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隣の部屋にはお姫様が住んでいる  作者: 満月すずめ
第一章・一学期

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「悪くない」

 最後の意地で、姫野姉妹の部屋を会場とすることだけは避けた。

 パーティー自体を拒否する権利は既になく、またあったとしても口にできたかは怪しい。抵抗は無意味であり、「お料理持っていくの手伝ってね」と微笑む姫野(姉)に唯々諾々と従うほかなかった。


 次々と運ばれてくる料理を玄関先で受け取って自分の部屋に持っていく。一人暮らし用のテーブルはすぐに満杯になり、勉強机の上や台所にも置いてようやくなんとかなった。


 ケーキ以外は深夜の手料理である。その量に感心するやら驚くやら、いつの間にこんなに作ったのだろうか。

 昨日、せっかくの申し出を断ったというのに。


 想像はできる。朝陽が帰ってから相談したか問い詰められたか。そこから先は最早全自動、現在の状況を見れば一目瞭然。どうかと思いながらも姉に流される深夜の姿が目に浮かぶようだ。

 想像の中で容易く動き回る姫野姉妹に、直也の胸に痛みが走る。


 いつの間に、こんな簡単に想像できるようになったのだろう。

 お隣さんになって、まだ半年も経っていないのに。


 電気を消してカーテンも閉め、薄暗い室内に16本のろうそくの光が揺らめく。実際にはカーテンの隙間から光が入り込んでくるので言うほど暗くはない。夏の太陽の前には雰囲気など粉みじんだ。

