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隣の部屋にはお姫様が住んでいる  作者: 満月すずめ
第一章・一学期

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36/44

「誕生日、お祝いしていい?」

 遊びの計画は、本当に相川が立てたらしい。


 結局集まった日もバスケでへとへとになってしまい、空いている日を教え合って適当な話をして解散したからさもありなんという感じである。

 西村は自分も協力したと嘯くが、毎度こき使われている姿からはとてもそうは見えない。二人とも満更でもなさそうだったからいいが、夏休みの間に上下関係がすっかり出来上がってしまった。


 忙しい日々があっという間に過ぎていく。

 バイトして遊んでバイトして課題してバイトしてバカ話をする。そうこうしているうちに気が付いたらもう夏休みも終盤だ。


 半月も過ぎるころには、直也も店員面するのが様になってきた。成形の手際も良くなってきたし、フィリングの種類もほぼ覚えることができた。

 まだ色々とできないこともあるが、コーヒーを淹れる腕は良くなってきた自信がある。


 カレシくんと呼ばれることには慣れないが、平常心を保つ訓練だと思えばなんてことはない。からかい交じりに言う人も減り、もはや完全にあだ名として定着してきている。それはそれでどうかとは思う。

 平穏で充実した日々。定休日はいつも西村達とどこかに出かけて遊んでいる。相川達もほぼ毎回一緒で、ということは当然深夜もいて、顔を合わせない日はそれこそ一日足りとてなかった。


 そんな毎日だったから、直也はすっかり忘れていたのだ。

 自分の誕生日が、8月25日であることを。


 それを思い出したのは、8月24日のバイト終わりのことだった。


※   ※   ※


 その日も、いつも通りの一日だった。


 朝から作業場に入り、成形を手伝って粉を運んでパンを並べる。開店準備を終わらせ、ぽつぽつと来るお客さんの相手をしつつ道具の場所を確認してカフェの準備を済ませる。

 その頃には朝のラッシュが始まり、店長と深夜と直也の三人で次々とさばいていく。レジは一台しかないので、店長がレジ打ち、深夜が袋詰め、直也がその他雑用だ。


「あ、カレシくん! メロンパンまだある!?」

「えぇ、ありますよ」

「カレシくん、マフィンどこー?」

「とってきます」

「カレシくんはさぁ、スコーンとブリオッシュ、どっちがいいと思う?」

「ブラック飲むならスコーンじゃないですか」


 常連のお客さんとの気安いやりとりをこなし、作業場と店内を何度も往復する。慣れてきたとはいえ、忙しないことに違いはない。

 それにしても、直也が男で若くて顔面偏差値もさほどでないからか、それとも他の理由か。何かと声をかけられることが日増しに増えていく。確かに内容的に店長や深夜には気軽に言いにくいのもわからいでもないが、返答に困るものがあるのも事実だ。


