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隣の部屋にはお姫様が住んでいる  作者: 満月すずめ
第一章・一学期

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「ちゃんとろうそくも16本あるからね!」

 太陽が空に燦然と輝く中で、汗だくのまま直也はエントランスの前で呆然と突っ立っていた。


 決めた通り頭が真っ白になるまで走り、疲れたら歩き、また走り出すのをひたすら繰り返した。汗が噴き出すのも気にせず、自分がどこを走っているかもわからず、周囲の景色が見覚えのないものになっても走り続けた。


 ようやくもういいだろうと思えるようになって、道が分からなくて、とにかく走ってきた道を確かめながら戻る。この時点で、朝からおかしかったのだと気づくことはできた。

 何もかも無視した自分の責任だとは分かっている。


 自分の住んでるマンションの前で、ポケットを漁る。

 鍵がない。

 スマホもない。

 エントランスに入れず、自分の部屋までたどり着けない。


 思い起こせば、部屋の鍵をかけた記憶もないのだから当然だ。数時間前の自分の首根っこを引っ掴んで振り回したくなる。あまりにもバカすぎて溜息すら出ない。

 途方に暮れてマンションを見上げていると、


「あれ? 直也くん?」


 聞き覚えのある声に振り向けば、朝陽がいた。

 両手にエコバッグをぶら下げて、なんとも重そうに歩いてくる。


 なんでこんなことろにいるのだろう。今日は仕事なのでは?

 そんな直也の疑問も知らぬ気に、彼女はいつもの悪戯そうな笑顔を浮かべた。


「どしたの? 入らないの?」

「あー……いえ、鍵を忘れて」

「へ? 鍵持たないまま出ちゃったの?」

「……まぁ、はい」


 めちゃくちゃ恥ずかしいが、背に腹は代えられない。強がりが何も生まないことを知るには十分な歳である。16になったばかりではあるが。

 ニヤケてもなお美しい顔で弄られるのを覚悟していた直也だったが、意外にも朝陽は心配そうに尋ねてきた。


「どうかした? ランニング行ってたんだよね? 汗すっごいよ」

「はぁ、まぁ……いつもより走ったんで」

「何かあった?」

「何かって……いや、別に……」


 昨日の事は『何かあった』に分類されるのだろうか。


 もしそうだとして朝陽に言えることじゃないし、そもそも自分だってなんでこんなことをしているのかちゃんとは分からない。

 とにかく腹が立って、それを誤魔化したくて汗を流した。ウダウダとした自分を殴りつける代わりに足を動かしたようなものだ。


 そんなこと言われたって、朝陽も困るだろう。

 話を逸らしたくて、彼女の持っている荷物に目を向けた。


「それ、どうしたんですか。随分重そうですね」

「ん? うん、パーティーの準備」


 朗らかな笑みを浮かべて荷物を持ち上げてみせてくれる。

 パーティーって、何をする気だろうか。そういえば、着ているのも私服だ。時間的にももう仕事には間に合わないだろう。休みなのだろうか。


「今日は休みなんですか?」

「うん、有給とっちゃった」


 にっこりと言う朝陽に、そんな簡単に取れるのかよ、と直也は思わず目を細める。

 とんでもないホワイト企業で働いてるか、それとも強引に押し通しているのか。後者だろうなと思ってしまうのは、朝陽の普段の行いのせいだ。


「もしかして、そのパーティーの為に?」

「そう! せっかくだからねー、張り切って買い物してきたとこ!」

「……いいんですか、それ? 何のパーティーなんです?」

「うーん、直也くんが教えてくれたら教えよっかな」


 卑劣すぎる交換条件に、直也はやむなく口を閉じた。


 昨日のこともそうだが、鍵を忘れたことだって根掘り葉掘り聞かれたら困る。昨日の深夜の顔を思い出してむしゃくしゃしてたから忘れました、なんて絶対に言いたくない。しかも朝陽に。

 口を閉ざす代わりに、直也は朝陽の手から重そうな方のエコバッグを引き取った。


「持ちますよ。その代わり、開けて下さい」

「いいよ~、帰ったらミヤに自慢しちゃお!」


 満面の笑みを浮かべる朝陽に、渋面を浮かべる直也。

 自慢しようって、一体何をだ。


「……なんすか、自慢て」

「直也くんを助けてあげました! って自慢」

「なりますか、それ。自慢に」

「なるよ~、なるなる! ミヤに羨ましがられちゃう」


 羨ましがる深夜を想像しそうになって、頭を振って追い払った。

 朝陽さんの言うことだ、話半分に聞くのがいい。真面目に受け止めたらバカを見るのはこっちの方だ。


「そっすか」

「はい、そうです」


 頷く朝陽から視線を逸らす。

 こういう時の言い方が姉妹らしくすごく似ていて、どうにも頭が混乱するのだ。


 朝陽の後に続いてエントランスの中に入り、階段を上って部屋の前まで付き添う。荷物を返そうとすると、彼女はこちらを一瞥もせずにチャイムを鳴らした。


「あの、すみません。バッグ……」

「ごめんねー、もうちょっと持ってて?」


 嫌ですよ、と普段ならはっきり言えたはずだ。

 なんとなく強い拒絶の言葉を使うのが躊躇われて、バッグを返そうとした姿勢のまま間抜けに突っ立っているしかなかった。


 ドアの鍵が開く音がして、心臓が止まりそうになる。


「どうしたの、お姉ちゃ――柏木くん?」


 ラフな部屋着姿の深夜が、目を丸くしてこちらを見つめてくる。


 今更になって汗だくのジャージであることが気になって、臭いがしないか鼻を鳴らしつつ顔を背けてしまう。

 とにかく早くこの場から離れたい。


「あー、さっきマンションの前で会って。これ、荷物」

「あ、うん、ありがとう」


 どうせ朝陽は受け取らないだろうと決めつけて、深夜に缶の詰まったエコバッグを渡す。主にビールやチューハイだが、ジュースも幾つか。何のパーティーなんだか。

 身を翻して自分の部屋に戻ろうとしたところで、背中に声をかけられた。


「じゃあ、パーティーはこっちの部屋でやることでいいの?」

「……はい?」


 振り向けば、にっこりと微笑む朝陽と申し訳なさそうな深夜がいた。

 嫌な予感がする。まるで蜘蛛の巣にでも絡まったかのような。


「飲み物こっちで冷やすなら、私達の部屋でやった方がいいもんね。直也くんのことだから自分の部屋のほうがいいって言うかと思ったけど」

「……あの、話が見えないんですけど」


 そう言った時の、朝陽の余りにも眩しい笑顔は、一生忘れられないだろう。


「だから、直也くんの誕生日パーティー。飲み物は持ってくの大変だもんね?」

「…………はい?」


 いや、分かる。何を言っているかも何を言われているのかもわかるが、理解が追い付かない。誕生日パーティー? 誰の? いや、そんなん決まってるけれども。

 朝陽は100人が100人見惚れるような笑みで、手に持ったバッグを掲げてみせた。


「ケーキ、さっき買ってきたんだよ。ちゃんとろうそくも16本あるからね!」


 心底どうでもいい。

 そう思いながら、逃げることができないことを直也は悟っていた。


 どうにもならない現実というものはある。

 姫野姉妹に関わるようになって何度目かになるその事実を、ゆっくりと噛み締めた。

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