 そんなことを気にも留めず、朝陽がハッピーバースデートゥーユーを歌う。大して広くもない室内に響き渡る歌声に、直也はぼんやりと今朝見た夢を思い出す。


 夢の中で聞こえた歌声は、もっと必死だった。こんな気楽で好き放題に歌ってはいなかった。それがなんだかおかしくて、気づかない内に口元に笑みが浮かんでいた。

 歌い終わりの拍手は朝陽は盛大に、深夜は控えめに。どうとでもなれという気分でろうそくの火を吹き消す。


「お誕生日おめでとー!」


 朝陽がどこかから買ってきたクラッカーを鳴らす。

 意外に大きい音に直也がビクついている間に、深夜は涼しい顔でカーテンを開けていた。


「お誕生日、おめでとう」

「あー……ありがとう」


 座り直して微笑む深夜に、なんとか笑顔で返す。返せたと思う。引きつっていないか、それだけが心配だった。

 去年とは違う場所、違う人。それでも自分だけが同じな気がして、顔を隠すようにチキンにむしゃぶりついた。


「それ美味しいでしょ? 作るの大変だからって中々食べられないんだよ!」

「こういうの、お祝い用でしょ。普通の日に食べるものじゃないから」

「えー!? たまに食べたくなるよぉ~!」


 姉妹のじゃれあいを横目に、黙々と口にものを入れる。

 朝陽の言う通り並べられた料理はどれも美味しくて、食べるのに夢中になれた。朝食もとらずにバカみたいに走ったから、腹は非常に減っている。

 何を喋ればいいか分からないので、とにかく食べていたかった。


「あーやっぱおいしー! ね、直也くんもそう思うでしょ?」

「はい」


 飲み込む合間に頷き返し、また別の料理を口に入れる。

 誰もとりゃしないのに、まるで大家族の食事みたいに次から次へと箸をつけた。


「うむうむ。じゃ、お祝いの日に許されたもう一つの贅沢をしよっかな」


 そう言って朝陽は我が物顔で冷蔵庫を開け、ビールとチューハイを取り出した。

 プシュッ、とプルタブを開ける音が耳に心地よい。そのまま缶ごと呷る。


「っぷはー! 直也くん、お誕生日ありがとー!」


 まさか誕生日を感謝されるとは思わなかった。

 驚いて顔を上げれば、腰に手を当ててニコニコ笑顔で白いひげを生やす朝陽と、そんな姉を胡乱な目で見上げる深夜の姿が目に入る。


「……お姉ちゃん、ほどほどにね」

「はーい、分かってまーす!」


 そう言った端からもう飲み干し、次の缶に手を付けている。

 あまりにも珍しい光景に手が止まっていると、深夜が申し訳なさそうに教えてくれた。


「お姉ちゃん、普段はお酒飲まないの。いつも飲んでると特別感が薄れるから嫌なんだって。ごめんね、理由付けに使われてるみたいで」

「あぁ、いや……そりゃいいんだけど」


 っかー! などと風呂上がりの牛乳でも飲んだような声を上げつつ、朝陽はもう五缶目に突入している。あまりにもハイペースすぎないだろうか。

 それとも、大人はこんなものなのか。


「朝陽さん、酒強いのか?」


 そんな必要はないのに、なんとなくこっそりと聞いてしまった。

 深夜は黙って首を振り、


「飲み会とか宴会とか、お酌係で乗り切る人だから」

「……なるほど」


 朝陽ほどの美人にお酌されたら、それはもう気持ちよく呑めることだろう。

 飲みすぎて前後不覚になることもなくて安心だ。


 酒は吞んでも吞まれるな。それなら最初から飲まない方が安全だ。そういうことをする人がお酒に強いかと言われたら、大体の場合は首を振るだろう。

 既にほんのり赤くなった朝陽の頬が、全てを証明している。


「んふふ~、ケーキがおつまみ! 美味しい! すごい!」


 何がすごいのかは分からないが、ケーキは美味しかった。

 これではもう、直也の誕生日パーティーという名の朝陽の慰労会である。いや別にそこにさほどの文句もないが、あれこれと緊張したり思い悩んでいたのが馬鹿らしい。


 お酒を飲んだ朝陽は普段より舌がなめらかになり、深夜と直也に絡んでくる。その相手をしている内に時間は過ぎ、転がる空き缶の数は加速度的に増えていった。

 用意した料理が残り僅かになったところで、朝陽が舟をこぎ始める。


「お姉ちゃん、飲みすぎ」

「ん~……そっかな~……」


 うつらうつらとしながら言われても、そうだとしか言いようがない。

 深夜が冷ややかな、しかし心配げな色を秘めた瞳で姉を見やる。


「もう寝た方がいいよ。部屋戻ろ?」

「ん~……寝る~……」


 そう言って、朝陽は直也のベッドにごろんと寝転がった。

 声にならない悲鳴を内心であげるのみに留めた彼を誰か褒めて欲しい。


「お姉ちゃん!? 自分の部屋で寝て! ここ柏木くんのベッドだよ!?」

「ん~……」


 もぞもぞと動いた後、恐るべき早さですやすやと寝息を立て始めた。のび太君もびっくりの寝つきの良さである。

 きっちりと毛布や掛布団も被っているのがポイントだ。猫のように丸くなる彼女に、深夜が滅多に見せない途方に暮れた顔をした。


