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隣の部屋にはお姫様が住んでいる  作者: 満月すずめ
第一章・一学期

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「自分が果てしなくダサい人間に思える」

 お隣のお姫様と二人で傘を差して帰ってから半月。


 その翌日こそ姉である朝陽にお礼を言われていつもより長めに絡まれたが、それ以外は何事もない平凡な日々を直也は送っていた。

 六月も半ばに差し掛かり、すっかり梅雨の様相を呈している。もう傘を忘れて公園で雨宿りすることもないだろう。人生、誰しも数回は驚くべきイベントに出会うものだ。そのうちの一回だと思って割り切ることにした。


 しかし、あのエコバッグ。分かっていたことだが、お隣の家事担当が深夜なのだと実感した。朝の会話から察してはいたが、実際に目にすると納得感が違う。

 放課後になるといつの間にかいなくなっているが、もしかして買い物の為なんだろうか。あんなお姫様みたいな姿をして、特売のチラシとにらめっこをしていたりするんだろうか。

 その想像はなんだか罪深い気がして、頭から追い払った。


 やることのない休み時間は変な考えばかりしてしまう。次の授業の用意も済ませてぼーっとしていると、薄いエメラルドの瞳と視線が重なった。

 小さく会釈され、僅かに顎を引いて頷き返す。


 あの日以来、目が合う頻度が増えた気がする。いや、気のせいかもしれない。前は二日に一回くらいだったのが、最近は一日一回になってきている気がするが、自意識過剰なのかもしれない。同じクラスにいるんだ、目ぐらい合う。

 だから何だ、という話でもある。仲良くなりたいかと言われると返答に困るし、深夜はともかく彼女の周りの上位カーストグループとはあまりお近づきになりたくない。

 だから、まぁ、このくらいの距離感でいいのだろう。


 教科書をぱらりとめくる。勉強は好きではないし成績も言うほど良くはないが、なるべく上位をとっておきたい。両親はそこまで気にしないだろうが、直也の面目というやつだ。

 高校生の一人暮らしが普通じゃないことも、家賃が安いものじゃないことも知っている。それでも我儘(わがまま)を通してくれた以上、親の心配事は減らしておきたい。授業は真面目に聞いておくに限る。

 チャイムが鳴り、教師が入ってくる。日直の声を聞きながら、視界の端で揺れるライドブラウンの髪をなるべく意識に入れないようにした。


※   ※   ※


 その日の放課後に直也が教室に残ったのは、降り続く雨に気分が滅入(めい)って図書室に行く気力も湧かなかったからだ。


 もうノイズとして処理されるようになった雨の音をBGMに、だらけながら一応は課題をやろうとノートを広げていた。

 雨が降ると洗濯物が乾かないし、買い物に行くのも億劫(おっくう)になる。一人暮らしの身には家事の労力が増えるのは辛いものがあった。


 教室には同じように家に帰るのも億劫なのかそれなりの数の生徒が残っている。ただ、そこに深夜の姿はなかった。この雨の中、買い物に行ったのだろうか。もしそうなら、直也とて素直に感心せざるを得ない。

 遅々として進まない課題を前に、シャーペンを手の中で弄る。指に挟んでくるりと回すやつ、あれは意外と難しいのだ。練習しようかと思って、高校生にもなって何をしているのかと自分に呆れる。


