「潮の匂いがした」
電車の中で西村はクーラーボックスの中身を全て口に詰め込み、相川を呆れさせた。
意外にも女子達にはウケが良く、深夜も「全部食べてくれるのは嬉しいよね」と悪い気はしていないようだった。
一度の乗り換えを無事に済ませ、駅から出た時には空はもう茜色に染まっていた。
「それじゃ、またね」
「また遊ぼうぜ! 連絡するからなー!」
クーラーボックスを担いだ西村を連れて、相川が去っていく。ぶんぶんと両手を振る西村に松田と直也が応えるはずもなく、女子達だけが手を振り返していた。
本人は実にご満悦な顔をしていたので、それでいいのだろう。
相川がいなくなったことで自然解散という形になり、三々五々帰っていく。直也と深夜も、残って遊んで帰るという子達に手を振ってその場を離れた。
松田は一応その子達についていくらしい。遅くならないうちに帰るぞ、と言うその顔は西村を相手にしている時に似ていた。面倒見がいいのは知っていたが、一緒に遊んだことで彼女達も松田の保護範囲に入ったのだろうか。
「ちょっと意外かな」
夕焼けに染まる帰り道を歩きながら、ぽつりと深夜が呟いた。
「何が?」
「松田君、すぐに帰ると思ったから」
あぁ、と深夜が何を言いたいかを理解する。
松田は独立独歩というか、周りと少し距離を置くところがある。運動もできて頭もよく顔も悪くないとくれば、学校でも上位のカーストに所属できそうなのに。
学校でつるむのはもっぱら西村と直也だけで、他の人とは必要がなければ話さない。そういう彼が、残る子達の面倒を見ようとするのが不思議なのだろう。
「松田は相川ほどじゃないけど面倒見がいいよ。誰にでもってわけじゃないだけで」
「そうなんだ」
「じゃなきゃ、俺や西村にテスト勉強教えたりしないって」
「そっか。そうだね」
頷く深夜の顔がどことなく真剣に見えて、思わず口をついて出る。
「松田のこと、気になる?」
「うん。柏木くんの友達だから」
これから会うことも増えるだろうし、と続いた言葉は半分も頭に入らなかった。
柏木くんの友達だから。その言葉を直也はどうにも都合よく解釈してしまう。つまり、自分と関係があるから気になるのだと。
そう言っているのだと、泳ぎ疲れて浮かれた頭はそう判断してしまった。
「西村は?」
「西村君は分かりやすいから」
小さく思い出し笑いをする深夜に、嫉妬にも似た感情が湧き上がる。
そりゃ西村は分かりやすいけど、あれで案外周りを見てるとこもあるんだぞ。ていうか、あいつのことはあえて聞かなくても分かるくらい見てたってことなのか。
最早何に対しての嫉妬かもわからず、唸り上げたいのを我慢して空を見上げた。
太陽が橙色の光を世界に投げかけながら、ビルの向こう側に沈もうとしている。
まだ早いだろ、と心の中で文句をつけてみた。
「楽しかったね」
「あぁ」
惜しむような声色に、間髪入れずに頷く。
楽しかった。それだけは間違いない。友達だけで海にいくなど、直也だって初めての経験だ。忘れられない思い出になった。
茜色に染まる視界の中で、隣を歩く深夜の髪だけが白く輝きを放っていた。
「誘ってくれてありがとう。嬉しかった」
「……おぅ」
心の中で、あの時深夜を誘えと詰めてきた西村に感謝を捧げる。
あれがなければこの子を誘う度胸など湧かなかっただろうし、こんな笑顔を見ることもなかっただろう。
無邪気なその笑顔は、年相応の少女のものだった。
「また誘うわ。西村が遊びたがるだろうし」
「うん。相川さんとそういう話しながら帰ってそうだね」
「あー、してそうだな。んで、めちゃくちゃなスケジュール組もうとして怒られてそう」
「分かるかも」
二人して笑いながら殊更にゆっくり歩く。
駅からマンションまでは徒歩10分。話しながら普通に歩いていたらすぐについてしまう距離。
今日という日を惜しむように、倍の時間をかけてマンションまで歩いた。
風がなびかせた彼女の髪から、潮の匂いがした。