「……ごめん、柏木くん。お姉ちゃん、こうなると中々起きなくて……」

「あー、いや、いいよ。そのうち起きる……よな?」


 多分、と呟いて頷く深夜に、ほっと胸をなでおろす。

 いや、安心していいのだろうか。多分ってなんだ。もし起きなかったらどうしよう。


 少しだけ不安になってベッドの上の朝陽を見れば、横顔だけでも実に幸せそうだった。

 今日は本当に自分の誕生日なのだろうか。朝陽だけが好きなように飲み食いして眠たくなったら寝て、主役は彼女ではなかろうか。


 肩から力が抜けて後ろ手に体を反らせる。食い続けていたからか、腹が少し苦しい。

 そうして、会話のなくなった部屋の中に深夜と直也は取り残された。


 さっきまで常に何かの音がしていたはずなのに、今はしんと静まり返っている。音がないから、人の気配を強く感じる。

 料理も食べずにただ座っている深夜がそこにいる。なるべく意識を向けないように、コップの中のジュースをちびちびと飲む。


 何か、喋った方がいい。そう思うのに、何も思い浮かばない。

 なんで勝手に寝てしまったのか。この時ばかりは、朝陽に恨みにも似た怒りが湧く。

 それが八つ当たりだと、薄っすらと分かってはいた。


「ごめんね」


 沈黙を破ったのは、深夜のそんな一言だった。

 視線を向ければ、どこか思いつめた表情で彼女がまっすぐに見つめてきた。


「お姉ちゃんに話したの。そしたら、こんなことになって」


 胸元に置いた手をぐっと握りしめ、彼女は少しだけ目を伏せる。


「誕生日、お祝いしたかったの。勝手にごめんね」



 こうなると、心のどこかで分かっていた。



 どこまで最悪なんだろうか。

 彼女はもう、ただのお隣さんなんかじゃない。


 最低でも友人と呼べるくらいの関係は築いてきたはずだ。

 他の奴にはしない親しげな話し方も、毎日作ってくれる弁当も、一緒に働く時間も、全て少しの優越感を感じるほどに特別で嬉しかったのに。


 この料理だって、手間暇かけて作ってくれたのが食べればわかる。時間なんてろくにない中、朝早く起きて作ってくれていたのだろう。

 自分の事だけ考えてバカみたいに走り回っている間、彼女は隣に住むほんの半年前に知り合った奴の為に料理を作ってくれていたのだ。


 自分が心底情けない。


 人の誕生日を祝って、そんな悲しい顔をさせるなんてあり得ないだろ。


「去年の誕生日が最悪でさ。あんな酷い誕生日は初めてだった」


 考えるより先に口が動いた。

 今から何を言おうとしているか、分かっている。分かっていて、止めない。だって、それが彼女へのせめてものお返しだ。


 今の自分が見せられる、精一杯の誠意だ。

 急に去年の話をされて驚く彼女に微笑み、話を続けた。


「父さんも母さんも気を遣ってますって感じが凄くてさ。いや、本人達は隠してるつもりかもしんないけど、子供からすると案外バレバレなんだよな。俺の事を思ってくれてるのは分かるし、そもそも元はと言えば俺が悪いんだけど」

「……柏木くんが?」


 首を傾げる彼女に、頷いた。



「俺、中学時代にイジめられてたんだ。そんで、我慢の限界が来てイジメっ子を怪我させた。去年の誕生日は、ちょうどその件で向こうの親や学校と揉めてた頃だったんだ」



 目を見開く彼女に、自嘲するような笑みを浮かべた。


 それから、直也は全てを話した。

 中学二年の二学期からイジメは始まったこと。三年になってクラス替えをしたが、何故かイジメっ子達と同じクラスになったこと。何度も担任に相談したが、何も改善しなかったこと。そして限界が訪れ、暴力を振るったこと。


「イジメっても、よく話に聞いたりニュースになるようなエゲツないもんじゃない。大したことじゃないと言えばそれまでの、じわじわと精神を削るようなものばっかだ。それでも継続は力なりってな、長くやられ続けると神経が参ってくる。次は何をされるか、何がなくなってるか。いつ奴らの『イジリ』が始まるか。そんなバカげたこと気にして生きてると、なんとなく体調も悪くなってくる気がして、気持ちよく朝起きるなんてことがなくなってくる。少しずつ少しずつ、色んなものが削られていく」


 そして、爆発した後はもっとひどいことになった。

 怪我をさせた、という事実がある以上傷害事件になりかねない。その場合、こちらが加害者であちらが被害者。イジメなんて目に見えないものよりよっぽど分かりやすく、強力だ。


 ただ、その件で調査したおかげでイジメも立証された。学校側としては頭が痛いところだっただろう。イジメの加害者と被害者が、暴行の被害者と加害者だ。あちらの親もイジメなんて目に見えないものより暴行という事実を前面に押し出してくる姿勢だったものだから、事態はもつれにもつれた。


「父さんも母さんも、俺の側に立って戦ってくれた。けど結局、最後には喧嘩両成敗でお互いに謝罪して手打ちになった。子供のやったことだし、互いに非はあるからそれで済まそう、ってな」


