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隣の部屋にはお姫様が住んでいる  作者: 満月すずめ
第一章・一学期

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「どうせ隣なんだし」

 柏木直也の席は窓側の列の真ん中、柱の隣に寄り添って存在している。


 入学当初は中学の頃と同じ配置に苦々しい思いをしたが、二か月近くも経てばそれなりに慣れてしまった。人間の最大の長所は適応力とはよく言ったものである。

 やることもないので授業の準備をしてからぼーっと教科書を読んでいると、教室の後ろのドアが開いた。

 皆の空気が変わったのが分かる。数人が席を立った。


「おはよ、姫野」

「ミヤちゃん、おはよ!」

「昨日の英語の宿題やった? ミヤちゃん、教えて~」

「姫野さん、今日は放課後大丈夫?」


 ちらりと視線を向ければ、鞄を持ったままの姫野深夜がクラスメイトに囲まれていた。

 皆に挨拶をしながら席について鞄をフックにひっかける。今日もお姫様は大変だな、と直也は他人事全開でぼんやり思う。席に着くのにも一苦労だ。

 教室にいるほぼ全員が彼女を気にしているのが分かる。いつも一緒にいるグループは学年でも上位のカーストで、それがある種の壁の役割を果たしていた。


「はー、『姫様』は今日も綺麗だねー」

「クォーターだっけ? テレビでも見たことねぇ顔してるもんな」


 近くの席で雑談する男子の声が聞くとはなしに耳に入ってくる。

 『姫様』とは、こっそりとつけられている深夜の愛称である。尊称とも言う。そのあまりに美しい造形に感動した誰かが呟き、あっという間に広まった。彼女の苗字が『姫野』であったことも普及する追い風となった。

 本人に面と向かって言う人間は今のところいないが、この学校で『姫』といえば彼女を指す。異を唱える人間がいるという話は一切聞かない。


「もう二回も告白されたってよ」

「マジ? 誰?」

「サッカー部の山城と例の朝倉。あとバスケ部の城戸(きど)が狙ってるって噂」

「うわぁ、錚々(そうそう)たる面子ぅ……え、てか朝倉?」

「そう。ほら、例のアイツ」

「うわー、俺あいつと同中なんだよね。そっかあいつに目ぇつけられたのか、美人に生まれるってのも楽じゃねぇな」

「全員フラれてるけどな」

「さすが姫様。下々の者はお呼びでない」

「あいつらが下々なら俺らは何なんだよ」

「知らね。ダンゴムシか何かじゃん?」


 それなら俺もダンゴムシだろうか、と直也は自問自答する。

 男子高校生にしては客観的な視点を持った会話から意識を切り離し、教科書を軽く開いて目を落とす。別に中身なんて読んじゃいない。


 彼女がモテるのは分かり切っていることだった。容姿、性格、頭のデキ。全てにおいて欠点が見当たらない。姉である朝陽に比べて社交的とは言えないが、あれは朝陽がおかしいのだと直也は思っている。

 部屋が隣同士でなければ、話をすることさえなかったであろう人種。それが、姫野深夜という少女だった。


 助かっている。これで学校が違ったりすれば、さしもの直也だって勘違いしたかもしれない。同じ学校で同じクラスだからこそ、その差を毎日感じることができる。黒歴史を作るのは中学だけで十分だ。

 一瞬だけ彼女と目が合った。我知らず、彼女の方を見ていたらしい。

 かすかに顎を引いて会釈(えしゃく)をし、深夜は友人達とのお喋りに戻る。会釈を返すこともできず、直也は自然さを装って黒板に視線を向けた。


 時折こうして、彼女はふと目が合うと反応してくれる。それはお隣であることへの義理みたいなものであろうが、動揺してタイミングを見失い、頷き一つ返せないことが多い。

 社交性がないのは我が身の方である。何が姉と比べて、だ。一般人と比べてもダメな自分が何を言えたことか。


 自覚している欠点を思い知らされて、漏れそうになるため息を飲み込んだ。別に「お姫様のお隣に住んでいます」と自白するわけでもあるまいに、軽い会釈ぐらい返せばいいのだ。冷静になれば、ちゃんとそう思えるのに。

