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隣の部屋にはお姫様が住んでいる  作者: 満月すずめ
第一章・一学期

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「帰るのが少しだけ惜しい」

 昼を食べ終えると、西村が松田と直也を遠泳に誘った。

 バカなので何も考えていないか、バカなので女子にいいところを見せたいか、両方か。何にしてもせっかく海に来たので泳がねば損である。


 二人ともがノってきたことで調子づいた西村は、最初から全力で飛ばした。そして大方の予想通り脇腹の痛みに苦悶し、それでも泳ぐのを止めないので松田が拘束して脇に抱えて砂浜まで曳航するという情けない姿を晒すことになってしまった。


「あんたバカぁ!? だからバカスカ食べんなっつったでしょ!?」

「すんませんっ!」

「そもそも泳ぎ続けようとすんな! 異常が出たらすぐ戻る! 分かった!?」

「分かりましたっ!」


 浜に上がった瞬間に相川に頭を叩かれ正座させられ説教される。反省した素振りを見せつつもまんざらでもない顔をしていたのを直也は見なかったことにした。本人が納得しているなら、それでいいのだろう。

 どうか友人が変な趣味に目覚めませんように、と心の中で祈る。


 監視役の相川と共に西村が荷物番につく。西村の世話から解放された松田と一緒に軽く遠泳をして、女子達に審判を頼んで競争した。

 当然勝てるはずもなく、悔しいながらも松田が楽しそうなのでまぁいいかと思う。内心もうちょっとやれると思っていたが、松田が凄いのだということにする。


 実際、かなり泳いで直也は疲れているというのに、松田は平然としていた。体力が違うのだろう。夏の間は毎朝のジョギングを続けようと思う。

 思ったより高い波がくるので、女子達は浮き輪サーフィンを楽しんでいた。中でも一番小柄な子が上手く、砂浜に浮き輪がつくまで波に乗り続けていた。試しに波に身を任せてみると、波打ち際に追いやられる感覚がちょっと楽しい。


 松田と一緒に波に転がされる感触を楽しんでいると、復活した西村が早速走って混ざってくる。浮き輪サーフィンにも取り組んでいたが、女子ほどうまくいかずからかわれる結果となった。