 学校側としても、それで終わって胸をなでおろしたことだろう。

 事態は明るみに出ず、内々に処理されて終わった。

 大したことないイジメの、大したことない決着だ。


「親には悪いことしたと思ってる。そん頃の友達にも言われたんだ、『あのくらいで暴れんな』って。そうだよな、俺が暴れさえしなきゃ、こっちは一方的に被害者で親にだってあんな苦労かけずに済んだんだ。学校や向こうの親と電話したり話し合ったりよ、仕事だってあんのに大変だったはずだ。そんな中、俺の誕生日やるってんだから驚いたよ。やらなくていい、っつったんだけどな」


 両親の厚意を無下にはできなかった。

 子供に心配をかけたくなかったんだろう。その気持ちが分かるから、直也も黙って受け入れた。

 ただ、いい思い出にできなかっただけだ。


「出来の悪いガキだよ、俺は。バカみたいに暴れるし、俺のせいで大変な親が更に気遣ってくれてんのに酷い誕生日なんて思っちまうし。地元に居づらくなってこっちに逃げてきた挙句、盆にも誕生日にも帰らないでいる。嫌なんだよ、向こうに帰って万が一にでもイジメてた奴らに会うの。どうせ俺のことなんか忘れて楽しく高校生活送ってるだろうしな」


 何もかも忘れて、新しく人生を送りたかった。

 あの時感じた理不尽も不条理も、どこか遠い国の出来事にしたかった。


 なんでこっちが謝らなきゃいけないのか、頭を下げなきゃいけないのか。そう思うこと自体が、何か悪いことをしている気になった。

 だから、同じ被害者で加害者なのに、あいつらはクラスに受け入れられて、自分は遠巻きにされたのだろうと思っている。


 そうであってほしいと、願っている。


「だから、姫野が謝ることなんて何もない。悪いのは俺だ。勝手に誕生日に嫌な思い出もって、勝手に祝われたくなかったんだ。それでも、祝うって言ってくれて嬉しかったし、今日だって楽しかった。だから、姫野は何も悪くない。俺だけが、悪いんだ」


 誰にも、親にさえ言わなかった気持ちを全て吐き出しきった。

 本当は墓まで持っていくつもりだったのに。


 泣きたいような虚しいような気分になって、手を広げて顔を覆った。

 涙が出れば、少しは心が軽くなるだろうかなんて思いながら。



「悪くない」



 それは、深夜の声とは思えないほど力強く、断定的だった。


 広げた手を外して、顔を上げる。

 そこには、明らかに強い熱を含んだ瞳で見つめてくる彼女の姿があった。


「貴方は何も悪くない。一つだって悪いことなんてしていない」


 その言葉が、圧力を持って直也の胸をドンと叩く。

 見たことのない表情をした彼女に釘付けになって、目が離せない。


「精一杯戦って、自分を守っただけ。貴方が貴方であるために必要なことをしただけ。誰に謝ることもないし、悪いと思うこともない」


 音のしない部屋に、彼女の声だけが響く。

 何重にも増幅されて直也の耳に届き、心臓を揺らす。


 嘘偽りなんて一つもなかった。

 深夜の目が、それを証明していた。



「自分が消えないよう頑張ったの。それは、絶対に、悪いことなんかじゃない」



 気が付いたら、涙が零れていた。

 漏れ出そうな声を噛み殺し、髪を握りしめて叫びださないよう押し殺す。


 もしかしたら。

 もしかしたら、ずっと、誰かにそう言って欲しかったのかもしれない。


 頑張ったんだ、戦ったんだと。

 守るための戦いは、それでも暴力と言われるのかと。

 そう思った気持ちを、分かって欲しかったのかもしれない。


 朝陽が寝ていて良かった。

 こんな話を聞かれずに済むし、泣き声を噛み殺す理由にもなる。


 深夜以外に聞かれなくてよかった。


 深夜に話せてよかった。


 心の底からそう思いながら、うずくまって声を出さずに泣いた。


 その間、彼女はただ傍にいてくれた。

 何をするでもなく、傍に。


 それが何より嬉しかった。



 16歳の誕生日は、最悪で最高の日になった。

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