「うわ、自殺未遂だって。うちの県の高校じゃん」


 近くの席に座っていた男子生徒の声が直也の耳に入ってきたのは、そんなふうに時間を持て余していた時だった。

 スマホを見ながら眉を(ひそ)めるそいつの横で、友人らしき奴が首を伸ばして覗き込む。


「え? どこよ。あ、ここ俺受けるかもしんなかったとこだわ」

「去年からいじめられてたんだと。うわぁ、ひでー話だな」

「誰も止めなかったのかよ」

「見て見ぬふりだってさ。『よくあるイジリだと思ってた』って書いてある」

「なんじゃそりゃ。ダッセェの」

「いや~でもさぁ、死ぬくらいなら一発殴ってやろうと思わないんかねぇ」

「まぁ、どうせ度胸出すならそっちの方がいいわな」

「な? イジメてた奴なんてボッコボコにされても文句言えないっしょ」


 怒りと同情を込めてそう言った男子生徒が同意を求めるように見れば、友人が小さく脇を小突いてきた。

 訝しむように目線で訴えると、顎をしゃくられる。不審に思ってそちらを見やり、


 人でも殺しそうな目で(にら)まれていた。


 窓際の列の真ん中、柱の前の席。

 そこに座っていた良く知らないクラスメイトに、怒りと憎悪に(まみ)れた視線を向けられている。


 心当たりは全くない。さっきまで居ることすら気づかなかったのだから当然だ。

 もしかして、と思って男子生徒はスマホに視線を落とす。今のイジメが云々って話が何か気に障ったのだろうか。


「え、あ、えーっと、柏木? 柏木は、あー、どう思う?」


 名前をなんとか記憶の底からさらってきて話しかければ、視線の圧が少し緩んだ。


「別に、何も。当事者にしか分かんないこともあるだろうし、適当言うのは止めた方がいいと思う」


 別に何も、という口調ではない。

 鋭く吐き捨てるような言い草に、苦笑いを浮かべるしかなかった。


「あ、あぁ、そうだな」

「……邪魔してごめん」


 ぽつりと謝罪の言葉をこぼして、柏木は手早く広げていたノートなんかを机の中に突っ込み、鞄を持って席を立った。

 乱雑なその音を気にしたクラスメイトはあまりいない。柏木はそのまま無言で教室から出ていった。


「……なに、あれ?」

「さぁな。イジメられてたことでもあるんじゃねぇの」


 鼻白みながら尋ねれば、友人に肩を竦められた。

 悪いことしたかな、と思いながらスマホを持ち直す。

 画面の中では事件についてあれこれと書かれた挙句、『明らかになっていないイジメ事件が、この世には多く存在しているのだろう』などという言葉で締めくくられていた。


※   ※   ※


 昇降口で靴に履き替えたところで、傘を持ってきていないことに気づいた。朝はまだ降っていなかったので、なんとかなるだろうと思っていたのだ。

 雨が止むまで図書室に避難しようかと思ったが、どこかでさっきのクラスメイトと会うと気まずいを通り越して苦痛ですらある。


 やらかした、とは直也も思っているのだ。どう考えても八つ当たりだ。彼らはただ普通の雑談を普通にしていただけだ。内容も良心的でさえあった。

 なのに。


 これでクラスにますます馴染めなくなった。変な奴と思われただろうし、接しにくい奴とも思われただろう。実際間違ってないからどうしようもない。

 上手くいかないことだらけだ。せっかく地元から離れて一人暮らしまでしてるのに、こっちでも輪の中に溶け込めずにいる。


 自分が原因なのは分かってる。分かってるならなんとかしろ。何度自分に言い聞かせたって、入学して二か月ちょいも何もできないままだ。

 嫌になってくる。大体、さっきの態度も酷いものだ。あれじゃ、相手を威圧して思い通りにしようとする連中と同じだ。

 そういう人間にはなりたくないと、思っていたはずなのに。


 傘立てを見れば、誰かの置き傘が数本突っ込まれている。そういえば置き傘なかったっけ。そうだ、半月前に使ったんだった。

 外は雨。昼からずっと降り続いている。傘立てには誰かの忘れ物。雨足はそれなりに強く、走って帰ってどうにかなるようなものじゃない。


 ――まぁ、いいか。


 胸の中で独り()ちて、そのまま校舎を出た。

 濡れて困るものがあるわけじゃない。傘を忘れたのは自分が悪いのだから、雨に降られながら帰るのが正しい。


 校門を出るころには全身余すところなく濡れ鼠と化していて、楽でいいやと開き直りさえしていた。

 水たまりを避ける意味も最早ない。靴の中に浸透してきた水が靴下まで重くするが、直也は何も気にせず黙々と歩き続けた。

 車のタイヤが弾く水も、こうなれば誤差だ。脇に空っぽの鞄を挟み、ポケットに手を突っ込んで、いつもの帰り道を歩く。


 何をしているんだろう、と思う。

 自分が果てしなくダサい人間に思える。


 どうして過去を引きずるのか。県を(また)いでまでリセットしようとしたのに、頭の隅にこびりついたまま消えてはくれない。

 両親だって、こんな無様な姿を晒す為に高い金を出して部屋を借りてくれたわけじゃないはずだ。

 溜息さえ出ない。


 なんだって、俺はこんな、


「柏木くん?」


 聞き覚えのある声に、反射的に伏せていた顔を少し上げた。

 傘を差して腕にエコバッグをぶら下げた深夜が、驚いた顔をしてこちらを見つめていた。


「何を……してるんですか?」

「……家に帰ってるとこだけど」


 普段よりしわがれた声で直也が答えると、深夜は目を吊り上げながら眉を下げるという器用な表情を浮かべた。


「傘は? こんな雨の中、何してるんですか!?」

「傘を忘れたから」


 理由になっているのか分からない返事をする直也にずんずんと近づき、頭一つ分の差をものともせずに深夜は自分の傘の中に入れた。

 されるがままの直也に身を寄せ、器用な表情のまま見上げる。


「どこかでビニール傘を買えばよかったでしょう?」

「浪費は避けたくて」

「浪費じゃなくて、必要経費です!」


 強い口調で言い切る深夜を見下ろして、直也はそっと歩幅を確かめるように歩き始めた。

 合わせて深夜も歩き出す。傘から外す気はないらしい。


「濡れるよ」

「柏木くんほどじゃないです」

「そうじゃなくて」

「じゃあ、傘を貸しますね。ここからなら走って帰ればすぐですから」


 半月ほど前に口にしたような言葉を返され、直也は口を噤む。

 そこから、二人とも一言も発さなかった。

 ただ同じ傘の中で寄り添って歩き、エントランスのロックを解除して階段を上る。お互いの部屋の前で別れるまで、耳に入るのは雨の音だけだった。


「すぐにシャワーを浴びて下さいね。できればお風呂にも入って下さい」

「……あぁ」


 言い含める深夜に雑に頷いて部屋に入る。

 その背中を心配そうに見つめる薄いエメラルドの瞳に気づく余裕は、なかった。


 靴を脱ぎ捨てキッチンを通り過ぎて、床に座り込む。

 やらなきゃいけないことは分かっているつもりだった。服を脱いで洗濯籠に突っ込んで、シャワーを浴びている間に湯船を張って風呂に入り、新しいシャツを出して明日の用意をする。


 ――眠い。


 何もしない内から瞼が下りてくる。抵抗する気力もなく、テーブルに突っ伏して目を瞑った。濡れたシャツが体にまとわりついて体温を奪ってくる。眠いのはきっと、そのせいだ。

 なんだか疲れた。


 一呼吸する間に、直也は意識を手放した。

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