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隣の部屋にはお姫様が住んでいる  作者: 満月すずめ
第一章・一学期

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「キッチン借りてもいいですか?」

 ピピピッ、ピピピッ、ピピピッ。

 耳障りな起床アラームにむくりと起き上がり、ポケットの中に入れっぱなしだったスマホを取り出す。


 頭が痛くて体がダルい。

 何もする気にならず、直也はぼーっとスマホの時刻表示を眺めていた。

 気が付くと6:30が7:30に変わっていて、遅刻はまずいと重い腰を上げた。


 よろけながらも立ち上がり、(そば)に置いてあった鞄を持って玄関に向かう。なんだか喉も痛い気がするが、気にしている暇はなさそうだ。

 妙に気持ち悪い靴下を我慢して、壁に手をついて靴を履く。玄関から出れば、隣の部屋のドアも開いたところだった。


「おはよ~、直也く……なにその顔色!?」

「……おはようございます」


 上手く声が出ず、妙に(かす)れてしまう。朝陽の綺麗な顔が驚愕(きょうがく)(ゆが)められた。

 小さく咳払いをして階段に向かい、


「ちょ、ちょっと! 直也くん、鍵!」

「あ? ……あぁ、そっか」


 部屋の鍵をかけ忘れたことを思い出して財布につけたキーホルダーを弄る。どれが部屋の鍵だったか、すぐに思い出せない。

 ぱたぱたと忙しない足音が聞こえ、ドアの向こうからライトブラウンの髪が飛び出してきた。


「柏木くん、昨日ちゃんとお風呂に入りました?」

「……あぁ、いや、どうだったかな」

「入ってないですよね。服が昨日のままです。風邪引いてると思います」


 返事をするのも億劫で、ようやく見つけた鍵を差し込む。

 回そうとする手が、深夜の小さな掌に止められた。


「今日は学校を休みましょう。授業どころじゃないですよ」

「いや、だいじょぶ」

「大丈夫じゃないから言ってるんです!」


 語気を強める深夜に気圧され、喉が詰まる。

 後押しをするように、朝陽も心配げに見つめてきた。


「そうだよ、今日は休みなさい。そんな顔で学校行ったら皆心配しちゃうよ。声出すの辛い? 辛そうだね。深夜、担任の先生に連絡して。ご両親には後でちゃんと報告してね」


 てきぱきと指示を出す朝陽に頷き返し、深夜は直也の手ごと鍵を引っこ抜いてドアを開ける。

 姉と協力して少し強引に直也を部屋に押し込んで、ちらりと時計を見た。


「軽く体を拭いて、すぐ着替えてから寝て下さい。後で様子を見に来ますから」

「大人しく言うこと聞いた方がいいよ~、お世話モードになったミヤに逆らってもいいことないからね~」


 茶化すように言う姉を軽く睨み、「いいですね」と念を押してから深夜はドアを閉めた。


 成すがままだった直也はとりあえず靴を脱ぎ、言われ通りに服を脱いで干しっぱなしのバスタオルで拭く。

 頭痛がひどくて、全身に重りでもついてるようだ。

 確かにこれは授業は無理かもな、と納得しながら適当に着替えてベッドに倒れ込む。


 よほど体が求めていたのか、柔らかな感触にすぐに眠気に誘われた。

 部屋の中は静かで、物音一つしない。雨の音もしないから、きっと朝になる前に上がったのだろう。

 勝手に沈む瞼に逆らわず、深く息をする。


 眠る前に思ったことは、お世話モードってなんだよ、というどうでもいいことだった。


※   ※   ※


 薄っすらと目を開く。


 部屋の中は真っ暗で、裏返しに置いたのかスマホの光さえ見当たらない。喉の渇きを覚えて両手をついて体を起こせば、頭痛もダルさも朝よりはマシになっていた。

 ぼうっとした頭で足をふらつかせながら冷蔵庫までなんとかたどり着く。中には水とお茶のペットボトル。限られた選択肢から水を選んで口をつけた。


 どうにか頭を冷やしたいが、冷えピタなんかを常備しているほどマメではない。適当なタオルもなく、いっそシャワーで頭から水を被ろうかと思う。

