水入りのペットボトルの蓋をとって勢いよく傾ける。斜め四十五度の角度で喉に流し込み、息を吐く。

 冷蔵庫を雑に閉め、冷えピタを張り替えてベッドに倒れ込んだ。


 寝よう。

 寝て、早くいつも通りに戻ろう。

 そうすれば、この妙な感覚もきっとなくなるはずだ。


 深く呼吸をして、目を瞑った。

 夢の世界は、手早く直也を迎え入れてくれた。

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