 とりとめのない内省をしている間に担任がやってきて朝のHRが始まる。

 朝から自身の短所を見つめさせられたこと以外は、何の変哲(へんてつ)もない一日だった。


※   ※   ※


 放課後の図書室は、直也にとって格好の暇つぶし場所だった。


 入学してからこっち、放課後の時間を持て余すことが悩みの種であった直也にとって、図書室ほど素晴らしい施設はない。

 新聞もマンガもラノベもあるし、専門的な本から『〇〇になるには~』なんて少し胡散臭い代物まで()り取り見取りだ。その多種多様さは本のサラダボウルである。

 静かに利用しろという張り紙のおかげで誰とも話す必要もなく、誰かの話し声も聞こえない。望む条件全てを兼ね備えた、理想的な場所だ。


 直也がやることは、その日によって変わる。基本的にはマンガやラノベに手を伸ばすが、新聞や雑誌なんかも読むし、気分次第では専門書も手に取ってみる。勿論、授業で出された課題があればそれをこなしたりもする。

 家に帰ったって勉強するかスマホを弄るか、だ。それもしばらくやれば飽きる。図書室という選択肢が増えたことは直也のQOLを上げてくれた。


 ふと、雨の音がした。

 気になって図書室から出ると、ぽつぽつと降っていた小雨があっという間に土砂降りへと進化する。なんとなく気分が沈んできて、もう帰ろうと思った。

 傘は持ってきていないが、置き傘があったはずだ。朝から雨が降っていたのに、帰る時には止んでいた日があった。あの時の傘が置きっぱなしのはず。早く帰らないと誰かに盗られるかもしれない。


 早足になって昇降口に行けば、傘立てに突っ込まれた見覚えのある色があった。

 靴に履き替えて傘を引っこ抜き、外に出る。急に降ってきた雨に戸惑う皆を横目に帰宅する。雨が降ったばかりの地面はまだ水たまりもできていない。これで雨が止むまで待っていたら、車に水をひっかけられる事故が多発することだろう。


 傘に雨粒が当たる音を聞きながら、のんびり歩く。今日の晩飯は何にしようか、冷蔵庫に何かあったっけ。一人暮らしをするようになって一番面倒なのは、食料の管理だった。

 カップ麺とインスタントばかりの食事だと体にも財布にも親にも悪い。かといって、マトモな食材はそう長くはもたない。必然、頻繁に買い物をする羽目になる。非常に面倒だ。


 高校一年生にして母の有難みを実感する。適当に切って鶏がらスープの素と塩コショウを振って炒めている直也でさえこうなのだ、毎日きちんと献立を考えて作っている人を尊敬してしまう。シェフなどの料理人とは違う苦労がある。一人暮らしをして分かるようになったことだ。

 耳を覆う雨音は、思考の海に沈むにはちょうどいい。前に視線を向け、頭では別の事を考えながら歩き、


 視界の端に、銀色の輝きが見えた気がした。


 つられてそちらを見れば、公園があった。

 直也のマンションと学校のちょうど真ん中くらいにある公園で、たまに学校の行き返りに子供が遊んでいるのを見かけたことがある。

 こんな雨の日には当然だが誰もいない。気のせいかと思って目線を戻そうとすると、色素の薄い髪が見えた。


 まさかな。

 そう思いながら、念の為に確かめようと公園に入る。


 何の変哲もない公園だ。ブランコに滑り台、ジャングルジムにプレイドーム――ドーム型で側面に穴が空いていて中に入ったり登ったりできる遊具――などの定番の遊具が一通り置かれている。平日昼間に奥様方の集会場としての役割も果たしていそうだ。

 土砂降りの雨は一寸先も見えないというほどではなかったが、視界が悪いことに違いはない。懸念(けねん)払拭(ふっしょく)すべく、ドーム型の遊具に近づいていく。

 空いた穴から中が見えて、


 いた。


 両脇に中身の詰まったエコバッグを従え、膝を抱えて姫野深夜がうずくまっている。


 飛び出ている茶色いやつはゴボウか。泥付きかそうでないかで値段が変わる、直也にとっては謎の付加価値を持つ野菜。

 普通そこはネギだろ、と心の中で突っ込んだところで目が合った。


 彼女の瞳が驚きに見開かれる。動揺しきった直也の瞳孔も開いていることだろう。どうしよう、どうすれば。こんなシチュエーションは妄想したこともない。

 深夜の表情が段々と驚愕から自嘲するような笑みに変わり、小さく会釈をされて視線を逸らされた。


 なんだその反応。

 直也の心に小さな火が点る。


 このまま何も知らない顔をして自分だけマンションに戻れと言うのか。濡れた知り合いの女の子を放って行けと。あぁそれとも濡れた姿を俺なんかに見られるのが嫌なのか。そういう配慮をしろと、無言で察せと言っているのか。