 スポーツ選手みたいにこの水を頭からかけたら気持ちいいだろうか、と半ば本気で考えていると、チャイムが鳴った。

 誰だろうとぼんやり思いながら、玄関を開ける。


 少し考えればわかったはずなのだ。

 このマンションのエントランスはオートロック付きで、住人以外は部屋番号からインターホンで呼び出して開けてもらわなければ中に入れない。

 そして、直也の部屋のインターホンは鳴っておらず、開錠ボタンを押した覚えもない。来客が尋ねてくるのは不可能なのだ。


 同じ住人以外は。


「……姫野さん?」


 掠れた声で、彼女の名を呼ぶ。

 玄関ドアを開けた向こうにいたのは、ネギの突き出たエコバッグを持ったお隣のお姫様だった。


 廊下の照明に照らされた髪は(わず)かに金色に輝いて、目と心臓に痛い。頭一つ分下にある顔が険しいのか心配しているのか分からない表情で見上げてきていた。


「体の具合はどうですか?」

「え、あぁ……大丈夫。だいぶマシになった」

「声、まだ掠れてますね」

「まだ調子悪いけど、このくらいなら」

「ご飯は食べましたか?」


 言われて、空腹を思い出したように腹の虫が鳴る。

 深夜が眉根を寄せて目を細め、直也はバツが悪そうに目を逸らす。

 何も悪いことはしていないはずだが、何故か(とが)められている気分になった。


「……ついさっき、起きたばっかりだから」

「そうだろうと思いました。キッチン借りてもいいですか?」

「へ?」

「お粥作りますから、食べて下さい。冷えピタも買ってきましたから、ちゃんとつけて寝て下さいね」

「あ、や、有難いんだけど、」

「傘のお礼です。お隣さんですし、困った時はお互い様でしょう?」


 きっぱりと言い切られ、直也はもごもごと口を動かすが何も言えなかった。


 傘、っていつのことを言っているのか。もう半月も前のあのことを言っているなら、昨日傘に入れてもらったのでチャラじゃないのか。


 そう思いはするものの、冷えピタもお粥も涙が出るほど有難い。頭痛やダルさはなんとかなりそうだが、熱と喉の痛みは酷くなっている気がする。

 正直、今から自分で何か作って食べる気力は湧かなかった。冷蔵庫の中身も空に近い。だが腹は減る。人間とはなんとも業の深い生き物だ。


 顔色の悪い直也を見上げ、深夜は唇を引き結んで一歩踏み出す。止められなかった。

 それはつまり、誘惑に屈したということだ。人とは意志の弱い生き物である。

 遠慮のない足取りで靴を脱いで上がりこむ深夜の後姿を見ながらドアを閉めた。キッチンの台にエコバッグに置かれ、冷えピタが取り出される。


「つけて寝ていてください。出来たら呼びますから」

「……はい」


 16枚入り500円の冷却シートを渡され、のろのろと開けて額に張り付ける。それだけでかなり気分が楽になった。

 食事の支度を始める深夜を横目に、言われた通りにベッドに横になる。そうするとキッチンは見えなくなるが、音だけは良く聞こえた。


 不思議な気分だ。なんだか小さな頃を思い出す。実家から離れてまだ三か月くらいしか経っていないのに、妙な懐かしさを覚えた。

 息がしやすい。全身が楽になった気がして、随分と単純だなと我が事ながら笑ってしまう。

 包丁がまな板を叩く音が心地良い。チッチッチッ、とコンロがついて、鍋が金属音を鳴らす。久しく聞かなかった生活の音。


 男の料理なんてフライパンしか使わないし、鍋は袋麺を作るのがもっぱらの役目だった。

 調理道具達も本来の役割を全う出来て喜んでいることだろう。レンジも元気よく回っている。パックのご飯を温めているのだろうか。そんなことしなくても、確かまだ炊飯器に昨日か一昨日の残りがあったはずだが。


 伝えようかどうしようか悩んでいる内に、いつの間にか眠ってしまっていた。

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