 ふと気が付けば、太陽が傾いて薄っすらとオレンジ色の光が海を染め始めている。そろそろ潮時かな、と思ったところで相川の声が響いた。


「皆、そろそろ帰るよ」

「えーっ!? まだ遊び足りねぇよぉ!」


 真っ先に反発したのはやはりというべきか西村で、まるで皆の気持ちを代弁するかのように声を張り上げる。

 正直、西村ほどではないが、誰もが帰るのが惜しい気持ちを抱えていた。それは直也も、もしかしたら深夜だって。


「ダメ。もう帰らないと日が暮れるでしょ。電車の時間考えると、今で時間ギリギリだから」

「相川ってホント母ちゃんみたいなこと言うよなぁ」

「あ?」

「すみませんでしたっ! すぐに帰りますっ!」


 慌てて海から上がって荷物を掴む西村に皆で苦笑し、それぞれの荷物を持つ。西村がその身をもって心残りを断ち切ってくれたおかげで、帰り支度はスムーズに済んだ。


 シャワーを浴びて着替え、ロッカーに預けた荷物を取り出す。解体したパラソルは松田が持ち、レジャーシートは砂をはたいて折りたたんで西村のバッグに突っ込む。

 そして小さめのクーラーボックスは朝陽の私物なので直也が持ち、ドリンクを入れていた大きなクーラーボックスは西村が担いだ。


「重っ!? おっもいよこれぇ!? なんで!?」

「だから言っただろ、氷が完全に溶けてんだよ。液体だから簡単にバランス崩れるし、行きより重く感じるんじゃねぇの」

「まっつん、知ってたの!?」

「知ってた。教えた。文句は聞かん」

「うっ、くっ……ど、どこかに水だけ捨てられねぇ?」

「できない。持って帰れ。観光地を汚すなよ」


 松田にきっぱりと言われ、絶望した顔で西村が肩を落とす。

 哀れに思ったのか、女子達が慰めに近づく。


「大変だねー、持つのちょっと手伝おうか?」

「マジ!? すげぇ助かる!」


 顔を上げて目を輝かせる西村だったが、その希望は儚くも打ち砕かれた。


「やめな、松田がちゃんと言ってたのに聞かないこいつが悪い。しっかり痛い目見ないとバカは覚えないからね」

「んー、沙穂がそう言うなら。ごめんね、西村くん」

「えぇっ!? 相川、ひどくない!?」

「バカには容赦したらダメだって今日で分かったよ。しっかり持ちな。向こうに着くまででいいから」


 腕を組む相川に、西村がきょとんとした顔を向ける。


「え、なんで?」

「そのボックス、うちのだからね」

「いや、相川んちまで持ってくよ。これクソ重いもん」


 あまりにも当たり前のように西村が言うので、相川の返事が少し遅れた。


「……そう。じゃ、よろしく」

「あ、それなら、相川んちまで持つの手伝ってくれたりは……?」

「甘えんな。保冷剤と氷で十分って忠告聞かなかったのはあんたでしょ」

「柏木、柏木ぃー! 水いれたの柏木だから同罪だよな!? 手伝ってくれ!」

「こら、人に罪をなすりつけんな!」


 友人の悲鳴にも似た嘆願を聞かなかったことにして、リュックを抱え直す。確かに同罪だと言えなくもないと直也自身も思うが、そこはそれ。松田に目配せをすれば重々しく頷かれたので、対応はこれで正解だったようだ。

 直也の持つクーラーボックスは軽い。中身はまだ少し入っているが、氷も水も入っていないからだ。凍らせた果物が溶けて出た水などたかが知れている。


「重くない?」


 隣の深夜に尋ねられ、直也は軽く首を横に振った。


「中身がほぼないからな。そういやこれ、帰りの電車とかで食べていいもんか?」

「いいと思うけど……食べるの?」

「まぁ、少し。あとは西村にやろうかと思って」


 ちょっと哀れだしな、と付け加えれば、深夜はそっと笑った。


「そうだね。喜んでくれると思う」

「泳いだ後にあんなクソ重いもん持ち運ぶんだから、エネルギーが必要だろ」

「じゃあ、相川さんに聞いてこようか? あげていいか」

「……相川は西村の飼育員かよ」


 くすくす笑う深夜に、頼むと一言呟く。

 この状況で勝手に西村に餌をやるほど、直也も空気が読めなくはないのだ。


 隣を離れた深夜が相川に話しかけ、悩んだ素振りをしたあと渋々頷く。

 西村の顔が輝き、直也に向かってウィンクしてきた。やっぱり松田と二人で全部食べてしまおうかと思う。


「さ、帰るよ!」


 相川の号令で全員が動き出す。

 松田は女子に囲まれ、西村は相川に睨まれ、深夜は相川の隣で微笑む。段々とオレンジに染まっていく空の下で、直也は最後尾をゆっくりと歩いた。

 帰るのが少しだけ惜しい。そういう気持ちのせいか、一度だけ振り返った。


 空の色を反射する海が薄い金色にも見えて、朝陽のことを思いだす。

 そういえば、あの人は車を出すとも言わなかったな。深夜のことをやたら大事にしているあの人なら、そのぐらい言いそうなものなのに。


 ――頼りにしてるよ、直也くん。


 リフレインした言葉に、今更疑問が過ぎる。

 友達だけで行くから遠慮したんだと思っていた。でも、もし、深夜が学校の友達に自分の事を話していないのを知っていたとしたら。


 深夜が朝陽に気を遣っているのは分かる。姉妹だし、色々と苦労しているのを見てきたんだろう。だけど、本当にそれだけなんだろうか。

 自分は、一体、何を頼られたのだろう。


 頭を振って余計な考えを振り払う。やめよう、他所の家庭に首を突っ込むのは良くない。

 こんな、隠し事をしたままで他人の事情に土足で踏み込むべきじゃない。

 ちくりと胸が痛む。


「おーい、柏木! 遅いぞー!」


 顔を上げれば皆が待っていて、西村が手を振っていた。


「あぁ、悪い」


 足に力を入れて、皆を追いかけた。

 松田に心配ないと手を振って、隣に並ぶ深夜に笑いかける。

 気にしすぎだ。今日は楽しかった、それでいい。


 電車に乗る頃には、胸の痛みは治まっていた。

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