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隣の部屋にはお姫様が住んでいる  作者: 満月すずめ
第一章・一学期

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「クセになりそうなくらい心地好かった」

 直也の初のバイト生活は、大きな問題もなく順調に過ぎていった。


 とはいえ、順風満帆というわけでもない。練った生地を発酵させる際のメモ用紙の張り忘れや注文間違いなど、失敗は幾つかあった。

 ただ、すぐに深夜がフォローしてくれて軽いもので収まったり、チーフや店長が笑い飛ばしてくれたおかげでなんとか落ち込まずにやっていけている。


 いや、嘘だ。失敗した時はそれはもう凹む。引きずらずに済んでいるのは、深夜やチーフや店長が気を遣ってくれているおかげだ。

 帰り道でうっかり深夜に愚痴ってしまい、慰められてしまったこともある。家に帰ってからあまりの情けなさと恥ずかしさに悶え苦しんだ。

 そんな失態を晒しながらも、なんとか直也もバイトに馴染んできた。


 同じ失敗を繰り返さないよう丸々一ページを使ってメモ帳に書きなぐったし、愚痴った翌日はいつもより早く起きてがむしゃらに走って全てをリセットした。

 今のところ大きな失敗はやらかしていないし、愚痴ったのも一回こっきりだ。これ以上はごめんだと直也は心に誓っている。守れるかどうかは神のみぞ知る。


 他に問題といえば、朝食のことで少しあった。

 初日におにぎりをありがたく食べたことが原因かは分からないが、翌日も深夜が朝食用のおにぎりを作ってくれていたのだ。


 初日の寝坊を反省し、アラームをセットしてきちんと起き、朝のジョギングをして軽い朝食を摂った後に判明した事実である。

 彼女の好意を無にすることができるはずもなく、腹具合を無視して食べた。仕事中に横腹の痛みを感じ、朝食はもう自分で作らないことにしようと決意した。


 深夜がおにぎりを作ってくれていればよし、なくても一食抜いたくらいどうということはない。その結論に至ったのだ。

 そして初日から数日が経っても、直也の朝食が抜かれることは一度もなかった。


 そんなふうにして過ごす夏休みは初めてだったが、充実していた。実家に帰らない理由付けになるから、なんて打算で受けたバイトは思ったよりも楽しかった。

 相変わらずカレシくんと呼ばれるし、「へーこれがあのカレシくんか」と言われることも多い。何故だか有名になっている気がするが、考えるだけ疲れるので思考を止めた。


 それには辟易しているが、美味しそうにパンを食べる人達を見ているとなんとなく「まぁいいか」と思えてくるから不思議だ。

 所詮たかが知れた手伝いだが、一生懸命作ったものを誰かが美味しく食べてくれるというのは結構嬉しい。カフェのドリンク作りも真剣に深夜から習った。


 チーフや店長から褒められるのも、なんだか今までにない感覚で嬉しい。誰かの役に立っている実感、とでもいうのだろうか。

 その感覚は、クセになりそうなくらい心地好かった。


 バイトを始めて数日。

 生活リズムに体が慣れ、仕事もなんとか覚えてきた。


 日が沈んだら寝る生活も悪くないと思うようになった柏木直也(15)。今月末にある自分の誕生日のことなどすっかり忘れている高校一年生の夏であった。


※   ※   ※


 アラームに起こされない朝は久しぶりだった。


 自然に目が覚め、良く寝たと思いながら枕元のスマホを手に取る。

 5:30。一気に血の気が引いた。


 その辺にあった服を適当に掴んで着替え、財布とスマホをポケットに突っ込む。部屋の中を見回して机の上に乗ったメモ帳を見つけ、大股で近づいて兎柄のペンと一緒に無理やりポケットにねじこんだ。

 やらかした、と頭の中が焦りでいっぱいになる。顔を洗うのもそこそこに玄関に向かい、踵を靴に蹴り込む。


 深夜は先に行ったのだろうか。

 彼女から連絡はきていないかとスマホを取り出せば、妙な違和感を覚えた。


 じっとスマホを見やる。未確認アラームの表示がない。

 アラームをつけ忘れていたかと思ってスマホを弄れば、日付と曜日が目に入った。


「あ」


 気が抜けてその場に座り込んでしまう。口から漏れるため息に肩まで重くなった。

 今日は『パンの庭』定休日。バイトも当然休みだ。


 道理でアラームが鳴らなかったはずだ。昨日の自分は今日の自分よりも優秀だったらしい。スマホを目の前に持ってきて、ぼけっと画面を眺める。

 そこでようやく、西村からチャットの通知が来ていることに気づいた。


 どうやら昨日の夜に来たらしい。バイトを始めてそう日も経っていないが、すっかり早い時間に寝るのが習慣づいてしまった。

 次の遊びの約束をしたいから集まれないか、という内容。松田からの返信は昨日の時点で既にあって、直也もすぐに返事をした。


 どうせまだ寝ているだろうから、どうなるか分かるのは午後になるだろう。もう一度寝直そうかと思ったが、眠気はすっかり消えていた。

 どうしようか迷って、靴を脱いで部屋に引っ込む。ジョギング用のジャージに着替えて、再び靴を履いて玄関を出る。


 今日は少し長く走って、朝陽が出社する頃に戻ってこよう。こういう日にどうするか、深夜と話していなかったし。弁当を作ってくれていれば受け取れるし、なければ自分で作ればいい。

 八月の太陽はもう既に光を振りまいていて、社畜のごとき早出である。


 スマホは部屋において財布だけ持って、直也はマンションから出た。

 中学時代に比べても健康的な夏休みの過ごし方に、思わず笑いが零れる。夜更かしも徹夜でゲームもしない夏なんて、西村からはもったいないと叫ばれそうだ。


 松田はどうだろうか。彼の私生活も中々謎に包まれている。自分から話すタイプではないし、わざわざ聞くことでもないから知らないだけだろうが。

 今日もし会えたら聞いてみようか、なんて。


 呼吸を整えペースを守って走りながら、そんな益体もないことをつらつらと考えた。

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