 残念ながら、そういうのは苦手なんだ。


「買い物帰り?」


 話しかけると、深夜は少し驚いた顔をして目を合わせてきた。

 これでいいのだ、と直也は自分に言い聞かせる。面倒事は御免だが、これは人としての真っ当な行動というやつだ。朝陽からも何かあったらよろしくと頼まれているし。


「はい。傘を持ってきてなくて」

「持ってる奴の方がおかしいんだよ。降水確率10%だぞ」

「柏木くんは、」

「俺のは置き傘。偶然、運よく、たまたま」


 被せるように言うと、そうですか、と深夜が小さく微笑んだ。

 息を吸って、覚悟を決めた。


「傘、貸すよ。俺は走って帰ればいいし、すぐそこだし。荷物も濡らさない方がいいでしょ」


 言ってやったぞ、という達成感に包まれる。


 人として当然のことをするだけで何故ここまで緊張するのか。自分の社交性がないせいか、それとも彼女が美少女すぎるせいか。

 後者だ、と思うことにする。


「あ、いえ、でもそれだと柏木くんが」

「俺はいいよ。走ればすぐだし、シャワー浴びればいいし」

「でも」

「いいって言ってんの」

「夕立ちですし、すぐ止むかも」

「いつ止むかわかんないだろ。どうせ隣なんだし、帰って荷物片づけてから返してくれればいいから」


 なおも渋ろうとする深夜に、いい加減直也もイライラしてきて最終手段を持ちだした。


「朝陽さんからも頼まれてるし。俺も何かあったら力になるって言ったから」


 姉の名前を持ちだされ、ぴくりと深夜の肩が震える。

 思ったより頑固な彼女に疲れていた直也は、丁度目を伏せてため息をついていて見ていなかった。


「とにかく、使ってくれ。俺はなんとでもなる」

「分かりました」


 素直に頷いた深夜に内心驚きつつ、直也は傘を差しだす。

 だが、彼女はそれを受け取らなかった。


「傘に入れてください。それなら、二人とも濡れずに済みます」

「は? あ?」


 突然の申し出に頭がついていかず、間抜け丸出しの声が漏れる。

 直也が呆けている間に深夜は荷物を持って穴から出て、しっかり傘の下に収まった。


「じゃ、帰りましょう」

「あーいや、ちょっと。俺はいいって。この傘大きめだけど、流石に二人は、」

「お姉ちゃんに頼まれて、力になってくれるんですよね?」


 言い返されて、二の句が継げなくなった。

 見事なブーメランが直撃し、にっちもさっちもいかない。だが、モテない思春期男子がこれほどの美少女と相合傘をして無事でいられる保証はない。

 直也にだって、羞恥心というものぐらいあるのだ。


 なんとかしようと視線をさ迷わせるが、状況を打開する手段など見つかるはずもない。雨に濡れた遊具と、ライトブロンドの髪から(したた)(しずく)と、掌に食い込むエコバッグの紐が見えるだけだ。

 まるで童話のお姫様のような外見とスーパー帰りの証拠があまりにミスマッチで、現実感がバグりそうになる。

 もうイモは引けない。唾を飲み込み腹を(くく)る。それでも、最後の抵抗を試みた。


「荷物、俺が持つよ。重そうだし。代わりに傘を持ってくれ」


 彼女の返答も聞かずにエコバッグを奪い取り、空いた手に傘を握らせる。その瞬間にもう片方のバッグも引き取った。

 これで一応、誰かに見られたとしても最低限の対面は保てるはずだ。自分が傘だけ持って彼女が荷物を持っている姿なんて、まかり間違えば犯罪である。


 一つ予想外だったのは、彼女の背があまり高くなかったせいでやや腰をかがめなければならなくなったことである。が、ここはやせ我慢のしどきと口を(つぐ)んだ。

 雨のせいかきらきらと輝くエメラルド色交じりの瞳で見つめられ、今度は直也の方が視線を逸らした。


「ありがとうございます」

「おぅ」


 彼女の歩幅に合わせ、荷物を濡らさないようにして並んで歩く。

 マンションにつくまでの十数分は緊張しっぱなしで、授業の時間よりずっと長く感じた。


 二階の廊下で荷物と傘を交換し、それぞれの部屋に入る。

 玄関を閉めてから吐いた直也のため息は、それはそれは深いものだった。

 晩飯を何にするか考えるのを忘れていたのを思い出したのは、それから二時間後のことだった。

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