 直也とて女性慣れしているわけではないのだ。そこのところを酌量し配慮して頂けないかとは思うが、相手はお客様である。なんとかこちらが慣れるしかないのだろう。

 そうこうしている内にその日の業務も終了し、店長に声をかけられて深夜と一緒にチーフに挨拶をして手洗い場に引っ込む。


 帰り支度を済ませると、ドアがコンコンとノックされた。

 わざわざノックするなんて何事だろうか。深夜と顔を見合わせ二人して疑問符を浮かべながら、どうぞ、と声をかける。

 ドアを開けて店長とチーフが入ってくる。二人の手には、綺麗にラッピングされた袋があった。


「柏木くん、お誕生日おめでとう。それと、バイト入ってくれて本当にありがとう」

「明日は定休日だからね。一日早くてすまないが、受け取ってくれないか」


 そうして差し出された袋には、数量限定の『贅沢バターのクロワッサン』とチーフ渾身のブリオッシュが入っていた。

 どちらもすぐ売り切れる人気商品で、とっておいてくれたことが直也にでもわかる。


「あの……いいんですか?」

「もちろん。16歳、おめでとう。まだ出会って間もないおじさん達だが、祝わせてほしい」


 喉が詰まる。

 チーフの言葉は優しく誠実で、店長の笑顔が柔らかくて、本心であることを疑う余地などどこにもなかった。


 誕生日なんて、今の今まで自分ですら忘れていたというのに。

 今年バイトに入っただけの、姫野姉妹の知り合いという接点しかない自分を気にしてくれているなんて。


 二人とも、直也が一人暮らししていることを知っている。親と話したんだから当然だ。どう考えても訳アリなのに、何も聞かずにいてくれるだけで有難かったのに。

 どうして、高校生になってから、こんなにもいい人達に巡り会えてしまったのだろう。


「……ありがとうございます」

「バイト終わりまであと少しだけど、頑張ってね。良ければまた手伝って欲しい」

「柏木くんは真面目でお客さんの評判も良くて、本当に助かってるわ。ありがとうね」

「……はい」


 声が震えているのが、自分でもわかって恥ずかしかった。

 二人に頭を下げて、深夜と一緒に店を出る。もらった袋を大事に抱えて帰り道を歩いていると、隣からもの問いたげな視線が送られてきた。


 横目に見ると、深夜と目が合う。バツが悪そうに目を伏せる彼女に何を言うべきか分からず、口をもごもごと動かしながら懸命に言葉を探した。


「いい人だよな、店長もチーフも。ただのバイトの誕生日なんて、覚えてなくてもいいのに」

「うん……そういう人達だから」

「そっか……そうだな」


 そこで会話は途切れてしまった。

 彼女が何を尋ねたいのか、直也には分からない。いや、それは少しだけ嘘だ。もしかしたら、と思うことがないではない。ただ、それを口にするのは少しだけ勇気が必要だった。


 それに。

 もし、もし本当に思う通りのことを深夜が考えているとしたら。


 どう受け取ればいいか、今の自分には分からないのだ。


「これ、食うか?」

「え?」


 もらった袋を丁寧に開けて、クロワッサンを半分にちぎる。

 情けない自分の、せめてもの贖罪。申し訳なさを誤魔化すように、数量限定のクロワッサンを半分差し出した。

 深夜は慌てたように首を横に振る。


「いいよ、大丈夫。それは柏木くんの誕生日のお祝いだから」

「明日まで取っておけるわけじゃなし、いつもの弁当の礼だと思ってくれ。バースデーケーキだって一人じゃ食わねぇだろ」


 そう言ってもう一度差し出すと、おずおずとした手つきで受け取ってくれた。

 遠慮などいらないことを示したくて、クロワッサンにかぶりつく。カリカリした表面とふっくらした中身の食感が面白く、噛むほどにバターの甘味が口の中に広がっていく。流石カフェでの一番人気メニューだ。あの三人組がほぼ毎日やってくるのも頷ける。


 ちらりと隣を見れば、どこか躊躇しながらも深夜がクロワッサンを口に運んでいた。

 一口かじると、エメラルドのような瞳が大きく輝く。


 あまりにも分かりやすい喜びように我知らず頬が緩み、素知らぬ顔をしてクロワッサンをもう一口食べる。

 何故だか、さっきよりも甘味が増している気がした。


「美味いな」

「うん。すごくおいしい」


 素のままの言葉が転がり落ちたような口調に、直也の顔に笑みが広がる。

 釣られるように深夜も微笑み、半分になったクロワッサンに隣の彼よりはるかに小さな齧り跡をつけた。


「食えそうなら、ブリオッシュも半分にしよう」

「……バースデーケーキみたいに?」

「そう。一人で食うよりそれっぽいだろ」


 適当なことを言う直也に、深夜はおかしそうに笑う。

 二人で並んで歩く帰り道で食べるクロワッサンは本当にやたらと美味しくて、二人してチーフの偉大さを噛み締める。

 ブリオッシュも、きっとどうしようもなく美味しいだろうことは間違いなかった。


 夏の強い日差しが、幸せなパンの匂いを閉じ込めてくれる。

 薄い生地の服を着てさえ逃がしきれない熱気が、頭の中を茹で上がらせた。


「誕生日、お祝いしていい?」

「は?」


 耳に入った言葉が信じられずに聞き返せば、深夜が少しだけ真剣な目で見上げてきていた。

 黒曜石の中に緑を閉じ込めた瞳が、真摯な色を帯びる。


「私、今日初めて知ったから。あの、だから、ろくに準備もできないけど、でも」


 つっかえながらも懸命に伝えようとする彼女に、直也は息を吞んだ。


 もしかしたら、と思っていた。

 もしそうだったらどうしよう、とも思った。


 ただ、事ここに至っても、彼は頷けなかった。


 ――俺と彼女の関係は、なんだろう。


 ふとそう思う。

 ただのお隣同士。ご近所さんとして頼り頼られ、持ちつ持たれつ。隣人として、それなりに上手くやっている。


 ――ただ、それだけ?


 それだけだ。

 今のところは、本当にそれだけ。

 これ以上踏み込むのは、望んでいないし望まれていない。


 ――本当に?


 美人姉妹の隣に住む訳アリ男子高校生。もうそれだけで世間様ではスリーアウトチェンジだろう。イケメンならまだしも、ルックスは中の下だ。

 お互いに踏み込まない方が上手くやっていける。

 そのはずだ。


 その言い訳が、とっくに苦しくなっていることを直也は無視した。


「無理すんな。お隣だからって誕生日までやるこたないよ。俺もさっきまで忘れてたし」

「…………そっか」


 そうだよ、と小さく呟いた。

 彼女の方は見なかった。


 マンションに帰り着く前に半分に分けて食べたブリオッシュは、思ったよりも甘くなく、味気なかった。

 少しだけしょっぱい感じがしたのは、気のせいだろう。チーフが間違えて塩を入れるなんてミスをするはずがないから。


 だったらどうして、という疑問には蓋をすることにした。

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